村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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安倍首相が「人づくり革命」や「生産性革命」という言葉を使っていることに対して、立憲民主党の枝野幸男代表は「自民党はいつのまにか革命政党になった。われわれこそが正統な保守政党である」と言いました。
安倍首相はそれに反論したかったのか、参院本会議でこんなことを言いました。
 
 
首相が「保守」の持論展開、「日本に自信持つ姿勢」
安倍晋三首相は21日、参院本会議の代表質問で「保守」の定義について持論を展開した。保守とは「イデオロギーではなく、日本に自信を持ち歴史を見つめ直そうとする姿勢だ」と指摘。「保守と改革は矛盾しない。守るために変えるべきこともある」とも強調した。民進党の大塚耕平代表の質問に答えた。
大塚氏は、少数会派に耳を傾ける姿勢を「国会において守るべき『保守』思想だ」と述べ、国会で野党の質問時間を減らし与党の時間を増やすべきだとする与党の主張を批判した。首相は「国会の前例や慣習の積み上げは大切だ。国会は国民の負託に応える場であり、不断の改革も進められてきた」と応じた。
 
 
安倍首相の思想の浅さがわかります。

「日本に自信を持ち」というのは、愛国心やナショナリズムのことを言っているのでしょうが、それは近代になって生まれたものですから、むしろ保守と対立するものです。
「歴史を見つめ直そうとする姿勢」というのも不可解です。「歴史から学ぶ」というのが保守です。「歴史を見つめ直す」というのは、なにかのイデオロギーと思われます。
 
そもそも安倍首相は日本に自信など持っていません。アメリカべったりの外交姿勢を見れば明らかです。トランプ大統領の「アメリカファースト」に対して、「ジャパンファースト」と言えるぐらいでないとだめです。
 
日本に自信がなく、アメリカべったりというのは、安倍首相だけではなく、日本の右翼、自称保守に共通した傾向です。
なぜそうなるかというと、彼らの考える「日本」が期間限定のものだからです。
 
日本の右翼は戦後日本を否定しています。戦前に回帰したいというのが基本姿勢で、憲法九条改正はその象徴です。
 
一方、彼らは明治維新以前の日本も否定しています。
否定とまではいかないかもしれませんが、まったく興味がありません。
最近、葛飾北斎が注目され、欧米の画家が北斎の影響を受けていたということが指摘されています。欧米での日本趣味をジャポニズムと言いますが、右翼ならジャポニズムを自慢してもいいはずです。しかし、ジャポニズムの対象は明治以前の文化ですから、右翼には興味がありません。歌舞伎も能も「源氏物語」も右翼にとってはどうでもいいのです。
右翼が日本の伝統とするのは、(近代)天皇制、靖国神社、教育勅語、君が代日の丸といったもので、すべて明治維新以降のものです。
 
自民党の竹下亘総務会長は1123日、宮中晩餐会に関して、「国賓のパートナーが同性だった場合、私は晩餐会への出席には反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と述べました。しかし、日本の伝統は同性愛に寛容です。同性愛にきびしいのは明治以降に入ってきたキリスト教的な文化です。
また、麻生太郎財務相は「とてつもない日本」という自著の中で、インドの地下鉄建設に際して日本の技術者がとても時間に正確で、インドの人たちに感銘を与えたというエピソードを紹介し、納期を守る勤勉さを「日本人の美徳」としています。しかし、日本人が時間を正確に守るようになったのは明治以降のことです。
どちらも「欧米の文化」を「日本の伝統」と勘違いしています。これは右翼全般に見られることです。
 
安倍首相が「日本に自信を持ち」というときの日本とは、1868年の明治維新から1945年の敗戦までの77年間のことでしかありません。日本の歴史においては、長い竹竿のひとつの節と節の間みたいなものです。
しかもそれは、欧米からひたすら近代文化を取り入れた時代です。インドや中国や韓国に対しては、日本のほうが早く近代化したので、それは自慢になるかもしれませんが、欧米に対しては、あとから真似しているだけなので、コンプレックスにしかなりません。
 
