水木しげるさんが亡くなりました。93歳でした。
私はつい1か月半ほど前に、このブログで水木さんについての記事を書いたので、感慨もひとしおです。
目玉おやじのように子どもを見守るだけの父親がいいのだという主旨の記事です。
「目玉おやじと背中おやじ」
水木さんの子どもを尊重する姿勢が、子どもに好かれるマンガを生み出すもとにあったのでしょう。
水木さんがどのようにして独自のものの見方を育んだかについて毎日新聞がこんなことを書いています。
妖怪への関心を育んだのは、幼い頃家に手伝いに来ていたおばあさん「のんのんばあ」に聞かされた話。いろいろな出来事が「妖怪の仕業だよ」と語られる話を聞いて、山や森、川にただよう不思議な雰囲気に強い興味を抱いた。成長と共に忘れた妖怪をよみがえらせたのは戦争体験だ。
戦時中は陸軍2等兵としてニューギニアのラバウルに。上官には「態度が悪い」と殴られるなどつらい軍隊体験だったが、現地の人々とつき合い、禁止されても村に通い続けて自然と一体化した彼らの習俗に魅了されていった。爆撃で左腕を失い、死と隣り合わせにひそんだジャングルで幼い頃の記憶が次々浮かぶ。後に「妖怪が見えた」と述懐した。
ニューギニアの人たちというのは未開人です。当時は“野蛮人”という扱いでした。
そんなときに未開人に魅了されたというのが水木さんの素晴らしいところです。
未開が評価されるようになったのは、戦後、文化人類学が発達して、レヴィ・ストロースの「野生の思考」などの著作が読まれるようになってからです。
おとなと子どもの関係は、文明人と未開人の関係と同じです。水木さんはここでも子どものほうに魅了されたのでしょう。
妖怪というのも、文明よりは未開に属するものです。
未開、子ども、妖怪というのが水木さんの中ではひとつにつながっていました。
一方、水木さんの中では文明と戦争が結びついていました。暴力的な軍隊も文明のものです。
戦争や暴力への反発がマンガで妖怪や子どもを描くことの力になっていたのでしょう。
今の対テロ戦争を見ていると、文明がいかに戦争と暴力と結びついているかがよくわかります。
アメリカ人やフランス人などの文明人の傲慢がテロを生んでいるということも強く感じます。
水木さんから学ぶことがいっぱいあります。