「平和」と「安全」は別の概念ですが、政治の世界では「安全」や「安全保障」という言葉が「平和」と同じような意味で使われています。
たとえば、防衛省のホームページの「わが国の安全保障」と題された文章の冒頭は、「平和と安全は、国民が安心して生活し、国が発展と繁栄を続けていく上で不可欠です」となっています。
「平和」と「安全」が同列になっています。
世界が平和なら自国も安全になります。そのため平和と安全が似た概念と思われるのかもしれません。
しかし、世界が戦争をしていても自国が安全だという場合があります。たとえば第二次世界大戦のときのスイスなどがそうです。これは安全保障政策としては成功したことになります。
戦争しながら自国が安全だという場合もあります。たとえば日清、日露、日中戦争をしていたときの日本がそうです。これも安全保障政策としては成功していたことになります。日本国民は兵隊以外、空襲にあうまで安全な生活を享受していました。
アメリカはアフガニスタン、イラクで戦争をしているとき、一部にテロはありましたが、自国は基本的に安全でした。
つまり安全と戦争は両立しうるのです。
いや、安全の追求が戦争を起こすといったほうがいいかもしれません。
昔の日本も、「満蒙は日本の生命線」などと言って海外で戦争をしたわけですし、アメリカはテロや大量破壊兵器からの安全を求めてアフガニスタンやイラクに攻め込んだわけです。
現在の日本では、敵基地攻撃能力を持つべきだという意見が一部にあります。もし日本が北朝鮮のミサイル基地を先制攻撃したら、自国の安全のために他国の安全を侵したことになります。
平和というのは相手とともに享受するものですが、安全というのは、相手の安全を侵して自分だけ安全になるということが可能です。
しかし、そのような利己的な振る舞いは、結局うまくいかないものです。
よく「一国平和主義」はだめだと言われますが、「一国平和主義」というのは言葉として矛盾しています。「一国安全主義」ないし「一国安全保障主義」というべきでしょう。
戒めるべきは「一国安全保障主義」です。
安倍首相は「積極的平和主義」という言葉を使いますが、これも「積極的安全保障主義」と言うべきでしょう。平和主義とは別物です。