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9.11テロから20年がたち、アフガニスタン戦争が終結したこともあって、現在さまざまな論考が行われていますが、あまりにも見方が偏っています。

たとえばタリバン政権が成立したアフガン情勢の報道は、女性キャスターが追放されたとか、デモ隊にタリバン兵が発砲して死者が出たとか、暫定政権の主要閣僚はタリバンの男性ばかりで「包括的」でなく、米政府がテロリスト認定して指名手配した人間も含まれているとか、女子教育が制限されるのではないかとか、否定的なことばかりです。

実際は、肯定的なこともあるはずです。
なによりも内戦が終わり平和になりました(反タリバン武装勢力は北東部パンジシール州で最後の抵抗をしていましたが、ほぼ制圧された模様です)。
自爆テロに巻き込まれたり、米空軍の誤爆にあったりという心配がなくなったことは、アフガン国民にとって大きなプラスです。すべてのマイナスを打ち消して余りあるのではないでしょうか。
また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は8月27日、2021年末までに最大50万人が難民として国を離れる可能性があると発表しましたが、今のところ難民の流出はとくになさそうです。


どうしてマスコミはタリバン政権に否定的なのでしょうか。

私は第一次タリバン政権が成立したころのことをよく覚えています。
アフガン情勢など新聞の国際面にもめったに出ませんが、タリバンという「謎の勢力」が現れ、急速に勢力を伸ばしているという小さな記事が目につきました。
当時、アフガンは1989年にソ連軍が撤退してから各地に軍閥が群雄割拠する内戦状態にありました。1994年ごろからタリバンが現れ、たちまち支配地域を広げ、1996年にカブールを占領して政権を樹立したのです。
タリバンはパキスタンの支援を受けているという説もありました。「タリバン」というのは「神学生」という意味で、戒律を厳格に守り、腐敗したほかの勢力とは一線を画していて、それが民衆の支持を得たといわれていました。
私自身は、日本の戦国時代に織田信長が現れて天下統一したみたいなものかと思っていました。
タリバンは原理主義的で、過激でしたが、戦乱の中ではいちばん過激なものが勝ち抜けるものです(織田信長もそうです)。

ともかく、タリバンが天下統一し、まだ地方には軍閥が残っていましたが、1979年にソ連軍が侵攻してから20年ほど続いた内戦がようやく終結し、アフガンに平和が訪れました。

タリバン政権はイスラム原理主義とされ、国際社会から警戒されました。
バーミヤンの石仏を破壊したときは世界的に非難されましたが、そのときタリバン政権の広報官が「アフガン人がいくら死んでもなんの関心も示さなかった国際社会が、石仏が壊れただけで大騒ぎするのには驚いた」という意味の発言をしたのは、なかなか辛辣な指摘で、記憶に残っています。

タリバン政権が過激なのは内戦が20年も続いたからで、しばらく平和が続けば、だんだんと穏健になっていくだろうと私は思っていました。


ところが、アメリカが2001年にアフガンに侵攻し、平和は破壊されました。
9.11テロの首謀者とされたオサマ・ビンラディンをタリバン政権がかくまったというのが侵攻の理由ですが、そこからまたもや20年も内戦が続いたわけです。

アメリカはタリバン政権を倒して、新たな政権をつくりましたが、これは明らかな「武力による現状変更」ですから、タリバン政権のほうに正統性があります。
アメリカは「民主的」な政権をつくったと言いますが、選挙からタリバンは排除されていましたから、「民主的」とはいえないでしょう。
米軍撤退とほとんど同時にタリバン政権が復活したのは、国民もタリバンを支持していたからです。


タリバンは女性の権利を認めないので、アメリカがタリバン政権を倒したのは正しいし、撤退もするべきでなかったという意見があります。
女性の権利はたいせつですが、権利意識は国によって違うものです。

ヤフーニュースの『「タリバンは残虐なテロリスト」って本当? 現場を知るNGOスタッフの答え』という記事から一部を引用します。

長谷部:まずは、私の体験からお話しますね。2005~2012年に私が支援活動をしていたのは、カブールから東に約150km離れた、ジャララバードを中心とする「ナンガルハル州」というところでした。そこでは、その当時でも成人の女性がひとりで街や村の外を歩くということはなく、家族とともに外出している女性はブルカを着用していました。
 家に招かれた客人は、「ゲストルーム」という離れの一室ですごすことになっていて、家の女性とは一切会うことはありません。例外は長老の許可があったときだけ。そのときだけ、地域の女性と会うことができました。

