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スキャンダルの渦中にあって弱っているとき、親から「完全に別人格ですからね」と言われた子どもは、どんな気持ちなのでしょうか。

菅義偉首相の長男・菅正剛氏による総務省高級官僚接待問題が国会で取り上げられたときの菅首相の発言ですが、正確には次のようなものです。

「(長男は)今もう40(歳)ぐらいですよ。私は普段ほとんど会ってないですよ。私の長男と結びつけるちゅうのは、いくらなんでもおかしいんじゃないでしょうか。私、完全に別人格ですからね、もう」

 2月4日の衆院予算委員会。野党議員の追及を受けた菅義偉首相(72)は、顔を強張らせると、珍しく答弁ペーパーから目を上げ、感情を露わにした。
https://news.livedoor.com/article/detail/19731015/
親からこんなことを言われた子どもは、「グレてやる!」と思うのではないでしょうか。

菅首相の長男の総務省官僚接待問題に火をつけたのは週刊文春ですが、文春オンラインの『「ササニシキ送りますよ」菅首相長男の“接待攻勢”音声』という記事に、菅正剛氏の写真が載っていました。

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いずれの写真も文春オンラインの記事より

ボサボサの長髪に、無精ひげ風のひげ、清潔感がなく、服装もだらしない感じです(服装は、そういう瞬間をねらって撮ったにしても、普通のサラリーマンならなかなかこういう格好はしません)。

こういう風体で高級官僚を接待していたというのは、なかなか信じがたいことですが、「グレてやる!」という思いがこういう格好になっているのでしょう。

もっとも、それは時系列が逆だと思われるかもしれませんが、正剛氏は幼少期から
菅首相のもとで育っているので、「グレてやる!」というのは若いころからの思いです。


菅首相は、家族関係がまったく謎でした。
秋田の貧しい農家で育ったことが原点だと言い、「ふるさと」を強調しますが、高卒で秋田を出て、それから秋田との縁はほぼ切れています。父親とはあまりいい関係ではなかったようですし、母親のこともそれほど語りません。
奥さんは表に出るのが嫌いな人だということで、ほとんど姿を現しませんし、夫婦関係もよくわかりません。
そして、子どもは息子が3人いるのですが、これもまた謎でした。

そうしたところ、長男の正剛氏のことが表面化して、やっと謎の一角が見えたわけです。


正剛氏はどんな育ち方をしたのでしょうか。
菅首相は家族のことをほとんど語らない人ですが、子育てについて語っている『菅官房長官が初めて語った「妻」と「息子」について 「次の総理候補と60分」』という記事がありました。

——ご家庭ではどんな夫、どんな父でしたか。

菅 もともと、夫婦間の会話が多いほうではありません。子どもには厳しかったですよ。いつも言っていたのは「中学高校では運動部に入れ」ということ。長男は柔道、次男はサッカー、3番目はバスケットをやりました。

——三男はその後、ご自身と同じ法政大学に進み、強豪の体育会アメリカンフットボール部に所属されたそうですね。

菅 はい。次男坊も東大でアメフトをやっていたんです。

——東大法学部を出られた息子さんですね。ご長男は?

菅 明治学院です。

——なぜ運動部入りを義務づけたんですか?

菅 私は仕事柄、家庭にあまりいられないので十分な躾ができないですから。部活というのは躾をしてくれますよね。部活をちゃんと続けられれば、社会に出ても、まあ一生飯は食っていけるだろうと思ったんです。

——いま息子さんたちを見て、その教育は正しかったですか。

菅 正しいかどうかはわからないですけど、3人とも、私に就職を頼んだりするのは一番嫌がる人間になりました。私も、親父が就職のアドバイスをするようなのは一番嫌なんだよね。

——「世襲はしない」と公言されています。

菅 私は世襲政治家を批判して出てきた人間だから、それだけはやっちゃいけない。「もし政治家になるんだったら、他の県に行って出ろ」と、昔から明快に言ってます。だから誰も言い出さない。3人とも民間の企業で働いています。

「中学高校では運動部に入れ」というのが菅首相の教育方針です。
今の世の中は、親がどんな教育方針を掲げてもいいことになっていますが、これは世の中が間違っているので、子どもに合わない教育方針を掲げてはいけません。
体育会系の部活が合う子どもも、文科系の部活が合う子どももいます。
正剛氏はのちにバンド活動をするミュージシャンになるのですから、音楽系の部活をするのが合っていて、柔道部は不本意だったのではないでしょうか。

ちなみに菅首相は空手部でした。空手、柔道、アメフトと、ハードなスポーツが菅首相の好みのようです。


大学進学後の正剛氏の人生は、『「完全に別人格ですからね」菅首相発言は本当か……“違法接待”長男のこれまでを検証する』という記事によると、このようなものです。

 地元横浜で生まれた正剛氏は明治学院大に進学後、「世界民族音楽研究会」に所属。音楽ユニット「キマグレン」の元メンバーと共に、「COTE-DOR」というバンドを組んで活躍。卒業後、同級生が社会人となる中、一向に定職に就かない長男の行く末を菅氏は非常に心配していたという。そして、06年に総務大臣として初入閣を果たすと、社会人経験のない25歳の長男を大臣秘書官に抜擢。後に菅氏は雑誌の取材に「バンドを辞めてプラプラしていたから」と語っている。

