立憲民主党の小西洋之参院議員は「国会のクイズ王」の異名を持つそうで、3月6日の参院予算委員会で「安倍総理、よく『法の支配』とおっしゃいますが、『法の支配』の対義語は何ですか?」とクイズを出題しました。
それに対して安倍首相は「まさに法の支配による、この国際秩序を維持をし、平和な海を守っていくことが、それぞれの海の繁栄につながっていく、という考え方を示しているところでございます」などと意味不明の答弁をしました。
小西議員は「『法の支配』の対義語は、憲法を習う大学の1年生が、一番最初の初日に習うことですよ」と前置きして、「『法の支配』の対義語は『人の支配』です」と言いました。
私も恥ずかしながら「法の支配」の対義語を知らなかったので、「王の支配」ではないかと考えました。「王の支配から法の支配へ」とすれば、市民革命の理念を表現しています。
小西議員の言うように「法の支配」の対義語が「人の支配」なら、民主主義の否定にもなりかねません。
ところで、ネットで「法の支配」を調べてみると、たいてい「rule of law」と英語も付記されています。ところが、「人の支配」には英語の表記がありません。
岩波書店の「哲学・思想辞典」で「法治主義」を引くと、「日本において用いられる概念」と説明され、当然英語の表記はありません。
ですから、「人の支配」も日本において用いられる概念なのでしょう(ちなみに「哲学・思想辞典」には「人の支配」という項目自体がありません)。
ネットを見ていると、「法の支配」の対義語は「力の支配」だという説がありました。これもありそうな説です。
ちなみに安倍首相が「法の支配」という言葉を使うときは、中国が南沙諸島の支配を強めていることに反対する場合が多いということです。そうすると、安倍首相が答弁で「平和な海を守っていく」とか「それぞれの海の繁栄」ということを言ったのも、ある程度理解できます。
ともかく、「法の支配」の対義語が「人の支配」だということにはあまり根拠がなく、小西議員がドヤ顔で言うほどのことではなさそうです。
なお、「法の支配」とは、「王といえども法に従うべきだ」という考え方で、この場合の法とは人間のつくった法律ではなく自然法のことです。
しかし、人間の上に法があるという考え方は日本人にはなじみません。
自然法といっても、天賦人権説のように人間を超えた存在を前提としていて、やはりキリスト教の影響があります。
立憲民主党は「立憲主義」を基本理念にしていますが、これも「法の支配」と同じようなもので、日本人には理解しにくい概念です。
安倍首相ら自民党は「法の支配」も「立憲主義」もないがしろにしています。
では、自民党はどういう基本理念に立脚しているかというと、私の考えでは「道徳の支配」とか「道徳主義」というものです。
自民党の改憲草案には、「家族は、互いに助け合わなければならない」とあり、憲法が国民に道徳を説くものになっています。
自民党はまた、道徳教育の教科化を実現しました。教育勅語の復活を目指す向きもあります。
民法の懲戒権を温存して、幼児虐待を助長してきたのも自民党です。
国家や人の上に道徳があるというのが自民党の考え方です。
内閣法制局の横畠裕介長官の問題発言も「道徳の支配」によるものです。
小西議員は安倍首相にクイズを出したあと、安倍首相の答弁は時間稼ぎだと批判して、国会議員の質問は国会の内閣に対する監督機能の表れだと主張し、こうした趣旨の政府答弁書があるかの確認を横畠長官に求めたところ、横畠長官は「このような場で声を荒らげて発言するようなことまで含むとは考えていない」と言いました。これが批判され、謝罪と撤回に追い込まれました。
法制局長官の立場で野党批判をしたのは政治的だということで批判されたわけですが、問題はそれだけではありません。
「予算委員会の場で声を荒げて発言する」というのはよくないかもしれませんが、それはマナーとか道徳の問題ですから、委員長が注意すればすむことです。
横畠長官は法律よりも道徳が優先するという考えを示したわけです。まさに「道徳の支配」です。
小西議員の「法の支配」の対義語を問うクイズはあまり意味があるとは思えませんが、法制局長官までが「道徳の支配」に冒されていることを明らかにしたのは功績でした。
もちろん自民党の誰にも国民に道徳を説く資格はなく、自民党の「道徳の支配」は日本を堕落させるだけです。