村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

タグ:選挙

日本の選挙運動を揶揄する言葉に「どぶ板選挙」というのがありますが、安倍首相の総裁選のやり方はまさに「どぶ板選挙」です。
 
西日本豪雨で各地に避難指示や避難勧告が出された7月5日の夜、安倍首相らが「赤坂自民亭」なる酒宴に興じていたことが批判されましたが、安倍首相が普段は出ない酒席に出たのは総裁選の選挙運動のためでした。
「“赤坂自民亭”で安倍首相が若手議員に地方行脚を売り込み」という記事にこう書かれています。
 
「安倍総理は宿舎の宴会で、『全国どこにでも行くから、演説会や懇親会をセットしてくれ』と若手議員たちに総裁選に向けた地方行脚を自らセールスしていたそうだ。幹部の1人がそのことを紹介すると、別の幹部は『安倍さんはもう総裁選しか眼中にないよな。まだ国会も終わっていないのに』と苦笑していた」(同前)
 日本上空に厚い暗雲が垂れ込める中、首相の眼中だけでなく、自民党幹部たちも、「総裁選」しか頭になかったことがよくわかる。
 
しかも安倍首相は翌6日の夜にも秘密会合をセッティングして、菅官房長官と無派閥議員らと会っていました。日本テレビ系のニュース番組「news every.」は“無派閥議員のとりこみ”と報じています。
 
選挙運動のやり方が、議員票については派閥や人脈を通じての取り込みですし、党員票については「どぶ板選挙」です。
 

そもそも現職の総理総裁がこんなに熱心に選挙運動をすることが異常です。
通常は、ひたすら首相としての職務に励んで、それを評価してもらうという姿勢でいるものです。
選挙運動を熱心にやるのは新人候補のほうです。

なお、自民党総裁選では公示日から投票日まで二週間の選挙運動期間が設けられていますから、今安倍首相がやっているのは「事前運動」です。
 
安倍首相は総裁選で勝利を確実にしていると見られています。
ということは、安倍首相はただ勝利するだけでなく、圧倒的な勝利をして、自分の権力基盤をさらに強化したいのでしょう。
まさに“権力亡者”です。
 
 
なによりも異常なのは、政策や理念についての議論がまったくないことです。
安倍首相は実績を問うという立場かもしれませんが、対抗馬の石破茂氏は安倍首相との違いを打ち出せていません。
念のために「石破茂氏と安倍首相の政策の違い」で検索してみたら、「防災省創設が安倍首相との違いをアピールできるテーマのひとつ」ということが出てきただけです。
 
総裁選不出馬を決めた岸田文雄政調会長も、もともと安倍首相との違いを打ち出していませんでした。
人気の点で安倍首相に対抗できるかもしれない小泉進次郎氏も、脱原発の方向性はあるかもしれませんが、それ以外の違いは見えません。
 
安倍首相がすばらしい政治をしていたら、違いを出せなくてもしかたありませんが、もちろんそんなことはありません。
安倍首相はトランプ大統領にひたすら合わせていますが、トランプ大統領はどんどん日本に敵対的なことを仕掛けてきます。プーチン大統領と仲良しのふりをしていますが、ロシアに経済協力をさせられるだけで北方領土はまったく返ってきません。かつては中国包囲網づくりに邁進していましたが、今は中国の一帯一路に協力的で、その方針転換の説明もありません。対北朝鮮外交はまったく破たんし、拉致問題解決の糸口も見えません。
安倍首相は経済の好調をアピールしていますが、財政赤字は増大する一方で、破たんに向かって進んでいるとしか思えません。
 
こういったことが総裁選でまったく議論されないので、安倍首相が「どぶ板選挙」に走るのは、ある意味当然かもしれません。
 
自民党は党全体が思考停止に陥っているようです。
行き着く先は、日本の財政破たんでしょうか。


イメージ 1

「世界経済のネタ帳」より

マスコミ各社の選挙予測を見ると、与党が圧倒的に有利なようです。野党が分裂したので当然ではあります。
 
民進党の前原代表と希望の党の小池代表が合流を発表したときは、薩長連合のように倒幕を目指すのかと思いました。
前原代表は「どんな手段でも安倍政権を止める」という言葉を繰り返し言っていましたから、そういうつもりだったのでしょう。
しかし、小池氏は違ったようです。小池氏が笑顔でリベラル派を「排除いたします」と言ったために、流れが変わりました。
 
