村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:政党、団体

新大久保で在特会などが反韓デモや“お散歩”などをやって、「韓国人を殺せ」などと叫んでいるのに対抗して、「レイシストをしばき隊」なる団体が登場し、「お前らこそ死ね」などと叫び返しています。私は表面的にしか知りませんが、「ヘイトスピーチをもってヘイトスピーチを制する」というやり方は間違っているだろうなと思っていました。
 
そうしたところ、8月10日の朝日新聞に「レイシストをしばき隊」主宰の野間易通氏のインタビューが載っていました。
 
(インタビュー)ヘイトスピーチをたたく 「レイシストをしばき隊」野間易通さん
 
これを読むと、やはり根本的に間違っているとは思いましたが、ある程度理解できることもあります。というか、ここにある問題は、世の中に起きているほとんどすべての問題と共通していると思うのです。
その部分を引用します。
 
――デモに抗議するにしても、他にやりようはないのですか?
 「カウンター行動は、これまで上品な左派リベラルの人も試みてきました。ところが悲しいことに、『私たちはこのような排外主義を決して許すことはできません』といった理路整然とした口調では、たとえ正論でも人の心に響かない」
 「公道で『朝鮮人は殺せ』『たたき出せ』と叫び続ける人々を目の前にして、冷静でいる方がおかしい。むしろ『何言っているんだ、バカヤロー』と叫ぶのが正常な反応ではないか。レイシストに直接怒りをぶつけたい、という思いの人々が新大久保に集まっています」
 
確かにこれまで左派の人たちは、決まりきった形でしか主張してきませんでした。たとえば、「平和はたいせつだ」とか「憲法9条を守れ」とかです。しかし、こうした形の主張は、とりわけネット内ではひじょうに不利です。
つまり「平和」とか「憲法9条」というような守るべき価値観を表明すると、あとは反対派から攻撃されるだけになります。
「攻撃は最大の防御」という言葉があるように、戦いにおいては基本的に、守るよりも攻めるほうが有利です。とりわけ論争においてはそうですし、ネット内の論争においてはさらにそうです(私もこのブログにおいて、「平和はたいせつだ」とか「憲法9条を守れ」といったことを主張するのではなく、もっぱら戦争勢力の考え方を批判したり、改憲案を批判したりするようにしています)
 
2ちゃんねるでも昔は、平和主義や護憲主義の立場で論争をする人たちがいましたが、圧倒的に不利な体勢になって、消滅してしまいました。その代わりに今では、右翼的な主張をする人たちを「ネトウヨ」と罵倒する人たちが台頭しています。
つまり右翼的立場からヘイトスピーチをする人たちと、そういう人たちを「ネトウヨ」と決めつけてヘイトスピーチする人たちと、二極分化しているわけです。
 
そして、2ちゃんねる内で二極分化しているのと同じことがリアルの世界で起こって、在特会と「レイシストをしばき隊」が出てきたというわけです。
 
 
それから、野間易通氏のインタビューで気になったのが、氏が「正義」という言葉を使っているところです。
 
――デモ隊もしばき隊も「どっちもどっちだな」という印象を受けます。
 「彼らも僕らも普通の市民。日本社会の多数派、マジョリティーです。それが罵倒し合う光景だけ見れば、確かに『どっちもどっち』です。だが、そこで見落とされているのは、彼らが社会の少数派、マイノリティーを攻撃しており、僕らがそれに反対しているということ。民族差別を楽しむ人と、それに怒っている人のどちらに正義があるか。それは明らかでしょう」
――しばき隊は「正義の味方」ですか。
 「しばき隊の素行もデモ隊に劣らず悪く、決して『善』ではない。レイシストとの対決は『悪対悪』とさえ言えますが、それでも『正義』は疑いの余地なく僕らの側にある」
 
人権派が「正義」という言葉を使うことはめったにないと思います。というのは、「正義」はむしろ人権を抑圧する道具に使われることがあるからです(たとえば死刑制度を考えてみればわかると思います)
 
そうすると、野間易通氏の思想の根底にあるのはなにかということになります。
「ミイラとりがミイラになる」という言葉があるように、「レイシスト狩りがレイシストになる」ということになっているのではないでしょうか。
 
野間易通氏は「しばき隊も在特会も『両方とも消えればいい』とか言う人がよくいるが、実はその通り」とも語っていますが、実際にそううまくいくでしょうか。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ」という言葉がはやっていますが、もし実際にそんなことをしたら倍々ゲームで戦いは拡大していきます。
 
ヘイトスピーチをなくす道は、「正義」だの「報復」だのという概念を超えたところにあるはずです。

民主党はどうすれば再生できるのでしょうか。
それには民主党政権の失敗について分析することが先決ですが、私の見るところ、まともな議論は行われていません。
民主党なんかどうでもいいという人もいるでしょうが、日本維新の会やみんなの党や共産党に期待するにしても、民主党政権の失敗の理由を理解しておくことは必要です。
 
なぜ民主党政権の失敗の分析が行われないかというと、鳩山由紀夫氏や菅直人議員の個人の言動についての議論が現在進行形で行われていて、それがじゃましているからです。こうした議論ももしかして誰かに操作されているのかもしれません。
 
たとえば、鳩山由紀夫氏が中国で尖閣諸島について「盗んだものは返すのが当然」と発言したような報道がありましたが、これについては「日本報道検証機構Gohoo」が「注意報」を出しています。
 
鳩山氏「盗んだものは返すのが当然」見出し要注意
《注意報1》 2013/7/7 07:30
時事通信は、627日付で「尖閣『盗んだものは返すのが当然』=鳩山元首相、中国でも発言」の見出しをつけ、鳩山由紀夫元首相が27日、中国の清華大学主催のフォーラムに出席した際の尖閣諸島に関する発言を報じました。この見出しだけを見ると、「盗んだものは返す」という表現がカイロ宣言の引用であることが伝わらない上、あたかも鳩山氏が尖閣諸島を中国に返すべきとの自らの考えを表明したかのように認識される可能性があります。しかし、記事本文で引用された鳩山氏の発言内容や各紙の報道も踏まえると、鳩山氏は「日中それぞれに言い分がある」と言及し、中国側の立場にも一定の理解を示してはいるものの、中国に返還すべきとの考えを表明したわけではないとみられます。
(中略)
なお、当機構が調査したところ、時事通信が見出しにつけた「盗んだものは返すのが当然」というフレーズは、インターネット上で一人歩きして拡散し、主要紙のニュースサイトでも「尖閣について『中国から盗んだものは返さねばならない』と発言した鳩山由紀夫元総理」と書かれた外部執筆者の記事を確認(MSN産経ニュース76日付記事)。時事通信の見出しがきっかけで、日本の元首相が尖閣諸島を中国に返還すべきとの考えを表明したという誤った事実認識が内外に広まる可能性があります。
 
