村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:沖縄県

5月15日は沖縄返還40周年で、記念式典などが行われました。時のたつのは早いものです。70年前後には私もデモに参加したりしていましたが、当時のデモではベトナム反戦とともに沖縄返還(当時の言葉では「沖縄奪還」)を叫びました。日本政府も表向きは「核抜き・本土並み返還」を目指していましたが、実際は核持ち込みを認める密約が行われていたわけですし、「本土並み」は今にいたるも実現していません。
 
普天間問題を初めとする基地問題がいまだに解決しないのは、やはり根底に沖縄に対する差別があるからだと思います。この差別意識は一般国民にもありますが、官僚とマスコミにとりわけ濃厚にあります。高学歴エリートというのはもっとも差別意識の強い人たちだと考えておいて間違いはありません。
 
私がマスコミの沖縄差別に気づいたきっかけは、1995年のいわゆる沖縄米兵少女暴行事件です。この事件のあと、沖縄では総決起大会などが行われるなど大騒ぎになっていくのですが、東京に住んでいる私にはなにが起こっているのかさっぱりわかりません。どうやら少女暴行事件がきっかけらしいのですが、どんな事件なのかまったく報道されていないのです。いわば事件の周辺だけが報道されている格好です。
私は新聞やテレビのニュースにはかなり目を通しているほうですから、私が見落としていたということはあまり考えられませんが、念のためにと思い、図書館に行って新聞の縮刷版を見てきました。
私は朝日新聞を購読していたので、図書館では読売新聞の縮刷版を見ました。
事件が起こったのは1995年9月4日ですから、その日から見ていきました。やはり事件そのものの記事はまったくありませんでした。初めて事件に関連する記事が出たのは9月15日朝刊です。それも本文は14行の短い記事です。書き写しておきます。
 
日米地位協定の見直し申し入れ
女児暴行事件で沖縄県
沖縄県で今月四日、米兵三人が小学生女児を暴行する事件が起き、沖縄県は十四日までに外務省に米国側への抗議を要請するとともに、捜査の壁となっている日米地位協定の見直しを申し入れた。駐日米大使館にも抗議の意思を明らかにした。県内の市町村議会では抗議決議が相次ぎ、抗議の県民総決起大会も開かれる予定で、在沖縄米軍への県民の反発が高まっている。
 
これは事件を伝える記事というよりも、沖縄県が外務省や米大使館に抗議したという記事ですから、この記事を読んだ人も事件のことはほとんど印象に残らないでしょう。
 
9月19日夕刊に「地位協定見直しせず」という見出しのやや大きな記事が出ます。これは政府の意向を伝える記事ですが、沖縄の動きについても書かれています。ただ、事件に関しては「米兵による沖縄県の少女暴行事件」という言葉があるだけです。
 
20日朝刊に第3面ほぼ全面を使った記事が出ます。もっとも地位協定見直しを中心とした記事ですが、その背景説明としてやっと事件のことがひと通り書かれます。
このあたりから連日、事件に関連する記事が出るようになり、22日夕刊1面にはクリントン大統領が「遺憾の意を表明した」という記事が出て大騒ぎになっていくのですが、本土の人は結局、発端となった暴行事件とその捜査の進展をリアルタイムの報道で知ることはなかったわけで、この情報格差は大きかったと思います。
 
事件についてはウィキペディアの「沖縄米兵少女暴行事件」の項目から引用しておきます。
 
1995年(平成7年)94日午後8時ごろ、沖縄のキャンプ・ハンセンに駐留するアメリカ海軍軍人でいずれも黒人のA(22)、アメリカ海兵隊員B(21)C (20)3名が基地内で借りたレンタカーで、沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた12歳の女子小学生を拉致した。小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた。その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した。
沖縄県警察は、数々の証拠から海兵隊員の事件への関与は明らかであるとして、同年97日に逮捕状の発付を請求した。しかし、日米地位協定によれば、被疑者がアメリカ兵の場合、その身柄がアメリカ側の手中にあるとき、起訴されるまでは、アメリカが被疑者の拘禁を引き続き行うこととされていた[1]。したがって、たとえ逮捕状が発付されても、日本側捜査当局は起訴前には逮捕状を執行できず、被疑者の身柄を拘束して取調べるという実効的な捜査手段を採ることもできなかった。
 