「大臣秘書官の給与は特別職給与法により、個々の秘書官の能力と経歴に基づいて決定されます。一番下の1号俸は06年当時、月額25万9100円。さらに期末勤勉手当(ボーナス)、地域手当、住居手当、通勤手当なども付きます。毎月の地域手当は東京の場合、俸給の20%が加算されることになります」(内閣人事局の担当者)

 ざっと計算すれば、ボーナスを含めて400万円ほどが支払われたことになる。
 
正剛氏を知る地元の知人が苦笑交じりにいう。

「正剛はその後、秘書官を辞めてからは仕事がなくて、ある日突然『バーを経営する』と言い出したことがあった。そんな姿を見かねた空手部出身の父から鉄拳制裁を食らい、『直立不動でそれを受けたんだ』と話していました。父の叱責に嫌気がさしたのか、正剛は一度家を飛び出した。でも、街中のそこかしこに父親のポスターが貼ってあるのが目につき、父の威光に観念して家に戻ったそうです」

 バルコニーから横浜港が一望できる36階建てのタワーマンションの上層階を正剛氏が購入したのは、大臣秘書官を辞めた半年後の08年1月のこと。80平米超の3LDKで、販売価格は8000万円を下らない新築の高級物件だ。だが登記簿を確認すると、ローンはわずか2000万円。6000万円前後の頭金を自己資金として捻出していることになる。当時、正剛氏は独身で妻やその親族の援助はありえない。誰が6000万円を用意したのだろう。今住んでいるのは、4年前にこの物件を売り払って移った億ションだが、ここもローンは1800万円に過ぎない。

 08年に正剛氏は菅氏の後援者である植村伴次郎氏が創業した東北新社に入社。「総務省担当」を担うようになった。

大臣秘書官というのは、政治家の事務所にいる秘書とは違って、大臣を補佐する特別職公務員です。政治家秘書の経験もなく、総務省行政の知識もない若者が就くのは異例です。
菅首相(当時総務相)としては、秘書官の給料は国から出るので、身内を就けておけば、その給料を自分のものにできるといった感覚だったのでしょう。国会議員の公設秘書に妻を就けるみたいなものです(勤務実態のない者を秘書にするのは一時期問題になったので、最近はないはずです)。

25歳の若者ならいくらでも自力で就職できたはずです。菅首相が正剛氏を秘書官にしたのは、正剛氏の自助を妨げる行為です。
高額なマンションを買い与えたのも同様です。

その一方で「鉄拳制裁」もあったようです。
25.6歳の若者に暴力をふるうとは、空手をやっていた菅首相ならではですが、暴力はこれが初めてということはないでしょう(子育てについての記事で「子どもには厳しかったですよ」と語っています)。
それに、「バーを経営する」と言ったことが鉄拳制裁の理由というのも理解に苦しむところです。
菅首相の価値観では水商売やバンドマンはまともな職業ではないのでしょう。

大臣秘書官を経験した正剛氏は、一般企業に就職して新入社員として一からスタートする気にはならないでしょう。バー経営という道も否定されました。そこで選んだのが、父の威光を利用して東北新社の社員になることでした。

菅首相は自分が正剛氏の就職の世話をしたことは否定しています。
22日の国会答弁でも、「私は子どもが3人いるが、就職について自分が紹介するとかは一切やっていない」「長男が(創業者を)非常に慕い、(長男と創業者の)2人で(就職の)話を決めた」と語りました。

しかし、菅首相が直接話をしなかったとしても、東北新社が正剛氏を採用したのは「菅義偉の息子」だったからであることに疑う余地はありません。
そして、菅義偉氏が官房長官として力をふるい、さらには首相になると、「菅義偉の息子」という肩書きの威光はますます高まり、正剛氏は会社でも重みを増しました。

しかし、いくら「菅義偉の息子」として評価されても、正剛氏の承認欲求は満たされません。
それで、あのような不潔感のある風体をするのではないでしょうか。
あの風体は「菅正剛を見てくれ」という主張です。

正剛氏は世の中からドラ息子やバカ息子と言われていますが、最初からバカ息子だったわけではなく、そこに至るそれなりの道筋があります。

菅首相は「自助」や「絆」を言いますが、だいじなのは「世間体」で、そのために正剛氏の人生を振り回しました。
正剛氏がグレるのは当然です。
そして、正剛氏がスキャンダルに見舞われると、菅首相は自己保身のために「完全に別人格」と切り捨てました。

菅首相の顔にはつねに冷酷さがうかがえますが、子どもにとっても冷酷な父親であるようです。