 
枝野代表は「われわれこそが正統な保守政党である」と言いましたが、安倍首相ら右翼が戦前の日本をよりどころにしているのに対して、戦後日本をよりどころにしているという意味であれば、安倍首相よりも視野が狭いことになってしまいます。
近代以前の歴史を踏まえるのが真の保守です。

トランプ大統領が11月5日に初来日しましたが、マスコミの報道があまりにも歓迎ムードで気持ち悪いです。
北朝鮮問題という“国難”もそっちのけですし、トランプ大統領の差別主義への批判もまったくありません。
トランプ大統領は当然日本人を差別しています。日本人がトランプ大統領を歓迎したら、世界中の差別主義に反対する人たちを失望させます。
 
ネット上にはトランプ大統領に対する批判的な声がけっこうありますから、日本のマスコミの対米従属ぶりが異常です。
 
日本は「政・官・財・マスコミ」という上部構造ほど対米従属的です。リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、ジョセフ・ナイといったジャパン・ハンドラーが牛耳っているからです。
 
ちなみに軍用犬を主人公にした「マックス」というアメリカ映画では、軍用犬を訓練するのがトレーナー、軍用犬を使うのがハンドラーと呼ばれていました。
 
民進党と希望の党が合流するときに起きた騒動も、背後でジャパン・ハンドラーが動いていたという「リテラ」の記事を読んで、納得がいきました。
これは201511月の記事ですから、そのときからすでに仕組まれていたのです。
 

民主党解党を画策の前原、細野、長島の本音は安保法制推進!背後に米国ジャパンハンドラーとの癒着が

 
この記事から一か所だけ引用しておきます。
 
大手紙政治部記者が解説する。
「まさに民主党内のイデオロギー闘争と言っていいでしょう。主役は前原、細野、長島の3人です。彼らが恐れているのは共産党が提唱する『国民連合政府』構想が実現して、安保法制が廃止になること。岡田代表も『連合政府』には躊躇があるが、候補者調整などの選挙協力なら歓迎との姿勢を見せたことがあった。たとえ選挙協力だけでも共産党と手を組めば、安保法制廃止、辺野古反対に舵を切らざるを得ないので、それをさせないためにも、あの手この手で揺さぶりをかけているんです」
要は、前原氏らが目指しているのは、反共産の“安保法制推進党”ということなのだ。
前原氏自身もそのことは隠していない。今月14日の読売テレビの番組で「政権を取りに行くのであれば(安全保障政策は)現実対応すべきだ」と述べ、安保法制の廃止や撤回を考えていないことを明言している。また、共産党との連携についても「(共産党は)シロアリみたいなもの。協力したら(民主党の)土台が崩れる」と端から否定の立場なのだ。なぜ、そうなのか。
 
 そもそも前原氏は京大で親米現実主義保守派の理論的支柱とされた高坂正堯教授の薫陶を受け、松下政経塾を経て政治家になった人物だ。安倍晋三首相とは同期当選で議員会館も隣の部屋だったことから、安保政策では気心の知れる仲になった。2000年代の初めには自民党防衛族の石破茂氏らとも気脈を通じ、勉強会を開いて、集団的自衛権行使容認はもとより、徴兵制や核武装論にまで言及していたという。その石破氏に、やはり自民党の米田建三氏らを加えて「新世紀の安全保障を確立する若手議員の会」(新世紀安保議連)の世話人をやっていたこともある。
 
 彼らに共通するのは、若手議員のころからCSIS(米戦略国際問題研究所)などの在米シンクタンクを頻繁に訪れ、アメリカの超党派知日派(ジャパンハンドラー)との交流に熱心だったことだ。リチャード・アーミテージやジョセフ・ナイ、マイケル・グリーンといった連中だ。集団的自衛権行使容認は彼らジャパンハンドラーの悲願だった。
 