このような米兵の特権的な取り扱いによって、事件の捜査に支障を来していたことから、沖縄県民の間でくすぶっていた反基地感情が遂に爆発し、沖縄県議会、沖縄市議会、宜野湾市議会をはじめ、沖縄県内の自治体において、アメリカ軍への抗議決議が相次いで採択された。同年1021日には、宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、大田昌秀沖縄県知事をはじめとする約85千人(主催者発表)もの県民が参加した。これらの動きは、沖縄に集中する米軍基地の整理・縮小や、日米地位協定の見直しを求める訴えが高まるきっかけとなり、沖縄県知事も政府に対して強くその実行を迫った。
 
米兵3人が12歳の女子小学生を拉致し、暴行し、負傷させたという事件は、常識的な判断としてはかなりの大事件であり、ニュースバリューも高いと思われますが、読売新聞はまったく報道しなかったわけです(私の記憶では朝日新聞もテレビも。つまり本土のほぼすべてのマスコミが)
新聞業界には「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる」という言葉があります。米兵が少女を暴行するのは犬が人をかむようなものだと認識されていたということでしょう。
しかし、これが沖縄県でなく、たとえば鹿児島県とか北海道で起きたとしたらどうでしょうか。まったく報道しないということがあるでしょうか。
つまりマスコミにおいては、「米兵に沖縄の少女が暴行された」というのと「米兵に日本人少女が暴行された」というのとは同じではないのです。
私はそのことに気づいてから、本土マスコミの沖縄報道についてはつねに不信感を持って見るようにしています。
 
 
たとえば、40周年の日に鳩山由紀夫元首相が沖縄を訪れ、講演したということが記事になっています。
 
鳩山元首相:また「最低でも県外」講演で普天間移設に触れ
毎日新聞 20120515日 2343分(最終更新 0516日 0008分)
 鳩山由紀夫元首相は15日、沖縄県宜野湾市のホテルで講演し、米軍普天間飛行場(同市)の移設問題に関し「『最低でも県外』という気持ちを果たさなければ沖縄の皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」と語った。鳩山氏は政権交代前の沖縄訪問で、「最低でも県外」と表明。首相就任後は県外移設で迷走したあげく、10年5月に移設先を同県名護市辺野古沖とする日米合意を決めた。にもかかわらず、再び沖縄で首相当時の決定を否定して、「最低でも県外」に逆戻りした。
 鳩山氏は記念式典出席のため、首相退任以来初めて訪沖。地元企業が参加する勉強会に招かれた。鳩山氏は「自分の思いが先に立ちすぎ、綿密なスケジュールを立てられなかった。結果として皆さんにご迷惑をかけ、心からおわびしたい」、「官僚、国会議員を説得できなかった不明を恥じる」と陳謝を繰り返した。
 普天間問題の決着を自ら「10年5月末」と区切ったことに関し、「予算の審議でまったく身動きできずに4月を迎え、4月、5月の2カ月ですべて進めるのは考えてみれば無理筋だった」と反省。
 鳩山氏は、日米合意について、首相として決定した当時は「(県外移設を掲げたのは)勉強不足だった」と「反省」していた。しかし、この日の講演では「辺野古に戻ってしまうような案を、私自身が作ろうとは思っていなかった」と述べ、事実上否定してみせた。【木下訓明】
 
この見出しの『また「最低でも県外」』という言葉には、明らかに批判的なニュアンスが感じられます。実際、鳩山元首相は首相当時、最終的には「県外」を否定して辺野古移設という日米合意を肯定したのですから、まさにブレまくっているわけです。
 
普天間基地問題で鳩山元首相を批判するのにはふたつの立場があります。ひとつは、鳩山元首相が日米合意とは違う「国外県外」を目指したことを批判する立場です。もうひとつは、「国外県外」を目指したのはよいがそれを実行する力がなかったことを批判する立場です。このふたつの立場は百八十度違います(もうひとつ、実行力がないのに願望を口にして混乱を招いたことを批判する立場もあり、多くのマスコミもそうですが、この立場の人は自分の意見を隠しています)
鳩山元首相が目指した「国外県外」は沖縄県民の多数意思と同じです。現に40周年記念式典における式辞で仲井真弘多沖縄県知事は「米軍普天間飛行場の県外移設、早期返還を県民は強く希望している」と言っています。
 