小池氏としては、郵政選挙のときの成功体験から、リベラル派と戦う姿勢を見せれば人気が出ると思ったのかもしれません。しかし、郵政選挙のときは強力な抵抗勢力と戦ったから人気が出たので、リベラル派に踏み絵を踏ませるのは弱い者イジメですから、ぜんぜん違います。
 
しかし、そのおかげで対立軸がはっきりしたとはいえます。
対立軸は、いわゆる踏み絵となった希望の党の「政策協定書」を見れば明らかです。
 
 
政策協定書
 私は、希望の党の公認を受けて衆院選に立候補するに当たり、下記事項を順守すること、当選した場合には希望の党の所属する会派に所属して国会活動を行うこと、希望の党党員として政治活動を行うことを誓います。
 記
 1、希望の党の綱領を支持し、「寛容な改革保守政党」を目指すこと。
 2、現下の厳しい国際情勢に鑑み、現行の安全保障法制については、憲法にのっとり適切に運用する。その上で不断の見直しを行い、現実的な安全保障政策を支持する。
 3、税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)を徹底し、国民が納める税の恩恵が全ての国民に行き渡る仕組みを強化すること。
 4、憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること。
(以下略)
 
 
「1」と「3」はどうでもいい内容ですから、踏み絵になったのは「2」の安保法制支持と、「4」の改憲支持のところです。
憲法よりも安保法制が前にきているところが重要です。
 
安倍政権も、改憲よりも安保法制を重視して、解釈改憲により安保法制を成立させました。
ですから、今では改憲の必要性がなくなって、「違憲の疑いがあると自衛隊員の子どもが悪口を言われるから」などというへんな改憲理由を持ち出しています。
 
安保法制の目的は、自衛隊を切れ目なく米軍に協力させることです。
安保条約は、アメリカが日本を守って日本はアメリカを守らなくていいという片務性がありましたが、安保法制ができてからは逆に自衛隊が米軍を守ることになります。
独ソ戦のときは、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドも軍隊を派遣してドイツ軍とともに戦いましたが、日本もそういう立場になったわけです。
 
希望の党の踏み絵は、そういう日本を認めろと迫るものです。
自民党と希望の党と維新の会はその点で一致しています。
 
問題は、立憲民主党がそういう対立軸を理解しているかどうかです。
 
 
民主党政権のとき、脱官僚依存、普天間基地移設の「最低でも県外」、コンクリートから人へ、東アジア共同体構想などの政策を掲げましたが、それよりも重要なことがありました。
それは「脱対米依存」です。
日本は重症の対米依存症にかかっていたからです。
ところが、そのことがまったく認識されていませんでした。そのため官僚はアメリカを盾に抵抗し、「最低でも県外」は実現できず、東アジア共同体構想ももちろんできず、民主党政権は失速してしまいました。
 
民主党、民進党はそのときの反省がまったくできていません。
 
立憲民主党は公約で「安保法制は専守防衛を逸脱して違憲」としていますが、これではアメリカとどういう関係になろうとしているのかわかりません。
 
対米依存症の重症化は最近のことです。
1976年成立の福田赳夫内閣は「全方位外交」を掲げていましたし、バブルのころは「日米は対等のパートナーシップ」と言っていました。
冷戦が終わってから、日本の官僚はアメリカから見捨てられるのがこわくなって、どんどん日本をアメリカに依存させるようにもっていっているのではないかと思います。
 
ともかく、立憲民主党は「アメリカと対等の関係構築を目指す」といった公約を掲げてほしいところです。
アメリカが北朝鮮を攻撃しようとしたときに、ちゃんと止められる政権が日本には必要です。

6月23日から都議選が始まるのに合わせて、公明党が党機関紙やツイッターを使って共産党批判を強めていますが、その言葉づかいが「実績横取りのハイエナ政党」とか、「汚い、危険、北朝鮮の3つのK」という具合で、品位もなにもありません。トランプ大統領や安倍政権と同じです。
その言葉づかいの中に、今の日本における最大の問題が垣間見えます。
 
公明党は共産党を批判するとき、「国も認めた“お墨付き”」という言葉を使っていました。これは公明党の公式サイトにも書いてあります。
 
 
Kiken(危険!)オウムと同じ公安の調査対象
法務省外局の公安調査庁は、公共の安全確保を図ることを任務として、法律に基づき、共産党や中核派などのほか、オウム真理教を調査の対象としています。
 