「日本報道検証機構Gohoo」はかなり信頼性のあるサイトではないかと思いますが、この「注意報」が出たあとも、鳩山氏への非難はやみません。
そういうことに影響されないようにして、冷静に民主党政権を振り返ってみましょう。
 
鳩山内閣は普天間基地問題で、辺野古に新滑走路を建設するという「日米合意」ではなく、「国外県外」への移設を目指しましたが、結局うまくいきませんでした。このつまずきで民主党政権は大幅に支持を失ってしまいました。このことをまず検証しなければなりません。
 
「国外県外」を目指したことは間違っていません。「日米合意」は、沖縄県民の圧倒的反対があるので、いまだに辺野古の測量すらできず、ほとんど実現は不可能な状況です。
 
とはいえ、「国外県外」が失敗に終わったのは事実です。
なぜ失敗に終わったかというと、その半分の原因はアメリカにあります。アメリカがグアムなど海外移設を受け入れれば解決した問題だからです。
そして、もう半分の原因は、日本の外務省、防衛省、マスコミ、国民にあります。外務省、防衛省の官僚ががんばってアメリカと交渉し、マスコミと国民がアメリカはけしからんと声を上げれば、アメリカは譲歩したでしょう。
もちろんそうならなかった責任は最終的に鳩山内閣にあります。要するに鳩山内閣の力不足です。アメリカを動かし、官僚を動かし、マスコミを操作し、国民世論を喚起する力がなかったのです。
 
そして、菅内閣は原発事故対策の不手際を責められました。これも民主党政権が支持を失った大きな理由です。
 
しかし、考えてみれば、大きな津波で全電源が喪失してしまうような原発をつくってそのままにしていたのは自民党政権ですし、事故が起こったときにまず対策に当たる専門家は東電であり原子力安全・保安院であり原子力安全委員会であり通産省です。それらがまともに機能しませんでした。
 
『検証東電テレビ会議』(朝日新聞出版、共同執筆)と『ルポ 東京電力 原発危機1カ月』(朝日新書)を執筆した朝日新聞の奥山俊宏記者が「SYNODOS」というサイトのインタビューで、大震災直後の状況についてインタビュアーとこういうやりとりをしています。
 
原発事故と調査報道を考える
奥山俊宏(朝日新聞記者)×藍原寛子
―― 東電のテレビ会議の映像は、当時の菅首相や民主党の議員に対する論評、官邸内の動きなどが緊張感なく話し合われている312日夜の場面から始まります。12日午後1112分には、都内の本店の対策本部は一部の社員を残して「解散」してしまっています。炉の内と外、福島と東京、東電の本店と原発サイトでは、あまりにも温度差があり過ぎると思います。被災者からすると本当にやりきれない思いですが……。『検証 東電テレビ会議』でもこのあたりは書かれていますが、なぜ、312日夜、東電社内はあんな空気だったのでしょうか。
 
12日夜に武黒一郎フェローが画面の前でずっと話をしている場面ですよね。1号機の原子炉建屋の爆発の7時間ほど後の場面です。原子炉に水が入り始めて峠を越えたといったような、あののんびりした雰囲気は、東電の危機感のなさが感じられて確かにショックで、残念です。
 
あの時間帯は、3号機の原子炉が制御不能に陥ろうとしていたころです。2号機はまだ冷却ができていて、4号機も無事だったころです。やるべきことがもっとあったのではないか、もっといい対応をすれば、抑え込むことができたのではないか、ましな結末があったのではないかと痛切に感じます。少なくとも2号機、3号機、4号機は救えていたはずです。
 
東電の本店がいかに無能で無策であったかというのがこれを読めばわかります。
 
原子力安全・保安院や原子力安全委員会の無能ぶりも今さらいうまでもないでしょう。
 
その中で孤軍奮闘したのが菅首相です。専門家たちが無能であることをすぐに見抜き、自分の個人的な人脈から専門家を探し、現地へヘリコプターで飛んで視察し、東電本店に乗り込んで撤退を阻止しました。ハリウッド映画ならヒーローの大活躍として描くところです。
また、菅首相は浜岡原発の運転停止を要請して運転を止めました。浜岡原発は東海地震の予想震源域にあり、もし事故が起これば東海道が分断されてしまいます。そのリスクを考えれば運転停止は当然です。
 
つまり、菅首相の原発事故対応はたいへんすばらしいものでした。
ヘリコプターの視察によってベントが遅れたとか、海水注入を止めようとしたとか批判されていますが、それはどちらも推測に基づく批判です。
かりにその批判が正しいとしても、小さな問題です。菅首相を批判する人たちは、より大きな問題を引き起こした東電を批判しないために菅首相を批判しているのです。
 
ただ、そうした批判に対処する能力に欠けていたとはいえます。これは鳩山首相も同じです。橋下徹氏の十分の一でもいいので反論能力があればよかったのですが。
 
以上のことを踏まえると、民主党再生の方向は明らかでしょう。
よりパワーアップした鳩山、菅を生み出すことです。
普天間基地問題は解決しなければなりませんし、原発も停止しなければなりません。その実行力のある政治家が必要です。
 
今、民主党再生を議論している人たちは、民主党を箸にも棒にもかからない、どうでもいい政党にしようとしているように思われます。
そんな政党にしても国民が支持するはずありません。
 
よりパワーアップした第二、第三の鳩山、菅を生み出すことしか民主党の再生はありません。

橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」発言以来の騒動を見て改めて思ったのは、日本人の人権意識の低さです。
 
橋下氏は外国人記者の追及をかわすために、“にわか人権屋”に大変身しましたが、それまでは人権を軽視する発言を繰り返していました。それが問題視されるどころか、逆に人気のもとになっていたと思われるぐらいです。
ネットの掲示板やブログなどでも人権を軽視・無視・否定する発言のほうが、人権を重視する発言よりも圧倒的に多いように思われます。
たまに人権重視の発言があると、それは「加害者の人権ばかりが守られて、被害者の人権が守られていないのはけしからん」という発言だったりします。この発言は、被害者の人権を重視しているようですが、実際は被害者はすでに死んでいるので、結局は加害者の人権を否定する発言です。
 
このように人権を軽視する風潮があるのはおそらく世界でも日本だけではないかと思います。
そのため慰安婦問題でも、韓国はどんどん世界に発信しているのに、日本は世界に対してまったくなにもいえません。
 
日本人の人権意識があまりに低いので、死刑執行を初めなにかことがあるたびにアムネスティから文句をつけられますし、今回の橋下氏の慰安婦発言については、国連の拷問禁止委員会からも文句をつけられました。
 
