村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:精神主義

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安倍晋三インスタグラムより

安倍晋三前首相は発売中の月刊誌「Hanada」で、東京五輪について「反日的な人たちが今回の開催に強く反対している」と述べて、物議をかもしています。

安倍前首相は、なんでも物事を反対に言う天才です。
IOCの会長や委員たちは「大会が可能になるのは日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているからだ」とか「かりに菅首相が大会中止を求めたとしても、それはあくまで個人的な意見にすぎない」とか「アルマゲドンにでも見舞われない限り、東京五輪は計画通りに開催される」のように、日本人を見下した暴言を吐き続けてきました。
それに反論ひとつせず、従い続けてきた開催賛成派こそ反日的です。


振り返ってみれば、五輪誘致活動のときに「復興五輪」と言ったのも安倍前首相です。

「復興五輪」とはなにかというと、復興庁のサイトを見ると、
「復興しつつある被災地の姿を世界に伝える」
「被災地の魅力を国内外の方々に知っていただく」
「競技開催や聖火リレーなどを身近に感じていただいて被災地の方々を勇気づける」
と書かれていますが、どれも精神論レベルで、具体的に被災地のためになることはありません。
被災地のためを考えるなら、たとえば「五輪の入場料収入の半分を復興費用に回します」などと宣言すればいいのです。そうすれば、被災地のためにも五輪を盛り上げようという機運が高まったでしょう。

「復興五輪」の理念のために、選手村では福島県産食材が提供されることになっていますが、これを韓国や中国のメディアが批判しています。
韓国や中国の批判はともかくとして、福島県産食材を使うことが各国選手団に歓迎されるかというと、そんなことはなく、中には不快に思う人もいるはずです。
これは「おもてなし」の精神にも反します。日本人の自己満足としか思われないでしょう。
安倍前首相は五輪誘致のために被災地を利用しただけです。


安倍前首相は昨年3月、IOCのバッハ会長と電話会談して五輪の1年延期を決めたとき、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として完全な形で東京大会を開催したい」と語りました。
感染症に打ち勝った証を東京五輪に求めるのは根本的な間違いです。証を求めたいなら、PCR検査などに頼るしかありません。広範囲にPCR検査をしてほとんど陰性であれば証となります。

安倍前首相の発想は、「病気が全快した証があれば試合に出場する」というのではなく、「試合に出場すれば病気が全快した証になる」というもので、論理が逆です。
この論理では病気の悪化を招きかねません。

安倍首相の論理は、精神を肉体の上に置く精神主義です。
精神主義でコロナと戦おうというのは間違っていて、実際、安倍前首相はコロナとの戦いに敗れて退陣しました。

安倍前首相は退陣しましたが、その論理は今も菅首相に受け継がれています。
麻生財務相は東京五輪を「呪われたオリンピック」と言いましたが、東京五輪を呪ったのは安倍前首相の精神主義で、その呪いは今も続いています。


菅首相は7月4日にラジオ番組に出演して、「世界全体がコロナ禍という困難に直面しているからこそ、人類の努力や英知を結集して乗り越えられるということを世界に発信したい」と述べました。
安倍前首相の論理と同じです。
五輪を開催して、そのために感染が大きく拡大すれば、日本人の愚かさを世界に発信することになってしまいます。

菅首相は安倍前首相の論理を乗り越えて、合理的に考えないといけません。
本来なら東京五輪を再延期して、「人類がコロナ禍を乗り越えた暁に東京五輪を開催して、人類みんなでスポーツの祭典を楽しみたい」と言いたいところです。
それができないなら、中止にするか、コロナ禍でもむりをして開催するかということになります。菅首相の考えは後者でしょう。

だったら菅首相は「日本は世界に対して五輪開催の責務を果たさなければならない。そのため感染が拡大するかもしれないが、国民には我慢をお願いしたい」と言うべきです。
そうすれば、賛同する国民もいるでしょう。
少なくとも非論理的な不快感がなくなって、すっきりするのは間違いありません。

もっとも、日本の政治はそういう論理的な世界から、はるか遠いところにきてしまったようです。

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白血病で長期療養していた競泳の池江璃花子選手が東京五輪代表選手に内定し、“奇跡の復活”としてもてはやされています。