このうち共産党について、政府は昨年3月、「警察庁としては現在においても……『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を閣議決定し、無所属の衆院議員が提出した質問主意書に答えました。
 
答弁書は、共産党が戦後に合法政党になって以降も「日本国内において暴力主義的破壊活動を行った疑いがあるものと認識している」と指摘。「現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」としています。
 
公安調査庁のホームページ(HP)にも、共産党は「各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました」「暴力革命の可能性を否定することなく、現在に至っています」と、同庁の見解が明記されています。共産党の危険性は、国も認めた“お墨付き”です。
 
 
公明党は、公安調査庁と警察庁の判断を「国の“お墨付き”」だと言っています。
 
公安調査庁や警察庁は一行政機関です。
政治は国のあり方を決め、行政は政治の決めた法律を実行するわけですから、政治は行政より上の立場にあります。公安調査庁が政党を評価するというのは本末転倒です。
とはいえ、現実にそういうことが行われているわけですが、それを「国の“お墨付き”」と認めてはいけません。
そんなことをしていると、公安調査庁が公明党を危険な政党と認定したら、公明党はそれも「国の“お墨付き”」として認めなければなりません。
 
公明党のこの愚かさは、公明党だけのものではありません。日本全体をおおっています。
公安、警察、検察、裁判など司法関係の行政機関をあがめて、その判断を絶対化する傾向があるのです。
それはとくにマスコミに顕著で、警察や検察が誰かを逮捕するとたちまち犯人扱いしますし、裁判所がおかしな判決を出してもほとんど批判しません。
 
たとえば、6月19日に大阪地検特捜部が森友学園に強制捜査に入りましたが、その容疑は補助金不正受給の詐欺などで、本筋の国有地不正払下げ容疑は入っていません。つまりこの捜査は“籠池つぶし”で、結果的に安倍政権擁護になるわけですが、マスコミはそうしたことにはまったく言及しません。
 
また、共謀罪がなぜいけないかというと、警察が恣意的な捜査を行えるようになり、警察権力が強大化するからですが、共謀罪反対派も警察批判をしないので、その反対の論理に説得力がありません。
 
法律は決して杓子定規に運用されるわけではありません。そこに政治的、倫理的な判断が入り込みます。
政治的、倫理的な判断については、マスコミや国民も警察司法機関と対等です。というか、国民はむしろ警察司法機関を動かす立場です。
 
正しい倫理学を身につければ、警察司法組織を的確に批判できるようになりますし、公安調査庁の判断を「国の“お墨付き”」などと言ってありがたがる公明党も批判できるようになります。

都知事選には21人が立候補していています。マスコミは主要3候補ばかり取り上げますが、テレビの政見放送では、どの候補もけっこうまじめに主張をしていて、ユニークな意見がおもしろいので、ついつい見てしまいます。
やはり多様性というのはたいせつだと改めて思います。
 
そういう意味では、小選挙区制というのは最悪の制度です。二大政党制がいいというのは、一神教からくる二元論的世界観ではないでしょうか。それに、小選挙区制にすると、二大政党制ではなく一大政党制になるはずです。
 
それにしても、供託金300万円を払い、泡沫候補と言われても立候補する人というのは、やはりちょっと変わった人です。
いや、立候補はしなくても、真剣に政治を考えている人というのは、やはりちょっと変わっているはずです。
自分の一票で当選者が変わる確率というのはひじょうに少ないですし、自分の政治活動で日本の政治が変わる度合いというのも極小です。それでも投票したり熱心に政治活動したりするのは、あまり合理的とはいえません。
 
ですから、政治的な人が非政治的な人に向かって、もっと政治に関心を持つべきだと言っても、まったく説得力がありません。
18歳選挙権実施に伴って、主権者教育ということで若者にいろいろな働きかけが行われましたが、これも同じです。
 
では、どんな働きかけがいいかというと、「政治は“まつりごと”というぐらいでお祭りと同じだから、お祭りには参加したほうが楽しいよ」ということでしょう。
「同じアホなら踊らにゃ損々」というわけです。
 
