村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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立憲民主党の小西洋之参院議員は「国会のクイズ王」の異名を持つそうで、3月6日の参院予算委員会で「安倍総理、よく『法の支配』とおっしゃいますが、『法の支配』の対義語は何ですか?」とクイズを出題しました。
それに対して安倍首相は「まさに法の支配による、この国際秩序を維持をし、平和な海を守っていくことが、それぞれの海の繁栄につながっていく、という考え方を示しているところでございます」などと意味不明の答弁をしました。
小西議員は「『法の支配』の対義語は、憲法を習う大学の1年生が、一番最初の初日に習うことですよ」と前置きして、「『法の支配』の対義語は『人の支配』です」と言いました。
 
私も恥ずかしながら「法の支配」の対義語を知らなかったので、「王の支配」ではないかと考えました。「王の支配から法の支配へ」とすれば、市民革命の理念を表現しています。
 
小西議員の言うように「法の支配」の対義語が「人の支配」なら、民主主義の否定にもなりかねません。
 
ところで、ネットで「法の支配」を調べてみると、たいてい「rule of law」と英語も付記されています。ところが、「人の支配」には英語の表記がありません。
岩波書店の「哲学・思想辞典」で「法治主義」を引くと、「日本において用いられる概念」と説明され、当然英語の表記はありません。
ですから、「人の支配」も日本において用いられる概念なのでしょう(ちなみに「哲学・思想辞典」には「人の支配」という項目自体がありません)
 
ネットを見ていると、「法の支配」の対義語は「力の支配」だという説がありました。これもありそうな説です。
ちなみに安倍首相が「法の支配」という言葉を使うときは、中国が南沙諸島の支配を強めていることに反対する場合が多いということです。そうすると、安倍首相が答弁で「平和な海を守っていく」とか「それぞれの海の繁栄」ということを言ったのも、ある程度理解できます。
 
ともかく、「法の支配」の対義語が「人の支配」だということにはあまり根拠がなく、小西議員がドヤ顔で言うほどのことではなさそうです。
 
なお、「法の支配」とは、「王といえども法に従うべきだ」という考え方で、この場合の法とは人間のつくった法律ではなく自然法のことです。
しかし、人間の上に法があるという考え方は日本人にはなじみません。
自然法といっても、天賦人権説のように人間を超えた存在を前提としていて、やはりキリスト教の影響があります。
 
立憲民主党は「立憲主義」を基本理念にしていますが、これも「法の支配」と同じようなもので、日本人には理解しにくい概念です。
 
 
安倍首相ら自民党は「法の支配」も「立憲主義」もないがしろにしています。
では、自民党はどういう基本理念に立脚しているかというと、私の考えでは「道徳の支配」とか「道徳主義」というものです。
自民党の改憲草案には、「家族は、互いに助け合わなければならない」とあり、憲法が国民に道徳を説くものになっています。
自民党はまた、道徳教育の教科化を実現しました。教育勅語の復活を目指す向きもあります。
民法の懲戒権を温存して、幼児虐待を助長してきたのも自民党です。
国家や人の上に道徳があるというのが自民党の考え方です。
 
内閣法制局の横畠裕介長官の問題発言も「道徳の支配」によるものです。
小西議員は安倍首相にクイズを出したあと、安倍首相の答弁は時間稼ぎだと批判して、国会議員の質問は国会の内閣に対する監督機能の表れだと主張し、こうした趣旨の政府答弁書があるかの確認を横畠長官に求めたところ、横畠長官は「このような場で声を荒らげて発言するようなことまで含むとは考えていない」と言いました。これが批判され、謝罪と撤回に追い込まれました。
 
法制局長官の立場で野党批判をしたのは政治的だということで批判されたわけですが、問題はそれだけではありません。
「予算委員会の場で声を荒げて発言する」というのはよくないかもしれませんが、それはマナーとか道徳の問題ですから、委員長が注意すればすむことです。
横畠長官は法律よりも道徳が優先するという考えを示したわけです。まさに「道徳の支配」です。
 
小西議員の「法の支配」の対義語を問うクイズはあまり意味があるとは思えませんが、法制局長官までが「道徳の支配」に冒されていることを明らかにしたのは功績でした。
 
もちろん自民党の誰にも国民に道徳を説く資格はなく、自民党の「道徳の支配」は日本を堕落させるだけです。

野田市の小学4年生の栗原心愛さんがアンケートに「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています」などと書きながら父親に虐待され亡くなった事件があまりにも悲惨なので、父親の栗原勇一郎容疑者を非難するだけでは足りず、ほかにも“悪者探し”が行われています。
学校や市教委、児童相談所の対応が批判されていますが、警察は父親だけでなく母親の栗原なぎさ容疑者も傷害の容疑で逮捕しました。父親の暴行を止めなかったことで共犯関係が成立すると判断したということです。
なぎさ容疑者は勇一郎容疑者からDVを受けていました。“悪者探し”が迷走したようです。
 