 
小池百合子氏も前原氏と同じ考えだったでしょう。ですから、「排除します」と言ったり、民進党議員への踏み絵に安保法制容認と改憲賛成が入っていたのも当然です。
安保法制反対派を排除して保守二大政党制にするつもりだったわけですが、少し過激にやりすぎて、枝野新党ができてしまったのは、彼らの誤算でした。
しかし、これで対立軸がはっきりして、結果的にはよいことになりました。
 
それにしても、ジャパン・ハンドラーは日本の政治を支配するために実に戦略的に動いているということがわかります。
マスコミを支配しているのも、なにか巧妙な戦略があるからでしょう。
 
一方、安保法制反対派は「アメリカの戦争に巻き込まれたくない」という感情だけで動いていて、戦略というものがないように思えます。
そのため日米地位協定の見直しすらできません。
 
アメリカは世界支配、つまり覇権主義の大きな戦略を持っています。日本はその世界戦略の中のひとつのコマです。
安保法制反対派も、世界平和戦略を持って、アメリカの世界支配戦略に対抗しなければなりません。

政界は「小池劇場」一色になっています。
 
小池百合子氏自身が選挙に出馬するか否かがひとつの焦点です。
本人は否定的なことを言っていますが、小泉進次郎自民党筆頭副幹事長は「小池さんに選挙に出てほしい。出てきてください」と繰り返し言い、菅官房長官も「小池さんは出てくるのではないかと思う」と言いました。小池出馬を恐れていないぞということをアピールしているのでしょう。
しかし、これがもう小池氏の術中にはまっています。
まったく無視するか、「出ないと言っているから出ないのでしょう。もし出てきたら彼女は嘘つきです」と言っておいて、出てきたときに思い切り批判すればいいのです。「出てくると思う」と言っていたら、出てきたときに彼女を嘘つきと批判することができません。
 
小池百合子氏は民進党議員の受け入れでリベラル派排除を表明しているので、これから公認発表のたびに、誰が受け入れられて誰が落とされたという喜びや怒りが報道されるのでしょう。
自民党のほうにはこれという話題がありませんから、ワイドショーはますます「小池劇場」化していきます。
 
リベラル派が排除された希望の党は、自民党と同じようなものです。
私のような有権者からすると、自民党と希望の党と、ふたつの毒まんじゅうのどちらを食べるかという選択です。
賞味期限切れの毒まんじゅうか、出来立ての毒まんじゅうかです。
 
小池氏はほとんど安倍首相批判をしません。自分が首相になるために自民党との大連立を考えているという説があります。
「自分ファースト」の人ですから、十分にありそうなことです。
 
 
排除されたリベラル派で新党をつくるという話があります。そうなれば対立軸がはっきりしていいかもしれません。
しかし、リベラル派はあくまで第三勢力でしょう。
 
産経新聞は「歴史戦」というのを勝手にやっていますが、それにならっていえば、これからは「思想戦」の時代です。
小池氏は安全保障と憲法についての考え方で選別すると言っているので、やはりここが対立軸です。
 
今の保守派の安全保障政策は、アメリカに日本を守ってもらい、そのために日本はアメリカの信頼を得るように努力するというものです。
しかし、いくら努力してもアメリカの信頼を得ているという確信が持てないので、日本は限りなくアメリカに従属していくことになります。
改憲の目的も、自衛隊をアメリカ軍と一体化させることです。
軍事だけでなく外交も経済も従属化が進んでいます。
 
日本の保守勢力は実は「愛国という名の売国」をやっているのです。
 
こういうことがいつまでも続くわけがありません。今の保守派は内部から崩壊して当然です。
 

民進党と小池百合子都知事率いる「希望の党」が合流しそうな雲行きです。
 
小池氏は激動する政治状況で素早く決断して行動することに天才的な能力があります。
郵政選挙のとき、刺客第一号に名乗りを上げ、それから一気に小泉自民党が大勝する流れをつくりました。
去年の都知事選のときも、小池氏は唐突に立候補を表明し、自民党都連関係者が不快感を示す状況でしたが、自公推薦候補に大差をつけて勝利しました。
それから政治塾で人を集め、都議選に「都民ファーストの会」として多数の候補を立て、ほとんどを当選させました。
そして、今回の「希望の党」としての国政進出です。
小池氏が都知事に当選したのが去年の7月ですから、目まぐるしい展開です。
 