池江選手は2019年2月、白血病と診断され、造血幹細胞移植を受けるなどの闘病生活を送りました。
そして、2020年8月、東京都特別水泳大会に出場して選手活動を再開しましたが、体が細くなって、前よりかなり筋肉が落ちているのが見た目にもわかりました。
しかし、4月4日、日本選手権の女子100メートルバタフライで優勝し、400メートルメドレーリレーの東京五輪代表入りを決め、さらに8日には女子100メートル自由形でも優勝し、400メートルリレーでも代表入りを決めました。
“奇跡の復活”と言われたのは当然です。

とくに4日の池江選手の涙のインタビューに心を動かされた人が多かったようです。


そして、そうした感動を利用しようという人もいます。
池江選手の復活劇を東京五輪開催に結びつけて、「東京五輪を中止しろと言っている人は池江選手の前でも言えるのか」と主張しているのです。
こうして五輪開催反対の声を封じようというのです。

池江選手は、東京五輪が中止になったら、せっかく手に入れた五輪の切符が無意味になって、がっかりするでしょう。
しかし、五輪大会は誰か個人のために開催するものではありません。
「中止になるはずだったのを池江選手のために開催した」ということになると、池江選手にたいへんな責任がかかってきます。

どんな感染対策をしても、開催すれば開催しないよりも確実に新型コロナ感染者が増えます。そうすると、感染者が増えたのは池江選手のせいだとして批判する人も出てくるでしょう。
いずれにせよ、五輪開催という重大事を個人と結びつけてはいけません。


それから、池江選手の努力や精神力に感動したという人がいるのですが、こういう人にも困ったものです。
私は池江選手の復活をすごいと思いましたが、なにをすごいと思ったかというと「体の回復」です。

白血病は大病ですから、治ったといっても、体が百パーセントもとに戻ることはないか、戻ってもかなり時間がかかるのではないかと思っていました。
今はまだ百パーセントもとに戻ったかどうかわかりませんが、それに近いところまで戻ったわけで、そのことがなによりの驚きです。
これは医学のおかげで、それに加えて池江選手の身体能力がもともと高かったからです。

それから、衰えていた体をもとに戻すのに適切なトレーニングが行われたに違いなく、そのことにも感心しました。
もちろんそれは本人とコーチの力によるのですが、これも努力や精神力ではなく技術の問題です。

つまり池江選手の“奇跡の復活”は、本人の生まれ持った身体能力と医学と科学的トレーニングのおかけで、努力や精神力のおかげではありません。
ここは重要なところです。

身体の問題を精神で解決できるというのは「精神主義」です。
日本では軍国主義の時代に精神主義が広がり、いまだに残っています。

スポーツの世界では、優れた能力を持ったアスリートが病気や体の故障で無念の思いで競技の世界を去っていくということが山ほどあり、精神主義の無意味なことがわかります。


ところが、世の中には精神主義がはびこっているので、ものごとを身体の問題ではなく精神の問題ととらえがちです。
池江選手自身もインタビューで「努力は必ず報われるんだなと思いました」と語ったために、ややこしいことになりました(もちろん努力しても必ず報われるとは限りません)。

マスコミは、この復活劇を感動話にするために、よりいっそう池江選手の精神面に注目します。
そのため、白血病はどんな病気で、どのように治癒するのかとか、体力の回復のためにどんなトレーニングをしたのかといった価値のある情報がまったく伝わってきません。


精神主義と似ていますが、道徳の問題としてとらえる人もいます。
「東スポ」によると、5日朝のフジテレビ系ワイドショー「めざまし8」でコメンテーターの橋下徹氏は、この話をぜひ道徳の教科書に載せてほしいと主張したそうです。
 ショッキングな白血病告白から2年2か月、これほど早い五輪代表復帰と、直後の涙のインタビューは日本中、いや世界中を感動の渦に叩き込んだ。

 この大偉業にコメンテーターの橋下氏も興奮。「ぜひ道徳の教科書に、絶対に載せてほしい! このストーリーは子供たちに伝えたいし、家庭内の食事中にもこの話をしてほしい」と熱弁した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/553ac35d88a1482693ee958ba63cee5b9e1d29a6

私の考えでは、もしこの話を教科書に載せるなら、道徳ではなく保健体育の教科書です。
白血病の知識と、リハビリテーションやトレーニングの方法を学ぶ材料になります。
道徳の教科書に載せたら、子どもたちは白血病は努力で克服できるのかと誤解しかねません。