慰安婦問題、国連委が勧告 「日本の政治家が事実否定」
【ジュネーブ=前川浩之】国連の拷問禁止委員会は31日、旧日本軍の慰安婦問題で「日本の政治家や地方の高官が事実を否定し、被害者を傷つけている」とする勧告をまとめた。橋下徹大阪市長らの最近の発言を念頭に置いたものとみられる。日本政府に対し、こうした発言に明確に反論するよう求めている。
(後略)
 
日本人の人権意識はどうしてこんなにだめになったのでしょうか。
私が思うに、そのひとつの理由は自民党教育の“成果”です。学校で人権のたいせつさが教えられず、逆に子どもはきびしい校則や体罰など人権侵害を体験してしまいます。自分の人権が守られなかった人間が人の人権を守ろうとしなくなるのは当然の帰結です。
 
それともうひとつの理由は、日本の法務・司法・警察組織が人権を軽視してきたことです。これら組織は死刑制度の存続をはかり、冤罪を生む自白偏重主義を改めようとせず、取り調べの可視化にも反対しています。
そもそも「法の支配」は人権と切っても切り離せないもので、法律の専門家は人権意識が高いはずですが、日本では司法組織が人権を軽視しているので、その影響が広く社会に及んでいます。
 
自民党も官僚組織も国民の上に君臨するという意識で長く政治・行政を行ってきましたから、国民の人権はむしろ政治・行政のじゃまという感覚なのでしょう。
たとえば、コラムニストの小田嶋隆氏が書いておられたので知ったのですが、自民党の世耕弘成参院議員が生活保護給付水準の見直しに関して「週刊東洋経済」にこんな文章を書いていたということです。
 
見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ。つまり生活保護を受給していても、パチンコをやったり、お酒を頻繁に飲みに行くことは個人の自由だという。しかしわれわれは、税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障したうえで、一定の権利の制限があって仕方がないと考える。この根底にある考え方の違いが大きい。
 
小田嶋氏は人権を「スペック」と見なす思想に驚いておられますが、天賦人権説からすれば、人権の制限を主張する世耕氏は自分を「天」にも匹敵する存在だと思っているのでしょう。
自民党の人権感覚は恐ろしいもので、自民党の憲法改正草案にもそれが出ています。
 
民主党政権はいろいろ問題がありましたが、少なくとも人権感覚では自民党よりはうんとましだといえます。
そして、これはなによりもたいせつなことです。
 
安倍政権はこれまで経済再生をうまくやるのではないかということで国民の期待をつないできましたが、株価や長期金利の動きがあやしくなってきました。もし経済再生がうまくいかなかったら、安倍政権のいいところはひとつもないということになります(私の価値観ですが)
 
人権思想というのは「思想の中の思想」みたいなものです。もし人権思想がなければ、現代に奴隷制を復活させようという主張が出てきたときに反対することができません。
自民党が「全国統一テストをやって平均点以下の者は奴隷階級にする。愛国者なら国のために奴隷になって働け」といいだしたら、日ごろ人権を蔑視する発言をしている自称愛国者はどうするのでしょうか(現在の非正規雇用もすでに奴隷制に近いものかもしれません)
 
ネットで人権を蔑視する発言をしている人たちは、自分は進歩派の欺瞞をあばくというカッコいいことをしていると思っているのかもしれませんが、実際のところは自民党と官僚組織に洗脳されているだけです。

橋下徹大阪市長の暴走が止まりません。今や“一人バンザイ突撃”状態になっています。あとはいつ玉砕の知らせが届くかです。
 
もしかして優秀な政治家になれたかもしれない人物がなぜこんなに愚かな発言を連発するのでしょうか。私が思うに、テレビ、新聞雑誌、それにインターネットなどのメディアがあまりにも右寄りになり、そこでの言説をまに受けてしまったからでしょう。
たとえば「たかじんのそこまで言って委員会」という番組があります。私は東京にいるのでほとんど見ていないのですが、おそらくその番組で従軍慰安婦問題を何度か取り上げているはずです。元レギュラーである橋下氏はそこでの議論を聞いて、それが世界でも通用すると信じ込んでしまったのでしょう。しかし、日本でも通用しない大阪ローカルでの議論が世界で通用するはずがありません。
 
橋下氏は5月27日に外国特派員協会で記者会見する予定だということです。そこで今までと同じようなことを言うと、まったく話がかみ合わないことになってしまいます。
 
私は前回「従軍慰安婦問題の本質」という記事を書きましたが、ネットなどを見ていると、慰安婦問題の基本的なことを知らない人がほとんどであることに気づきました。そういう人に「本質」を論じても伝わらないかもしれないので、今回はもうちょっと基本的なことについて書きたいと思います。
 
慰安婦問題については意見対立が激しいので、証拠の提示が重要になります。その点、軍関係などの公文書をもっとも集めているのが次のサイトです。
 
デジタル記念館「慰安婦問題と女性基金」ご案内
 
読むのが面倒な人のために概略がわかるように抜粋します。
 
慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。1931年(昭和6年)満州事変のさいの軍の資料をみると、民間の業者が軍隊の駐屯地に将兵相手の店を開くということが行われましたが、慰安婦という言葉はまだなく、軍隊自体の動きは消極的でした。
 翌年第一次上海事変によって戦火が上海に拡大されると、派遣された海軍陸戦隊の部隊は最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以後、飛躍的に増加します。
 
 陸軍では慰安所を推進したのは派遣軍参謀副長岡村寧次と言われています。
 その動機は、占領地で頻発した中国人女性に対する日本軍人によるレイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることを恐れて、防止策をとらねばならないとしたところにありました。また将兵が性病にかかり、兵力が低下することをも防止しようと考えました。中国人の女性との接触から軍の機密がもれることも恐れられました。
 
 
慰安所は、このような当時の派遣軍司令部の判断によって設置されました。設置に当たっては、多くの場合、軍が業者を選定し、依頼をして、日本本国から女性たちを集めさせたようです。業者が依頼を受けて、日本に女性の募集に赴くにあたって、現地の領事館警察署長は国内関係当局に便宜提供を直接求めています。
 
 
昭和13年の初め、日本の各地に赴いた業者は「上海皇軍慰安所」のために3000人の女性を集めると語り、募集してまわりました。各地の警察は無知な婦女子を誘拐するものではないか、皇軍の名誉を傷つけるものではないかと反発しました。それで内務省警保局長はこの年223日付けで通達を出し、慰安婦となる者は内地ですでに「醜業婦」である者で、かつ21歳以上でなければならず、渡航のため親権者の承諾をとるべしと定めました。34日には陸軍省副官も通牒を出しました。
 
