村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

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親から虐待された子どもにどう対処するべきか――という問題に世の中は答えを持っていないようです。
 
東京都港区南青山に児童相談所を含む複合施設が建設されることに地元住民から反対の声が上がり、問題になっています。
反対の理由は、土地の価格が下がるというものから、児童相談所に併設される一時保護所にくる子どもへの警戒感もあるようです。
 
一時保護所には、親から虐待された子どもが多く収容されます。そういう子どもに白い目が向けられているのです。
 
親から虐待され、世間からは白い目で見られる――というのはひどい話ですが、それだけではありません。
一時保護所にも問題があります。
 
たまたま朝日新聞に一般社団法人女子高生サポートセンター(Colabo)代表の仁藤夢乃さんのインタビュー記事が載っていました。仁藤さんは虐待や貧困、いじめなどの生きづらさをかかえた少女たちのサポート活動をしている経験からこのように語っています。
 
 
彼女たちが自ら相談窓口に行くのは難しい。最近かかわった17歳の子は、幼少時から虐待を受け、親が捕まったため帰る家がなくなりました。児童相談所に保護されましたが一時保護所が嫌で脱走し、生きるために体を売っていたようです。ネットで私たちを見つけ連絡をくれました。
 一時保護所は厳しい制約があるほか、階段50往復といった罰を科すところもあり、二度と保護されたくないと思う子が少なくありません。公の施設としては「婦人保護施設」もありますが、18歳未満は使えません。それに18歳以上でも、ハードルが高くて使いにくいのです。
 父親から性的虐待を受け、地方から逃げてきた19歳の女子と一緒に窓口に行くと「施設は厳しいところ」「携帯電話は使えない」「入るには覚悟がいる」など、脅しともとれる言葉を容赦なくかけられました。これでは、行く気になれないのは当然です。彼女たちは、児童福祉や婦人保護といった公の支援の仕組みからこぼれ落ちているのです。
 
 
虐待された子を救うはずの施設でまた虐待されてしまうというわけです。
 
さらに、たまたまこんな記事もありました。
 
「少年院に行くかも」児相で少年自殺、職員発言が原因か
 
父親から虐待を受けていた16歳の少年が家出中に自転車を盗んだとして補導され、一時保護所に入り、職員と面接中に「少年院に行く場合もある」と言われた日に自室でシーツで首をつって死亡したという事件がありました。この自殺の検証委員会は職員の不適切な発言が自殺につながった可能性があるという報告をしたという記事です。
 
 
一時保護所は原則2か月以内とされていて、それ以上の長期になると児童養護施設に入ることになりますが、児童養護施設の実態もひどいものです。
私は「明日、ママがいない」というテレビドラマが話題になっているころ、このブログで児童養護施設についての記事を書いたことがあります。
 
「児童養護施設の実態とは」
 
「選択」という雑誌の記事に基づいて書いたもので、そこからほんの一部だけ引用しておきます。
 
「地獄から抜けたと思ったら、ついた場所は別の地獄だった」
 埼玉県内の児童養護施設で八歳から十八歳までを過ごした二十代前半の男性は、絞り出すように語った。
 
「一部の恵まれた施設を除いて、ほとんどの施設でなんらかの暴力が恒常的に行われている」
 
小学校低学年の頃から、とかく職員の「せんせい」は恐怖の対象でしかなく、約束事を破ったなどとして暴力を受けた。約束というのも就寝前に歯を磨くのを忘れたといった些細なことで、廊下に正座させられ、時には殴られた。
 
 
つまり幼児虐待というのはフラクタル図形のような相似形になっています。
家庭で幼児虐待が行われ、その外に出て施設に入るとまた虐待が行われ、その施設の外の世間も白い目で見るというわけです。
 
その根本原因は、「幼児虐待の原因は親に愛情がないことである」ということを誰も明言しないことにあります。
愛情があれば虐待しませんし、愛情がないから虐待するのです。当たり前です。
「幼児虐待の原因は親に愛情がないことである」ということが認識されていれば、児童養護施設の役割は、虐待されていた子どもに愛情を注ぐことであるとわかるでしょう。子どもに愛情を持って世話をするというのが施設職員の仕事です。
 
「ホスピタリズム」という言葉があります。
第二次世界大戦後、多くの孤児が施設に収容されましたが、衣食住が満たされた環境にもかかわらず子どもの死亡率が高く、母性的なものとの情緒的きずなの欠如が原因であるとされました。施設病とも言います。子どもが育つにはビタミンやたんぱく質と同様に愛情が不可欠だということです。
こういうことは児童福祉関係者には常識のはずです。
 
ところが、今の施設は「愛情」ということを無視ないし軽視しています。
そのため被虐待児に対して普通の学校と同じことをします。規則正しい生活で規律を身につけさせ、善悪をきびしく教えて規範意識を植えつけようとするのです。栄養失調の子どもに運動させて体を鍛えようとするみたいなものです。
 