私は小池氏の行動に、そのつどこれがうまくいくのだろうかと首をかしげますが、結果は小池氏の圧勝になります。
今回もうまくいくのではないでしょうか。
 
 
9月27日の希望の党設立の記者会見では、方針として「しがらみのない政治」「寛容な改革保守政党」「税金の有効活用」といった抽象的な言葉が並ぶだけでした。具体的な政策がありません。
しかし、それがいいのでしょう。
今、国民は安倍政権にうんざりしているので、代わりになりそうな政党ができれば票を集めるでしょう。具体的に政策を決めると、そのために逃げていく票があります。
 
ただ、小泉元首相と会談して、「原発ゼロ」という政策は表明しています。
政策は「原発ゼロ」一本というのもいいのかもしれません。
 
小池氏は関東大震災で殺された朝鮮人追悼メッセージを拒否したり、韓国人学校への都有地貸与の撤回をしたり、国旗国歌へのこだわりを示したりして、極右ではないかという声もあります。
しかし、小池氏はもともとそういう政治的立場のない人で、今は右翼的なことが受けると思ってやっているのでしょう。
以前は、トヨタのプリウスをいち早く購入するなどして、エコを重視する政治家をアピールし、環境大臣になったりしています。エコは国民受けするという計算からだと思われます。
最近は無電柱化推進を打ち出していました。これも国民にわかりやすい政策だからでしょう。
そして、今は「反安倍」が国民に受けると思ってやっているのでしょう。
 
小池氏の希望の党と前原氏の民進党がいっしょになったのでは、自民党と同じような政党がもうひとつできるだけではないかという見方があり、実際そうでしょう。
しかし、それでも安倍政権を終わらせることができれば、それだけでも意味があります。
とりあえず小池氏と前原氏の動きに期待したいと思います。
 

蓮舫氏の辞任に伴う民進党代表選に枝野幸男氏と前原誠司氏が立候補する見込みです。
民進党の不人気は、民主党政権の失敗をちゃんと反省していないからです。この両者はどうでしょうか。
 
2009年、民主党は総選挙で「コンクリートから人へ」を訴えて大勝して政権を取りましたが、そのときのマニフェストに「八ッ場ダム事業中止」があり、国交相に就任した前原氏は就任記者会見で八ッ場ダム事業中止を明言しました。
これに対して強烈な反発が起こり、紆余曲折があって、最終的にダム事業再開が決定されました(そのときは馬淵澄夫国交相)
現在、本体工事中で、2020年完成予定です。
 
この八ッ場ダムは、普天間基地の辺野古移設見直しと並んで、民主党政権の目玉政策でした。両方とも挫折したことが民主党政権の失敗を決定づけました。
 
辺野古移設見直しは、私の考えでは、方向性としてはよかったのですが、鳩山首相が甘い見通しで政策として打ち出してしまい、力不足のために失敗したということです。しかし、民進党は今にいたるまで、はっきりした見解を出していません。
八ッ場ダムについても同じです。
 
前原氏は八ッ場ダム問題の当事者なのに、私の知る限り、なにも反省の弁を述べていません。
反省といっても、ふたつの方向があります。
事業中止という目標はよかったが、実行するだけの力がなかったという反省か、それとも、ダム建設は必要な事業で、それを中止しようとしたこと自体が間違いだったという反省かです。
どちらの反省かによって、民進党の進む方向が変わってきます。
こんないい加減なことでは民進党に支持が集まらないのは当然です。
 