 
朝鮮でも、警察が、日本の内地の警察と同じように、軍の依頼を受けた業者の募集を助けるさいに、警保局の19382月通達に従っていたかどうかは不明です。それでも最初の段階では、朝鮮からもまず「醜業婦」であった者が動員されたと考えるのが自然です。ついで、貧しい家の娘に「慰安婦」となるように説得して、連れていったのでしょう。就職詐欺もこの段階からはじまっていることは、証言などから知られています。業者らが甘言を弄し、あるいは畏怖させるなど、本人の意向に反して集めるケースがあったことも確認されています。さらに、官憲等が直接これに加担するケースも見られました。資料によれば、朝鮮からは、内地では禁じられていた21歳以下の女性が多く連れて行かれたことが知られています。中には167歳の少女も含まれていました。一方で、中国の慰安所には、中国人女性もいました。
 
 
米戦時情報局心理作戦班報告書49号より 『資料集成』5巻、203
「この『役務』の性格は明示されなかったが、病院に傷病兵を見舞い、包帯をまいてやり、一般に兵士たちを幸福にしてやることにかかわる仕事だとうけとられた。これらの業者たちがもちいた勧誘の説明は多くの金銭が手に入り、家族の負債を返済する好機だとか、楽な仕事だし、新しい土地シンガポールで新しい生活の見込みがあるなどであった。このような偽りの説明に基づいて、多くの娘たちが海外の仕事に応募し、数百円の前渡し金を受け取った。」
 
 
慰安所はアジア全域に広がりました。昭和17年(1942年)93日の陸軍省恩賞課長の報告では、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり。北支100ヶ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400ヶ所」とあります。
 
 
つまり軍が主導して慰安婦制度をつくったのです。
買われた(売られた)女性が悲惨な生活を強いられたのはいうまでもありません。
これが国家による人身売買だとして国際社会から非難されているのです。
 
もしこれが日本人の売春婦を集めただけであればおそらく国際的に非難されることはなかったでしょうが、植民地の若い女性の性を収奪するという最悪の植民地支配だということで、国際的な非難を浴びることになりました。
 
これらのことは公文書などの証拠つきなので反論しようがありません。
それまで慰安所は軍と無関係に民間業者が勝手にやっていたことだと言っていた人たちは沈黙を強いられました――といいたいところですが、彼らはひとつだけ反撃のタネを見つけました。
それは、軍や官憲が家に押し入り、むりやり女性を拉致するという「軍や官憲による強制連行」があったという証拠の文書はないということです。
軍や官憲がやらなくても民間業者がやれば同じことですし、「強制連行」でなくても詐欺や強圧による慰安婦集めも同じようなものです。また、元慰安婦の証言は完全に無視するという一方的な論理ですが、それでも一部の人は鬼の首を取ったようにこの点をついてきます。
これは、アウシュビッツにガス室はなかったと主張する人たちに似ています。アウシュビッツにガス室がなければユダヤ人へのホロコーストもなかったことになるかのような奇妙な論理の持ち主です。
 
ともかく、「軍や官憲が強制連行したという(日本側の)証拠の文書はない」ということを理由に河野談話を見直せと主張する人たちがいて、橋下氏も明らかにそれに影響されています。
しかし、もし外国特派員教会の記者会見で「軍や官憲が強制連行したという(日本側の)証拠の文書はない」などと述べれば、外国人記者たちは「それがどうした」という反応をするだけでしょう。彼らは慰安婦問題を、植民地に対する性的な収奪、植民地の女性の人身売買ととらえているからです。
 
 
また、日本では慰安婦問題を「戦場と性」という角度からとらえている人が多くいます。
戦場ではレイプがつきもので、レイプをへらすために慰安婦は必要だったのだという論理です。
 
しかし、日露戦争を考えてみればわかるように、戦場ではいつもレイプがあるわけではありません。
また、国民党軍、共産党軍のように、防衛戦争を戦っている側にもまずレイプはありません。自国で戦っているのですから当たり前です。
侵略する側にしても、ナチスドイツはフランス、ベルギー、オランダなどではきわめて“紳士的”な占領のしかたをしました。そのためすぐに親ドイツのかいらい政権を樹立して容易に統治できました。
しかし、ソ連に侵攻したときは、スターリン体制にうんざりしていたソ連人は最初ドイツ軍を歓迎する動きすら見せたのですが、ドイツ軍は民族的な差別のせいか、虐殺、略奪、レイプを行い、そのためソ連人はスターリンのもとに団結して徹底抗戦することになりました。ソ連軍はドイツに侵攻したとき、今度は自分たちがレイプしまくりましたが、ドイツ人は自分たちが先にやったことなので、非難するわけにもいきません。
 
とにかく、戦場にレイプがつきものだというのは、多分に日中戦争における日本軍を正当化する論理であって、必ずしも国際的な共通理解ではありません。
 
慰安婦問題を「戦場と性」の問題ととらえているのは日本人だけで、世界は「植民地の性的収奪」あるいは「国家による人身売買」ととらえています。橋下氏が「戦場と性」について論じても、外国人記者は「なにを言ってるんだ」ということになると思われます。
 
また、橋下氏はツイッターで「アメリカの日本占領期では日本人女性を活用したのではなかったのか。自国の事を棚に上げて、日本だけを批判するアメリカはアンフェアだ」と発言しましたが、日本軍とアメリカ軍を対等に比較することはアメリカ人にとって言語道断だということになるでしょう。
パリ解放のときに歓声とキスで迎えられたアメリカ軍と、南京攻略のときに民間人を虐殺した日本軍を比較することなどアメリカ人にとってはまったく考えられないことです。それに、日本はジュネーブ条約の捕虜の待遇に関する条約には加盟していないので、その意味でも対等ではありません。
 
ともかく、日本の右翼は世界でまったく通用しない議論をしてきて、メディアも偏っていました。橋下氏はメディアが生んだ政治家で、メディアの中で成長してきましたが、そのためにピエロになってしまいました。

最近、自民党の改憲案における人権感覚がおかしいのではないかとか、安倍首相が高名な憲法学者の芦部信喜氏の名前を知らずに改憲を論じているのはどうなのかといったことが話題になっています。
自民党に限らず右翼の人権感覚がおかしいのは今に限ったことではありません。「人権よりも国権」というのが右翼思想の本質だからです。
また、権力者や既得権益者にとっては、一般国民の人権などないほうが都合がよいわけです。とくに自民党は長年権力の座にあって、権力者的思考法がしみついていますから、人権感覚がおかしいのも当然でしょう。
 
そこで、自民党の「憲法改革草案」がどんなものかと思って調べてみると、草案の中の「前文」を読んであきれてしまいました。人権問題はほかの人に任せて、私はこの「前文」を取り上げてみたいと思います。
 
文章を批判するとき、よく「悪文」という言葉が用いられますが、悪文には個性や特徴があり、しばしば思いあまって悪文になっているとしたものです。この「前文」には特徴もないし思いもありません。「駄文」という言葉が適切でしょう。
 
自民党の「日本国憲法改正草案」
(前文)
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
 
 
これは草案だから、これから推敲するのだというかもしれませんが、推敲でよくなるレベルではありません。「仏つくって魂入れず」といいますが、魂がないのです(仏もない?)
 
