村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:法の支配

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アメリカ・テキサス州の小学校で5月26日、銃乱射事件が起き、21人が死亡し、犯人の18歳の少年は射殺されました。

アメリカでは銃乱射事件が起きるたびに銃規制をするべきだという議論が起きますが、結局うまくいきません。
銃規制反対派の力が強いからです。

銃規制に反対する論理のひとつは、「身を守るために銃は必要だ」というものです。
しかし、護身用なら小さな拳銃で十分です。アメリカでは突撃銃のような殺傷力の強い銃が容易に手に入ります。

「銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ」という論理もあります。
しかし、銃がなければ、つまりナイフなどではそれほど人を殺せません。銃規制をすれば殺される人の数がへるのは明らかです。

銃規制のないアメリカと銃規制のある国々を比べてみれば、銃規制のある国のほうが銃による死者数が少ないのは明らかです。

もっとも、そういう数字とは関係ない論理もあります。
5月27日、全米ライフル協会の総会がテキサス州で開かれ、トランプ前大統領が出席して、「銃を持った悪人を止める唯一の方法は銃を持った善人である」と語りました。
この論理は前から言われているものです。
これは善悪の問題ですから、銃による死者数では説得できません。「悪人をはびこらせていいのか」という反論があるからです。

このような善悪や正義の問題になると誰もが思考停止に陥ってしまいます。
しかし、私は進化倫理学ないし科学的倫理学を標榜しているので、その立場から説明することができます。


まずひとつ言えるのは、「銃を持った善人」は必ずしも「銃を持った悪人」を止めることはできないということです。
人間と人間が戦えば、善悪は関係なく強いほうが勝ちます。
ハリウッド映画では最後には悪人が必ず負けますが、それは映画だからそうなるので、現実は違います。
ということは、「銃を持った悪人」を止めるには、その悪人より強力な銃を持った人間が必要だということです。

ですから、銃規制反対派は強力な銃を容認するのです。


つまりトランプ前大統領の言う「銃を持った悪人を止める唯一の方法は銃を持った善人である」というのは、実は力の論理にほかなりません。

この力の論理はアメリカの歴史を貫いてきました。
独立戦争、先住民との戦い、黒人奴隷の支配のために、白人は銃を手離せませんでした。
銃規制反対派はアメリカの歴史を背負っているので、それだけ強力です。


このような銃規制反対派の力の論理はアメリカ全体をおおって、アメリカの外交安保政策も力の論理になっています。
「正義のアメリカが悪の国を止める」というのが基本なので、アメリカはどこよりも強力な軍事力を持っています。
アメリカも名目は「安全保障」と言っていますが、安全保障なら自国を守るだけの(護身用の銃みたいな)軍事力でいいはずなのに、実際は安全保障を超えた(突撃銃のような)軍事力を持って、世界中に展開できる体制になっています。

日本もアメリカの論理に巻き込まれて、防衛力と言いながら他国を攻撃する能力を持とうとしています。


たいていの人間は、自分を悪人ではなく善人だと思っています。
この観点から「銃を持った悪人を止める唯一の方法は銃を持った善人である」という論理を批判することもできます。
ヘイトクライムで銃を乱射する犯人は、自分は悪人を止める善人だと思っているに違いありません。

善悪や正義を持ち出すと、客観的な基準がないので、結局力の論理になってしまいます。
人類は長年の経験からそのことを理解して、「法の支配」をつくりだしました。
法は明文化されているので、客観的な基準になります。「法の支配」によって人間社会は安定しました。

アメリカはもちろん「法の支配」の国ですから、トランプ前大統領は「銃を持った悪人を止める唯一の方法は銃を持った警官である」と言えばよかったのです。
警官なら訓練されて数も多いので、銃を持った悪人を確実に止められます。
「銃を持った善人」はなにをするかわかりません。
アメリカは「銃を持った善人」が野放しになっているのです。


アメリカの銃規制反対派が「法の支配」に目覚め、警察に治安をゆだねれば、アメリカの治安は大いに改善されます。
そして、アメリカの外交安保政策も変わるでしょう。
アメリカが世界に「法の支配」を行き渡らせれば、世界は大いに平和になります。

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米軍によるソレイマニ司令官殺害は、どう見ても無法行為です。
アメリカはソレイマニ司令官をテロリストに指定していましたが、勝手に指定して、勝手に殺しただけです。
イラン国会はこの事件を受けて、すべての米軍をテロリストに指定する法案を可決しました。
無法の世界がどんどん拡大しています。

無法の世界といえば、西部劇がそうです。
私の世代は西部劇を見て育ったようなものです。子どものころ、映画はもちろんテレビでもアメリカ製の西部劇のドラマをいっぱいやっていました。

西部劇では、保安官は登場しても重要な役割は果たさず、主人公は自分の力で悪漢(あるいはインディアン)を倒さなければなりません。
法より力――というのが西部劇の基本原理です。

現在のアメリカは法の支配が行われていますが、銃を所持する権利も絶対視されています。法の支配は表面的なもので、一皮めくれば「法より力」の原理が現れます。

トランプ政権は2017年12月、安全保障政策のもっとも基本となる「国家安全保障戦略」を発表しましたが、その「四本柱」は次のようなものです。

I. 国土と国民、米国の生活様式を守る 
II. 米国の繁栄を促進する 
III. 力による平和を維持する 
IV. 米国の影響力を向上する
https://jp.usembassy.gov/ja/national-security-strategy-factsheet-ja/

「法の支配」も「世界」もありません。「アメリカ・ファースト」があるだけです。
「力による平和」は、銃で自分の身を守るという西部劇の原理です。

今のアメリカは法の支配が行き渡り、腰に銃をぶら下げていなくても警察が守ってくれますが、アメリカ人にとってフロンティアは世界に拡大し、アメリカ国外が西部劇の世界になりました。
世界に法の支配を広げるのではなく無法状態を広げるのがアメリカのやり方です。無法の世界では力のある者が得をするからです。

よくアメリカのことを「世界の警察官」にたとえますが、警察官なら法に従います。
今のアメリカをたとえるなら「自警団のボス」か「ギャングのボス」というべきです。

しかし、長い目で見れば今の無法の国際社会は過渡期で、いずれ法の支配が行き渡るに違いありません。

今の日本は「自警団のボス」に従っていますが、いつまでもこの状況は続きませんから、自分の手を汚さないようにしないといけません。


アメリカはソレイマニ司令官を殺害し、イランは米軍基地に弾道ミサイルで報復攻撃をしましたが、今のところアメリカもイランも抑制された対応をしているようです。
これはなぜかというと、「法の支配」はなくても「経済の支配」があるからです。
ソレイマニ司令官殺害の瞬間に株価は下がり、原油価格は上がりました。本格的な戦争になれば双方に大きな経済的損失が生じるのは目に見えています。

平和は「法の支配」でなく「経済の支配」でも達成できるのかもしれません。

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