アメリカ民主党大会が725日から始まり、サンダース氏がクリントン候補支持の演説をしましたが、サンダース人気は相変わらずで、会場は大いに盛り上がっていました。
アメリカの大統領選挙は長いお祭りみたいなものです。
 
日本の選挙運動はひじょうに窮屈で、期間も短いですが、選挙運動を担う人たちや熱心な支持者にとってはやはりお祭りです。先の参院選のときも、最終日は大いに盛り上がっていました。
もちろんデモなどは祭りそのものです。
 
1人がデモに参加したところでどれだけの意味があるのかということもいえますが、野球やサッカーのファンがスタジアムに足を運んで応援するのも同じことです。
スタンドから声援を送る人間が1人ふえたところでほとんど違いはありませんが、本人は少しは違いがあると思っており、なによりそうして参加するのが楽しいからしているのです。
 
したがって、若者に対しては、「好きな政党や好きな政治家を見つけて応援すると、世界が広がるよ」という言い方がいいのではないでしょうか。
 
だいたい政治的な人間というのは、自分の考えが正しいと思い込みすぎるきらいがあります。私もそうなので自戒したいと思います。

7月31日投票の都知事選は、世論調査によると小池百合子候補がリードしているようです。自公推薦の増田寛也候補、野党各党推薦の鳥越俊太郎候補の上をいくとは驚きです。
 
小池氏が立候補を表明したとき、自民党の都連関係者はいっさい聞かされていなかったようで、驚きや戸惑いの声が上がりました。根回しが重視される政治の世界ではまったくの常識破りです。
しかし、結果的に人気があるということは、おそらくこれがよかったわけです。自民党(の少なくとも都連)とは、なれ合っている姿を見せるよりむしろ対立しているぐらいのほうがいいという判断があったのでしょう。
 
小池氏の政治センスは天才的です。
2005年の郵政解散のとき、小泉首相は郵政民営化法案が参議院で否決されたために衆議院を解散するという筋違いなことをして、こんなことで国民の支持が得られるのかと、私を含めて多くの人が半信半疑でいたときに、小池氏はみずから刺客候補として名乗り出て、そこから一気に流れが決まりました。小池氏が流れをつくったとまではいわなくても、小池氏が流れを正しく読んでいたことは間違いありません。
 
小池氏は、私に見えないものが見えている人です。どうしてそうなのかということが気になります。
 
ウィキペディアの「小池百合子」の項目にこう書いてあります。
 
 
高校卒業後、関西学院大学社会学部に入学するも、「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を目指すことにし、19719月に大学を中退してエジプトへ留学。カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修めた後、カイロ大学に進学した。
 
このときから小池氏は時代の先を読んで行動するということをしていたわけです。
 
ただ、今のところ中東の国で経済的離陸を成し遂げたのはトルコぐらいで、テロリストの輸出国みたいになっている国もあります。小池氏の見通しとは違ったかもしれません。
小池氏はエジプトに留学したということをあまり言いません。アメリカに従属する日本ではあまりうれしくない経歴かもしれません。
 
小池氏は日本新党→新進党→自由党→保守党→自民党と所属を変えてきて、今回は無所属での出馬です。
 
小池氏の思想とか政治的立場とか、政治家としてやりたいこととかについて、私はなにも知りません。「小池ゆりこオフィシャルサイト」を見ると、「基本理念」がいろいろ書かれていますが、きれいごとばかりで、なにも響いてきません。
 
もともと思想とか政治的立場のない人なのでしょう。ですから、なにかに執着するということがなく、時代の風を読んで、それに合わせていけるわけです。
 
思想とかやりたいことがあると、逆風でも向かっていこうということになりますから、小池氏のようにはできません。
 
思想があればよいというものではありません。たとえば憲法学者の小林節氏は今回の参院選に「国民怒りの声」を組織して全国比例代表と東京選挙区に候補を擁立しましたが、惨敗しました。時代の風も国民感情も読めていなかったわけで、野党票を分散させただけです。
 
冷戦が終わってイデオロギーが終焉した時代には、小池氏のような政治家が活躍するのかもしれません。橋下徹氏やトランプ氏も同じタイプだと思います。
政治家の役割が国民の思いを政治に反映させることだとすれば、小池氏タイプがいちばんいいことになります。
 
