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「あいちトリエンナーレ2019」が10月14日に閉幕しました。入場者数は65万人以上で、あいちトリエンナーレ史上最高だったということです。
一時は「表現の不自由展・その後」が展示中止になり、どうなることかと思われましたが、津田大介芸術監督は、「一度マイナスになったが、プラスマイナスゼロをめざし、プラスで終われた」と語りました。

私が今回のことで思ったのは、ノイジーマイノリティに世の中を動かされることの危険性です。
昭和初期、日本が軍国主義に走ったのは、軍部や右翼のテロが頻発し、反戦や反軍部の言論が抑え込まれたからです。
今回は、ネトウヨなどの電凸攻撃が一時的に思想表現を抑え込んでしまいました。
これがかつてのテロのように世論を支配することになるとたいへんです。

しかし、展示中止の間に冷静な議論が行われ、流れが変わったと思います。
少女像を「反日だ」とするのは一方的な決めつけですし、かりにそれが正しいとしても、展示中止を求めるのは「表現の自由」の否定であることは明らかです。
また、「こんなものはアートではない」という声も、アートか否かを決める資格もないのに言っているだけだということがわってきました。

あと、「公金を使っての反日は許されない」という声もありましたが、公金を出す人間が自分の思想で公金を左右してはいけません。それは「公金の私物化」です。

その「公金の私物化」をしたのが宮田亮平文化庁長官です。宮田長官が「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付を決めました。
不交付の理由は、「補助金を申請した愛知県が、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することがなかった」「審査段階においても、文化庁から問い合わせを受けるまでそれらの事実を申告しなかった」ことです。
ほんとうは思想的な理由で不交付にしたのに、手続き上の理由にするという姑息な手を使いました。

宮田長官は官僚出身ではなく、もともと金属工芸の芸術家で、東京芸術大学学長も務めていました。
安倍首相や荻生田文科相の意を汲んでの決定かと思われますが、どんな理由にせよ決定した責任は重大です。
「あいちトリエンナーレ」の津田芸術監督は、ずいぶんひどい個人攻撃をされました。
宮田長官がほとんど批判されていないのは、いわゆるリベラルの甘いところです。


そして、「表現の不自由展・その後」展示に反対する理由として最後に残ったのが、「天皇の写真を燃やすのはけしからん」というものでした。
その急先鋒が竹田恒泰氏です。

「表現の不自由展」は税金を使った“日本ヘイト” 「昭和天皇の写真が焼かれる動画に国民は傷付いた」竹田恒泰氏が緊急寄稿
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」でいったん中止になった企画展「表現の不自由展・その後」が、6日にも再公開される。最大の焦点は、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏みつけるような映像作品などに、税金を投入して公の場で公開することだ。明治天皇の玄孫(やしゃご)で、作家の竹田恒泰(つねやす)氏が、緊急寄稿した。
 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が再開されることになった。
 日本はいつから「ヘイト」を芸術と称して、許容する国になってしまったのか。「狂気の沙汰」という他ない。
 同展をめぐっては、慰安婦像(=慰安婦とされる少女像)に関する批判が目立ったが、私は昭和天皇のご真影(=お写真)が焼かれて、踏み付けられる動画の展示を問題視している。
 まず、昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか、察するに余りある。
 皇族に限らず、誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない。多くの国民がこの動画で深く傷付いた。
 まして、昭和天皇は、日本国憲法で「日本国」「日本国民統合」の象徴と規定される天皇であらせられた。天皇への侮辱は国家への侮辱であり、国旗を焼くパフォーマンスと同じ要素を持つ。
 従って、この動画は「日本ヘイト」以外の何物でもない。
 あまつさえ、この動画は民間施設ではなく、公共の施設で展示されたのである。税金の使い方として「不適切」だと指摘されて、当然である。
 企画展は「表現の自由」(憲法第21条)について一石を投じる意図があったようだが、ならばなぜ、「反日」の偏った思想から作られた表現ばかりを展示したのか。
 行き過ぎた保守思想の表現も併せて展示すれば、問題提起にもなり得た。
 「表現の不自由」とは単なる看板に過ぎず、実体はただの「反日展」に成り下がっている。これでは、「表現の自由」を振りかざし、税金を使って「日本ヘイト」をしたに等しい。
 また、愛知県の大村秀章知事が「表現の自由は何よりも保障されるべきだ」と発言したことも問題だ。
 では、大村知事に聞きたい。「ヘイト」も保障されるべきなのか?
 憲法が明記するように、「自由」とて「公共の福祉」に反せば制限を受ける(憲法第12条)。知事はそれもご存じではないのか?
 トリエンナーレの芸術監督の津田大介氏は関係者に謝罪したが、この動画で傷付いた人に対する謝罪の言葉は、私には聞こえてこない。
 津田氏は被害者のような振る舞いをしているが、加害者であることも指摘しておきたい。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191005/dom1910050004-n2.html

「昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか」と書いていますが、たぶんごらんになっていないはずです。
展覧会というのは、見にいきたい人だけが行くものだからです。
「誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない」と言いますが、傷付きそうな人は見にいかなければいいだけの話です。

かりに上皇陛下や天皇陛下がごらんになったとしても、どんな感想を持たれるかは誰にもわかりません。
ところが、竹田氏は「深く傷付くに違いない」と一方的に決めつけています。これはたいへん失礼な行為です。
そして、その決めつけた「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を自分の政治的主張に利用しています。

私の個人的な考えを言えば、上皇陛下や天皇陛下が展覧会の中止を望まれるようなことはなく、むしろ竹田氏が「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を利用して展覧会中止を主張していることを不愉快に思っておられるに違いありません。

竹田氏は自分を天皇陛下の親戚だと言いますが、あくまで一般人であり、皇族ではありません。
一般人が自分の政治的主張のために皇族の名前を勝手に利用することが許されるでしょうか。


それから、竹田氏は「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使っていますが、これは単に「憎悪」という意味なのか、「ヘイトスピーチ」の「ヘイト」の意味なのか、まぎらわしくなっています。

ウィキペディアは「ヘイトスピーチ」をこう定義しています。

ヘイトスピーチ(英: hate speech、憎悪表現)は、人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。

自分の憎悪を表現するだけでは「ヘイトスピーチ」になりません。
相手の「自分から主体的に変えることが困難な事柄」を理由に攻撃することが「ヘイトスピーチ」です。
自分の側の「憎悪」ではなく、相手の側の「属性」によってヘイトスピーチか否かが決定されます。
たとえば「あいつは嘘つきだ」と言って罵詈雑言を浴びせ、盛大に憎悪を表現しても、それは「ヘイトスピーチ」にはなりません。しかし、「韓国人は嘘つきだ」と言って攻撃すれば、それは「ヘイトスピーチ」です。

竹田氏はYouTubeの自分のチャンネルがヘイトスピーチを理由に閉鎖されたことがあるので、ヘイトスピーチの定義には詳しいはずです。
「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使って、「ヘイトスピーチ」とまぎらわしくさせるのは、言論人のすることではありません。


自分の政治的主張に天皇制を利用するのは、戦前の右翼や軍部がやってきたことです。
竹田氏のこの記事は、もとは産経新聞のサイトに載り、さらにヤフーニュースにも載ったものです。
こういう記事を配信するほうの見識も問われます。

10月22日は新天皇の「即位礼正殿の儀の行われる日」で、改めて天皇制が注目されるでしょうが、竹田氏のように天皇制を政治的に利用する動きがあれば、徹底糾弾しなければなりません。