どうせ“悪者探し”をするなら、いちばん悪いやつを探さないといけません。
いちばん悪いやつは、自民党です。

 
民法には親の「懲戒権」なる規定があります。
 
民法第822
親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。
 
「懲戒」とはどのようなことか、「特定非営利活動法人子どもすこやかサポートネット」のサイトではこのように説明しています。
 
民法は、懲戒方法を具体的に定めていません。しかし、最も詳細な民法注釈書である新版注釈民法(25)は、その方法を次のように示しています。
「懲戒のためには、
 しかる・なぐる・ひねる・しばる・押入れに入れる・蔵に入れる・
 禁食せしめるなど適宣の手段を用いてよいであろう(以下、省略)」
 
つまり民法が虐待を容認しているのです。
 
この法律は明治時代にできたもので、廃止しなかった国会の責任は大きいと言えます。
放置してきたわけではありません。この条文は2011年に改正されています。
その前の条文はこのようなものでした。
 
平成23年改正前の条文
親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。
 
「懲戒場」が存在しなくなったので、それに関する部分は削除されました。
このときに「懲戒権」そのものをなくすべきでした。そうしなかったということは、「懲戒権」を認めたということです。
この改正は民主党政権のときでしたから、自民党というより国会全体の責任です。
 

しかし、「尊属殺人罪」に関しては自民党の責任です。
親殺しを特別に重罪とする刑法の尊属殺人罪の規定は、1973年の最高裁判決により違憲とされました。違憲とされた法律はただちに削除か改正するのが国会の務めですが、実際に削除されたのは22年後の1995年でした。1995年というのは刑法の条文を文語体から口語体に改めるという刑法大改正が行われたときで、そういうことがなければさらに放置されていたかもしれません。
 
自民党は尊属殺人罪の廃止は日本人の家族観に悪影響があるとしてずっと反対でした。
ここに自民党の思想のキモがあります。
 
尊属は卑属と対になった言葉で、「親は尊く、子は卑しい」というとんでもない思想です。
儒教からきた言葉かと思っていましたが、検索しても儒教とのつながりは見つからず、もっぱら相続などに関する法律用語としてヒットします。
ウィキペディアの「尊属殺」の項には「日本の尊属殺重罰規定については、フランス刑法に由来するという説と、中国の律令からの伝統にならって儒教的道徳観に基づいて制定されたとする説とがある」とあり、どうやら尊属と卑属という言葉は明治時代に刑法をつくった人間がつくった言葉であるようです。
 
これは天皇制国家と結びついていると思われます。
戦前の日本では、日本国民は「天皇陛下の赤子」でした。とすれば、「親は尊く、子は卑しい」のは当然です。
教育勅語には「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ」とあります。 兄弟、夫婦、朋友は相互の関係を言っていますが、親子については、「父母ニ孝ニ」つまり「子どもは親孝行せよ」といっているだけで、「親は子を愛せよ」というのはありません。
 
「男尊女卑」という言葉にならっていえば、「親尊子卑」というのが戦前の日本の基本精神です。
教育勅語をありがたがり、憲法改正で戦前の日本へ回帰しようという自民党は、今も「親尊子卑」のままです。
 
自民党の「日本国憲法改正草案第二十四条」には「家族は、互いに助け合わなければならない」とあります。
小さな子どもがどうやって親を助けることができるのでしょう。子どもにまったく配慮のない規定です。
親を助けない子どもは親に「懲戒」されてもしかたがないということにもなりかねません。
 
国連の子どもの権利委員会は2月7日、日本で子どもへの虐待などの暴力が高い頻度で報告されていることに懸念を示し、日本政府に対策強化を求める勧告を公表しました。
日本で幼児虐待の対策が遅れている最大の原因は、自民党の「親尊子卑」の思想です。

相変わらずレーダー照射問題が論じられています。
この議論を見ていると、どうしても人間の愚かさについて考えてしまいます。
 
なぜこの議論が終わらないのかと思ったら、自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長が1月17日の記者会見でこんなことを言っていました。
 
「われわれは確固たる証拠を持っている。韓国側は真摯に受け止め、事実を認め、再発防止に努めてもらいたい」

 証拠は持っているが、開示はしないわけです。
開示しないなら、存在しないも同然です。
 
韓国側は、自衛隊機が韓国海警艦の出すレーダー波を駆逐艦の出す火器管制レーダー波と勘違いしたのではないかという説を唱えていますが、その証拠もありません。
 
証拠もなしにレーダー照射をした、しないという議論をしても、水掛け論になるだけです。
なぜ水掛け論を続けているのでしょうか。
日本側には、徴用工問題で韓国に不満が高まっていたという事情があります。それに、アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮相手にまともな外交ができない不満もあります。
韓国側には、慰安婦問題など歴史認識で日本に不満があります。
お互い不満をぶつけ合っているわけです。
 