前原氏は代表選に出るのですから、八ッ場ダム問題の総括についてちゃんと語るべきです。
 
 
枝野氏については、私自身は、原発事故処理をうまくやったという印象を持っています。
あのとき、東電、経産省、原子力安全保安院の無能ぶりは目をおおわんばかりで、唯一まともに機能していたのが官邸でした。
ただ、マスコミ対策とか、国民にアピールするということがまったく欠けていました。
自民党は菅内閣の原発事故処理が不手際だと攻撃しましたが、それに対して、原発事故が起きたのは自民党政権のせいだといった反撃をするべきでした。そうすれば、支持率はそれほど下がらないし、のちの原発再稼働を阻止することにも役立ったでしょう。
 
今の安倍政権はマスコミ対策と国民へのアピールをやりすぎるぐらいにやっていて、こういうことも政権維持にはたいせつです。
当時の民主党政権は政権運営だけで手いっぱいだったのでしょうが。
 
 
今の安倍政権は完全に手詰まりで、これほど野党から攻めやすい状況はありません。
森友、加計問題だけでなく、外交は中国包囲網づくりが完全に失敗し、北方領土問題も経済協力をさせられるだけで終わりそうです。経済も、物価目標はいまだに未達で、長すぎる金融緩和への疑問が高まっています。
 
日本維新の会や都民ファーストの会は、目指すところが自民党と同じようなものです。
ここはやはり民進党にがんばってもらわなければなりません。
代表選では、民主党政権の失敗について議論してほしいものです。

ようやく稲田朋美防衛相が辞任しました。問題発言や問題行動を連発しても、そのことよりもファッションや化粧のほうに気が向いているような、おかしな人でした。
なぜこういう人が出世したかというと、ひとえに安倍首相の引きがあったからです。
 
安倍首相と稲田氏は思想的にきわめて近いとされます。
どういう思想かというと、次の記事が物語っています。
 
 
「東京裁判史観の克服のため」 稲田防衛相が雑誌に寄稿
 稲田朋美防衛相が4月に亡くなった保守派の論客・故渡部昇一氏の追悼文を月刊誌「月刊Hanada」(7月号)に寄稿。「(渡部)先生のおっしゃる『東京裁判史観の克服』のためにも固定概念にとらわれず、『客観的事実はなにか』を追求する姿勢を持つことが大切だ」と持論を展開した。
 渡部氏は、稲田氏の後援組織「ともみ組」の会長だった。月刊誌の追悼特集に寄せた文章で稲田氏は、会長就任の経緯を回顧。「どうしても会長になってもらいたいと言い出したのは、『ともみ組』の命名者である夫」と明かした。
 そのうえで渡部氏が「ともみ組」のパンフレットに寄せた「日本の政治家に今一番必要なのは東京裁判史観を破砕する知力を基礎にした勇気である」という一文を改めて詳述して紹介。稲田氏は渡部氏の言葉に応じる形で、「『東京裁判史観の克服』のためにも固定概念にとらわれず」などと記した。
 稲田氏は9日の閣議後会見で寄稿の内容について質問され、「防衛大臣として先の大戦の認識を問われると、昨年の8月14日の総理談話で述べられている通り」「(自分を)歴史修正主義者とは思っていない」などと釈明した。
 稲田氏は防衛相就任以前にも保守系雑誌などに頻繁に登場。「子ども手当分を防衛費にそっくり回せば、軍事費の国際水準に近づきます」「長期的には日本独自の核保有を国家戦略として検討すべきではないでしょうか」「文科省の方に『教育勅語のどこがいけないのか』と聞きました」などと持論を展開。これらの言動は政府見解から逸脱するとして、国会で野党の追及を受けている。
 
 
「東京裁判史観の克服」というのは、要するに「戦前回帰」であり、軍国日本を理想化する「歴史修正主義」でもあります。
 
しかし、東京裁判はアメリカ主導の連合国が行ったものですから、「アメリカへの挑戦」でもあります。
これは容易なことではないので、渡部昇一氏も「日本の政治家に今一番必要なのは東京裁判史観を破砕する知力を基礎にした勇気である」と言っているわけです。
 