「最低でも県外」と発言した鳩山元首相を批判するマスコミは、実は沖縄県民を批判しているのと同じです。
マスコミは「日米合意」を墨守する外務・防衛官僚の側に立っていて、沖縄県民の側に立っていません。
マスコミや官僚に沖縄差別の意識がある限り、沖縄の基地問題はなかなか解決できないと思います。

沖縄防衛局の田中聡局長が「これから犯す前に犯しますよと言いますか」などと発言したことで更迭されました。女性と沖縄の両方への差別的な発言と見なされたのです。
田中聡局長はこういう経歴の人だそうです。
「田中氏は大阪大卒。1984年に旧防衛施設庁に入り、防衛省の広報課長や地方協力企画課長を経て、8月15日付で沖縄防衛局長に就いた。(共同)」
  
一般には、教養のない人が差別主義に陥りがちで、高学歴者は差別主義的でないと思われているかもしれませんが、私は逆に、高学歴者こそが差別主義的だと考えています。高級官僚というのは、高学歴の上に社会的地位の高い職業なので、それに輪をかけて差別主義的です(あくまで一般論ですが)。田中局長はそのいい例でしょう。
 
警察官僚というのも犯罪者に対して差別的で、そのために犯罪対策がうまくいきません。というか、犯罪対策そのものが犯罪者差別となっているのです。
「犯罪者差別」という言葉はもしかして私の造語かもしれませんが、「犯罪者差別」という言葉を使うと現実が見えてきます。今の警察司法は犯罪者を救済するという観点がないからだめなのです。
 
沖縄の基地問題の解決はなかなかうまくいきません。それはこの問題を実質的に担当している外務官僚と防衛官僚が沖縄に差別的であるからでしょう。
また、マスコミの記者も高学歴者ですから、沖縄への差別意識が抜けないのではないかと思われます。
たとえば、田中局長の発言ですが、もともとは居酒屋でのオフレコ発言です。琉球新報がそれを報じたことで問題になりました。琉球新報は、これはオフレコにはしておけないと判断したのでしょう。本土のマスコミはそうした判断はできなかったのです。
 
本土のマスコミがいかに沖縄に差別的であるか、私は1995年の沖縄米兵少女暴行事件のときに思い知りました。
沖縄米兵少女暴行事件というのは、3人の米兵が12歳の女子小学生を集団強姦した事件で、沖縄では大規模な県民総決起集会が行われるなど、大騒ぎになりました。ところが、東京にいる私は沖縄で起こっている騒ぎがなにごとかまったくわからないのです。もとの少女暴行事件が本土では、まったく報じられないか、ごく小さな記事でしか報じられなかったためです。
少女の集団暴行事件を報道するのに沖縄とか本土とかの区別はないはずですが、本土のマスコミはそうではなかったのです。
 
今でも本土のマスコミは沖縄への差別的態度を改めようとしません。
たとえば「沖縄県民の反対する辺野古移設」という表現が常套句のようによく出てきます。しかし、辺野古移設に反対しているのは沖縄県民だけではありません。沖縄県民以外にも反対している人はいっぱいいます。それに、沖縄県民も日本国民なのですから、「沖縄県民の反対する辺野古移設」という表現は明らかに間違っていて、「(多くの)日本国民の反対する辺野古移設」と表現するべきでしょう。
ちなみに辺野古移設を強行しようとすると、かつての成田空港建設反対闘争のような事態になるのではないかといわれていますが、成田空港建設反対闘争は全国的規模で行われて、「千葉県民の反対する成田空港建設」などという表現のあるはずはありませんでした。
 
また、「沖縄県民の怒り」という表現もマスコミの得意とするところですが、沖縄県民以外が怒っていないということはないのですから、これも「日本国民の怒り」と表現するべきではないでしょうか。
 
官僚もマスコミも差別主義に冒されているため、日本国民の基地負担軽減がなかなか実現されません。

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