想像するに、自民党の部会で議論したことを寄せ集めて、党の職員が文章にまとめたというところでしょう。
 
たとえば冒頭、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」とありますが、これを読んだ人はなんの感想も持てないでしょう。どんな国でも、ある長さの歴史があり、固有の文化を持っていますから、文章そのものに意味がありません。
それに続いて「国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」とありますが、これも天皇()の特徴やよさを述べていません。しかも、多分にトートロジーのきらいがあります。
 
この段落は本来、日本のすばらしさを謳い上げて、日本人が自国に誇りを持てるような文章になっていなければいけません。たとえば、「日本は中国や欧米の文化を取り入れつつ、和を尊重し、自然と調和する独自の文化をつくりあげた」みたいなことです。哲学者の梅原猛氏ぐらいの方に書いていただかないといけません。
天皇制にしても、神話の時代から一貫して続いている、今や世界でも希なものだと自慢しなければいけません(南北朝の問題があるので「制度として一貫している」などとレトリックに工夫して)
 
「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており」というのも、事実をそのまま述べているだけで、「それがどうした」と言いたくなります。また、「世界の平和と繁栄に貢献する」というのも、ありえない表現です。「世界の平和と繁栄に貢献する決意である」とか「世界の平和と繁栄に貢献することを誓う」などとなっていなければなりません。
 
また、「平和主義」を言った次の段落で「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とあるところが、この「前文」というか改憲草案のキモでしょう。平和主義と武力保持を両立させるレトリックが必要ですが、ここにはなんの工夫もありません。
たとえば、「我が国は世界の恒久平和を希求するものであるが、国際社会の現状はいまだその理想から遠く、やむなく我が国は云々」みたいなくだりが必要でしょう。
 
それから、この「前文」にはなぜ以前の「前文」を全面的に書き換えたのかを説明ないし示唆するものがありません。これではどう連続しているのか(連続していないのか)がわかりません。
「我が国は敗戦と占領によって奪われた国家の誇りを取り戻すために」などの表現が必要でしょう。
 
要するにこの「前文」は、なんの思いもこもっていない、箸にも棒にもかからない駄文です。
なぜそんな駄文になってしまったのでしょう。それは本音を書いていないからです。
「わが国はほかの国とはぜんぜん違う優れた国だ」
「他国にあなどられないために堂々と武力を持ちたい」
「占領時代に植え付けられた自虐的心性を一掃したい」
こういった本音を隠しているので、うわべをとりつくろっただけの文章になってしまうのです。
また、いろんな考え方の人に配慮したために、当たり障りのない文章になってしまったのでしょう。いろんな人に配慮して案をまとめるというのは自民党の得意芸ですが、それでは訴求力のある文章にはなりませんし、憲法前文にふさわしい格調も出てきません。
憲法を変えるよりも、自民党のそういう政治体質を変えるほうが先決でしょう。
 
参考のために現在の憲法前文も張っておきます。
改めて読んでみると、たとえば「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」というくだりなどに、世界に向けてこの憲法を発信していこうという気迫がみなぎっています。
ふたつの前文を読み比べてみると、戦後六十余年が経過して、日本人の精神はここまで弛緩してしまったのかということがよくわかります。
 
 
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

アベノミクスがもっぱら注目される安倍内閣ですが、安倍首相は教育再生を掲げ、道徳教育にも力を入れています。憲法改正や自衛隊の国防軍化や北朝鮮制裁などタカ派路線を歩む安倍首相はどんな道徳教育をするのでしょうか。
 
道徳を正規教科に」提言へ…教育再生会議
 政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は15日、児童・生徒の「心の教育」を充実させるため、道徳を学習指導要領で正規の教科と位置づけることを政府に求める方針を固めた。
  今月末にまとめるいじめ対策、体罰問題に関する報告書に盛り込む考えだ。道徳を小中学校の正規の教科と位置づけることで、授業時間の確保や質の充実を図り、生徒らの規範意識向上を図る必要があると判断した。
  同会議は15日、首相官邸で会合を開き、いじめ対策や体罰問題、道徳教育の充実について議論した。首相は「子どもたちの規範意識や豊かな人間性を育んでいくために何が必要かとの視点で考え、道徳教育を充実していくことが大切だ」と述べた。鎌田座長は会議後の記者会見で「有識者からは、道徳を教科化すべきだという意見が大勢だった。反対意見は出なかった。こうした点を踏まえて取りまとめる」と語った。
20132161000  読売新聞)
 
今月末に出る報告書には、今話題の体罰問題も盛り込まれるということで、どんなものになるか楽しみですが、私なりに推測してみましょう。タカ派の安倍首相なら絶対こんな内容になるはずです。
 
国家に自衛権があるように、個人には正当防衛権があります。教師が生徒に体罰を加えようとしたら、当然正当防衛権を発動して反撃することが許されます。また、体罰が自分ではなくクラスメートや部員仲間に向けられた場合は、集団的正当防衛権を発動することができます。つまり集団で教師をボコボコにすることができるのです。このように道徳教育で正当防衛権のことをしっかり教えれば、学校での体罰を一掃することができるはずです。
 
このようにタカ派の道徳教育はきわめて現実的で役立つものになります。
 
国家は国益追求を第一にします。これを個人に当てはめると、個人は自分の利益追求を第一にするということです。ですから、安倍式道徳教育ではもっぱら利己主義が奨励されることになります。安倍内閣は尖閣でも竹島でも絶対に譲りません。それは日本の固有の領土だからです。個人も同じように、たとえば電車で座席に先に座れば、それは自分の“固有の座席”ですから、たとえ年寄りが譲るように要求しても絶対に……なんていうことはありません。それは問題が違います。
要するに正当な利益の追求が奨励されるわけです。
 