では、稲田氏にその知力や勇気があるかというと、まったくありません。
稲田氏は防衛大臣になって、アメリカと交渉する機会も多く、アメリカで講演をしたこともあります。そうしたときに自分の政治信条を表明すれば、日本国民に訴えることにもなりますが、なにもやっていません。国内の保守系雑誌になにか書くぐらいです。
渡部先生も草葉の陰で嘆いておられることでしょう。
 
これは安倍首相も同じです。
安倍首相は稲田氏と思想が同じですが、新安保法制や共謀罪や沖縄基地問題などで対米従属政策を進めるばかりです。
 
稲田氏も安倍首相も、アメリカと戦っても勝ち目がないとわかっていて、その点では賢明であるかもしれません。
 
 
賢明でなかったのは、政権を取ったときの民主党でした。
鳩山政権は普天間基地問題で「最低でも県外」を目指して、アメリカと衝突しました。
 
これは渡部氏が求めたことと方向性が違いますが、実現するには知力と勇気が必要なことは同じです。
しかし、鳩山首相には知力も勇気もなくて、アメリカに完敗しました。
 
そして、民主党政権は失敗し、民主党には負け犬のイメージがついて、それは党名を変えても変わりません。
蓮舫代表が辞任したのも、根本原因はそこです。
 
稲田氏と蓮舫氏が続けて辞任したので、“ガラスの天井”ということも言われていますが、少なくとも稲田氏の辞任は個人の資質の問題でしょう。
 
ただ、“ガラスの天井”はともかく、“アメリカのガラスの壁”があるのは確かです。
 
民主党政権はこの壁にぶつかって失敗し、安倍政権は壁にぶつからないようにして、政権の長期化に成功しています。
というか、自民党は本質的にアメリカの壁にぶつからない政党です。
 
 
これから民進党の次期代表選びが行われますが、“アメリカのガラスの壁”にどう対応するかがいちばんのテーマになるべきです。
自民党的でない政治を目指すなら、この壁にぶつかるしかありません。
 

東京都議選の結果は、小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」の圧勝、自民党の惨敗でした。
このところの安倍政権のやり方はあまりにも傲慢で、失言も相次いでいましたから、自民党が負けたのは当然です。反自民の票が都民ファーストに向かった格好です。
 
しかし、都民ファーストの会と自民党と政策的にどう違うかと言われてもよくわかりません
では、今回の選挙でなにが争点になったかというと、小池都知事に「実行力」があるか否かです。
 
たとえば、築地市場の豊洲移転問題がありましたが、移転するのがいいのか、築地にとどまるのがいいのか、話があまりにも専門的で、都民も判断できない人が多かったでしょう。自民党はこの問題で小池知事を「決められない知事」として攻撃しました。そして、小池知事は市場を豊洲に移転し、5年後をめどに再び築地に戻すという不思議な案を考え出して、「決められる知事」をアピールしました。
 
小池知事が知事に就任したのは昨年8月ですから、まだ1年たっていないのですが、抵抗勢力とのバトルをうまく演出して、実行力をアピールすることに成功したと思います。今回の勝利はその結果です。
 
 
一方、民進党は反自民票を集めてもいい立場でしたが、やはり惨敗でした。
民主党政権の失敗で、民進党には実行力がないというレッテルが張られているからです。
民主党政権は、官僚、アメリカ、マスコミとぶつかって、ことごとく負けてしまいました。そして、そのことを総括していないので、期待されないのは当然です。
 
安倍政権は民主党政権と違って、官僚と最初からぶつかるようなことはせず、人事権を握るなどしてしだいに官僚を支配していきました。マスコミは懐柔と恫喝で支配し、アメリカには徹底して従属しました。それが今までは成功してきたわけです。
 
そのため、自民党は改憲という理念が一応あったのですが、アメリカのために解釈改憲をして、その理念すらなくしてしまいました。
今の安倍政権は、政権維持が自己目的化しています。
政治主導が実現できて実行力があるといっても、お友だちのために利益誘導をするのが関の山です。
 
