村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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日馬富士による貴ノ岩暴行事件が妙にこじれています。
 
こうした上から下への暴力、いわゆる体罰は、秩序維持に役立つので、体制側の人間は肯定的です。相撲協会にもそういう人が多いでしょう。その思いが言葉の端々に出るので、問題がこじれます。
それに、子どものころの体罰で心と脳に傷を負った人も多くいて、そういう人も感情的になって問題をこじらせます。たとえば、ボクサーのトレーニングと暴力の区別もつかない松本人志氏もそうです。
 
そして、貴乃花親方もまたそうであるようです。
母親の藤田紀子さんが語っています。
 
 

藤田紀子貴乃花親方が受けていた体罰を明かす「かわいそうでした」

5日放送の「バイキング」(フジテレビ系)で、藤田紀子が、息子である貴乃花親方が受けていた体罰について明かした。
(中略)
続けて藤田は、貴乃花の現役時代について、横綱であっても過ちを犯せば、若い衆の前で親方に殴られていたことを明かした。藤田は「あんまり体罰がすごいので」と語っており、横綱という体裁を配慮してほかの力士から見えない所に連れて行くように親方に注文づけた程だったとか。藤田は「かわいそうでした」と振り返っている。
 
また、力士は外出時に着物の着用が決まりになっているそうだが、貴乃花は、まげを結ったまま洋服で出歩き、しかも写真週刊誌にも撮られてしまった過去があるとのこと。藤田は「それ(週刊誌)を見た親方の怒りがすごかった」「横綱であろうが、殴り飛ばしていました」と語り、共演者から驚きの声が漏れていた。
 
 
これは貴乃花親方が横綱時代のことを語っていますが、「横綱であっても」という表現から、体罰は横綱になる前からあったと考えられます。
貴乃花親方は、小学校のときから父親のもとで相撲をしていますから、幼いころから体罰を受けていた可能性があります。
そうだとすれば、心と脳にそうとうなダメージを受けているはずです。
学校の運動部で体罰を受けた場合は、家庭で救われるということがあります。しかし、実の父親からの体罰ですし、稽古場と家庭が一体ですから、救われる場所がありません。
 
 
現在、貴乃花親方は相撲協会や世間に対してほとんどなにも語らず、ひじょうに不可解な態度をとっています。
貴乃花親方は相撲界の改革を目指しているとされますが、改革について具体的に語るわけではありません。
週刊誌などは、「ガチンコ」という言葉を使って、暗に貴乃花親方は相撲界の八百長を告発しようとしているのだという記事を書いています。しかし、ほんとうに八百長を告発しようとするなら、動かぬ証拠をにぎらないとうまくいきません。貴乃花親方の態度を見ると、そういう戦略もなさそうです。
 
また、貴乃花親方が極右思想を持っているという一部報道もあります。
 
週刊朝日が全文を掲載したメールの中で、貴乃花親方は相撲協会のことを「陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体」と表現。また、「角道、報道、日本を取り戻すことのみ私の大義であり大道であります」との一文もあった。
 
 
貴乃花親方は父親に虐待されたことから相撲界に対して複雑な感情を持っていて、それで貴乃花親方自身が問題をこじらせているのではないかと思われます。
 
われわれはなにかの対立を見ると、どちらが正しいのだろうと考えます。しかし、暴力団同士の抗争を見ればわかるように、実際はどちらも正しくないことが多いものです。
 
今回の貴ノ岩暴行事件を巡る騒動も同じです。
相撲界やその取り巻きに正しい方針を示す人が一人もいません。
「アウトレイジ」のキャッチコピーと同じく「全員悪人」です。
この問題にかかわるのは時間のむだと思います。
 
 

このところワイドショーは連日相撲界のことを取り上げていて、相撲記者歴何十年という人がよくコメンテーターとして出てきますが、こういう人は決して相撲協会や相撲界を批判しません。代わりに貴乃花親方を批判します。
いや、相撲記者だけでなく、マスコミ全体が相撲界への批判に及び腰です。
相撲界には横綱審議委員会とか評議員とかに各界の大物がずらりとそろっているので、批判しにくいという事情もありそうです。
 
そうした中、「ひるおび!」にコメンテーターとして出た立川志らく師匠は、横綱審議委員会の北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)に対して、「こういった人を横綱にしてしまったという責任はないんですか。朝青龍からして2人目ですよ」と鋭い批判をしました。
 
