安倍晋三氏が政権から遠ざかって世の中が落ち着いてきたと思ったら、代わりに維新の会がのさばってきました。
もっとも、維新の会をのさばらせたのは立憲民主党です。
いったいどちらの罪が大きいのでしょうか。
きっかけは菅直人元首相が1月21日、橋下徹氏に関して述べたツイートです。
これに対して橋下氏は、「弁舌の巧みさはお褒めの言葉と受け取っておく」としたあと、「ヒトラーへ重ね合わす批判は国際的には御法度」として菅元首相を批判しました。
これを受けて、日本維新の会の副代表である吉村洋文大阪府知事も「とんでもない発言」「国際法上あり得ない。どういう人権感覚をお持ちなのか」と菅元首相を批判。
日本維新の会の藤田文武幹事長は26日午前、立憲民主党本部を訪れて抗議文を手渡し、菅元首相の投稿の撤回と謝罪を要求しました。
さらに、産経新聞の「<独自>維新の抗議文判明 菅直人元首相のヒトラー投稿」という記事によると、『維新幹部は産経新聞の取材に「立民が逃げ回るならば党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」と語った』ということです。
さらに、産経新聞の「<独自>維新の抗議文判明 菅直人元首相のヒトラー投稿」という記事によると、『維新幹部は産経新聞の取材に「立民が逃げ回るならば党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」と語った』ということです。
橋下氏の「ヒトラーへ重ね合わす批判は国際的には御法度」という主張はまったくでたらめです。
国際的にご法度なのは、ヒトラーを賛美したり肯定したりすることです。ヒトラーを批判したり、ヒトラーもどきの政治家を批判したりするのがご法度なわけがありません。
ちなみに2013年に麻生太郎副総理が「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね」と発言しましたが、これはナチスを肯定しているので、まさに国際的にご法度の発言です。
橋下氏がヒトラーに重ね合わせて批判されたとき、「私はヒトラーとはまったく違う。いっしょにするな」と言って反論するのはありです。
ところが、橋下氏は「ヒトラーを重ね合わせた個人批判は一律禁止」だと主張しました。
こんな主張が通ったら、ヒトラーと同じような政治家が出てきたとき、「彼はヒトラーみたいだ」と言って批判するのも禁止されることになります。
橋下氏の主張は、日本でヒトラーのような政治家が登場する地ならしをしているようなものです。
ちなみに2013年に麻生太郎副総理が「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね」と発言しましたが、これはナチスを肯定しているので、まさに国際的にご法度の発言です。
橋下氏がヒトラーに重ね合わせて批判されたとき、「私はヒトラーとはまったく違う。いっしょにするな」と言って反論するのはありです。
ところが、橋下氏は「ヒトラーを重ね合わせた個人批判は一律禁止」だと主張しました。
こんな主張が通ったら、ヒトラーと同じような政治家が出てきたとき、「彼はヒトラーみたいだ」と言って批判するのも禁止されることになります。
橋下氏の主張は、日本でヒトラーのような政治家が登場する地ならしをしているようなものです。
したがって、菅元首相や立憲民主党はきちんと反論し、こんな主張はつぶさなければなりません。
菅元首相は投稿の撤回と謝罪は拒否し、ツイッターで維新批判を繰り広げていますが、ヒトラー問題ではこれという反論はしていないようです。
立憲民主党の泉健太代表はインターネットテレビの番組に出演した際、ヒトラーを持ち出して個人を批判することについて、「警鐘を鳴らすということはあり得る」「一律だめとはならない」と述べましたが、いかにも弱い表現です。
「橋下氏の主張は間違っている。撤回するべきだ」ぐらい言わなければなりません。
「橋下氏の主張は間違っている。撤回するべきだ」ぐらい言わなければなりません。
今回の橋下・維新側と菅・立民側のやり取りを見ていると、圧倒的に橋下・維新側が攻めて、菅・立民側は防戦一方という感じです。
維新のやり方は、ヤクザかヤンキーが大声で相手を恫喝するみたいなもので、立民側は相手の大声にびびって、言うべきことが言えなくなっているようです。
テレビのコメンテーターなども、維新の大声にびびるのか、橋下氏の「ヒトラーを重ね合わせた個人批判は一律禁止」を肯定するようなコメントをしています。
テレビのコメンテーターなども、維新の大声にびびるのか、橋下氏の「ヒトラーを重ね合わせた個人批判は一律禁止」を肯定するようなコメントをしています。
日本の劣化とも見えますが、もともと政治とはこういうものです。
政治は言葉を武器にした戦いです。
インターネットの登場で、その戦い方が変わりました。
掲示板やSNSで短い言葉のやり取りで議論するので、大きな思想や理念を戦わせるのではなく、その場その場で相手を論破するというやり方になりました。
このやり方が巧みだったのがトランプ前大統領です。政敵を罵倒する能力だけでアメリカ大統領にまでのぼり詰めました。