酒鬼薔薇事件の犯人である少年を受け入れた医療少年院では、問題は親の育て方にあったとして、「育て直し」と称して母親役を決めて周りのスタッフが疑似家族を形成し、小さな子どもを育てるように世話をしました。世間から注目された事件だったため、施設側も特別に力を入れたわけです。元少年は今のところ再犯もせず、本を出版するなどしているので、「育て直し」はある程度成功したと言えそうです。
 
こうした対応をすることは施設の職員とってもたいへんです。「感情労働」という言葉がありますが、仕事で愛情を要求されるのは「感情労働」の最たるものです。
そのため規律重視のうわべだけの対応になりがちです。
政府は児童相談所の児童福祉司を2022年までに約2000人増やす計画ですが、人数だけでなく、「愛情」という根本のところの対応を強化していかなければなりません。
 
南青山の児童相談所建設問題ではからずも児童福祉施設に対する世間の冷たい目が明らかになりましたが、福祉施設内でも同様の冷たい目が子どもに向けられている現実があります。
「愛情」が根本的な問題であるということが認識されれば、たとえば親代わりのボランティアを施設が大量に受け入れるというように、対策はいくらでもあります。

財務官僚は、頭はよくても想像力は足りないようです。
財務省は公文書改ざん問題についての調査結果を発表しましたが、嘘のつき方があまりにもへたくそです。
 
公文書改ざんは誰がやらせたのか――ということが問題になっています。
推理小説なら、公文書改ざんをする動機がある人間は誰かと考えて、犯人を絞り込みます。
この場合は簡単です。公文書改ざんで得をするのは安倍首相しかいません。安倍首相は国有地払下げに私や妻が関係していれば首相も議員も辞めると言いました。佐川氏の虚偽答弁と公文書改ざんのおかげで安倍首相は今も首相を続けていられるのです。
 
しかし、財務省は主犯は安倍首相であるという事実をなんとしても隠さなければなりません。
そこで、佐川氏を主犯に仕立て上げました。ところが、動機にまで考えが及んでいないのです。
名探偵が「犯人は佐川だ」と言ったものの、動機を示すことができないという推理小説があったら、読者は金返せと言いたくなります。財務省の調査結果はそういうものです。
 
もっとも、世の中には動機なき犯罪というのもあります。たとえば愉快犯といって、犯罪そのものを楽しむものです。殺人だと快楽殺人といいます。殺人そのものに快楽を感じるわけです。
しかし、佐川氏は虚偽答弁や公文書改ざんそのものを楽しんでやっていたのだという説明は、さすがにむりがあるでしょう。
 
ですから、財務省は佐川氏を犯人にするなら、動機もちゃんと考えておかなければなりません。
財務省が考えないので、私が代わりに考えてみました。
 
やはりきっかけは、安倍首相が自分や妻が関係していたら首相も議員も辞めると言ったことです。
佐川氏はきわめて小心で神経質な性格で、もし自分が答弁で言い間違いをしたために安倍首相が辞任することになったらたいへんだと思い、交渉記録をすべて捨てたことにして、具体的な答弁をしないことにしました。国会で野党に責められるうちに心理的に追い詰められ、決裁文書のなんでもない記述まで気になり、すべて改ざんするように指示しました。すべて佐川氏の異常心理のせいでした――。
 
別のやり方もあります。
佐川氏はきわめて野心的な性格でした。事務次官への出世がむずかしくなり、妻からも期待外れだと責められていたところ、安倍首相の発言がありました。佐川氏は安倍首相に忠誠を尽くす姿を見せれば事務次官への出世が叶うかもしれないと思い、必要もないのに虚偽答弁をし、決裁文書改ざんを指示して、自分の働きをアピールしました――。
 
あまり説得力はありませんが、動機を示さないよりましです。
財務省は佐川氏が主犯だという嘘を書いたのですから、動機も嘘を書くべきでした。
 
 
今後、佐川氏はまた証人喚問されるかもしれません。今度は刑事訴追の恐れを理由に証言拒否をするわけにいきません。改ざん指示の動機を問われたら、なにか言わないわけにいかないので、今から考えておいたほうがいいでしょう。
もっとも、嘘は具体的につけばつくほど、つじつまが合わなくなるものですが。
 

森友学園や加計学園の問題で、検察はまったく動く様子がありません。こういうことでいいのかと思っていたら、こんなニュースがありました。
 
 
検察庁看板に赤ペンキ=器物損壊容疑で男逮捕-東京
27日午後0時45分ごろ、東京都千代田区霞が関の東京地検などが入る合同庁舎の守衛から、「看板にペンキをかけた男がいる」と110番があった。警視庁丸の内署員が駆け付けたところ、男が守衛に取り押さえられており、器物損壊容疑で現行犯逮捕した。
 男は「やったのは私で間違いありません」と容疑を認めているという。60代ぐらいとみられ、同署が詳しい身元や動機などを調べている。(2017/05/27-17:49
 