自民党は道徳教育を強化しているので、ほんとうにそんな道徳の教科書ができるかもしれないなと思っていたら、現実はその先を行っていました。

朝日新聞が「福島で被災の雑種が災害救助犬に 挑戦11回、葛藤の末」という記事で、「じゃがいも」という犬が災害救助犬になったという話が小学校の教科書に載ったと書いています。
この記事の冒頭だけ引用します。

 福島第一原発事故で全村避難した福島県飯舘村の住民から引き取られ、災害救助犬になった雑種犬がいる。認定試験に何度落ちても挑戦し、11回目でようやく合格した。頑張るその姿は、小学校の道徳の教科書に採用された。救助犬としての期間は残りわずかだが、いつでも出動できるように訓練を重ねる。

試験に10回落ち、11回目で合格したことを記事は「頑張る」と表現していますが、犬がみずから試験を受けたわけではなく、犬の世話をしているNPO法人「日本動物介護センター」の人が受けさせたわけです。
この話から子どもに「諦めない心」を学ばせようというのはむりがあります。
そんなことより災害救助のノウハウを教えたほうがよほど有益です。


災害救助犬をつくるには、素質のある犬を選び、適切な訓練をしなければなりません。犬の「頑張り」は関係ありません。
池江選手の復活も、本人の身体能力と医学の力と適切なトレーニングがあってこそです。それがなければ、いくら池江選手ががんばってもどうにもなりません。

精神主義的な感動話ばかりの報道はいい加減にしてほしいものです。

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明けましておめでとうございます。
今年もこのブログをよろしくお願いします。

今年の日本はどうなるかと考えてみましたが、あまりいい見通しがありません。
安倍長期政権が完全に行き詰まっているからです。
安倍首相自身はこの状況をどう考えているのでしょうか。
安倍首相の「年頭所感」を読んでみました。

安倍内閣総理大臣 令和2年 年頭所感
新年あけましておめでとうございます。

 いよいよ、東京オリンピック・パラリンピックの年が幕を開けました。

 1964年、10歳の時に見た東京五輪は、今も、私の瞼に焼き付いています。身体の大きな外国選手たちに全く引けをとらない日本人選手の大活躍は、子どもたちに、未来への希望を与えてくれました。

 「人間、夢があるからこそ成長できる。
      いつの時代も『夢見る力』が大切なんです。」

 東京五輪、重量挙げ金メダリスト、三宅義信選手の言葉です。

 半世紀を経て日本に再びやってくるオリンピック・パラリンピックも、子どもたちが未来に向かって、夢を見ることができる。わくわくするような、すばらしい大会にしたいと考えています。

 昨年、ほぼ200年ぶりの皇位継承が行われ、令和の新しい時代がスタートしました。オリンピック・パラリンピックを経て、5年後には、大阪・関西万博。

 未来への躍動感があふれている今こそ、新しい時代に向けた国づくりを力強く進める時です。

 3歳から5歳まで、全ての子どもたちの幼児教育が無償化されました。この春からは、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。未来を担う子どもたちの未来に、大胆に投資していきます。

 人生100年時代の到来は、大きなチャンスです。働き方改革を進め、女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、誰もが活躍できる一億総活躍社会をつくりあげていく。

 全ての世代が安心できる社会保障制度へと改革を進め、最大の課題である少子高齢化に真正面から挑戦していきます。

 我が国の美しい海、領土、領空は、しっかりと守り抜いていく。従来の発想に捉われることなく、安全保障政策の不断の見直しを進めます。激動する国際情勢の荒波に立ち向かい、地球儀を俯瞰しながら、新しい日本外交の地平を切り拓いてまいります。

 未来をしっかりと見据えながら、この国のかたちに関わる大きな改革を進めていく。その先にあるのが、憲法改正です。令和2年の年頭に当たり、新しい時代の国づくりへの決意を新たにしています。

 安倍内閣に対する国民の皆様の一層の御理解と御協力をお願いいたします。本年が、皆様一人ひとりにとって、実り多き、すばらしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

令和二年一月一日
内閣総理大臣 安倍 晋三
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0101nentou.html

全編が“ポエム”になっています。
ポエムというと小泉進次郎環境相が有名ですが、安倍首相はそれ以上かもしれません。
要するに中身がないので、言葉で飾るしかないのです。
「対米従属」を「日米は完全に一致」と言い換えたり、モリカケ問題や桜を見る会問題で嘘をついたりしているうちに、言葉で飾る能力が発達したようです。