それに加えて「内集団バイアス」もあります。
内集団バイアスとは、認知バイアスのひとつで、「外集団の者より内集団の者に対して好意的な認知・感情・行動を示す傾向」と説明されます。
「身びいき」に近いですが、身びいきはたいてい自覚的に行われます。内集団バイアスは認知の偏りですから、本人は自分は公正な判断をしていると思っている点で違いがあります。
 
河野統合幕僚長が「われわれは確固たる証拠を持っている」と言ったとき、開示できない証拠なら意味がないと思うのが客観的な判断です。
しかし、内集団バイアスによると、同じ集団の権威ある人間の言葉ですから、そのまま信じて、証拠があると思ってしまうのです。そうすると、韓国側が嘘を言っているということになります。
 
一方、韓国人にとっては河野統合幕僚長は外集団の人間ですから、どうせ嘘を言っているんだろうと思い、内集団の韓国国防省などの発表を信じます。
 
河野統合幕僚長や岩屋防衛相が嘘をつくことがあるのかというと、当然あります。森友加計問題で佐川氏や柳瀬氏らも嘘をついていました。
レーダー照射問題で防衛省が哨戒機が撮影した動画を公開したのは、安倍首相の「鶴の一声」があったからだと報道されました。首相の意向を忖度して嘘をついている可能性があります。
 
今、レーダー照射問題で韓国を批判しているのは、ほとんどが安倍首相支持派です。安倍首相支持派にとっては安倍政権は内集団です。
一方、たとえば野党などは沈黙しています。外集団である政権の主張は信じられないからです。
 
ただ、国民民主党の玉木雄一郎代表は「日本の政治家なら当然、韓国政府に強く抗議すべきことだ。黙っているなんて、絶対に許されない」と主張しました。証拠を確認していないのに主張するのは、どういう認知バイアスでしょうか。
 
現時点では、日本側も韓国側も確たる証拠を提示していないので、議論するのは時間のむだです。
証拠が提示できないなら、早く問題を終わらせるしかありません。

平成の30年を振り返ると、日本人がひたすら自信を失っていった30年だった気がします。
 
バブル崩壊から経済はずっと低迷し、冷戦崩壊から外交軍事ではますますアメリカに依存し、文化面では「クールジャパン」などを発信してもうまくいかず、国内で「ニッポンすごいですねえ」番組を見て自己満足にひたるだけです。
しかし、GDPでは世界第3位ですから、もう少し大国らしくあってもいいはずです。自信喪失には考え方の間違いもあるのではないでしょうか。
 
たとえば安倍首相は「美しい国」とか「新しい国」ということを標榜してきましたが、これは単なるお国自慢かファンタジーです。
自民党の2012年の改憲草案前文は、書き出しが「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」とあり、これもお国自慢です。
お国自慢を世界に発信しても、表向きは合わせてくれるかもしれませんが、内心では小ばかにされるのが落ちです。
 
世界になにかを発信するには、人権や平和という普遍的価値を踏まえないといけませんが、自民党にはそういう感覚とか能力がありません。
そのため最近の日本外交は、格下の韓国を相手に強がるだけです。
 
日本は国際捕鯨委員会(IWC)脱退を表明しましたが、これも外交で強がってみせたのでしょう。
 
反捕鯨国の言い分は、「クジラを食べるのは野蛮だ」とか「知能の高いイルカを殺すのはかわいそうだ」といった非論理的なことですから、脱退せずに内部で議論したほうが日本に有利なはずです。
しかし、自民党にはそういう議論をする能力がないようで、自民党の二階俊博幹事長の次の発言からもそれがうかがえます。
 
「鯨はわれわれの食生活に欠かせない。変なことばかり言う国(の人)が日本に来たときには、鯨をどっさり食わせる」
 
これは2014年とちょっと古い発言ですが、二階幹事長の地元には捕鯨業で知られる和歌山県太地町があり、二階幹事長は捕鯨復活運動を中心になってやってきた人です。
 
二階幹事長は論理的に反論するのではなく、「やられたらやり返す」とか「言われたら言い返す」といった頭のようで、これでは相手と同レベルになってしまいます。反捕鯨国のほうが多数派ですから、多勢に無勢でIWCを脱退する判断になったのでしょう。
 
反捕鯨国はなぜ非論理的な主張をするかというと、キリスト教の食のタブーからきているという説があります。
 
旧約聖書レビ記にこうあります。
 
水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。
すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。
https://ja.wikisource.org/wiki/レビ記(口語訳)#11
 
日本捕鯨協会のサイトを見ると、ヨーロッパで捕鯨支持国は4か国に対し反捕鯨国は27か国もあり、キリスト教文化の影響が感じられます。
いずれにしても、反捕鯨国の主張に非合理的なものがあることは間違いありません。
 