 
この事件で思い出すのは、1992年、金丸信自民党副総裁の佐川急便からの5億円のヤミ献金問題で、検察庁の看板にペンキがかけられたことです。このときは、検察は金丸氏に事情聴取もせず、罰金20万円で済ませようとしたために国民の怒りが高まっていたという背景がありました。そして、ペンキ事件がひとつのきっかけになって、検察は翌年3月に金丸氏を脱税容疑で逮捕しました。
 
今回、ペンキをかけて逮捕された男は森友学園や加計学園の問題で検察に腹を立てていたのかと想像されますが、2日たった今も続報がありません。いや、本人は逮捕の時点で容疑を認めているのですから、そのときに動機も語っていていいはずです。この事件で検察批判が高まってはいけないと思って、情報統制をしているのでしょうか。
 
すでに森友学園問題では、市民団体が財務省を公用文書等毀棄罪や背任罪で東京地検に告発しています。
しかし、検察の動きはないようです。
 
 
考えてみると、佐川急便事件のときは“政治とカネ”の問題でした。しかし、今回は安倍首相が賄賂を受け取ったということでは(たぶん)ありません。安倍首相は見返りなしに森友学園や加計学園の利益をはかったと思われます。森友学園には思想的に共感し、加計学園には昔からの友人だからというわけです。
 
これには政治状況の変化もあります。金丸氏の時代には、自民党の派閥のボスはカネの力で子分をふやさねばなりませんでしたが、今は自民党執行部がカネを支配していますから、安倍首相はそれほどカネを集める必要がありません。
 
政治家が賄賂をもらって私腹をこやしたということには国民も怒りますが、政治家が友人に便宜をはかったということには、国民もあまり怒りを感じないようです。
そのため検察もたかをくくっていると思われます。
 
時代が変わって、政治家の犯罪も変化しました。
今、問題になっているのは、“政治とカネ”ではなく、“政治と私情”あるいは“行政の私物化”です。
 
たとえば、昭恵夫人には5人の政府職員がついていたということです。“行政の私物化”以外の何物でもありません。
 
財務省職員は森友学園関係の記録をすべて廃棄したと称し、文科省職員は内部文書の調査をしたふりをして「確認できなかった」と報告しています。すべて安倍首相を守るためです。つまり安倍首相は職員に犯罪行為をさせ、嘘をつかせているのです。
もちろん財務省と文科省が森友学園と加計学園の利益のために動いたのも、安倍首相の“行政の私物化”です。

ほかにも、「総理」という著書があって、安倍首相べったりのコメントで知られるジャーナリストの山口敬之氏は、女性からレイプされたと訴えられたにもかかわらず逮捕を免れていると週刊誌に報道されており、これも報道通りなら、“行政の私物化”の典型です。
 
国民のために働くべき公務員が安倍首相のために働いているということに国民が怒れば、検察も動かざるをえなくなるはずです。 

大阪府警の機動隊員が沖縄でヘリパッド建設反対派に対して「土人」発言をしたのを擁護する人がいます。
松井一郎大阪府知事は「活動家の皆さんもあまりにも過激な活動をしている」「機動隊に勤務ご苦労様と言うのは当然だ」と府議会で答弁しました。
要するに向こうが暴言をしているのだから、こっちも暴言するのは当然だ、という理屈です。
「土人」発言を擁護しているネトウヨなどもみな同じ理屈です。
 
しかし、公務中の警官が「売り言葉に買い言葉」みたいなことをしていいわけがありません。
松井知事は、暴力団と対峙している警官がヤクザと同じ言葉づかいをするようになっても擁護するのでしょうか。
 
この点は、橋下徹氏のほうがまともです。橋下氏は大阪市長だった2012年4月の新規採用者発令式でこう語りました。
 
「公務員たる者、ルールを守ることを示さないと。皆さんは国民に対して命令する立場に立つ。学生のように甘い人生を送ることはできない」
 
「国民に対して命令する立場」という表現はへんですが、とくに警官は国家権力の実行部隊で、拳銃を携行しているのですから、高いモラルが求められるのは当然です。暴動が起こったとき、警官が暴徒といっしょになって興奮していたら、仕事になりません。
 
「売り言葉に買い言葉」という理屈が通用するのは一般人の場合、たとえば右翼団体と左翼団体がぶつかり合っているような状況です。
ヘリパッド建設反対派は左翼でしょうから、松井知事などは警察を右翼団体だと思っている理屈です。
 
実際のところ、戦前の警察は左翼や反戦派を弾圧し、戦後は冷戦構造の中で左翼を敵視してきましたから、右翼団体みたいなものです。
しかし、こうしたことは許されません。冷戦は終わったのですから、なおさらです。
 
自民党は、教員など公務員の政治的中立にはうるさいのに、警察の偏向は放置しています(というか、自民党が偏向を促進してきたようなものです)
自民党にしても松井知事にしても、自分が偏向しているので、警察の偏向は認識できないわけです。
 
なお、警察の偏向の実態については例によって「リテラ」が記事を書いています。
 

「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が!ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動