西牟田:アメリカが統治していた時代でも、地方はそんな感じだったのですね。タリバンが統治していた1998年、私がジャララバードへ行ったときと大差がない。一方、カブールは違っていそうですね。私が行ったときは、地元の女性は全員がブルカを着けていました。仕事が一切できないからか、バスターミナルにブルカ姿の物乞いがかなりいました。

長谷部:私がいたころはカブールに出ると、頭にヘジャブを巻いて顔を出して独りで歩いている女性がたまにいたりして。カブールのような都会と私が活動していた田舎ではずいぶん違うので、めまいがしそうなくらいでした。

西牟田:カブールでアメリカナイズされた人たちや外国人と、それ以外の地方の人とでは文化がまったく違うし、捉え方も違うのですね。

「女性の権利」というような価値観は、外国が力で押しつけるものではありません。
日本も、男尊女卑の自民党が政権の座にありますが、日本国民が解決するべき問題です。

民主主義についても同じです。
アフガンは、一部の都市を除いてほとんどは部族社会です。
「部族社会における民主主義」というのは想像できません。長老の意見に従うのが当然と思っている人たちに一人一票の投票権を与えても意味がなく、長老会議で物事を決めたほうが効率的です。

人権や民主主義が価値あるものなら、いずれ人々はそのことに気づくはずで、力で強要するのは間違いです。


アメリカの愚かな間違いがもたらした結果は重大です。
人的被害だけに関しても、ウィキペディアの「アフガニスタン紛争 (2001年-)」にはこう書かれています。

ブラウン大学の「コスト・オブ・ウォー」プロジェクトによると、2021年4月時点で、アフガニスタンでの死者は17万1,000〜17万4,000人、アフガン民間人が4万7,245人、アフガン軍・警察が6万6,000〜6万9,000人、反対派の戦闘員が少なくとも5万1,000人となっている。


アメリカ側の人的被害はというと、8月19日時点で、米軍の死者数は2452人、イギリス、カナダ、ドイツなどNATO加盟国の死者を含めると3596人になります。
9.11テロの死者数は2977人です。


現在、アフガン戦争と対テロ戦争についての反省点がいろいろ議論されていますが、どれもアメリカ側に立ったものです。
たとえば、9.11テロ後のアフガン戦争とイラク戦争などでの米軍の戦死者は7000人超ですが、自殺者は3万人超になるということで、帰還兵の傷ついた心理に焦点を当てたルポルタージュがいくつも目につきます。これらは戦争の悲惨さを伝えているようです。
しかし、17万人超のアフガン人の死者は無視されています。

マスコミは、アフガン人に17万人超の死者が出たということすらまず報道しません。
米兵の死者数や9.11テロの死者数は報道します。
アフガン人とアメリカ人の命に軽重をつけているのです。
米空軍が民間人の誤爆を繰り返したのも、アフガン人の命を軽く見ているからです。
おそらくはイスラム教徒への差別と人種差別によるものです。

アメリカの侵攻と占領のせいで、アフガンは17万人超の死者を出しただけでなく、国土が荒廃し、経済が停滞しました。
私が思うに、アフガン政府はアメリカ政府に対して損害賠償を請求していいはずです。
トランプ前大統領は、新型コロナウイルスを流出させたとして中国政府に多額の賠償金を求めると息巻いていましたが、ウイルスは自然界のもので、アメリカのアフガン侵攻は意図的行為ですから、こちらのほうが罪が大きいのは明らかです。
実際はアメリカが賠償金を払うことはないでしょうが、アメリカの「戦争責任」を追及する議論は行われるべきです。

それから、戦争が終われば「戦後復興」ということになり、国際社会はアフガンの戦後復興に手を差し伸べなければなりません。
ところが、そういう議論がまったく起きていません。
タリバン政権にけちばかりつけているのは、戦後復興に金を出したくないからでしょうか。


世の中にはさまざまな価値観があって、それが偏見を生みます。
偏見を脱するために、間違った価値観と格闘するのはなかなかたいへんです。
それよりも簡単な手があります。
それは、死者の数(命の数)を数えることです。
死者の数の多いほうが悲惨な目にあっていて、おそらくそこに差別すなわち偏見があります。