移民問題について論じるときに、「われわれは労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」という言葉がよく引用されます。スイスの作家マックス・フリッシュの言葉だそうです。
この言葉は問題の本質を的確についています。
「われわれ」は、労働力を人間と思っていなかったのです。
「人間でない労働力」があるのかと突っ込みたくなりますが、考えてみると「人間でない労働力」がありました。
それは「奴隷」です。
ヨーロッパの歴史を見ると、奴隷に大きな存在感があります。
古代ギリシャや古代ローマでは人口の半分以上が奴隷だったといわれ、奴隷が労働の主な担い手でした。マルクスが原始共産制、奴隷制、封建制と生産様式で時代区分したのもわかります。
ヨーロッパ人は殖民地にも奴隷制を持ち込み、アメリカ合衆国はもちろん、西インド諸島、ブラジル、アルゼンチンなどに黒人奴隷を連れていき、南アフリカなどでも黒人奴隷を使っていました。
フランス革命以降、フランスやイギリスで奴隷制が廃止され、アメリカ合衆国の廃止は最後でした。
奴隷制は世界に広く存在しましたが、ウィキペディアの「中国の奴隷制」によると、「殷代には少なくとも中国で奴隷制が確立し、この時点で人口の5%が奴隷であったと推定される」とあり、数が全然違います。
「魏志倭人伝」には倭国が「生口」(奴隷)を魏王に献上したという記述があり、王に献上するぐらいですから、“貴重品”だったのでしょう。
奴隷というのは基本的に、戦争に勝った側が負けた側を奴隷にするものです。古代ギリシャ・ローマは周辺民族とつねに戦争をしていましたから、奴隷が多くなったのでしょう。
考えようによっては、江戸時代の農民などで、領地からの移動が制限され、過酷な年貢を取り立てられていれば、実質的には奴隷と変わりません。しかし、領主と領民はどちらも同じ人間という認識だったでしょう。インドのカースト制なども同じです。
古代ギリシャ・ローマでは、奴隷は外部から連れてきた異人種や異民族なので、同じ人間という認識がなかったと思われます。
「外部から労働力を連れてくる」というのはヨーロッパ人の伝統的な発想なのです。
現在、ヨーロッパでは極右などの移民排斥を主張する声が高まって、それに対して差別的だという批判も高まっています。
しかし、移民政策を推進してきた人たちの「外部から労働力を連れてくる」という発想自体が奴隷制時代を引きずった差別的な発想だったのです。
移民推進派も移民排斥派も同じ穴のムジナです。
日本は島国で、戦争相手も異人種や異民族ではないので、「外部から労働力を連れてくる」という発想がありません。
ですから、日本は移民政策をとってきませんでした。
結果的にそれがよかったのではないでしょうか(あくまで移民のことで、難民に極度に門戸を閉ざしてきたのはよくありません)。
なお、ヨーロッパで移民政策が推し進められていたころ、日本では産業用ロボットの開発と普及が世界に先駆けて進んでいました。日本人にとってはロボットが「人間でない労働力」だったのです。
現在、安倍政権は「外部から労働力を連れてくる」というヨーロッパ型の移民政策を実行しようとしています。
これ自体が差別的政策なので、日本に差別や分断による混乱がもたらされるのは明らかです。