いや、小池氏タイプの最終的な目的は「自分活躍」ですから、結局国民は裏切られることになるはずです。
 
ただ、私も思想が過剰なタイプなので、正反対の小池氏の時代の風を読む能力などは学ばなければと思います。 

参院選について、対中国政策がまったく論じられていないのはおかしいという指摘があって、なるほどと思いました。
日中間には、中国公船が尖閣諸島周辺に侵入を繰り返し、スクランブルした自衛隊機と中国軍機が攻撃動作をしたとかしなかったとか、年中なにか騒ぎが起きています。このままでいいはずがありません。
 
しかし、考えてみると、対中国だけでなく、外交政策そのものが選挙の争点になっていない気がします。
 
各党の外交政策は次のサイトで見られます。
 
政策比較表2016参院選【外交・防衛(沖縄含む)】
 
民進党は「安保法制は白紙撤回」と言っていますが、安保法制の問題は外交問題というより、立憲主義という観点からの国内問題のような感じがします。
 
自民党は尖閣問題にアメリカを引き込むことばかり考えていて、日本が中国にどう対応するかという発想はなさそうです。
 
外交政策がないのは、やはり日本が属国だからでしょうか。
 
日本は民主主義国ですが、属国であることと両立します。
それはイラクとアフガニスタンを見ればわかります。
イラクもアフガンもちゃんと選挙をやって議会をつくり、アフガンでは大統領選挙もやっています。
しかし、両国とも治安はよくなりません。
バクダッドで3日に起きた爆弾テロでは二百人以上が亡くなり、ISが犯行声明を出しました。
アバディ首相はテロ現場を視察に訪れましたが、「帰れ」という罵声とともに、公用車に靴や瓶が投げつけられたということです。政府そのものが信用されていないのでしょう。
 
選挙が行われているとはいえ、ISやタリバンは最初から排除されていますし、アメリカの価値観に合わない勢力が伸長して政権を取りそうになれば、軍事クーデターや暗殺などの方法で排除されるのでしょう。アメリカは南米で何度もそうしたことをしています。
 
イラク軍もアフガン軍もアメリカが訓練し、兵器を提供して育てた軍隊です。
その国の軍を抑えたら、その国を抑えたも同然です。
 
イラク政府もアフガン政府も実質的にアメリカの支配下にあるので、国民は支持せず、それが治安の悪さとして表れています。
 
 
終戦直後の日本政府も今のイラク政府やアフガン政府と同じようなものだったでしょう。そして、そのまま今にいたっています。
今ではアメリカに支配されているという意識すらなくなっています。
 
安倍首相は、憲法をアメリカに押し付けられたとか、日本人は占領軍に洗脳されたとか言いますが、これはあくまで国内向けの発言で、アメリカに対してはなにも言いません。日本は属国であるという現実にうまく対応しています。安保法制や辺野古移設の問題でも同様です。
 
一方、民進党は公約に「日米地位協定の改定」を掲げていますが、属国の立場でそんなことができるとは思えません。
「安保法制は白紙撤回」にしても、それがアメリカと摩擦を起こすことに対する配慮はなさそうです。
安倍首相は「気をつけよう。甘い言葉と民進党」と言っていますが、このことについては的確な批判かもしれません。
 
今回の参院選はもうほとんど結果が見えています。
日本は属国であるという現実に適応している自民党と、その現実が見えていない民進党の差です。
 
もちろん私は日本が属国でいいと思っているのではありません。
そこから脱却するのは容易なことではないと言いたいわけです。

今回の参院選から18歳選挙権が実施されます。若者への投票呼びかけや有権者教育が行われていますが、若者の側からの盛り上がりはほとんど感じられません。
 
文部科学省は「私たちが拓く日本の未来」という副教材を教師用指導資料として配布していて、これはネットでも公開されています。
 
政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について
 
それにしても「有権者教育」とは妙な言葉です。政府が有権者を教育するというのは本末転倒です。
  
副教材は、タイトルこそ「私たちが拓く日本の未来」と若者が主語になっていますが、サブタイトルは「有権者として求められる力を身につけるために」と、受け身表現が出てきます。
 
選挙権は権利なのにまるで義務のような感じです。
 
マスコミや有識者も若者に投票するべきとか政治に関心を持てとか呼びかけますが、こういうことも義務感を強めます。
 
7月1日の「報道ステーション」を見ていたら、街頭インタビューで渋谷かどこかの若い女性が「強制じゃなくて、興味ある人だけで選挙していればいい」と言っていました。投票の呼びかけが「強制」と受け取られているのです。
スタジオの小川彩佳アナも「勉強しろと言われているのと同じような感じ」と若者の気持ちを代弁していました。
 
