281093_m

自民党はこれまで「敵基地攻撃能力」と言っていたのを「反撃能力」と言い換えるそうです。
「反撃」とは広い意味の言葉ですから、なにを言っているのかわかりません。
これは「越境攻撃能力」と言えば意味が明快です。
つまり中距離ミサイルや渡洋爆撃で中国や北朝鮮をたたく能力ということです。
ただ、そんな攻撃力にお金をかけていたら、肝心の防御力が手薄になってしまいます。


ロシア・ウクライナ戦争によって、日本人の戦争観のおかしさが浮き彫りになりました。

橋下徹氏は戦争の初期、「ウクライナは早く降伏したほうがいい」とか「国外退避も選択肢のひとつ」などと主張していました。ほかにもウクライナ降伏論を主張した著名人は何人もいます。

当時、ロシア軍はウクライナ軍よりも圧倒的な戦力があると言われていました。もし確実にウクライナ軍が負けるなら、早期に降伏したほうがいいということもいえますが、確実に負けると決めつけることはできません。
一般的に侵略する側の兵士よりも防衛する側の兵士のほうが士気は高いものですし、防衛する側は民衆と一体となれるという利点もあります。

橋下氏らがウクライナ軍は確実に負けると予測したのは、要するに第二次世界大戦末期の日本と重ね合わせたからでしょう。
あのときの日本と今のウクライナはまったく違いますが、日本人は橋下氏に限らず敗戦の体験がトラウマになっているので、そういう冷静な判断ができません。


「ゴジラ」のような怪獣映画は、怪獣は戦争の象徴として描かれます。
ゴジラが日本に上陸してくると、人々は荷物を背負い、子どもの手を引き、家財を載せたリヤカーを引いたりして逃げまどいますが、これは空襲で街が焼かれて逃げまどったことの再現です。
そして、自衛隊はゴジラに銃弾や砲弾やミサイルを雨あられと浴びせかけますが、ゴジラにはまったく効果がありません。最終的にゴジラを倒したのは「オキシジェン・デストロイヤー」という科学的な新兵器です。

日本の怪獣には通常兵器はまったく効果がありません。最終的に怪獣を倒すのはなにかの新兵器か別の怪獣かウルトラマンのような存在です。
アメリカなどの怪獣映画では、割と簡単に通常兵器で退治されることが多くて、日本人が観ていると拍子抜けします。
ここに日本人とアメリカ人の戦争観の違いが出ていると思います。

ともかく、日本人は敗戦のトラウマがあるので、戦争というと「戦っても勝てない」という負け犬根性がしみついています。
実際はアメリカに勝てなかっただけなのですが、トラウマはそう論理的なものではないので、一人の男にレイプされた女性が男性全般を拒否するようになるのと同じで、日本人は戦争全般を拒否するようになっています。
橋下氏のような降伏論はそこから出てきます。


それから、日本人は侵略戦争と防衛戦争の区別がつけられない傾向があります。

近代日本のやってきた日清、日露、日中、日米の戦争はすべて侵略戦争です(日露は双方が侵略戦争です)。
侵略戦争が悪だというと、日本の戦争はすべて悪ということになります。

そういうことは認めたくない人もいます。
真珠湾攻撃の直後に天皇の名で出された「開戦の詔書」には、「自存自衛ノ為」という言葉があるので、戦後右翼はこれを根拠に「太平洋戦争は自衛戦争だった」と主張しています。
そういう人においては侵略戦争と防衛戦争の区別がつかなくなるのは当然です。

2013年、安倍晋三首相は国会答弁で日本の植民地支配や侵略に関して、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と述べました。
それを受けて橋下徹氏も「侵略の定義が存在しないのは事実」と述べました(実際は1974年、国連第29回総会において、「侵略の定義に関する決議」が日本も賛成して採択され、定義は定まっています)。

ウクライナ戦争が始まってから安倍氏や橋下氏の発言が迷走を続けているのは、ここに根本原因があります。
「ロシアは侵略戦争、ウクライナは防衛戦争」という明快な認識があれば、橋下氏もそう簡単にウクライナに降伏しろとは言わないはずですし、安倍氏もプーチン大統領を批判する言葉を口にしたはずです。
安倍氏はウクライナ戦争以降、「核共有を議論するべきだ」とか「台湾有事は日本有事」とか「敵基地攻撃能力は基地に限定する必要はない。中枢を攻撃することも含むべきだ」とか、おかしな発言を連発しています。