日本維新の会もなんの理念も持っていません。
 
小池知事は「都民ファースト」を掲げていますが、これも理念というに値しません。
今回は実行力をアピールして勝っただけです。
 
 
近ごろの安倍政権のやり方はあまりにもひどいので、自民党大敗はとりあえずいいことですし、自民党内で政権交代が起これば、誰が総理になるにせよ、今よりはましでしょう。
しかし、自民党からの政権交代ということを考えると、受け皿が見当たりません。都民ファーストや維新の会では自民党と変わりません(自民党との連立予備軍でしかありません)
 
トランプ政権を見ていると、政治理念の喪失は日本だけの問題ではないようです。というか、日本の政治はアメリカの政治の後追いをしているのかもしれません。

人間性や社会についての根本な思想が問われる時代です。
 

稲田朋美防衛相が都議選の応援で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したのは、まさに“行政の私物化”のきわみです。
 
なぜこんな愚かな発言をするのかというと、稲田防衛相は大臣になってから周りに「大臣、大臣」と持ち上げられ、うれしくてしょうがないのでしょう。そのためつい「防衛大臣として」と言ってしまったのではないかと思われます。
 
稲田防衛相はシンガポールで開かれた国際会議で、オーストラリアとフランスの国防大臣とともに壇上に立ち、「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして、全員がグッドルッキング(美しい)」と言って顰蹙を買いましたが、これも浮かれた気分を感じさせます。
また、稲田防衛相はハイヒールをはいて護衛艦を視察したり、リゾートファッションでジブチ視察をしたりということも話題になりましたが、これも同様です。
 
そのため失言も多くなるわけですが、失言によって真実がわかるということもあります。
たとえば、南スーダンで「戦闘行為」があったか否かを問われて、「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁しました。あくまで「『戦闘行為』はありません。あったのは『武力衝突』です」と答弁するべきところで、菅官房長官なら平然とそうしているでしょう。ですから、これも失言の類ですが、おかげで安倍政権の考え方がわかりました。
 
そういう意味では、今回の失言も同じです。
“行政の私物化”は安倍政権の体質です。そこから森友学園や加計学園の問題も生じています。そのことを改めて認識させてくれました。
 
なお、安倍政権は“自衛隊の私物化”もひどいもので、南スーダンで「戦闘行為」を「武力衝突」と言い換えて、なかなか自衛隊を撤収させなかったのは、いきなり米軍指揮下で自衛隊が戦闘をするより、国連指揮下で一度戦闘を経験したほうがいいということからでしょう。自衛隊員にすれば、意味もなく危険にさらされたわけです。
 
そもそも稲田朋美氏が防衛相に起用されたのも、安倍首相のお友だちだったからで、“人事の私物化”です。
稲田氏は右翼ですが、右翼と軍事に詳しいこととはまったく別です。弁護士という経歴と女性であることからして、おそらく軍事にはド素人だったでしょう。
 
稲田防衛相を罷免せよという声が高まっていますが、安倍政権としては、やめさせると求心力が低下するので、むずかしいところです。
 
安倍首相は「日本を取り戻す」と“日本私物化宣言”をしてやってきましたが、そのウミがここにきて一気に噴き出している格好です。
 
 

義家弘介文科副大臣が国会答弁で「一般論として告発内容が法令違反に該当しない場合、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可なく外部に流出されることは、国家公務員法違反になる可能性がある」と言って、文科省の内部告発者への処分を示唆して、「部下を売るとはヤンキー先生らしくない」と批判されています。
 
確かに仲間をたいせつにするのが「ヤンキーの論理」です。
もっとも、義家氏においては、官邸や自民党が自分の仲間という認識かもしれません。そうすると、文科省の職員を叩きのめすというのも「ヤンキーの論理」です。
 
こういうところが「ヤンキーの論理」の限界です(なお、義家氏の答弁については、公益通報者保護法の趣旨に反するという指摘がありますし、片山善博元鳥取県知事はテレビで「文書があるとわかっていて『確認できない』と答弁したのが法令違反だ」と指摘していました)
 