日本では、ネトウヨという言葉があるように、左翼よりも右翼のほうがインターネットでの議論に熱心で、その分議論もたくみです。
維新は喧嘩慣れしたヤンキーみたいです。論理はむちゃくちゃですが、相手を威圧しています。
立憲民主党の人たちの議論の下手さはあきれるばかりです。
しかし、同じリベラルでも、れいわ新選組は議論がひじょうにたくみです。
この違いは、インターネットでの議論に慣れているかどうかの違いでしょう。
最近「論破王」の異名をとるひろゆき(西村博之)氏は、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の創始者ですから、おそらく最初のころから2ちゃんねるに書き込んで議論していたのでしょう。その圧倒的経験で論破王になりました。
私は自分の思想の「道徳観のコペルニクス的転回」を世に問うとき、反対する人もいるだろうから、論争の技術を磨き、誹謗中傷されることにも慣れておこうと思ったのです。
いちばん激しく論争するのは右翼対左翼ですから、右翼対左翼の論争が常時行われていて、あまり大規模でない「板」を選んで、私が左翼に加勢することで論調を転換できるか試してみました。
2004年にイラク日本人人質事件があり、人質たちの「自作自演」だという書き込みがあふれた2ちゃんねるが世の中から注目されました。そのころから数年間、わりと熱心に書き込んでいました。
今回、その「板」をちょっとのぞいてみると、ものすごく劣化していて、まともな議論が行われている雰囲気はありません。昔はもうちょっと人間的なやりとりもありました。今では「2ちゃんねるによく書き込んでいた」などと言うと、恥ずかしいだけかもしれません。
最初は「名無し」で書き込んで議論し、やがて慣れてきて「コテハン(固定ハンドルネーム)」を使って積極的に論戦を挑むようになると、百戦百勝しました。
その中で培った論戦のノウハウを紹介しましょう。
大きなテーマを選ばない
議論に勝ちたいなら、大きなテーマを選んではいけません。これは当たり前のことです。性善説か性悪説かみたいなことはいくら議論しても決着しません。小さなテーマ、狭い分野、具体的なことほど逃げ道がないので、相手を追い詰めることができます。
攻撃する。守る立場にならない。
「攻撃は最大の防御」というのは論戦でも同じです。このことはわかっていても、人はつい自分の主張したいことを主張してしまいます。そうすると、「考えが甘い」とか「こういう場合はどうするのか」と攻撃されて、守りの立場になってしまいます。守りの立場である限り、勝利はありません。「差別はよくない」と言うのではなく、「それはヘイトスピーチだ」とか「人を傷つけて平気なのか」というように攻撃します。
特定の個人を攻撃する
いくら正しいことを主張しても論破したことにはなりません。論破するというのは、特定個人に間違いを認めさせることです。実際には間違いを認める相手はほとんどいなくて、沈黙するだけです。そのとき「あいつは逃亡した」と言って、反論がないことを確かめてから、勝利宣言します。これが実際の論破ということです。
多数から攻撃されて守りの立場になったときも、攻撃してくる人間を見極めて、いちばん勢いのある個人を名指しして(匿名でもIDを指定します)、その個人を攻撃します。
健全な常識からすると個人攻撃はよくないとされますが、間違った考えをする連中の代表を言い負かせば世の中はよくなると考えればいいのです。
論理の矛盾または主張の根拠を追及する
攻撃するときは焦点を絞らないといけません。相手の主張に矛盾があるというのはいちばん攻撃しやすい標的です。それから、相手の主張のソース(情報源)を問い、根拠のない主張であったり、あやしい根拠の主張である場合は、その主張を否定します。
この目標設定が正しければ、論争は必ず勝てます。つまり論争というのは、始まった瞬間に勝敗が決まっているのです。
議論しているうちに、自分の主張したいよけいなことを言ったり、相手に挑発されてよけいなことを言ったりして、議論が目標からそれていくこともしばしばありますが、そのつど最初の目標を思い出して軌道修正します。ボクシングで相手をコーナーに追い詰める感覚です。
相手の言いすぎを追及する
議論していると、相手が言いすぎて、間違った主張をすることがあります。そういうときは、目標を変更して、そちらを追及するのもありです。
自分も言いすぎることがありますが、そういうときはすぐに修正します。そうすれば問題はありません。ところが、たいていの人は言いすぎを正当化しようとしてドツボにはまります。
論争に慣れる
最初のうちは、相手から攻撃されると、冷静さを失って、思考力が働かなくなります。また、相手を強く攻撃すると、想定外のカウンターパンチを食らうのではないかと不安になって、なかなか強く攻撃できません。しかし、論争に慣れれば、冷静に思考できるようになります。勝てそうだと思うときだけ論争を挑めば、百戦百勝できます。
このような議論は、思想の戦いではなく、論理力の戦いです。
正しいほうが勝つのではなく、論理力の強いほうが勝つのです。
裁判所が支払いを命じた賠償金を平気で踏み倒すひろゆき氏が論破王になっているのを見てもわかります。