日本は侵略戦争しかしてこなかったのですが、硫黄島と沖縄の戦いは防衛戦争です。防衛戦争では日本軍は善戦しました。日本の領土以外で戦っているときは、無意味な突撃をして自滅する傾向がありました(もっとも、日米戦争は真珠湾攻撃という侵略から始まったので、すべてが侵略戦争だとも見なせますが)。

日本が本土決戦に突き進めば、そこで初めて本格的な防衛戦争をすることになりますが、その前に降伏してしまいました。
ですから、日本人は防衛戦争の経験がほとんどない、世界でも珍しい国民です(アメリカもそうです)。
ロシアなどはナチスドイツに攻め込まれたときからずっと防衛戦争をしていたので、日本人と戦争に対する見方が百八十度違うはずです。


今後、日本が中国やロシアに攻め込まれたら、そのときはまさに「本土決戦」をすることになります。
ところが、日本人は「本土決戦はするべきではない」と思っているので、そこで思考停止してしまいます。
本来なら「中国軍はどのようにして上陸してくるのか。それにどう対処するのか」ということを考えなければなりませんが、誰も考えませんし、誰も議論しません。

では、これまで日本で行われてきた防衛論議はなにかというと、「半島有事や台湾有事にどう対応するか」「シーレーン防衛をどうするか」「イラクに自衛隊を派遣するべきか」など、侵略論ばかりです。
「敵基地攻撃能力」も同じです。

専守防衛に徹するなら、うんと安くつきます。
アフガニスタンのタリバンは、たいした武器もないのに山の多い地形を利用したゲリラ戦をやってアメリカ軍を追い出しました。
日本も国土の75%は山地で、しかも森林が多いので、ゲリラ戦に最適の地形です。
軽トラに携行式ミサイルと迫撃砲などを積んで林道などを移動すれば、空からも発見されません。
主要都市を占領されても、山岳ゲリラをやって敵を消耗させて最終的に勝利するというシナリオもあります。
攻め込んでも最終的な勝利は困難と敵に思わせれば、それが抑止力になります。


日本の防衛費はGDP1%程度で、NATO諸国と比べると少ないといわれますが、島国だから少ないのは当然です。
ところが、自民党は防衛費を倍増させてGDP2%程度にするという目標を立てています。
財政赤字大国の日本にとって冗談としか思えない数字ですが、これはアメリカから要請されたからです。
江戸時代、幕府は各藩に「御手伝普請」といわれる土木工事を命じて、藩の財政力を弱体化させようとしましたが、アメリカも同盟国に「御手伝軍備」を命じて、同盟国の財政力を弱体化させようとしているようです。

普通、予算というのは、必要なものを積み上げて最終的に数字を出しますが、防衛費については、目標の数字が最初にあって、それに合わせて防衛装備などを積み上げます。「越境攻撃能力」もその一環です。


ところで、日本が中国を攻撃する能力を備えたところで、中国の主要な基地を全部たたけるわけがありません。
中途半端な攻撃力があっても意味がないではないかと思えますが、そういうことではありません。
朝日新聞の『自民、首相に「反撃能力」提言 北ミサイル対処→「米軍の一翼」へ』という記事にはこう書かれています。

今回、自民党が出した「反撃能力」は、①仮想敵国は中国②米軍の打撃力の一部を担う③攻撃対象を拡大という3点が特徴だ。
反撃能力を求めた項目では、北朝鮮には触れず、軍事力を増強する中国を名指しして対抗する色合いを強めた。また、米国との役割分担についても言及。「相手領域内への打撃については、これまで米国に依存してきた」と指摘し、「迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」とした。日本も打撃力を保有する必要性につなげている。
提言に関与した政府関係者は、狙いについて「米国の攻撃の一翼を担うこと」と明かす。日米安全保障条約に基づき、敵を攻撃する「矛」の役割は米軍にゆだね、日本は「専守防衛」のもと守りに徹する「盾」の役割を担ってきた。反撃能力はこれを転換し、自衛隊も米軍とともに矛の一部を担うことを意味する。

要するにアメリカの攻撃力の一部を日本が肩代わりするということです。
そうすればアメリカの費用負担がへります。
自民党の言う「反撃能力」とは、日本の税金を使ってアメリカの財政を助けるという話なのでした。

橋下氏、安倍氏、高市早苗自民党政調会長のような右翼のタカ派ほど、敗戦のトラウマが深いので、アメリカにものが言えなくなるようです。