今まで「勉強しろ」と言われるだけだったのに、今度は「投票しろ」とまで言われるようになったら、選挙権は若者にとって災難でしかありません。
 
ともかく、今は選挙に関して、おとなが熱心になればなるほど若者はやる気を失うという構図になっています。
 
では、おとなはどうすればいいかというと、「信じて見守る」しかありません。
勉強でも選挙でも同じことです。
 
 
ところで、今18歳以上とされている普通運転免許年齢が16歳以上に引き下げられたとします。当然そのことは周知されなければなりませんし、免許取得の手続きとかやり方とか費用とかも、知りたい人にはわかるようになっていなければなりません。しかし、若者に向かって「免許を取るべきだ」とは言わないでしょう。
選挙権も同じようなものではないでしょうか。

EU離脱か否かを問う国民投票が迫るイギリスで、残留派の国会議員ジョー・コックス氏が離脱派と思われる男に銃撃され、殺害されました。
それまでの世論調査では離脱派が優勢でしたが、この事件のあとの調査では残留派が優勢となりました。
 
イギリスにとって残留か離脱かどちらがよいのかという問題と、この事件は関係ないはずです。しかし、人間はつねに合理的な判断をしているわけではなく、人の死は重いので、それに影響されてしまいます。
日本でも、候補者が急死して、その奥さんや関係者が急きょ身代わりで立候補して“弔い合戦”などと称すると、票が集まるという傾向があります。
 
人間の投票行動や政治行動が必ずしも合理的なものでないことは明らかです。
民主主義社会では、その不合理さがそのまま政治に反映されて、さまざまな問題が生じます。
 
たとえば、多数派が少数派を差別している社会では、民主主義によって差別は解消されない理屈です。アメリカの黒人差別などはそうです。
移民もその社会では少数派ですから、移民差別の政策も支持を集めやすい傾向にあります
 
また、人間は将来の大きな利益よりも目先の小さな利益を求める傾向がありますから、たとえば減税政策は人気で、増税政策や緊縮政策は不人気です。その結果、ほとんどの国で財政赤字は拡大していきます。
 
人間は防御よりも攻撃を好む傾向があるので、好戦的な政策は人気になります。
また、戦争の危機が迫ると人は団結しようとするので、選挙では政権党が有利になります。それを見越して戦争の危機を演出しようとする政府があるかもしれません。
 
選挙戦でネガティブキャンペーンがよく行われるのも、人間がそういう攻撃的なやり方を好むからでしょう。
ただ、ネガティブキャンペーンでは政策論議は深まりません。
 
民主主義は、人間のだめなところがもろに出る制度です。
むしろだめなところが拡大して出るかもしれません。
 
最近、18歳選挙権の実施に伴って「有権者教育」ということがよく言われます。
その中身が「よく考えて投票しましょう」みたいなことだったら無意味です。
よく考えて投票しても、今のような政治になるだけです。
 
人間は経済行動においても不合理なことをするので、それを研究する「行動経済学」は最近ブームになっています。
政治行動の不合理さを研究する「行動政治学」もあるはずだと思って検索してみましたが、どうやらありません。
経済行動の失敗は数字になって現れますが、政治行動の失敗はごまかしがきくからでしょうか。
 
有権者の行動をよく研究して、そのだめさを教えるほんとうの「有権者教育」が必要です。

衆院選が終わって、冷静な頭で考えてみると、政治の世界というのはつくづく妙なものです。
たとえば、投票率が低いのはよくないので、選挙に行こうという呼びかけが盛んに行われました。
しかし、投票率が低くて困ることはなにもありません。
 
投票率が低いと組織票の強い政党に有利になり、投票率が高いと組織票の弱い政党に有利になるということがありますが、要するにプラスマイナスがあるということで、投票率が高いほうがいいとは単純に言えません。
むしろ選挙に行こうという呼びかけが功を奏して、あまり政治に関心のない人が投票するようになると、政治を真剣に考えている人の票を打ち消してしまう恐れがあります。つまり“投票の質”が下がるのです。
 