たとえば会社でサービス残業を強要されることがあれば、断固正当な残業代を要求します。こういう交渉で弱腰になることは、安倍式道徳教育ではもっとも非難されることです。
企業が利益を上げているのに従業員の給料を上げないというときも、従業員は自分の利益を追求して断乎として賃上げを要求しないといけません。もちろん個人で要求しても企業を動かすことはできませんから、集団で、つまり組合を通して団体交渉をすることになるでしょう。
今、安倍首相はデフレ脱却のために経団連などに賃上げを要求して孤軍奮闘しています。しかし、将来は安倍式道徳教育で教育された世代がみずからの力で賃上げを勝ち取っていくでしょう。その日がくるのが今から待ち遠しいですね。
 
 
もっとも、まったく別の道徳教育になってしまうかもしれません。
先の総選挙の自民党の公約にはこう書かれています。
 
教育基本法が改正され、新しい学習指導要領が定められましたが、いまだに自虐史観や偏向した記述の教科書が多くあります。子供たちが日本の伝統文化に誇りを持てる内容の教科書で学べるよう、教科書検定基準を抜本的に改善し、あわせて近隣諸国条項も見直します。
 
要するに日本人としての誇りを持たせる教育をするということです。
しかし、個人としての誇りを持たせる教育、つまり自尊心を持たせる教育をするとは書いてありません。
自尊心のない人間は、人と交渉するときも弱腰になってしまい、自分の利益を追求することができません。イジメられたときもはねつける強さを持てません(「日本人としての誇り」は日本人同士ではなんの役にも立たない)。
自民党は日本人をみんな自尊心のない人間にしてしまおうというのでしょうか。植民地主義の教育は民族の誇りを奪うものでしたが、それと同じようなものです。
 
安倍首相は自尊心のある日本人をつくりたいのか、それとも自尊心のない日本人をつくりたいのか、どちらでしょうか。

中国大使を退任した丹羽宇一郎氏が1221日の朝日新聞朝刊のインタビュー記事に出ていました。
丹羽氏は民主党政権による政治任用で2010年に中国大使となりましたが、石原慎太郎都知事が尖閣諸島購入を表明したことに対し、「仮に石原知事が言うようなことをやろうとすれば、日中関係は重大な危機に直面するだろう」と発言し、これに対して自民党が国益を損なうとして更迭を要求し、退任の流れがつくられました。しかし、あとになってみると、丹羽氏の発言はきわめて適切だったことがわかります。
それでも退任の流れは変わりませんでした。大使のポストは外務官僚にとっては金と名誉が伴うおいしいものであって、決して民間人に渡したくないからです。つまりこれも官僚の巻き返しです。
その丹羽氏は朝日新聞のインタビューでこう語りました。
 
「石原さんは、地方政府のトップでした。知事が国益にかかわる発言や行動をしたとき、どうして一国の首相が『君、黙りなさい。これは中央政府の仕事だ』と言えなかったのか。そういう声をたくさん聞きました。ほかの知事たちも東京と同じような行動をとろうとしたら、日本の統治体制はどうなるのか。世界の信を失いかねない深刻な事態です」
 
私はかつてこのブログで、東京都の尖閣購入計画をきっかけに日中関係がこじれてしまったことについて、「中国は中央集権の国だから地方自治についての理解が少なく、政府が東京都に一方的に命令する立場にないということを理解していないのではないか」というふうに書きました。
しかし、考えてみると、領土問題や外交問題は政府の管轄であって、地方自治体が介入してくるというのはあってはいけないことです。丹羽氏が言うように、野田首相が石原知事を叱りつけるべきです。石原知事は「政府に吠え面かかせてやる」とも発言しており、ここまで言われて、言われっぱなしというのは情けない限りです。
 
とはいえ、私も石原知事を批判したものの、石原知事の行動を止めるという発想はありませんでした。丹羽氏に指摘されて初めて気づきました。
 
人間の祖先は集団で狩りをするサルで、集団には序列があります。これはイヌやオオカミに似ています。今の人間もこうした本能的な序列意識を持っていることには違いがありません。
石原知事の尊大な態度に、ついついこちらの序列が下のような意識になってしまっていたようです。
 
そして、民主党政権の「失敗の本質」もそこにあると思います。
 
政治は権力をめぐる戦いです。どちらが序列の上に立つかという戦いでもあります。大臣は事務次官よりも上と決められていますが、そう単純なものではありません。与党対野党、政治家対マスコミなども戦っています。
イヌは上下関係をマウンティングという動作で示します。人間の場合は格闘技のマウントポジションという言葉を使ったほうがわかりやすいと思いますが、政治の世界でもどちらがマウントポジションを取るかという戦いをやっているのです。
 
鳩山由紀夫首相は普天間基地の国外県外移設を打ち出しましたが、外務・防衛官僚やマスコミなどの総反撃を受けました。鳩山首相は友愛の人ですから、まったく戦う姿勢を見せず、一方的に押し切られてしまいました。また、前原誠司国交大臣は八ツ場ダム建設中止を打ち出しましたが、これもまた総反撃を受け、あまり有効な反撃ができませんでした。
 
こうした中、戦う姿勢を見せたのは小沢一郎幹事長だけです。民主党が急遽天皇陛下と習近平国家副主席との会見を設定したことについて、羽毛田信吾宮内庁長官が記者会見して「二度とこういうことがあってはならない」と発言しましたが、小沢幹事長は「辞表を出してから言え」と反撃しました。ここで小沢幹事長が反撃しなかったら、鳩山政権はもっと早く崩壊していたでしょう。
 
とはいえ、民主党政権は官僚・野党・マスコミとの戦いで完全に遅れをとってしまいました。
たとえば、尖閣諸島で中国漁船と巡視船が衝突したとき、そのビデオを公表しないことで大バッシングを受け、そのビデオを流出させた海上保安庁職員が英雄扱いされることまで許してしまいました。
石原知事が尖閣諸島購入計画を発表したのはその流れの中にあります。尖閣問題で民主党政権を批判する者は愛国者のようなポジションになってしまったのです。そのため野田政権は正面から対決できず、横から島を購入するという姑息な手段に出ました。
 
つまり民主党政権は石原知事など反民主党勢力にマウントポジションを取られていたのです。中国からはそうしたことが見えなかったために「茶番」ととらえてしまい、日本への態度を硬化させました。
 
ちなみに反民主党勢力が民主党攻撃のもっとも有効な武器として利用したのが領土問題でした。したがって、自民党政権になれば領土問題は沈静化することでしょう。
 
ともかく、民主党は“負け犬”のイメージになってしまい、それが総選挙で大敗した最大の原因だと思います。
 
橋下徹日本維新の会共同代表などは、政治は戦いであり、国民はその勝ち負けを見ているということをよく理解しており、たとえば組合代表が橋下氏に頭を下げる場面を写真に撮らせるなど、きわめて巧みです。
 