 
 
「土人」発言をきっかけに、警察の政治的偏向に焦点が当たるといいのですが、マスコミはまったくと言っていいほど警察批判はしないので、残念ながら望み薄です。

「大阪都構想」の賛否を問う住民投票で反対が多数となり、大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏は政界引退を表明しました。
 
私は東京に住んでいるので、大阪都構想のことがまったくわかりません。私に興味がないということもありますが、中央のマスコミもかなり偏っていると思います。
 
私は京都市の出身ですが、京都府と京都市の二重行政がまったく問題になっていないのはなぜかということもわかりません。京都府と大阪府は違うのか、それとも京都市民に問題意識がないのか。関西ではきっとわかりきったことなのでしょうが。
 
橋下氏が失速したきっかけは、「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と発言し、さらに米軍に対して性風俗の活用を勧め、アメリカまで巻き込んでしまったことだと思います。アメリカ政府は橋下氏を政治家ブラックリストに入れたはずで、ということは橋下氏の中央政界での活躍は期待できなくなりました。
橋下氏はいずれ首相になるのではないかという期待がカリスマ性につながっていましたが、このときからカリスマ性がなくなりました。
 
橋下氏がよくも悪くも強引に行政改革を行ってきた政治家であることは間違いありません。
こういう政治家が政界からすっかりいなくなってしまいました。
 
維新の党の江田憲司代表も代表を辞任する意向を表明しました。江田氏は、「官僚国家日本を変える元官僚の会」いわゆる「脱藩官僚の会」代表幹事をやっていて、行政改革に力を入れてきた政治家です。
 
元みんなの党代表の渡辺喜美氏も、江田氏とともに行政改革に力を入れてきた政治家ですが、金銭スキャンダルで衆議院を落選してしまいました。
 
小沢一郎氏が改革派といえるかどうかわかりませんが、少なくとも官僚がもっともいやがるタイプの政治家です。
 
民主党は「官僚主導から政治主導」を掲げて政権交代を実現しましたが、今は「政治主導」の看板を下ろしてしまったようです。
 
今の政治の世界は、官僚支配がどんどん強まっています。
集団的自衛権や安保法制も外務官僚が主導して行っていることです。
安倍政権は官僚のいやがる改革はしません。
行政改革という言葉は死語になっています。
 
橋下氏については評価が分かれるでしょうが、政治の世界がのっぺりとしたつまらないものになってしまったのは間違いありません。

「明日、ママがいない」の第4話が2月5日放送されましたが、視聴率はこれまでで最低の13.1%だったということです。日本テレビが謝罪したようなドラマは見たくないという人がいたのでしょうか。
しかし、第4話自体はなかなかの出来でした。「ボンビ」は両親が亡くなったという事実を受け入れることができず、金持ちの親がいつか迎えにきてくれるというファンタジーを抱いています。両親が亡くなった理由は、はっきりとは示されませんが、東日本大震災であることが強く暗示されます。そして、「ポスト」と「魔王」が奮闘して、ついに「ボンビ」に親が亡くなったという事実を受け入れさせることに成功します。
「両親を亡くした小さな子ども」という設定だけで涙腺が刺激されますが、ストーリー運びはひじょうにコミカルで、うまくバランスが取れていると思います。
 
考えてみれば、このドラマは最初からかなりコミカルでした。たとえば、第1話で施設の子どもたちみんながバケツを持って立たされるという“体罰”のシーンがあるのですが、全員横一列に並んで、最後に「もう限界!」といって全員が同時にバケツを放します。つまりこの“体罰”シーンはリアルではなくコミカルになっているのです。ただ、第1話であるため、そのへんがうまく伝わらなかったかもしれません。というか、私の場合、抗議されているということを知ってから見たため、素直に見られなかったということもあります。
 
このドラマは、子どもが傷つかないようにちゃんと配慮してつくってあります。放送中止にしろとか内容を変えろというのはまったく不当な要求です。
 
そもそも全国児童養護施設協議会は、「子どもが傷つくから」というような理由で抗議する資格があるのかという問題があります。
このことは国会でも取り上げられたのですが。
 
明日、ママがいない:厚労相「現実の児童養護施設を調査」
 田村憲久厚生労働相は3日の衆院予算委員会で日本テレビ系の連続ドラマ「明日、ママがいない」が児童らに与えている影響について「入所している子に自傷行為があったとの報道がある。全国児童養護施設協議会に確認し調査したい」と述べ、調査に乗り出す考えを示した。日本維新の会の中田宏氏への答弁。
 
 同協議会は日本テレビ側に人権への配慮を要請している。中田氏は、ドラマの内容について「施設長が(児童に)『ペットの犬と同じだ』と言うのは全国の施設職員からすれば憤りを禁じ得ない」などと指摘。田村氏は「ドラマ、フィクションだからデフォルメもある」としたうえで、「現場でも年間数十例の虐待事案がある。なくさなければならず、しっかり対応したい」と述べた。【青木純】
 