政治をよくするには、投票率を上げることではなく、“投票の質”を上げることです。
そのためには、「よく考えて投票しよう」と呼びかけるべきです。
それから、「政治のことをよく考えている人は投票して、あまり政治のことを考えていない人は投票するのをやめよう」と呼びかけるべきです。
 
政治のことを考えていない人はどうせ投票しないでしょうから、後者の呼びかけは必要ないかもしれません。
それよりも、「所属する組織の指令や人に頼まれたからということで投票せず、自分の判断で投票しよう」という呼びかけのほうがいいでしょう。つまり組織票の質の向上をはかるのです(結果、組織票でなくなるかもしれませんが)
 
魅力的な政党や候補者がどんどん出てきて投票率が上がるならけっこうなことですが、政治のあり方はそのままで投票率だけ上げても意味がありません。いや、意味がないどころか、むしろ政治の質の低下を招いてしまいます。
 
選挙に行こうと呼びかけている人は、当然自分自身は選挙に行くわけで、政治的な人間でしょう。
政治的な人間はみな衆愚政治やポピュリズムを批判しますが、みずから衆愚政治やポピュリズムを招いているわけで、バカとしか言いようがありません。

衆院選は予想通り与党勝利という結果でした。
この結果を招いたのは、やはり野党第一党である民主党がふがいなかったからでしょう。海江田代表が比例でも復活できず落選したというのがその象徴です。
 
民主党のだめさは、民主党のテレビCMで女性が笑顔で「夢は正社員になること」と語るシーンを見てもわかります。ほとんどの人は「えっ、夢ってそういうこと?」と思うでしょう。
安倍首相は選挙運動の最終日である13日、秋葉原で演説したときに、「あのテレビCM、恥ずかしいと思いませんか?」と言いました。安倍首相にまでバカにされています。
 
「正社員」という言葉をキーワードにCMをつくるなら、怒りあるいは悲しみの表情で「こんなに一生懸命働いてるのになぜ正社員になれないのですか」と語る女性を出したほうがよほどアピールします。
 
CMのつくり方というのは、小さな問題のようですが、大きな問題につながっているような気がします。
 
根本的なことを言えば、民主党は政権運営に失敗したのですから、そのあと反省して党が変わったことを示さなければ、有権者は投票する気になりません。それができていなかったということでしょう。
 
 
今後、そうとう長期にわたって自民党中心の政権が続きそうです。そうなると、日本はどうなるのか、これからのシナリオを考えてみました。
 
私自身は、安倍政権がどんどん右傾化していくということはそれほど心配していません。今の時代に“一国軍国主義”というのは不可能だと思うからです。
 
問題は、経済と国家財政です。
アベノミクスといっても、実態は小渕政権や森政権や麻生政権がやってきたバラマキと変わりません。これは結局、財政赤字をふやすだけです。
ただ、日銀による異次元の金融緩和が資産バブルを発生させているので、景気がよくなっているように見えますが、バブルはいずれはじけて、より深刻な不況を生みます。
 
安倍首相は「アベノミクスは経済の好循環を生む」と言っていますが、藻谷浩介著「デフレの正体」によると、労働人口が減少する社会がデフレになるのは当然だとされますし、水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」によると、歴史の長期的なサイクルでは先進国に投資してももうからない時代に入っているということで、安倍首相の言うようにはならないでしょう。
 
エコノミストにはアベノミクスに期待する人がたくさんいますが、おそらく1年、2年という目先の利益を考えて言っているだけで、長期的に経済成長が続くと思っている人はいないのではないでしょうか。現に2期連続でGDPはマイナスですし。
 
遅かれ早かれアベノミクスが失敗し、財政危機が表面化し、国債がデフォルトするか否かという事態になるのではないかと思われます。
 
そうしたことを避けるには歳出削減をしないといけませんが、民主党政権での事業仕分けのイメージがひじょうに悪いので、今、歳出削減を主張する声はほとんど聞かれません。
こういうイメージ戦略を仕掛けているのは官僚組織でしょうが、目先の利益だけを考えてのことです。
 
 
考えてみれば、私の人生はほとんど自民党政権とともにありました。民主党のCMではありませんが、「夢は政権交代」と想い続けて、今はその夢も失せてしまったわけです。
 
しかし、政権交代とか革命とかクーデターとかで変わるのは、社会の上部構造です。社会の下部構造、つまり人と人の関係から変えていくということを地道に続けていくしかないと思っています。

このページのトップヘ