食についてのタブーは日本人にもあって、犬や猫を食べることはタブーです。
イスラム教徒においては豚肉を食べることはタブーです。
しかし、日本人にしてもイスラム教徒にしても、自分のタブーを人に押しつけることはしません。
ところが、欧米人は自分たちの文化を至上のものとして押しつけてきます。ここに根本的な問題があります。
 
白人至上主義は人種差別として否定されます。
しかし、ヨーロッパ文化至上主義はいまだに生き続けています。
 
「日本人とドイツ人」の著者雨宮紫苑氏がたまたまこんな文章を書いておられました。
 
わたしのイメージでは、「アジアから来たの?ハハン(半笑い)」「アジア人は出てけよ」「日本人がドイツに何しに来たんだよ」みたいなのが人種差別だと思っていました。アジア人だとあからさまに冷たくされるとか、無視されるとか。
 
幸いそういう経験はなかったけど、差別って、そういうあからさまな行為だけを指すんじゃないんですよね。
 
仲いい人たちが笑顔で、「アジア人でも日本人なら不利にならないよ。君はドイツ語もできるし」「日本人なら大丈夫さ」「日本は先進国なんだから差別されることはないと思うよ」と言ってくるんですよ。
 
本人に悪意はないし、なんなら親切なことを言っている、くらいの意識だと思います。でもこっちとしては、「そもそもアジア人が不利になる前提がムカつくし、日本人なら大丈夫ってなんであんたらに認めてももらわなきゃいけないの?」って感じなわけです。
 
好きでもない男に「お前は女としてアリ」って言われる違和感っていうか。「お前に評価されずともこっちはこっちでやってるんで!」みたいな。
 
こういった発言を『差別』の区分に入れていいかはわかりません。でも「その言い方はアジアを見下してる感じがしてイヤだからやめて」と言っても、たいてい「なんで? 俺、差別なんてしてないでしょ?」って返事が返ってくるんですよ。
 
あーちがうなぁ。と思いました。心の底から。
 
これは人種差別ではなく文化差別ですが、根がつながっていることは明らかです。
 
「クジラを殺すな」とか「クジラを食べるな」という主張も文化差別で、自文化の押しつけです。
それに対して日本は「日本の食文化を守れ」という反応をしています。
二階幹事長も「鯨はわれわれの食生活に欠かせない」と言っています。
これは日本中心の発想なので、世界にアピールできません。
 
日本としては「欧米人の人種差別と同根の文化差別は許さない」とか「ヨーロッパ文化至上主義反対」と主張すればいいわけです。
これは日本文化やヨーロッパ文化を超越した普遍的な視点から、世界をよくしようという主張なので、世界にアピールできます。
 
日本文化をよりどころに主張しようとしてもうまくいきません。
日本文化が特別に優れているということはないからです。
安倍首相は百田尚樹氏のお国自慢本「日本国紀」を読んでいるようですが、そんなものを読んではますます世界に主張できなくなります。

自民党総裁選は安倍晋三首相の三選という結果でしたが、石破茂氏が意外な善戦をしたのは、やはり安倍首相にうんざりしている議員、党員が多かったからでしょう。
 
総裁選を見ていると、つくづく自民党はおかしな政党だと思います。
たとえば、党本部での投開票が終わったあと、橋本聖子議員の音頭で万歳三唱が行われましたが、橋本議員は「ご唱和お願いいたします。日本国・自由民主党、万歳、万歳、万歳」と言いました。
つまり日本国と自民党を並べたのです。
本物の右翼が聞いたら、日本をバカにしているのかと怒るところです(日本に本物の右翼はほとんどいません)
 
また、自民党は党大会などでいつも日の丸を掲げています。国の行事でもないのに日の丸を掲げるのは、国旗の私物化です。
 
自民党に党旗はないのかと調べてみたら、ありました。
しかし、これは天皇旗の中に「自由民主党」という文字を入れたもので、これについては実際に右翼が激怒したという話があります。そのためかほとんど使われず、自民党のホームページにも載っていません。
 
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自民党はあまりにも長く政権の座にあったために、国家と党の区別がつかなくなっています。共産主義国における国家と共産党の関係と同じです。
「公私混同」ならぬ「国党混同」です。
「日本を取り戻す」というスローガンにもそれが表れています。
自民党の憲法観は、憲法は国家権力を規制するものではなく国民を規制するものだというものですが、これも党と国家が同一視されているからです。
 
 
今回の総裁選で安倍陣営は水面下で議員や地方に相当な圧力をかけていたようで、ある神戸市議はフェイスブックに「官邸の幹部でもある、とある国会議員から、露骨な恫喝、脅迫を私達地方議員が受けており、最早地方議員の人格否定ともいえる状態になった」と投稿しましたし、斎藤健農水相は「石破さんを応援するなら辞表を書いてからやれと言われた」と表明しました。また、石破支持派を人事で干すということも語られていました。
それに対して麻生太郎財務相は「冷や飯を食うくらいの覚悟で戦うのが、当たり前」と開き直りました。
 
