
人種差別反対運動で「Black Lives Matter」というスローガンが使われていますが、これをどう訳すかが問題になっています。
「 Matter」は、名詞だと「問題」とか「事柄」という意味ですが、ここでは動詞なので、「問題である」とか「重要である」という意味になります。
一般には「黒人の命はたいせつだ」とか「黒人の命もたいせつだ」と訳されていますが、これでは本来の意味が表現できていないという声があります。
そこで「黒人の命こそたいせつだ」という訳が考えられましたが、これでは黒人の命を特別扱いしているみたいです。
そうでなくても、「Black Lives Matter」は逆差別だと主張する人たちがいます。
そういう人たちは「All Lives Matter」と言います。
「Blue Lives Matter」という言葉もあります。
ブルーはアメリカでは警官を象徴する色だということで、「警官の命もたいせつだ」という意味になります。
警官が黒人を殺す事件が人種差別反対運動盛り上がりのきっかけになっているのに、それを否定するような言葉です。
日本で痴漢対策に女性専用列車があることに対して、「女性専用列車は男性差別だ」と主張する人がいるみたいなものです。
で、「Black Lives Matter」をどう訳すかという問題ですが、朝日新聞の『(後藤正文の朝からロック)黒人の命「は」「も」「こそ」』というコラムに、ピーター・バラカンさんによる「黒人の命を軽く見るな」という訳語が紹介されていて、これがいいのではないかと思いました。
「黒人の命を軽く見るな」という言葉だと、黒人の命が軽く見られている現状への抗議だということがわかります(「黒人の命を無視するな」のほうがよりいいかもしれません)。
「黒人の命はたいせつだ」とか「黒人の命もたいせつだ」では、差別的な現状が見えてきません。
ともかく、「黒人差別反対」という声を上げると、「それは白人差別だ」という声が上がり、「女性差別反対」の声を上げると、「それは男性差別だ」という声が上がり、議論が混乱するのが常です。
こうしたやり方が天才的にうまいのがトランプ大統領です。
6月12日、ジョージア州アトランタ市で、駐車場の車の中で寝ていた黒人男性が飲酒運転で逮捕されるときに抵抗し、警官のテーザー銃を奪い、警官が黒人男性に拳銃を3発撃って射殺するという事件がありました。撃った白人警官は殺人罪で訴追されましたが、白人警官が血を流して倒れている黒人男性を蹴りつけている映像があり、白人警官への批判がいっそう高まりました。
トランプ大統領は米Foxニュースのインタビューで、この事件に言及し、「私は彼(被告の白人警官)がフェアな扱いを受けることを願う。わが国では、警察はフェアな扱いを受けてこなかったから」「あのように警察官に抵抗してはいけない。それでとても恐ろしい対立に陥ってしまい、あの終わりようだ。ひどい話だ」と語りました。
トランプ大統領にかかると、フェアな扱いを受けてこなかったのは黒人ではなく警官で、撃った白人警官より抵抗した黒人男性が悪いということになってしまいます。
トランプ大統領は外交関係でも同じやり方です。
たとえば5月29日の会見でも「中国は何十年もの間、米国を食い物にしてきた。私たちの仕事を奪い、知的財産を盗んできた」と言いました。
トランプ大統領はつねにこの調子で、「アメリカは食い物にされてきた」「アメリカは利用されてきた」「日米安保は不公平だ」と言います。
どの国も超大国のアメリカを食い物にすることなどできるわけがないのですが、ともかくトランプ大統領は、アメリカは食い物にされていると主張し、相手国と交渉するわけです。
つまりトランプ大統領は「公平」という基準が普通の人と違うのです。
いや、トランプ大統領だけでなく、白人至上主義者はみな同じです。
彼らは、今のアメリカは黒人やヒスパニックやアジア系がのさばって、白人は不当にしいたげられていると思っていますし、アメリカは中国や日本に食い物にされていると思っています。
彼らの内心の思いを政治の表舞台で言語化することで支持を集めたのがトランプ大統領です。
トランプ大統領や白人至上主義者は、議論の出発点が違うので、一般の人が議論するとどうしてもかみ合いません。
たとえばテニスの大坂なおみ選手は、差別問題に積極的な発言をしていますが、ツイッターで「日本には差別はない。引っかき回すな(There is no racism in Japan. Do not make a disturbance)」と反論されたことがありますが、これなど典型です。
もし日本に差別がないなら、差別反対の声を上げる大坂選手は愚か者ということになりますが、もちろん日本に差別はあるに決まっています。
「日本には差別はない」というのはまだかわいいほうです。
本格的な差別主義者は、「在日は特権を享受していて、日本人は差別されている」と主張します。
歴史修正主義者も同じ論法を使います。
自虐史観の人間が歴史をゆがめているので、自分たちはそれを正しているだけだというわけです。
差別主義者と戦うために土俵に上がったときは、仕切り線がちゃんと真ん中に引かれているか確かめないといけません。