相撲界は実力の世界のようですが、横綱に関しては別です。
横綱昇進基準は「品格・力量抜群で、2場所連続優勝またはこれに準ずる成績」となっていて、あいまいなところがあります。
 
北尾(横綱双羽黒)は2場所連続準優勝で、優勝経験がありませんでしたが、横綱がほしいという相撲協会の都合で横綱昇進が認められました。しかし、「ちゃんこがまずい」と言って親方と喧嘩し、相撲界をやめてしまいました。
 
今はそのときより昇進基準は厳格になっているようですが、「品格」ということはいまだに基準になっています。
 
囲碁界や将棋界は江戸時代の家元制から発展してきて、名人という肩書には独特の権威があり、相撲界と似ているかもしれません。しかし、名人などのタイトルはもちろん段位もすべて成績によって決められ、「品格」などというものが入り込む余地はありません。
囲碁の井山裕太七冠は20歳4か月という史上最年少で名人になり、世間の注目を浴びましたが、当時「今は勝ったから注目されているだけ。これから少しでも名人にふさわしい人間になるよう努力したい」という意味のことを語っていました。
 
ボクシングの世界チャンピオンも、あくまでボクシングの強い人です。チャンピオンだから人格の優れた人だとは見なされません。
  
しかし、相撲界では横綱になると同時に「品格」も備わったとされます。横審がそう認めたからです。
これが相撲界をだめにした元凶だと私は思っています。
 
 
横綱になった力士が「私には品格などないが、世間がそれを期待するなら、そのようにふるまおう」と考えるなら、問題はありません。
しかし、中には「自分は品格のある横綱だ」と勘違いする人もいるでしょう。そういう人は傲慢になってしまいます。
日馬富士、白鵬などはその典型ではないでしょうか。
 
相撲協会のお偉方も、かつては横綱か横綱に近い番付に上った人たちですから、自分は品格ある人間だと勘違いして傲慢になっている気がします。
 
たとえば、相撲界は相撲のことを「国技」だと勝手に称していますが、これも傲慢さの表れです。「国技」というなら柔道のほうがふさわしいかもしれません。
 
「相撲道」という言葉がありますが、どうもそらぞらしく響きます。「道」という言葉のつく芸事には、人格を磨いて向上させるという要素がありますが、相撲にそういうものは感じられません。
反対に「土俵には金が埋まっている」という言葉があって、これが大相撲の現実をよく表現しています。
とくに外国人力士はみな、お金になるスポーツということで相撲をやりにきているはずです。
 
相撲界は「相撲の強さと人格は別」ということを認識して、ボクシングやサッカーのようなプロスポーツとして再出発するべきでしょう。
 
当然、横綱審議委員会は不必要になります。
自分は人の「品格」を評価できる人間だと思っている横綱審議委員も勘違いした人たちです。 

私は何人かの大相撲の力士にインタビューしたことがあります。ほとんどつねに、意外とシャイでナイーブな人だなあという印象を受けます。これは私の偏見の問題ではないと思います。実際、相撲取りというのは、シャイでナイーブなのです。いや、より正確にいうと、シャイでナイーブであることを隠そうとしないのです。
私は相撲取りのそうした姿を見るたびに、自分を含めた一般的な男の生き方を反省してしまいます。
 
相撲取りというのは一般社会の誰からも強い男と見られていますので、自分を強く見せようとする必要がないのでしょう。むしろ少し弱く見せるぐらいのほうが、対人関係がうまくいくのかもしれません。
また、相撲取り同士ではハッタリで強く見せかけても、一度対戦するとすぐ実力がバレてしまいます。いや、そもそも相撲界には番付というのがありますから、最初からハッタリの意味がないのかもしれません。
ハッタリで強く見せかけるよりも、稽古をして実力をつけなければいけないという社会です。
 
一方、私たちが生きている一般社会には番付がありません。ですから、たとえばビジネスマンが仕事で初対面の人に会えば、お互いに相手はどのレベルの男なのかを必死でさぐろうとします。そんなとき、ハッタリはかなり有効です。
というわけで、私たちはハッタリをかますのが当たり前になっています。5の実力を6か7に見せかけることを無意識にやっています。誰もがやっているので、誰もそれがおかしいと思いません。
 
しかし、私は相撲取りと会うたびに、私たち一般の男のおかしさを意識してしまうのです。
シャイでナイーブというのは、女性においては魅力ですが、男性においては弱さとされますので、私たちはどうしても隠そうとします。しかし、相撲取りは隠そうとしません。自然体なのです。
 
自分の弱さを出して生きていけるのはうらやましいことです。

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