自民党においては、選挙戦は正々堂々とやるものではありません。
昔の自民党の総裁選はカネが飛び交ったといわれます。総裁選は派閥同士の争いで、派閥そのものが親分が子分に渡すカネで維持されていました。
小選挙区制の導入で自民党の体質も派閥中心から執行部中心に変わったので、今回の総裁選でカネが飛び交ったという話は聞きません。その代わりに人事権を背景にした圧力だの脅迫だの冷や飯だのという話になりました。
要するに金権選挙がパワハラ選挙に変わったのです。
 
スポーツ界のパワハラは若い選手が気の毒ですが、自民党内でのパワハラは、いやなら自民党をやめて別の党に行くこともできるので、麻生財務相が言うように覚悟するべきだということもいえます。
 
しかし、自民党は長期政権の座にあり、「国党混同」の党でもあるので、自民党の体質は日本全体に広がっています。
金権パワハラに加え、森友加計のようにコネのある者が得をし、逆らう者は冷や飯を食わされるという国です。
 
自民党政権を終わらせなければ今の日本の閉塞感もなくなりません。

安倍晋三首相と石破茂氏は9月17日、五つのテレビの報道番組に出て意見を戦わせましたが、大きな政策の違いはありません。私が見ていた範囲で議論がいちばん盛り上がったのは、石破支持の斎藤健農相が安倍陣営の議員から閣僚辞任を迫られたという問題です。
安倍首相は「陣営に聞いたらそんなことはないと言っていた」と斎藤農相の話を否定。石破氏が「斎藤氏はつくり話をする人では絶対にない」と言うと、安倍首相は「もしそういう人がいるなら名前を言ってもらいたい」と名前の公表を迫り、石破氏が「セクハラの被害女性に名乗り出るよう求めた財務省の対応に似ている」と指摘したところが、私個人としてはいちばん受けました。
 
安倍首相は、自分が任命した斎藤農相が嘘をついているかのように言ったわけで、閣僚を誹謗するのも平気なようです。
 
また、安倍首相はプーチン大統領から「前提条件なしに日露平和条約締結」を提案されたときなんの反論もしなかったことを批判されました。すると安倍首相は16日のNHKの番組において、その提案のあとプーチン大統領と二人で話をし、直接反論したと主張しました。しかし、ロシアのペスコフ大統領報道官は「安倍氏本人からの反応はなかった」と語っており、これも嘘くさい話です。
 
どうやら自民党総裁選の最大の争点は「正直、公正」であるようです。
政治は政治家が動かすわけで、政治家の人間性、人格が選挙の争点になるのは当然です。
 
とはいえ、少し前まで「マニフェスト選挙」と称して政策、公約中心の選挙であるべきだという考え方が優勢でした。
また、それ以前には、選挙で投票するときは「人物本位か政党本位か」ということが問題になっていました。そして、人物本位で投票する人が多いというアンケート結果が出ると、有識者は「政党本位で投票するべきだ」と主張するのが常でした。
 
人物よりも政党、政策で選ぶべきだ――というのが昔の常識だったのです。
これは「近代合理主義」というやつでしょう。理性中心の発想なので、人物や人格というような理性でとらえられないものは無視するのです。
 
 
今の政治は政策よりも人間中心で動いています。
いや、昔からそうだったのですが、今はそのことが誰の目にも明らかになってきました。
トランプ大統領はオバマ政権の政策を次々とくつがえしていますが、これは白人至上主義者のトランプ大統領が黒人のオバマ大統領のやったことを否定したいからです。政策の良し悪しとか国益ではなく個人の差別心で政治が動いているのです(安倍首相も総裁選のあとは石破支持派を人事で「干す」といわれていますが、これも似たようなものです)
 
ただ、人物中心で政治家を選ぶにしても、「正直、公正」だけではだめです。「実行力」が問題です。
いくらいい人物がいい政策を掲げていても、実行力がなければ話になりません。
たとえばかつての民主党政権は、辺野古移設について「国外県外」を掲げましたが、実行力がありませんでした。八ッ場ダム建設中止は純粋な国内問題でしたが、これも実行できません。
民主党が国民から見放されたのは、実行力がなかったからです。
 
立憲民主党は最近、支持率が低下しています。当時の教訓を生かしていないからです。
立憲民主党は安保法制を「違憲」と断定して専守防衛の安保政策を掲げ、「日米地位協定の改定を提起」「辺野古移設について再検証」とも主張しています。しかし、枝野幸男代表は9月初めに訪米した際、「立憲民主党は日米同盟を重視する立場であり、同盟関係をさらに深めていきたい」と語りました。実行力に疑問符がつくのは当然で、民主党政権時代の反省ができているとは思えません。
 
