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このところ閣僚、与党幹部の失言が相次いでいます。

小泉進次郎環境相、気候変動問題について「セクシーに取り組むべき」
二階俊博自民党幹事長、台風19号の被害について「まずまずで収まった」
萩生田光一文科相、来年度からの英語の民間試験について「身の丈に合わせてがんばって」
河野太郎防衛相、台風被害について「地元で雨男と言われた。防衛相になってからすでに台風が三つ」

小泉環境相の「セクシー」発言は、それほど批判されるものとは思えません。滝川クリステルさんとの結婚や男性最年少入閣などで、やっかみを買ったのでしょうか。
二階幹事長の「まずまずで収まった」と河野防衛相の「雨男」は、単に思慮の足りない発言です。
萩生田文科相の「身の丈」発言は、それらとは異質です。失言ではなく、背後に思想があります。


2020年度から実施される大学入学共通テストで英語の民間試験が使われることについて、異なる試験の成績を公平に比べられるのかとか、受験料が高くつくとか、試験会場が都市部に偏っているとかの不満が高まっています。萩生田文科相は10月24日に生出演した『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)において、制度が不公平ではないかという指摘に対して、このように発言しました。

「そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭が(民間試験を)回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回を選んで、きちんと勝負してがんばってもらえば」
https://lite-ra.com/2019/10/post-5056.html

「予備校通っててずるい」という発言も問題になりましたが、「身の丈に合わせてがんばって」という部分に批判が集中しました。

「身の丈に合わせてがんばれ」というのは、ありがちな人生訓です。相田みつをも書いていそうです(「身の丈以上をやろうとするのが人間なんだよな」とも書いていそうです)。
ですから、萩生田文科相もその言葉が批判されるとは思わなかったでしょう。
しかし、文部科学大臣が試験制度について言うのはまったく違います。

試験制度というのは、いわば「身の丈」を測る物指しです。受験生はこれから「身の丈」を測るために公平な物指しを要求しているのに、「身の丈を知れ」と言われたのですから、反発するのは当然です。

いや、ここにひとつの行き違いがあります。
「身の丈に合わせてがんばって」という言葉の「身の丈」は、普通は受験生の能力のことを言っていると解釈するでしょう。
しかし、萩生田文科相は家庭環境のことを言っているのです。受験料や交通費、宿泊費が負担であるような貧困家庭の子は、その経済能力に合わせて受験しろという意味です。


安倍政権は格差社会を拡大する政策を進めてきました。大学入学共通テストで民間試験が利用されることもその一環です。つまり格差容認の制度です。
萩生田文科相は安倍首相の忠実なしもべです。

格差社会は、安倍政権でなくても存在します。
人間に能力の差がある以上、格差社会は当然だという考え方もあります。しかし、そういう考え方の人でも、能力は公平に測られるべきだと思うでしょう。
ところが、新しい制度は富裕層が有利になって、能力が正しく判定されません。

萩生田文科相は、「身の丈」発言を撤回して謝罪しましたが、そのときにこのように弁明しています。

「どのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです」

「身の丈に合わせて」を「自分の都合に合わせて」と言い換えているだけです。
「自分の都合に合わせて」というのは受験生個人の都合ではなくて、その家庭の都合のことですから、「身の丈」発言と同じ意味です。

萩生田文科相は、格差社会肯定の思想の持主ですから、受験生が経済格差によって有利不利になるのも当たり前のことと感じているのでしょう。ですから、制度を公平にするべきだという考えもないのです。
こうした考えの人間は文科相に不適格です。

なお、この制度は教育基本法違反だという説もあります。
(教育の機会均等)
第4条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

最初にも書いたように、若者は自分の「身の丈」がまだわからないものです。だからこそ夢と希望を持って、いろいろなことにチャレンジできます。
萩生田文科相の「身の丈に合わせて」という発言は、どんな意味にせよ、若者の可能性を否定するものです。