田村厚生労働相も「現場でも年間数十例の虐待事案がある」といっています。もちろんこれは表面化したものだけですから、実数はその数倍か数十倍になるはずです。
リアルの虐待で傷つく場合は、ドラマを見て傷つく場合よりも格段に深刻であるに決まっています(ドラマで傷つくといっても、テレビを消せば終わりです)
内部に深刻な問題があるのにテレビ局に抗議している場合かといいたくなります。
 
私は慈恵病院、全国児童養護施設協議会、全国里親会が最初から連携していることを不審に思っていましたが。元日本テレビディレクターである水島宏明法政大学教授のブログでそのへんのことが説明されていました。水島教授は明らかに全国児童養護施設協議会などの側に立ってブログで発信してきた人ですが、それだけに内情を知っているようです。そのブログから一部を引用します。
 
本日午後「明日ママ」で抗議団体が記者会見 「今後を見守る」姿勢を表明へ 厚労省で会見するワケは? 
実は、全国養護施設協議会は社会福祉法人・全国社会福祉協議会(全社協)の下部組織で、事務所も新霞ヶ関ビルの全社協の事務所の中にある。
 
全社協は、全国の福祉施設や各地域の社会福祉協議会の上部団体で、事実上、厚生労働省の「外郭団体」。
 
厚生労働省の幹部が天下りしたり、出向したりする先の機関として存在してきた。
 
現在の全社協の会長も、斎藤十朗氏。自民党の元参議院議員で、元厚生大臣で、元参議院議長を務めた「厚生族」政治家だ。
 
「全社協という組織は厚労省にべったり」と関係者が口にするほど、両者の関係者は深い。
 
厚労省は、国の方針を全国に発信する時に全社協が出している雑誌などを頻繁に利用している。
 
その全社協傘下の全国児童養護施設協議会が日本テレビに抗議するにあたって、全社協の上層部や厚生労働省の関係部署への「相談」なくして行うわけがない。
 
日本テレビへの抗議は、児童養護施設の施設長などが、ドラマの第1話を見て「これは問題ある放送だ。子どもたちを傷つけてしまう」と危機感を持って動き出したのがきっかけだが、実際の行動にあたっては厚生労働省とも「内々で相談」の上で行っている。
 
私はこの問題は最初から、表現の自由に対する侵害であると思っていましたが、民間団体が抗議している限りは、それほど深刻な問題ではないともいえます。しかし、国が後ろで糸を引いているとなると話は違います。
 
厚生労働省がなぜ「明日、ママがいない」の放送に圧力をかけたかというと、言論の自由を抑圧して戦前の日本のようにしようというような思想があるからではなく(まったくないわけではないかもしれませんが)、単に児童養護施設の内情を知られたくないために、メディアが児童養護施設を扱うことをタブーにしたかったからでしょう。
なぜ児童養護施設の内情を知られたくないかというと、もちろんそれは知られたくないようなものだからです。
 
私は児童養護施設のことはなにも知りませんが、それが不十分なものであることはわかります。たとえば、親に虐待された子どもが親から引き離されたとき、児童相談所を介して児童養護施設に引き取られます。そうした子がそれまで親から愛情を受けられなかった分の愛情を施設で受けられるかというと、ほとんどの場合不十分であるに決まっています。
これは別に児童相談所の職員がだめだということではなく、世の中はだいたいそういうものです。
 
しかし、それを隠蔽して、厚生労働省が意図するように、児童養護施設では施設長も職員も子どものために献身的に尽くしているというイメージができてしまうと、子どもはよけい救われません。施設で傷ついた心が癒されなくても、誰もわかってくれないからです。
 
私は最初、全国児童養護施設協議会が「明日、ママがいない」に抗議したのは、施設長が「魔王」と呼ばれる悪役になっていたからだと思いました。フィクションとはいえ、自分と同じ立場の者が悪役にされているのは不愉快だからです。おそらく日本テレビも同じように考えて、「最後まで見ていただければ私たちの意図が理解していただける」といっていたのでしょう。というのは、「魔王」は実は悪役ではないということがだんだんとわかってくるからです。
 
しかし、全国児童養護施設協議会が抗議したのは、背後で厚生労働省が糸を引いていていたからだとなると、「魔王」の役回りは関係ないことになります。
 
この問題に関して、マスコミが全国児童養護施設協議会側をまったく批判しないのは、もしかしてそのバックに厚生労働省がいるからでしょうか。もしそうだとすれば、まさに表現の自由、言論の自由の危機です。

お笑い芸人河本準一さんの母親が生活保護を受給していたことがいまだに波紋を広げています。
最初は生活保護費の「不正受給」という言葉で報道されていましたが、河本さんが生活保護費を受給しているわけではないので、この表現は間違いです。一時は「河本さんが母親に生活保護費を不正受給させていた」という表現をするマスコミも見かけましたが、この表現は母親の人格を無視したものなので、これも不適切です。
 