その点、トランプ大統領は、政策を細かく具体化していく能力はなくても、反対を正面から突破していく実行力だけはあります。
こうした実行力は、人のよさからは出てきません。むしろ“人の悪さ”が必要です。
トランプ大統領は恐怖で閣僚やスタッフを支配しているようです。
安倍政権では菅官房長官が、プライベートの飲み会で政権批判をした官僚を左遷するなど人事権を駆使した恐怖支配で官僚組織を牛耳っています。
 
反対派を粛清するとか「干す」とかを極限までやったのがヒトラーやスターリン、織田信長などで、実行力だけはありました。
 
「正直、公正」を追求していくと「実行力」がなくなり、「実行力」を求めると「正直、公平」がなくなるという関係にあります。
「タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく資格がない」というレイモンド・チャンドラーの名言はこのことです。
 
政治家の人間性を見きわめることはマニフェストを見きわめるよりもむずかしく、国民の目が試されます。

自民党の杉田水脈衆院議員が雑誌に「LGBTは生産性がない」と書いたことが批判されていますが、今のところ本人は謝罪していませんし、自民党の二階俊博幹事長は「人それぞれいろんな人生観がある」などと擁護しています。
水田議員はかねてから極右発言を連発していて、安倍首相のお気に入りでもあるようです。
 
ところが、意外なところから反論がありました。自民党の稲田朋美元政調会長がツイッターで「私は多様性を認め、寛容な社会をつくることが『保守』の役割だと信じる」と述べたのです。
稲田氏は政調会長時代に自民党に「性的指向・性自認に関する特命委員会」を立ち上げたことがあり、その理由は「LGBTの方々が自分らしく、人として尊重され、活躍できる社会を実現するため」だそうです。
稲田氏もやはり右翼思想の持ち主で、安倍首相のお気に入りです。
しかし、LGBTに関する態度は真逆です。
 
考えてみれば、保守や右翼がLGBT差別をしなければならない理由はありません。三島由紀夫は右翼でかつ同性愛者でした。
それに、日本の伝統も同性愛には寛容です。武士の世界では衆道といって同性愛が盛んでしたし、江戸時代には陰間といわれる男娼がいました。
 
古代ギリシャでも男の同性愛は盛んで、同性愛的結びつきが戦士の強さにもなっていたようです。
というか、同性愛は世界中でありました。ある程度の同性愛が存在するは自然な姿です。
 
むしろ同性愛への偏見が特殊なのです。
同性愛への偏見や恐怖をホモフォビアといいます。これはキリスト教とイスラム教に見られるものです。
イスラム教の多くの国では今でも同性愛が犯罪として罰せられます。
キリスト教では、ローマ法王庁が2014年の報告書に、教会は同性愛者を歓迎し尊重すべきだとする文言を盛り込むなど変わってきています。
ただ、アメリカはかなり特殊です。アメリカでは同性愛を公言する者は軍隊にいられませんでした。オバマ政権下で同性愛者が軍隊にいることが許容されましたが、トランプ大統領はトランスジェンダーの入隊禁止を表明しました。
 
日本は明治維新以降、欧米の文化を輸入し、同時にホモフォビアも輸入しました。
日本の右翼は、欧米化した明治時代のことを日本の伝統だと見なしているので、ホモフォビアも日本の伝統だと勘違いしているのでしょう。
 
LGBT差別は日本人を分断するものですから、右翼思想とも相容れません。
LGBTについての安倍首相の意見を聞いてみたいものです。

このところ内閣支持率が上昇しています。検察が森友学園関係の国有地払下げや公文書改ざんを不起訴にしたからでしょう。
安倍首相は「国有地払下げに私や妻が関係していたら首相も議員も辞める」と言いましたが、これは国有地払下げが不正であることを前提としていたはずです。
検察審査会の決定でまだ起訴される可能性はありますが、とりあえず不正の程度は軽いということになって、国民も許す気分になったのでしょう。
安倍政権は検察と警察をコントロールしているのが圧倒的強みです。
 
こうなると、野党も攻め方を考えなければなりません。
「安倍首相は嘘をついた」と批判しても、嘘をつくこと自体は犯罪ではないので、無視されれば終わりです。
ですから、国民を動かして世論の力で安倍政権を追い詰めるように持っていかなければなりません。
その点で参考になるのはトランプ大統領です。トランプ大統領は人を言葉で攻撃する天才です。
 
 
ホワイトハウスのサンダース報道官はバージニア州レキシントンのレストランに食事に行ったところ、店の経営者にトランプ大統領のもとで働いていることを理由に入店を断られるという出来事がありました。これに対してトランプ大統領はツイッターで「サンダース報道官のような立派な人への接客を拒否するよりも、汚い扉や窓をきれいにすることに力を入れるべきだ。外観が汚ければ中身も汚い」と店を名指しで攻撃しました。
普通だと「サンダース報道官の入店を拒否するとはけしからん」とか「店は客を平等に扱うべきだ」とか言って批判するものです。
しかし、トランプ大統領の発想は違います。店にとっていちばん打撃になるのはなにかと考えて(おそらく店の写真を見て)、「店が汚い」という攻撃をしたのです。
「入店を拒否するのはけしからん」という批判では、店側も覚悟しているのでこたえないでしょう。「店が汚い」というのは、店側にしても予想していない方向からのパンチです。それに、「店が汚い」というのは店のイメージダウンになって経営にも響くかもしれません。
 
