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広島、長崎の被爆者の体験談を読むと、瀕死の重傷者から「水を飲ませてくれ」と訴えられたが、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」と言われていたので飲ませなかったという話がよく出てきます。
同様の話は各地の空襲被災者や戦場での兵士の体験談にもあります(ただ、被爆者の体験談にひじょうに多いので、火傷と喉の渇きは関連しているのかもしれません)。

しかし、そうした体験をした人はたいてい、死ぬ間際の人の最後の訴えを聞き入れなかったことをずっと悔やみ続けています。


私はこうした話を読んだり聞いたりするたびに、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」というのを疑問に思ってきました。
というのは、進化論的にありえないと思うからです。

もしけがをした動物が水を飲むと死ぬ確率が高くなるなら、「けがしたときに水を欲する性質」を持った個体は死ぬ確率が高く、その性質は淘汰されて消えていきます。
「けがしたときに水を欲する性質」が広く人類に存在するなら、それは生存に有利な性質だからと推測できます。

たとえば、火傷した人は体温が高くなっているので、水を飲むのは体を冷やすことにもなります。
出血している人は、水を飲んで血液を薄めることで、流出する血液成分を少なくすることができます。
あるいは、出血で体の体積が急に縮小して体のバランスが崩れるので、水を飲むことでバランスを回復するということもあるかもしれません。

水を飲むマイナスも考えられます。
たとえば、胃腸が傷を負っているとき、水を飲むと胃腸が反応して動くので傷が拡大するということはありそうです。
しかし、考えられるマイナスはそれぐらいではないでしょうか。

生死の瀬戸際で強い生理的欲求が起こったら、それは生存に必要なことに違いなく、その欲求を満たすと死んでしまうというのはとうていありえないことに思えます。


私の考えに医学的根拠はありませんが、「重傷者に水を飲ませると死ぬ」ということにもまったく医学的根拠はありません。
俗説というべきものです。
よくコントで、冬山で遭難したときに「眠るんじゃない。眠ると死ぬぞ」と言うのがありますが、それと同じです。


そうしたところ「KESARI/ケサリ 21人の勇者たち」というインド映画を観ていたら、戦場の負傷者がみな水を欲するということが出てきたのですが、そのとらえ方が日本とまったく違っていたので驚きました。




1897年、インド北部のサラガリ砦で21人のシク教徒の守備兵が1万人のアフガニスタンの部族の軍勢と戦ったという史実に基づく映画で、インドでは大ヒットしたそうです。
ジャンプしながら銃を撃つ過剰なアクションや、一か所だけですが歌と踊りのシーンもあり、お決まりの英雄的な戦いを描いていますが、インド映画らしい勢いがあって、154分が苦にならずに観られました。


砦にパシュトゥン人の料理係がいて、砦が包囲されていざ戦いになるというとき、彼は自分も銃を持って戦いたいと指揮官に申し出ます。
すると指揮官は、お前は銃を持つのではなく敵兵も含めて負傷兵に水を飲ませる役目をしろと言います。
「救助ではなく敵を倒したい」と料理係が言うと、指揮官は「倒れた兵は喉の乾いた人間だ。アナンドプル・サーヒブの戦いでムガルの負傷兵にシクの偉人は水をやった」と言います。「敵に塩を贈る」みたいな話がインドにもあったようです。
そして、「水を飲ませれば敵意が消える」と言うのですが、実際に倒れた敵兵に水を飲ませたとき、敵意が消えたか否かは物語のひとつのポイントです。
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インドでも戦場で倒れた兵は水をほしがるという認識があるようですし、アフガニスタンでも同じ認識がありそうです。
そして、倒れた兵に水を与えることは救助活動と認識されています。

ここは日本とまったく違います。
どう考えても、インドのほうがまともで、日本のほうが異常です。


どうして日本で「重傷者に水を飲ませると死ぬので飲ませてはいけない」という認識が生まれたかというと、おそらく日本軍がその認識を広めたからでしょう。

昔、学校の運動部では「練習中は水を飲んではいけない」というルールがあり、炎天下で水を飲まずに何時間も練習するという無茶が行われていましたが、こうした習慣は、日本軍で少ない補給に耐えるために水飲みを制限する訓練が行われていて、それが学校運動部にも広がってできたのです。

日本軍では喉の渇きをがまんするというのが常態化していたので、負傷者が水をほしがってもがまんさせることにあまり抵抗はなかったでしょう。
さらに、助からない人間に水を飲ませるのはむだなので飲ませるなということにもなったでしょう。
その際、「水を飲ませると死ぬから飲ませるな」という理由づけが行われたということはじゅうぶんに考えられます。
そして、そうした日本軍の考え方が一般社会にも伝わって、原爆投下のとき瀕死の人の訴えを無視するということが行われたのではないでしょうか。

「重傷者に水を飲ませると死ぬ」という医学的根拠のまったくないことが広く信じられた理由としては、こうしたこと以外には考えられません。


救急救命法について調べても、「水を飲ますな」ということは出てきません。
戦時中に信じられていた「重傷者に水を飲ませると死ぬ」というのは、日本軍から広まったデマや迷信のたぐいだと断定してもよさそうです。