実際は、河本さんが親族としての扶養義務を果たしていなかったという「道義的責任」の問題です。今はこのことが認識されてきています。
 
もっとも、それによって議論が困った方向に行っています。
たとえば自民党は、「生活保護に関するプロジェクトチーム」座長の世耕弘成参院議員が受給者の親族に扶養義務を徹底させる生活保護法改正案を議員立法で今国会に提出する意向を表明しました。また、厚生労働省も、不正受給に対する罰則の強化や、親族に扶養義務を果たしてもらうための仕組みを検討し、今月中に中間報告をまとめるとしています。
 
親族の扶養義務が徹底されるようになるというのは、どう考えてもうんざりする状況です。たとえば、兄が病気になって働けなくなり、生活保護を申請したとすると、弟の世帯の家計が調査されて、「あなたはお兄さんに毎月5万円の仕送りをする義務がある」などと命じられるわけです。そうなると弟の人生設計も変わってきますし、奥さんは「なぜあなたのお兄さんのために私まで犠牲になるのよ」などと不満を言って、夫婦関係まで壊れてきます。
 
もっとも、こんなことは専門家にとっては常識であるようです。生活保護問題対策全国会議の声明によると、扶養は保護の要件とされていないし、これは先進諸外国でも共通であり、扶養義務の強調は現代社会に合わない、ということです。
 
「扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために」 生活保護問題対策全国会議
 
 
しかし、相変わらず河本さんやその他の芸人をたたく人たちがいます。こういう人たちの心理はどうなっているのでしょうか。
 
まず人間についての基本的認識として、人間には誰でも楽してもうけたいという気持ちがあります。仕事のやりがいが同じなら、給料は少ないより多いほうがいいですし、同じ給料なら、つらい仕事より楽な仕事のほうがいいと思うものです。
ですから、生活保護は「楽してお金がもらえる」究極の制度ですから、自分も生活保護の恩恵に浴したい、中には不正をしてでも生活保護を受けたいと思う人も当然います。
 
もっとも、生活保護の場合はもらえる金額がかなり低いわけです。地域によっても違いますが、単身者で1カ月に生活扶助8万円プラス家賃扶助というところです(生活保護でリッチな生活をしているという話が一部でありますが、それは子どもがたくさんいたり、障害者加算がある場合です)
ですから、金持ちには自分も生活保護を受けたいなどという気持ちはまったくありませんし、生活保護受給者をうらやましいと思う気持ちもありません。
 
一般のサラリーマンは平均年収400万円ぐらいです。20代サラリーマンでも300万円ぐらいです。平均的な年収のある人も生活保護受給者をうらやむ気持ちはないでしょう。かりに絶対バレないうまいやり方で不正受給させてあげるといわれても、仕事を捨てて生活保護受給者になる道を選ぶ人はまずいないでしょう。生活レベルが低すぎますし、仕事のやりがいもなく、将来の展望もないからです。
 
しかし、世の中には非正規雇用などで相当年収の少ない人もいます。たとえば年収百数十万円で、仕事にやりがいもなく、このまま働き続けても将来の展望がないという人にとって、生活保護受給者はうらやましい存在です。多少収入が少なくなっても、仕事をしなくていいというのは大きなメリットです。
生活保護受給者がうらやましい、自分も受給者になりたいけど、なれない。こういう思いを抱えている人は、不正受給があるというともちろん攻撃しますし、不正受給でなくても受給者にはきびしく当たります。生活保護の支給レベルを下げろとか、生活保護制度をなくしてしまえとか極端な主張をすることもあります。
 
ちなみに富裕層は、生活保護制度が不十分だと治安も悪くなるし、自分たち富裕層に怒りが向いてくるかもしれないと思うので、生活保護制度についてはおおむね肯定的ではないかと思われます。少なくとも自分の払った税金が不正受給者に渡っているのは許せないなどと怒ることはありません。
 
ですから今、河本さんをたたいたり、生活保護制度をもっときびしくしろと主張したりしている人たちは、日ごろから生活保護受給者をうらやんでいる人たちではないかと想像されます。こういう人たちは、自分の収入では将来にわたっても親族を扶養する義務を問われることがないとわかっているので、扶養義務強化も大賛成です。
 
こういう人たちの言葉だけ見るときわめて攻撃的で差別的なので、困った傾向と思えますが、こういう人たちの境遇を合わせて考えてみると、やむをえないところがあると思えてくるはずです。
たとえば犯罪者の犯罪行為だけを取り上げると許せないと思えますが、その犯罪者が悲惨な境遇で生きてきたことを知れば、その犯罪行為もやむをえないところがあると思えてくるのと同じです。
 
考えてみれば、生活保護受給者をうらやむような、社会の底辺の人たちの声というのは、これまで社会の表に出てくることはまずありませんでした。インターネットの普及でようやくそれが数の力をともなって出てきたのです。
こうした声に便乗する片山さつき議員のような人はまったく愚かですが、かといって、いわゆる進歩的文化人がこうした声に対応する論理を持ち合わせていないのも困ったことです。
新しい思想が必要とされる時代です。
 