「仲間をたいせつにする」というのは原始的な倫理ですが、それだけでは当然限界があります。
そこで必要になるのが「公の論理」です。
義家氏は、ここは「ヤンキーの論理」ではなく、「公の論理」で行動すべきでした。
というか、政治家なのですから、もともとそうするべきです。
 
自民党には昔から「公の論理」に欠けたところがあります。親分子分の関係である派閥の論理で党が運営されてきました。
精神科医の斎藤環氏は数年前に、自民党の政策はヤンキー化して、支持層にもマイルドヤンキーが多いという「自民党ヤンキー論」を唱えたことがあります。
 
安倍首相が森友学園や加計学園でやったことも、「行政の私物化」です。
考えてみれば、安倍首相の最初の選挙のスローガンは「日本を取り戻す」でした。ひじょうに違和感のあるスローガンでしたが、今になれば「日本を私物化する」という意味だったのだとわかります。
 
 
ところで、一般に「公」というのは、せいぜい国家規模のことです。
しかし、今は国家規模では足りません。地球環境問題がそうですし、戦争や安全保障の問題もそうです。
 
これからは「公の論理」も、国家規模から地球や人類規模に変わらなければいけない時代ですが、自民党の場合は逆に「公の論理」が「私の論理」へと退化しています。
 
今の安倍政権を見ていると、国民そっちのけで安倍というお殿様に家臣が奉仕しているようです。

自民党の鴻池祥肇議員は、森友学園の籠池泰典理事長夫妻からお金を差し出されたとき、「無礼者! 帰れ!」と一喝したそうで、「そんなん教育者ちゃう」と記者会見で言いました。
 
それに対して森友学園側はホームページ上で、「事後的に捏造された文書で、献金や寄付を強要していた事実を揉み消そうとする態度には嫌悪感しか感じません」と反論しました。
 
鴻池議員は同じ記者会見で、「何年前か忘れたけど、講演に来てくれと。そのときの子どもたちの態度はすばらしいなと思った。教育勅語等を全員で言ったり。思想的にはわしに合うなと思いましたよ」とも語っています。
つまりもともと思想的に共鳴していたのです。
似た者同士の泥仕合というところです。
 
森友学園の土地取引が不正であるかどうかは別にしても、籠池理事長のやることはまったくでたらめで、たとえば校舎・体育館の建築費について、国には15億円、大阪府には7億5600万円と報告していたり、愛知県内の中学校に推薦入学枠を提供してもらったと大阪府に報告していたところ、中学校からそんな合意はしていないと否定されたりという具合です。
自分がもうけるためには手段を選ばず、いくらでも嘘をつくということでしょう。
 
こういう籠池理事長の教育に共感していたのが安倍首相夫妻であり、稲田朋美防衛相です。
 
鴻池議員もそうですが、とりわけ教育勅語を園児に唱和させるところに右翼政治家は感激するようです。
稲田防衛相は衆院予算委員会の答弁で「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う」と言って、教育勅語唱和を擁護しています。
 
教育勅語は昔の修身の根拠とされたもので、修身は今の道徳教育です。
日本会議など右翼勢力は、道徳教育の強化を目指してきました。
「愛国心はならず者の最後の逃げ場」という言葉がありますが、「道徳教育はならず者の最後の逃げ場」でもあります。
というのは、道徳教育の結果というのは評価のしようがないので、どんなでたらめでも通用するからです。
また、人に道徳を説くというのは、自分自身を顧みない人間だからできることでもあります。
 
 
森友学園の塚本幼稚園を見ていると、愛国教育や右翼教育のおぞましさがわかりますが、自民党によって日本の教育全体がそうしたものに変えられようとしています。
道徳の教科化が小学校では2018年度から、中学校では2019年度から実施されます。
さらに、2018年度から幼稚園と保育園でも「国旗や国歌に親しむ」という方針が打ち出されました。
つまり「日本全体の森友学園化」が進行しているのです。
 
土地不正取引問題の追及とあわせて、日本会議や安倍首相や稲田防衛相の思想も追及して、「日本全体の森友学園化」を阻止しなければなりません。
 

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