また、ハーレー・ダビッドソンがEUの関税を回避するために生産拠点を米国外に移すと発表しましたが、これに対してトランプ大統領はやはりツイッターで「ハーレー・ダビッドソンが全ての企業の中で白旗を振った最初の企業になろうとは驚きだ」「がまんしろ!」と批判しました。
「アメリカ国民への裏切りだ」という批判はありがちですが、「白旗を振った」というのは戦争中の裏切りですから、グレードが上です。
また、ハーレー側としては工場移転の経済合理性を主張したいはずですが、「がまんしろ!」という道徳的な批判に反論するのは困難です。
 
トランプ大統領は、普通の人の発想を上回る言葉を繰り出して人を攻撃する特別な才能を持っていて、この能力はインターネットの時代に絶大な効果を発揮します。
 
 
日本では「法の支配」が頼りにならなくなっているので、こうした言葉の力で国民世論を喚起するしかありません。
ところが、野党はこの点でも安倍首相に押されています。たとえば、安倍首相は「嘘つき」と言われると決まってキレるので、野党は「嘘つき」という言葉を封印しています。
しかし、嘘つきでない人間はいないので、「嘘つきを嘘つきと言ってどこが悪い」と開き直って攻撃すればいいのです。
「安倍首相は嘘をついた」と「安倍首相は嘘つきだ」とでは印象がぜんぜん違います。
 
また、「行政をゆがめた」ということもよく言われますが、表現が抽象的です。
安倍首相は佐川宣寿氏や柳瀬唯夫氏に嘘をつかせ、財務省職員に公文書改ざんをさせたのですから、「部下を犠牲にした」と言うべきです。
「部下を犠牲にする上司」というのは、犯罪でなくても世の中でもっとも嫌われるもののひとつです。
 
とはいえ、森友加計問題は「犯罪」にならなくなった時点で重要度が低下しました。納得いかなくても、検察が安倍政権の支配下にある現状では受け入れるしかありません。
野党もこれからは、外交や経済問題で安倍政権を追及する方向にシフトしていくべきではないでしょうか。

日大アメフト部の問題と森友加計問題が似ているなと感じる人は多いでしょう。私は日大が安倍政権のやり方を真似しているのだと思っていましたが、そんな表面的なことではなく、もっと根深い問題がありました。
 
日大には危機管理学部があって、そのため「自分のところの危機管理もできないのか」と揶揄されています。
日本には危機管理学部が三つあって、日大のほかは千葉科学大学と倉敷芸術科学大学ですが、千葉科学大学と倉敷芸術科学大学は加計学園の系列です。
しかも、この三つの危機管理学部の上部組織である一般社団法人「日本安全保障・危機管理学会(JSSC)」の名誉会長には「安倍晋三」の名前があり、和田政宗議員や佐藤正久外務副大臣など日本会議系の人たちが名を連ねています。
ということは、安倍首相、日本会議、加計学園、日大がみんなつながっていたのです(日本会議系ということで森友学園もつながっています)
 
日本安全保障・危機管理学会はその中心にあるのかもしれません。
 
日本安全保障・危機管理学会のホームページを見てみました。
 
日本安全保障・危機管理学会
 
 
トップページに二見宣理事長(元陸上自衛隊業務学校副校長)がこんなことを書いています。
 
 強い反日思想を持った北朝鮮や中国は、日本向けて核兵器が、何時ごろ、どのような状況なれば日本に被害を与えるでしょうか。まず北朝鮮が一番危険です。偉大な将軍様の発言からも、「日本」とか「在日米軍」といった言葉が多くなりました。また、北朝鮮は、経済的には悪化します。(原文ママ)
 
文章の推敲ができていません。学会のホームページがこれでいいのでしょうか。
それに、北朝鮮や中国は強い反日思想を持っていると決めつけています。安全保障の専門家の発想とは思えません。
 
二見理事長はまた、こんなことも書いています。
 
アメリカの陸軍情報学校に留学中に、すぐ近くの学校でシェルターに避難する訓練を見学しました。当時はまだベトナム戦争が華やかなりし頃で、米ソ対立の時代でした。アメリカは、小学校から、中学校―高校の順でシェルターを整備したようです。
 欧米各国は対核爆発準備をしているのですが、日本はそういう準備は全くしていないし、核兵器について議論をすることもしません。原発事故や災害についても同じような程度です。
 
 311日の東日本大震災のときに、ちょうどビッグサイトに行く途中でした。外資系企業の社員はヘルメットを着用していました。ところが日本人企業の社員は普段の姿でした。日本人は、企業を含め危機対応が鈍い国民です。今のままでは、犠牲者が増える一方です。
 