有識者やマスコミは民主党がマニフェストを達成できなかったことを問題にしますが、まったく本質から外れています。子ども手当が十分に出せなかったのは、要するに「ない袖は振れない」ということですから、国民はそんなことは問題にしていないと思います。
 
民主党はもっと戦い方を習得するべきだというのがとりあえずの結論ですが、これはあくまでとりあえずのことです。戦い方がうまくなって得られるのは目先の利益だけで、戦いが激化することによる損失はどんどん拡大していくことになります。
国際政治であれ国内政治であれ、動物的な争いの世界を脱し、たとえば鳩山由紀夫氏のような友愛政治家が活躍できるような世の中にすることが真に目指すべき方向です。

1121日、自民党は選挙公約を発表しました。そのタイトルが「日本を、取り戻す」です。このタイトルに違和感を覚える人は多いのではないでしょうか。
 
「日本を、取り戻す」ということは、今までは日本ではなかったのかということになります。自民党の認識としては、民主党政権下で日本はひどくなったということでしょうが、いくらひどくなっても日本は日本です。「日本を、取り戻す」という表現は、日本と日本人に対する侮辱です。
自民党としては、今度の選挙で「政権の座を取り戻す」という思いがあるのでしょうが、それを「日本を、取り戻す」と表現してしまうところに自民党の傲慢さが表れています。
 
民主党政権は素人っぽくて、つねにドタバタしていましたが、こういうのは向上していく余地がありますし、国民の声が届く可能性もあります。しかし、傲慢な者は権力の座にあぐらをかいて、国民の声を無視します。
 
自民党の公約については経済政策が注目されていますが、私は今の日本は官僚支配の国だと思っているので、自民党に政治主導をやるつもりがあるのかということに注目しました。しかし、ぜんぜんその気配はありません。
自民党の公約は、行政改革についてこう書いていますが、抽象的な表現でわけがわかりません。
 
305「真の行政改革」の推進
これからの時代にふさわしい行政の在り方を希求し、その実現に努めます。バラマキ政策の尻拭いのための財源の捻出や増税の言い訳の道具にしか過ぎない見せかけの「行政改革」は、むしろ行政をイビツにします。限られた人的・物的資源を最も効率的、機動的に活用し、行政機能や政策効果を向上させるという本来の目的に沿った行政改革を断行します。
また、政官の役割分担を明確にし、相互の信頼の上に立った本当の意味での政治主導を目指します。行政が民間の感覚や常識から遊離しないようにしっかり監督すると同時に、行政の能力を最大限に発揮させることも政治の責任です。
 
民主党政権は「事業仕分け」をやりましたが、あまり評判はよくありませんし、蓮舫さんなどが批判されています。やり方が中途半端だ、もっと徹底的にやれと批判するのはわかりますが、どうやら「事業仕分け」などするな、官僚様に任せておけという立場からの批判のほうが多いようです。
もちろんこうした世論はマスコミがつくりだしています。
ちなみに自民党の公約は、行政のむだについてこう書いています。
 
307ムダ撲滅の推進
政治や行政に対する国民の信頼を取り戻すため、政府の不要不急・無駄遣いを一掃すべく、あらゆる角度から制度や事業の意義や効果を不断に総点検し、歳出改革をゆるぎなく進めます。
 
ムダ撲滅などまったくやる気がなさそうですが、こうしたことを批判するマスコミは見かけません。
 
 
日本維新の会と太陽の党が合併しました。代表は石原慎太郎氏ですが、実態は日本維新の会が太陽の党を吸収合併したというべきでしょう。太陽の党は一時は減税日本との合流を決めましたが、維新の会の橋下徹氏に反対されて、すぐに合流は撤回されました。これを見ても維新の会主導であることがわかります。
ところが、維新の会と太陽の党の政策合意には、維新の会が主張してきた脱原発とTPP交渉参加が入っていません。もちろん合併する以上、ある程度は太陽の党に配慮する必要はあるでしょうが、脱原発は選挙の目玉政策にもなりうるものです。
どうして維新の会が脱原発とTPPで譲歩したかというと、もちろん両者がきわめて強い既得権益構造で固められているからです。
橋下氏は日本の強固な既得権益構造に、戦う前に敗北したようなものです。今年の夏、原発再稼働反対を主張したものの、結局再稼働を容認することになってしまった経験から、勝ち目がないと学んだのでしょう。
しかし、これでは日本維新の会の存在価値がありません。期待していた国民もがっかりでしょう。
 
3年余りの民主党政権を経て、元の木阿弥になってしまう。これが日本の政治であるようです。

「差別的」であるとして連載が中止になった佐野眞一氏の週刊朝日掲載「ハシシタ 奴の本性」第一回はなかなかおもしろい読み物で、佐野氏が9月12日の「日本維新の会」の旗揚げパーティに出席して、会場の人間に取材していると、阪神タイガースの野球帽をかぶり、リュックを背負った老人と出会った話が書かれています。
老人は90歳だということで、名刺には「なんでもかんでも相談所 所長」と書かれ、裏には「家訓 男は珍棒 女は子宮で 勝負する」と書かれています。老人は橋下徹氏の出自について差別的なことをしゃべりまくりますが、そのあとの部分を引用します。
 
ところで、会になぜ参加したんですか。本題の質問に移ると、またまた頓珍漢な答えが返ってきた。
「今の政治家は誰も戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」
橋下も戦争を知りませんよ。そう言おうとしたが、「男は珍棒 女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのはやめた。
いかにも橋下フリークにふさわしい贅六流のファシズムだと思った。
 
この90歳の老人が戦争を望んでいると結論づけるのは必ずしも正しくはないと思いますが、ありえないことではないと思います。
 
若い世代が戦争を望む心理については、フリーライターの赤木智弘氏が「希望は戦争」という言葉で表現しています。赤木氏によると、将来にまったく希望の持てないフリーターや派遣などの若者にとっては、戦争が起こって社会が流動化することがチャンスだというわけです。
 
では、老人が戦争を望む心理はどうなっているのでしょうか。私の父親はもう亡くなりましたが、もし生きていれば95歳です。この父親が戦争関連の本をいっぱい持っていました。戦争物は子どもが読んでもけっこうおもしろいので、そのため私もへんに戦争通になってしまいました。
父親は大学工学部を出て海軍に入り、技術将校として呉や横須賀に勤務し、外地に行ったことはありません。空襲でもそんな危険な目にはあわなかったようです。内地勤務の海軍将校というのはきわめて恵まれた生活だったようで、毎日ビールを飲んでいたと言っていました。また、そのころは女性にもてたということもよく自慢していました(実際、当時の海軍士官は女性の憧れの的だったようです)。戦後は技術者として中小企業に勤務していましたから、もしかして父親が人生でいちばんよい思いをしたのは海軍時代だったのではないかと思われます。
父親は戦争を望んでいるということはなかったと思いますが、戦争の悲惨さを体験していないだけに、戦争に負けたことが納得いかないという心理はあったのでしょう。戦争関連の本をよく読んでいたのもそのためではないかと思います。
 