4月26日、政治資金規正法違反で強制起訴されていた小沢一郎氏に無罪判決が下りました。この裁判のためにどれだけのエネルギーと時間が費やされたかと思うと、むなしい気持ちになります。
この裁判で見えてきたのは、検察の横暴と腐敗でしょう。強引な捜査だけでなく、嘘の捜査報告書をでっちあげていたことまで発覚しました。厚生労働省の村木厚子局長が起訴された事件でも、フロッピーディスク改ざんなどさまざまな不祥事が発覚しています。
「鯛は頭から腐る」という言葉がありますが、社会や組織は上層部ほど腐敗堕落しているものです。検察や裁判所は社会のもっとも上層に位置していますから、いちばん腐敗堕落しているということになります。
 
たとえば、同じ4月26日の「朝日新聞」朝刊は、裁判所と検察に関する記事が1面トップでした。もちろんこれは小沢裁判の判決の日を意識してトップ記事にしたものでしょう。
 
検事・判事の人事交流廃止 刑事裁判の公正に配慮
 検察官が刑事事件の裁判官になったり、刑事裁判官が検察官になったりする人事交流が今年度から廃止されたことがわかった。裁判官と検察官の距離の近さが「裁判の公正さをゆがめかねない」との批判を受け、法務省が「誤解を生むような制度は続けるべきではない」と判断した。
 裁判官(判事・判事補)と検察官(検事)が互いの職務を経験する仕組みは「判検交流」と呼ばれ、裁判所と法務省が合意して続けている。このうち刑事分野の交流は、刑事事件を担当する裁判官と、捜査・公判を担当する検察官が入れ替わる形が中心で、主に東京地裁と東京地検の間で行われてきた。
 
検事が判事になったり、判事が検事になったりしていては、刑事裁判の公平が保証されるわけがありません。こういうことを平気で続けてきたということは、判事や検事には根本的に倫理感が欠けているということです。
検事はともかく裁判官はまともだと思っている人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。裁判官になるのは頭がよくて優秀な人ですが、人間性がよくてなるわけではありませんし、おかしな判決はいっぱいあります(マスコミが批判しないだけです)
 
ところで、私は検察や裁判所を批判しているからといって、小沢一郎氏が正しいと思っているわけではありません。小沢氏も社会の上層部にいる人ですから、やはり腐敗堕落していると考えています。
対立関係にある一方が悪ければ、もう一方は正しいと考えがちですが、現実はそんなことはありません。暴力団同士が抗争している場合を考えればわかるでしょう。どこかの国の内戦も同じです。
悪い人間同士も対立抗争します。というか、世の中の対立抗争のほとんどは悪い人間同士がやっています。
 
小沢氏は無罪になっても「政治とカネ」についての問題はまだ残っているとマスコミは主張しています。確かに小沢氏には「政治とカネ」の問題があるかもしれませんが、ほかの政治家に「政治とカネ」の問題がないわけではありません。自民党で派閥のトップに立つような人であれば同じ問題をかかえているはずですし、一般の議員にしてもさまざまなところから献金を受けているわけで、なんらかの問題をかかえている可能性はあります。
マスコミは「政治とカネ」の問題を追及したいのなら、小沢氏1人に限定せずに追及するべきでしょう。
 
誰か1人を悪と規定すると、ほかの人間は悪でないように錯覚するのが私たちの愚かなところです(こうした愚かさは道徳の欠陥に由来しています)
 
 
26日には天皇陛下に関するニュースもあり、私はこれにも注目しました。
 
天皇・皇后の火葬を検討 宮内庁、両陛下が希望
 宮内庁の羽毛田信吾長官は26日、天皇、皇后両陛下が逝去された際は、江戸時代から続く土葬ではなく、両陛下が望む火葬にする方向で検討を進めると発表した。宮内庁は同じ陵(墓)にお二人を合葬することも視野に、陵の規模や形式、葬送に伴う諸儀式の在り方も併せて考えたいとしている。
  羽毛田長官は「葬送の在り方は以前からの懸案だった。心臓のバイパス手術を受けた陛下の回復を待ち、今回の発表になった」と話した。今後1年をめどに検討する。
  宮内庁によると、現代の日本社会で火葬が普及し、江戸時代より前は多くの天皇、皇后が火葬されていたことから、両陛下は自分たちも火葬が望ましいと考え、羽毛田長官に意向を伝えていた。さらに、葬送全体が国民生活に極力影響が少ないものになるよう望んでいるという。
  ただ、どこで火葬をするのか、諸儀式の場所や内容をどうするのかなどが大きな課題となる。
  天皇の葬送は、江戸時代初期の後光明天皇から昭和天皇まで土葬が続き、天皇と皇后は別々の陵に葬られるのが通例。
  大正時代に制定された皇室喪儀令は、天皇や皇族の葬送について土葬を前提としていたが、1947年に廃止され、現在は明確な規定はない。秩父宮、高松宮ら戦後亡くなった皇族は火葬されている。
 