欧米に比べて日本は――というお決まりの発想で、これも危機管理の専門家のものとは思えません。
 
渡辺利夫会長(拓殖大学総長)は「憲法第九条問題を正視せよ」と題した文章で改憲論を述べていますが、これはあくまで政治的主張で、安全保障の議論とは違います。
 
全体的に日本会議的なイデオロギー臭が強くて、学会とか学問という感じがしません。
田母神俊雄氏の論文に近いものがあります。
 
危機管理の専門家ということで私が想起するのは佐々淳行氏です。佐々氏は警察官僚のときにあさま山荘事件で指揮をしたということを売りに、危機管理の第一人者としてテレビによく出ていました。
しかし、佐々氏が危機管理の第一人者なら、危機管理学なるもののレベルもわかります。
 
危機管理学部の教員のほとんどは警察と自衛隊の天下りです。
日大も加計学園もまったく危機管理ができていませんが、ただ、不祥事を起こした場合は、警察の追及が甘くなるというメリットは期待できそうです。
 
日大危機管理学部は2016年、倉敷芸術科学大学危機管理学部は2017年に開設されました。
安倍首相が「危機管理学部はいいね」と言ってつくったのかもしれません。
安倍首相も、警察の天下り先をつくることで警察の追及が甘くなるというメリットを期待しているのかもしれません。
 
アメフトのタックルひとつから日本の意外な支配構造が見えてきました。

ないとされていたイラク派遣自衛隊の日報が発見され、南スーダン日報問題に続いて、国民に嘘をついていたのかと批判されています。
しかし、シビリアンコントロールができていないという批判は的外れです。むしろシビリアンコントロールが利きすぎているというべきです。
 
イラクも南スーダンも、政権が危険な地域を危険でないと偽って派遣したので、日報に「戦闘」などと書いてあると政権の立場が悪くなります。自衛隊の一部か全部かわかりませんが、政権の意向を忖度して隠蔽したと思われます。
イラクや南スーダンへの自衛隊派遣は、自衛隊にとっても特別なことですから、その日報がどこかにまぎれてしまうなんていうことがあるはずありません。
そういう意味では、森友問題で交渉記録を全部廃棄したというのと同じです。
もしかすると、出てきた日報も改ざんされているかもしれません。
 
このように官僚が過剰に忖度するようになったのは、2014年に内閣人事局が設立され、官僚の幹部人事を政権が完全に支配するようになったためだといわれます。
 
もっとも、それに対して官僚主導よりも政治主導のほうがいいという反論もあります。
確かに官僚主導か政治主導かという二者択一なら政治主導のほうがいいはずです。政治家は選挙の洗礼を受けるからです。
 
しかし、いずれにしても、人事をする者は「公平」という原則を持たなければなりません。
ところが、自民党という政党は「公平」の原則からもっとも遠いところにある政党です。
地元への利益誘導、特定業種への補助金や税金控除、財界のための労働政策というのが自民党の政治です。先の名護市長選挙では与党寄りの候補が当選すると、とたんに米軍再編交付金の再開が表明されました。
「公平」とは真逆の「情実」の政治で、コネのある者、付け届けをした者のために政治が行われます。
 
自民党は昔から派閥の力が強い政党でした。派閥の論理も「公平」ではなく「情実」です。親分に忠誠を尽くす子分が出世します。派閥の親分が「カラスは白い」と言ったら、子分も「カラスは白い」と言わなければなりません。
これは封建時代に君主に臣下が忠誠を尽くしたのと同じです(社会党や共産党はまだ近代的なところがありました)
 
小選挙区制になって、自民党も党執行部の力が強くなり、派閥は衰退したといわれますが、派閥の論理はそのまま生き残って、自民党全体が巨大なひとつの派閥となったというのが実情です。
「安倍一強」とは、安倍総裁が「カラスは白い」と言ったら党の全員が「カラスは白い」という体制のことです。
 
そして、その政党が内閣人事局をつくって官僚を支配するようになったのです。

自民党式人事評価では、政権に批判的な者は干されます。
たとえば昨年6月、韓国・釜山の森本康敬総領事が更迭されましたが、その理由は、私的な会食の際に政府批判をしたからだということです。
 
そのため官僚は政権に過剰な忖度をするようになり、たとえばイラクや南スーダンの日報をそのまま公開したら自分は左遷されるのではないかと恐れた者がいたのでしょう。
 
 
たとえ上司と意見が違っていても実力のある部下を公平に評価する上司がいると、その組織は風通しがよくなり、みんなのびのびと働けるようになります。
しかし、自民党式人事評価では、官僚は国民のために働くのではなく、安倍政権に忠誠を示すために働くようになります。
いつのまにか日本は近代国家の仮面をかぶった封建主義国家になっていたのです。
これが安倍一強体制のいちばんの害悪ではないでしょうか。

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