中曽根康弘大勲位は海軍主計将校でした。乗っている艦が被弾するという経験もしたようですが、主計将校は基本的に戦闘には参加しませんし、業者から接待される立場ですから、技術将校以上に恵まれています。中曽根氏がずっとタカ派政治家であったのは、やはり戦争中にいい思いをしたからではないかと思います。
 
野中広務元自民党幹事長は、戦時中は兵卒でした。内地にいて戦闘経験はないようですが、軍隊で悲惨な思いをしたに違いありません。政治家としてはずっとコワモテでしたが、戦争反対の姿勢は一貫していました。ウィキペディアの「野中広務」の項目によると、しんぶん赤旗のインタビューを受けたことについて、「政治の最大の役割は戦争をしないこと。『戦争反対』であれば、どんなインタビューでも受けますよ」と語ったということです。
 
石原慎太郎前東京都知事は、父親が商船三井の前身の山下汽船に勤務して、関連会社の重役にまで出世し、戦時中に住んでいたのは山下汽船創業者の別邸だったということで、戦時中の食糧難など知らない恵まれた生活だったようです。もし石原氏が平均的日本人のように飢えを経験していたら、タカ派政治家になることはまずなかったでしょう。
 
戦時中、日本人のほとんどは悲惨な目にあいましたが、少数ながらいい目にあっていた人もいて、そういう人の戦争に対する態度は普通の日本人とは異なっています。佐野氏が出会った90歳の老人もその類の人だったのでしょうか。
 
その人が橋下氏に期待するのは正しいといえるかもしれません。橋下氏は週刊朝日と佐野氏との喧嘩のやり方を見てもわかるように、喧嘩上手な人ですから。
 
戦争を経験した世代でも、戦争を希望する人がいます。今の世代で戦争を希望する人はもっと多いでしょう。
 
そもそも男性は女性のようには、自分の子どもが自分の子どもであるという確信が持てません。そのため、自分が死ぬことの虚しさは女性以上で、それから逃れるために、自分の死をなんとか粉飾しようとしてきました。「名誉の戦死」はその最たるものです。
 
「名誉の戦死」を間近に見る時代がやってきたようにも思えますが、「名誉の戦死」というような粉飾がいつまでも通用するはずがありません。
戦争についての認識を深めることが戦争を回避する最良の手段です。

「週刊朝日」1026日号が「ハシシタ 奴の本性」(佐野眞一執筆)という連載記事の第一回を掲載し、それに対して橋下徹氏が「血脈主義、身分制に通じる極めて恐ろしい考え方だ」と批判し、今後朝日新聞系のメディアの取材を拒否すると表明しました。
この時点で私は、橋下氏らしくない対応だなと思いました。「週刊文春」に実父がヤクザだったと書かれたときは、それがどうしたという対応をしたのとは大違いです。被差別部落出身だということは誰もが薄々わかっていたことで、今さら書かれても大したダメージはないはずです。
 
これに対する週刊朝日側の対応も意外でした。被差別部落に言及する以上は、それなりの覚悟があってやっていることかと思っていたら、あっさりと謝罪してしまったからです。さらに、佐野眞一氏の連載も中止すると決めました。
 
週刊朝日側の対応については、週刊朝日編集部と朝日新聞本社の意向にずれがあったのかもしれません。編集部はそれなりの覚悟を持って、理論武装していたかもしれませんが、本社が謝罪を指示したということが考えられます。朝日新聞的な考え方からすれば、被差別部落出身ということを書き立てるのはありえないことだからです。
 
しかし、こういうことで謝罪されては困ります。橋下氏は「血脈主義」という言葉を使い、週刊朝日の表紙には「橋下徹のDNA」という言葉があります。血脈もDNAも、その人間を決定するひとつの要素ですから、それを書いてはいけないとなると、人間性を探求する上で大きな障害になってしまいます。
 
というようなこともあって、私は週刊朝日のその記事を読んでみました。
うーん、これはかなり困った記事です。
読み物としてはおもしろいです。とくに反橋下の人が読むと、とてもおもしろいでしょう。要するに橋下氏のことをクソミソに書いているのです。
しかし、その後の展開が、橋下氏がなぜそうなったかのルーツを探るとして、被差別部落の話になっていきます。
つまり橋下氏がだめな人間であることと被差別部落出身であることが関係しているように読めるのです。
これは連載第一回目ですから、厳密にはここで判断してはいけないのかもしれませんが、このような展開になっていることがすでに問題であると思います。
 
なぜこのような書き方になってしまったのかというと、佐野氏(及び週刊朝日編集部)にあまりにも反橋下感情が強くて、冷静さを欠いてしまったからではないかと思われます。
私は佐野氏のほかのノンフィクションを読んだことがありますが、今回のような感情的な書き方はしていませんでした。
また、佐野氏が橋下氏を攻撃する意図を持っているなら、いつもよりよけい冷静に、足元を固めて反撃される可能性を徹底的になくして攻撃しなければいけません。しかし、今回は簡単に反撃されてしまいました。
 
というわけで、今回は週刊朝日側が謝罪したのは当然であると私は判断しました。
 
しかし、橋下氏の対応が正しかったかというと、そうではないと思います。
橋下氏もまた間違った対応をしたと思います。
 
ソフトバンクの孫正義社長も佐野氏に出自のことを書かれましたが、孫社長は佐野氏や出版社に謝罪を求めるような対応をしませんでした。孫社長と比べると、橋下氏の対応は器が小さいと言わざるをえません。
 
また、橋下氏は週刊文春や週刊新潮に実父がヤクザだと書かれ、今回調べてみると週刊新潮の記事の見出しには「血脈」という言葉が使われていますが、そのときはむしろ開き直り、取材拒否というような対応はとっていません。
 
ですから、今回も部落出身のどこが悪いんだと開き直ればよかったはずです。そのほうが橋下氏らしいでしょう。
週刊朝日に謝罪させても、被差別部落出身だと書かれたことは消せないわけで、その意味でも橋下氏の対応には疑問が残ります。
 
私が推測するに、橋下氏は国政進出の心労や維新の会の支持率低下で自信を失っており、そのため今回のような対応をしてしまったのではないでしょうか。
こうした対応は、部落差別の解消にはつながらず、むしろ部落差別の陰湿化を招いてしまうのではないかと危惧されます。
 
(この項目は「血脈やDNAを否定する危険思想」に続きます)

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