このニュースを読んで、昭和天皇は土葬だったのかとか、いろいろな感想があるでしょうが、私が思ったのは、天皇陛下は自分の埋葬方法や葬式のことですら自分で決められないのかということでした。
 
天皇陛下が火葬にしてほしいといえば、宮内庁の役人たちはただちにそれに従いそうなものですが、そうではないのですね。役人たちは自分たちで検討し、自分たちで決めるのです(最終的には大臣や内閣の決定という形になるのかもしれませんが)
 
また、天皇陛下が火葬を望んでおられるということは、これまでまったく伝わってきませんでした。天皇陛下の意思は宮内庁経由でなければまったく報道されないということも、このニュースで感じたことです。
 
雅子さまのことがいろいろと問題になっています。しかし、天皇陛下ですら自分の埋葬や葬式のことを決められないのですから、雅子さまの決定権など無も同然ではないでしょうか。
雅子さまにかかわることを宮内庁の役人がどう扱っているか知りたいものです。
 
検察、裁判所、宮内庁は日本の最上層部です。ここがいちばん腐っているから日本はだめなのだと私は思っています。

人事院は9月に公務員給与0.23%の引き下げを勧告しましたが、野田政権はそれを無視し、7.8%下げる特例法案の成立を目指すことにしたそうです。これに対して人事院は「勧告無視は憲法違反」と主張しています。
 
公務員の給料はどう考えても高すぎます。なぜそんなことになっているかというと、人事院が公務員の給料を決めているからです。要するに公務員が公務員の給料を決めているわけで、こういうのを「お手盛り」と言います。
 
人事院は裁判所や会計検査院に準じる独立性を持っています。2009年、麻生内閣時代、当時の谷公士人事院総裁は公務員制度改革に反対して国家公務員制度改革推進本部の会合への出席を拒否、自民党の菅義偉選対副委員長が谷総裁に辞任を求めましたが、それも拒否して、そのまま通ってしまいました。
 
日本では戦後、公務員のストライキが禁止され、その代わりに独立性を持った人事院が公務員の給料を決めるということになったわけです。
それまで公務員の給料は民間よりもかなり安いものでしたが、人事院は民間並みを目指して段階的に公務員の給料を引き上げてきて、今では民間よりむしろ高いものになっています。地方公務員は国家公務員よりもさらに高給です。
もっとも、公務員の給料は民間よりも高くないと主張する人もいますが、その根拠となるデータは人事院や厚生労働省のものです。
 
それにしても、人事院はどういう基準で給料の水準を決めているのでしょうか。たとえば、最近も公務員宿舎が問題になっていますが、今は民間もほとんど社宅をなくしています。公務員宿舎が安い分も算入しないといけませんが、たぶんそういうことはやっていないはずです。
そもそも、公務員の給料を民間並みにするということが間違っています。公務員は身分が安定しているのですから、不安定な民間よりも安いのが当然です。
 
金融や投資の世界ではハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンというのが常識です。株式と債券を比べると、一般的に株式のほうがリターンが高いのですが、これは株式のほうが債券より価格の変動幅が大きい、つまりリスクが高いからです。
人間は不安定よりも安定を好みます。ですから、リスクの低いことはひとつの価値なのです。
シャープレシオという数字があります。たとえば、ふたつの投資信託があって、リターンはどちらも同じだったとします。しかし、一方がリスクの高い株式などに投資していた場合、シャープレシオは低くなります。ですから、シャープレシオを見ると、ローリスク・ローリターンの(普通の)投資信託とハイリスク・ローリターンの(だめな)投資信託が区別できるわけです。
 
もし公務員と民間の給料が同じだったら、公務員はローリスク・ハイリターン、民間はハイリスク・ハイリターンですから、公務員のシャープレシオは優秀な投資信託と同じに高くなります。
いや、こういうところにシャープレシオを当てはめるのは厳密には間違っているかもしれませんが、考え方としてはあってもいいでしょう。民間の給料の変動率、クビの可能性などから民間のリスクを計算できるはずです。そうすれば公務員の給料は民間よりもどれだけ安くするべきかということも明らかになります。
 
戦前と戦後しばらくの時期、「公務員は安定しているから給料が安い」というのが日本の常識でした。しかし、人事院勧告が始まるとともにこの常識が捨てられてしまったのです。
その当時は金融工学も未発達で、シャープレシオなんていう概念もなかったでしょう。そのため「公務員は安定しているから給料が安い」ということの根拠を誰も示すことができず、人事院に押し切られてしまったのだと思います。
公務員はスト権を返上したどさくさまぎれに、公務員の安定と民間並みの給料の両方を手に入れたわけです。
 
しかし、今では身分の安定した公務員が不安定な民間と同じ給料を取ることが不当であることは誰の目にも明らかでしょう。
「公務員は安定しているから給料が安い」という日本の常識を復活させないといけません。

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