釈然としない人のためには「正しき者は強くあれ」という言葉を贈っておきます。
このような私の経験から菅元首相と橋下氏の論争を見ると、橋下氏はさすがに論争の仕掛けがうまいなと思います。
発端となった菅氏のツイートを見ると、橋下氏のことも維新のこともまったく批判していません。それでいて「ヒットラー」という言葉が出てきます。論理が矛盾しているといえます。橋下氏はそこを突きました。
菅氏としては、このツイートを正当化するのは容易ではありません。「橋下氏はヒトラーのようだから言ったのだ」と主張しようとしても、橋下氏の過去の言動にヒトラー的なものはそれほどありませんし、現在は政治家でもありません。維新の会には優生思想的な発言をする議員や候補者が何人もいましたから「維新の会はナチス的だ」という主張はできなくもありませんが、維新の会と橋下氏は別です。
ですから、「弁舌の巧みさがヒトラーを思い起こすと言っただけで、それ以上の意味はない」と弁解するか、「ヒトラーという言葉を使ったのは適切ではなかった」と謝るぐらいでしょう。
不利な状況では戦わないこともたいせつです。
ところが、橋下氏は「ヒトラーを重ね合わせた個人批判は一律禁止」だと主張しました。調子に乗って言いすぎたのです。
ここは反転攻勢に出て、「じゃあヒトラーみたいな政治家が出てきても、『彼はヒトラーみたいだ』と言って批判してはいけないのか」と言って、発言撤回に追い込みたいところです。
また、テレビコメンテーターとして活躍する橋下氏は日本維新の会とは無関係ということになっています(大阪維新の会の法律顧問という肩書はありますが)。
ところが、橋下氏が侮辱されたとして日本維新の会は立憲民主党に抗議文を提出しました。
橋下氏が「政党間のバトルは私人として関知しないので好きなようにやってくれたらいいが、俺を巻き込まんでくれ」とツイートすると、日本維新の会の足立康史議員は「私の衆院予算委で使ったパネルでは、意識して橋下氏の名前を消しましたが、抗議文では消し忘れました。失礼しました。橋下氏はマスコミ人。有権者が維新と重ね合わせて見ないよう、私たちも改めて注意しなければなりません」とツイートしました。
抗議文の提出者は馬場伸幸共同代表となっていますが、文章を書いたのは足立康史議員だったようです。
「抗議文では名前を消し忘れた」とはひどい話です。立憲民主党は「書き直して再提出してください」と要求するべきです。
しかし、書き直すことができるでしょうか。抗議の出発点は橋下氏がヒトラーにたとえられたということにあるからです。
ちなみに抗議文の全文はこうなっています。
令和4年1月26日立憲民主党代表 泉 健太 様日本維新の会共同代表 馬場 伸幸抗議文さる1月21日、貴党の菅直人最高顧問が自身のツイッターに、わが党に関して、創設者の橋下徹元大阪府知事の名を挙げ「弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的」「主張は別として弁舌の巧みさでは第1次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」などと投稿した。世界を第二次世界大戦に巻き込み、ユダヤ人虐殺など非道の限りを尽くしたナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーを、民間人の橋下氏および公党たる日本維新の会を重ね合わせた発言であり、看過できない。いったい、どのような人権感覚を持っているのか。怒りを覚えるとともに、断固抗議する。菅氏の投稿は、言うまでもなく、まったく事実に基づかない妄言であり、誹謗中傷を超えた侮辱と断じざるを得ない。国会議員としてはもとより、人として到底許されるものではない。ましてや菅氏は民主党政権下で内閣総理大臣を務め、なおも野党第一党の重責を担う大幹部である。その発言の重大性を真摯に受け止めるべきであり、これを放置するのであれば貴党の責任も問われると考える。貴党ならびに菅氏に対し、今月末日までに当該投稿(発言)を撤回し、謝罪するよう強く求める。以上https://torachannel.work/archives/13149341.html
「維新の会と橋下氏は無関係」としながら、「橋下氏が侮辱されたので維新の会が抗議する」というのは明らかに矛盾ですから、ここはいくらでも追及できます。
「この抗議文を出すことを橋下氏は了解しているのか」とか「この抗議文に対する回答は橋下氏に知らせるのか」と具体的に質問するのがコツです。
「人権」という言葉も出てきます。「誰の人権ですか」と聞きたいところです。「橋下氏の人権です」と答えるはずです。「維新の会のメンバーの人権です」などとごまかせば、「具体的に誰ですか」とさらに質問します。
「発言を撤回しろ」という要求もあります。
もしかすると菅氏の発言は橋下氏への名誉棄損になるかもしれませんが、それは橋下氏が対処するべき問題で、維新が口出しすることではありません。
「この抗議文は、理由なく発言を撤回するよう求めている。これは言論の自由の否定だ」と言って、抗議文の撤回と謝罪を要求することができます。
維新の会が要求に応じなくても、ネチネチと追及すれば自然と優位に立てます。