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IOC公式サイトより

IOCのトーマス・バッハ会長は7月13日、橋本聖子東京五輪組織委会長を表敬訪問した際、あいさつの中で、「ジャパニーズ・ピープル」と言うべきところを「チャイニーズ・ピープル」と言い間違えました。
すぐさま言い直したものの、バッハ会長の中では日本人と中国人の区別などどうでもいいことのようです。

バッハ会長はまた、14日に菅義偉首相と面会した際、「新型コロナウイルスの感染状況が改善すれば、有観客も検討してほしい」と要請していたということです。
菅首相が無観客と決めた直後に「有観客も検討してほしい」と申し入れるとは、菅首相に対する侮辱です(それにしても、菅首相は「私は主催者ではない」と言っていたのに、無観客の決定はバッハ会長に諮らずに決めたわけで、だったら五輪中止の決定も独断でできたはずです)。

私はバッハ会長の言葉のはしばしに日本人に対する差別を感じてしまいます。
たとえばバッハ会長は13日の共同通信のインタビューにおいて、新型コロナウイルス感染拡大の懸念が強いことについて、「日本国民が恐れる必要はない。五輪関係者と日本人を明確に隔離する措置を講じており、大会の安全性に全幅の信頼を寄せていい」と述べたということですが、「日本国民が恐れる必要はない」とか「全幅の信頼を寄せていい」という言い方は、日本人の判断力を幼児並みと見なしているかのようです。
こういう感覚でかつての白人は植民地経営をしていたのかと思います。

バッハ会長の発言をさかのぼると、4月21日の記者会見で、東京都に緊急事態宣言が発令される見通しとなったことについて「東京五輪とは関係がない」と言って、日本人の神経を逆なでしました。
また、4月28日の五者協議の冒頭あいさつでは「粘り強さ、逆境にあってへこたれない精神を日本国民は示しています。逆境を乗り越えてきたことは歴史を通して証明されている。五輪も厳しい状況でも乗り越えることが可能になってくる」と語り、「日本人に苦難を押しつけるのか」と反発を買いました。


ただ、このような発言を批判するメディアもあれば批判しないメディアもあって、その色分けがはっきりしています。
たとえばバッハ会長が「ジャパニーズ・ピープル」と言うところを「チャイニーズ・ピープル」と言い間違えたというニュースを報じているのは、ほとんどがスポーツ新聞とテレビ局とネットのニュースサイトです。
いわゆる全国紙でこのニュースを報じたのは、私の見た範囲では東京新聞だけです。

また、バッハ会長が宿泊するのはホテル「オークラ東京」の1泊300万円のスイートルームだと言われますが、こういうことを書くのは週刊誌ばかりです。
もっとも、よく読むと、オークラ東京でいちばん高い部屋は300万円なので、バッハ会長はそこに泊まっているに違いないという推測の記事です。さすがに全国紙は書けないでしょう。

とはいえ、“ぼったくり男爵”に対する国民の反発は強いので、週刊誌、スポーツ新聞、ニュースサイトなどは、バッハ会長の言葉尻をとらえては批判的な記事を書いています。
ですから、完全にメディアが二分されている格好です。

どうして二分されているかというと、読売、朝日、毎日、日経、産経、北海道新聞が東京五輪のスポンサーになっていて、テレビ局はどこも五輪中継をするからです。
バッハ会長を批判するのは、そうしたメジャーなメディア以外のところばかりです。


しかし、日本のメディアが二分されているのは、そういう表面的な利権の問題だけではなく、もっと深い、日本の構造的な問題もあります。

明治維新以来、日本は欧米を真似て国づくりをしてきたので、明治政府の中枢にいたのはほとんどが洋行帰りです。
福沢諭吉、渋沢栄一、森鴎外、夏目漱石なども洋行帰りです。
その後、西洋の学問を学んだ帝国大学出身者が国の中枢を占めました。
つまり日本の支配層は、西洋の学問や価値観を学んだ者ばかりです。
日本は植民地にはなりませんでしたが、支配層が宗主国になり、庶民を植民地支配したようなものです。
武力によらない、文化による植民地化です。

フランスによって植民地化されたベトナムにおいては、一部のベトナム人は仏教からキリスト教に改宗し、フランスに留学するなどして、フランスの手先になって植民地支配に貢献しました。
フランスがベトナムから手を引くと、こうしたベトナム人が南ベトナムを建国しましたが、これは植民地支配の継続のようなものです。南ベトナムにおいては、支配層がキリスト教徒、被支配層が仏教徒というわかりやすい構図があり、独裁政権に対して仏教の僧侶が焼身自殺をするなどの抵抗運動をしました。

日本では、宗教による色分けはありませんが、支配層と被支配層の関係は南ベトナムのようなものです。
支配層の知識人は、「欧米人は自立しているが、日本人は自立していない」とか「日本人は集団主義で無責任だ」などと言って、欧米の価値観を後ろ盾に日本人の上に君臨してきました。
いわば日本人が日本人を差別してきたのです。
こういう知識人は、バッハ会長が日本人を見下したような発言をしても、まったく気にならないでしょう。
新聞社の論説委員などはほとんどそういう人ではないかと思われます。


欧米人と同じ立場から日本人差別をする日本人はよく見かけます。
たとえば、サッカーのフランス代表、ウスマン・デンベレ選手とアントワーヌ・グリーズマン選手が来日した際、ホテルの日本人スタッフを嘲笑する動画をアップし、日本人差別だと問題になったとき、2ちゃんねる創始者の「ひろゆき」こと西村博之氏が「悪口ではあるが差別の意図はない」と二選手を擁護して批判されました。
ひろゆき氏はフランス在住です。ツイッターで「フランス在住外国人のおいらは来週からファイザーかモデルナのワクチンが打てるようになります」と述べた上で、「希望者が全員ワクチンを打って、経済再開する欧米」「ワクチンが無いので、緊急事態宣言を続ける日本」「どちらの政府が良くやってますか?」と述べたこともあります。
日本人に対して上から目線です。

デヴィ夫人も「IOCバッハ会長に失礼な事をするのは日本人の恥」とツイートしています。

爆笑問題の太田光氏は、バッハ会長を擁護したあと、スポニチの記事によると、複雑な心境を述べています。
 「日本は植民地じゃねえぞって言うけど、それこそ植民地根性と言うか、被害者根性。我々は欧米人には敵わないんじゃないかってそういう意識があったけど、そういうことをやってると、若い子たちもそういうことを言い出しちゃうのは受け継ぎたくないなと言う気が凄くするんだけど」と力説。「何で菅さんは黙っているんだよ。あれは『だんまり男爵』だよ」と憤った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/501c107a9ffd771935bb427fab6d6cd124d9269e


18日夜には赤坂の迎賓館でバッハ会長の歓迎バーティが行われ、菅義偉首相、小池百合子都知事、橋本聖子組織委会長、森喜朗組織委前会長など40人ほどが参加したということです。飲食を伴わない形式だそうですが、国民は自粛生活をしているのにけしからんという声が上がっています。

このパーティがホテルの宴会場でなく赤坂の迎賓館で行われたというのが象徴的です。鹿鳴館時代みたいです。

バッハ会長は“ぼったくり男爵”と言われますが、バッハ会長を巡る議論の中で、日本人の中にもいっしょになってぼったくる人の存在があぶり出されました。
さらに、利権とは関係なく、「日本人を差別する日本人」の存在もあぶり出されたのではないでしょうか。