なにかをやろうという意欲が感じられません。改憲に言及していますが、言葉だけです。
まったく空っぽでは具合が悪いので、東京オリンピック・パラリンピックを前面に打ち出して、格好をつけています。
日本政府があまり前面に出るとスポーツの政治利用になりますが、安倍首相はリオデジャネイロ・オリンピックの閉会式にもスーパーマリオの格好をしてサプライズ登場したくらいですから、当時から利用する気満々でした。


事実の誤認もあります。
安倍首相は1964年の東京オリンピックについて、「身体の大きな外国選手たちに全く引けをとらない日本人選手の大活躍」と言いましたが、そんなわけはありません。日本人選手が活躍したのは、ほとんどが体重別階級のある種目です。

1964年の東京オリンピックで日本人選手が活躍した種目は、体操、レスリング、柔道、ウエイトリフティング、バレーボールといったところです。
レスリング、柔道、ウエイトリフティングはもちろん体重別です。体操は体重別ではありませんが、相対して戦うわけではないので、身体の大きさはほとんど関係ない種目です。
そうすると、身体の大きな外国人選手に引けをとらずによく戦ったと言えるのはバレーボールだけです。
バレーボール以外の球技はまったくだめでしたし、陸上、水泳は各銅メダル一個でした。

逆に、柔道無差別級で日本人選手がオランダのアントン・ヘーシンク選手に敗れるというショックな出来事がありました。
当時、日本人の身体は今よりかなり小さくて、それは日本人のコンプレックスでしたが、「柔よく剛を制す」「相手の力を利用して勝つ」という柔道は日本人にとって精神的なよりどころでした。それが体の大きな外人選手に日本人選手が負けたので、日本人はみなパニック状態になるほどのショックを受けました。

ですから、安倍首相が「身体の大きな外国選手たちに全く引けをとらない日本人選手の大活躍は、子どもたちに、未来への希望を与えてくれました」と言ったのは、事実に反します。
ただ、バレーボール、とくに女子バレーは例外でした。安倍首相は女子バレーのことを言っているのかもしれません。

金メダルを取った女子バレーチームを率いた大松博文監督は、猛烈なスパルタ式指導で、体の小さかった日本人選手のチームを世界一にしました。大松監督は大人気になり、著書はベストセラーになって映画化もされました。のちには自民党の参議院議員にもなっています。
大松監督のスパルタ式指導、根性主義、精神主義は、日本のスポーツ界にひとつの流れをつくりました。
しかし、「身体の小ささを精神主義で補う」というやり方がうまくいくのは一時的現象です。日本のバレーボール界も結局長身の選手をそろえています。

大松監督は大河ドラマの「いだてん」にも登場しました。安倍首相(かスピーチライター)はそれを見て、年頭所感に取り入れたのでしょう。
しかし、大松監督のやり方は完全なパワハラで、今の時代にはまったく合いません。
やはりスポーツは精神主義ではなく合理主義でなければなりません。


精神主義にも存在理由はあります。昔、日本軍がアメリカ軍に対したとき、力の差を補うために精神主義を用いるしかありませんでした。それが戦後も惰性となって続き、とくにスポーツ界に生き残りました(大松監督はインパール作戦の生き残りでもあります)。
そして、安倍首相の頭の中にも生き残っているようです。

安倍首相のポエムは、内容のなさをごまかすためと、あと戦前的な精神主義からもきていると思われます。



安倍首相のポエムだけでは後味が悪いので、最後に天皇陛下の年頭の「ご感想」を張っておきます。

天皇陛下のご感想(新年に当たり)
令和2年 
上皇陛下の御退位を受け,昨年5月に即位して以来,国民の幸せを願いながら日々の務めを果たし,今日まで過ごしてきました。即位関係の諸行事を無事に終えることができ,安堵するとともに,国内外の多くの方々とお会いし,折々に温かい祝福を頂く機会も多かったこの1年は,私にとっても皇后にとっても誠に感慨深いものでした。
その一方で,昨年も台風や大雨により,多くの尊い命が失われたことに心が痛みます。寒さも厳しい折,住まいを失い,いまだ御苦労の多い生活をされている多くの方々の身を案じております。本年は、災害がない1年となることを祈ります。
新しい年が,日本と世界の人々にとって幸せな年となることを心より願いつつ,務めを果たしていきたいと考えています。
https://www.kunaicho.go.jp/page/gokanso/show/3

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