村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

usa-5018531_1280

「財務省解体デモ」というのが一時話題になりました。
昨年末から始まり、2月か3月ごろにピークとなり、財務省前に千人とか二千人とかが集まりました。とくに司令塔もないようですが、全国12か所ぐらいで同時に行われたこともあり、そのエネルギーはかなりのものでした。
中には陰謀論めいた主張もありましたが、「増税反対」「社会保険料を下げろ」「消費税廃止」といった主張が主で、生活苦を訴えるデモといえます。
主にYouTubeなどのネットで主張が拡散されましたが、ネット民はデモなどの行動を冷笑する傾向があるので、異例のことでした。

しかし、マスコミは財務省解体デモのことをほとんど報じませんでした。そのため、デモ参加者やデモ支持者はオールドメディアはけしからんと憤慨していました。
もっとも、マスコミが報じないのもわかります。「財務省解体」という主張がバカバカしいからです。

財務省は必要な仕事をしているのですから、解体するわけにいきません。
財務省が間違っているにしても、財務省を動かしているのは最終的に政治家である財務大臣ですから、政府や与党に対して主張するべきです。
財務省の賢いエリートが愚かな政治家をあやつっていると考えているのかもしれませんが、そうだとしても、あやつられる政治家をなんとかするしかありません。
財務省解体デモは、マスコミに無視されているうちに消滅してしまいました。


生活苦の原因は財務省ではありません。富裕層にマネーが偏在する格差社会が原因です。
ですから、「富裕層解体」をスローガンに、富裕層から低所得層に富を再配分する政策を要求するデモをすれば、もっと広く社会に訴えられたでしょう。
しかし、富裕層を敵視すれば、自民党、財界、官界、エリート層など体制全体と戦うことになります。
ネットでデモを冷笑していたような人にとっては、戦う相手が強すぎます。
そこで、もっとも弱そうな財務省を相手にすることにしたのでしょう。財務省なら表立って反論してくることもありません。
こういう闘争心の欠けたことでは世の中から無視されて当然です。


「富裕層解体」という言葉こそ使われませんでしたが、そのような主張のデモが行われたことがありました。
リーマン・ショック後の不況の中、2011年9月から「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に行われたデモと座り込みです。数千人の規模に拡大し、アメリカの各都市にも広がりました。
「私たちは99%だ」というスローガンも叫ばれました。アメリカでは1%の富裕層が所有する資産が増え続けていることに対する抗議の意味で、明確に格差社会反対を掲げる運動でした。
特定のリーダーがいなくて、インターネットの呼びかけで運動が拡大したのは財務省解体デモに似ています。
ただ、「財務省解体」のスローガンはまったく共感されませんでしたが、「ウォール街を占拠せよ」や「私たちは99%だ」というスローガンによる格差社会反対のメッセージはある程度世界に広がったと思われます。

2013年に出版されたトマ・ピケティ著『21世紀の資本』によって、大規模な戦争か革命がない限り経済格差は拡大し続けるということが明らかになり、格差社会反対の声はさらに強まるかと思われました。
しかし、実際にはアメリカでも欧州でも格差社会のことは問題にならず、移民の問題に焦点が当たりました。
しかも、移民の問題というのはほとんど捏造されたものです。
アメリカでは移民や不法移民の犯罪が多いという統計はないにも関わらず移民が治安を悪くしているという認識が広がりました。欧州にしても、もともと移民の問題はあったのに、急に政治の争点になりました。
社会を支配する富裕層が格差社会への不満をそらすために“移民問題”をつくりだしたのではないかと疑われます。


日本では、数年前から外国人犯罪が増えているというデマが主にSNSで流されました。
私の印象ではXでとくに目立ったと思います。「外国人による犯罪」とする写真や動画が多数投稿されましたが、中にはそれが犯罪であるかどうか、あるいは外国人であるかどうか疑われるものもありました。
しかも、外国人犯罪の総数と日本全体の犯罪総数との比較という肝心の情報がありません。
実際のところは、日本では外国人犯罪はへり続けていました。
それなのに「外国人犯罪が増えている」「外国人のせいで治安が悪化している」というイメージがつくられました。
Xはもともとヘイトスピーチが多いところでしたが、イーロン・マスク氏に買収されてからとくにひどくなった感じがします。
「外国人と共生するべきだ」というよりも「不法外国人は出ていけ」といったほうがインプレッションが稼げるので、どうしてもヘイトビジネスが蔓延することになります。

産経新聞は川口市にクルド人が多いことに目をつけて、クルド人の犯罪が多発しているという「川口市クルド人問題」をつくりだしましたが、特定の民族や人種に犯罪が多いということはあるわけがないので、最初からデマであることが明らかでした。

“外国人犯罪”に加えて“外国人優遇”というデマがSNS上に蔓延したところに、参政党の「日本人ファースト」という主張がぴたりとはまって、参院選で参政党が躍進しました。


ともかく、欧米と日本では「格差問題から移民問題へ」という政治の争点のシフトが起きました。
なにかの大きな力が働いているのではないかという陰謀論にくみしたいところですが、もちろん証拠はありません。
ひとつ確実にいえるのは、強力な富裕層と戦うよりも弱い移民をいじめるという安易な道を選ぶ人が多いということです。

そうした中で起きた財務省解体デモは格差問題に焦点を当てました。
しかし、やはり富裕層と戦う気概はなくて、弱い財務省を標的にしたので、共感は広がりませんでした。

なお、参院選においてれいわ新選組は、消費税廃止を掲げる一方で、累進課税の強化も主張しましたから、富裕層と戦う姿勢を示したといえます(共産党も累進課税の強化を主張しています)。
しかし、れいわ新選組はあまり伸びませんでした。


格差問題を解決しない限り一般国民は幸せになりません。
アメリカでは1979年から2007年の間に、収入上位1%の人の収入は275%増加したのに対し、60%を占める中間所得層の収入は40%の増加、下位20%の最低所得層では18%の増加にとどまっています。ということは格差はどんどん広がっているということです。
ラストベルトの貧しい白人労働者はトランプ氏に望みを託しましたが、トランプ氏は「大きな美しい法案」を成立させて、福祉を削減し、富裕層のための減税をしました。労働者のための製造業復活はいつ実現するのかわかりません。

日本でも、野村総合研究所の調査によると富裕層と超富裕層の総資産額は、2005年の213兆円から2023年の469兆円へと増加しています。
かりに日本で“外国人優遇”が行われているとしても、それをやめたところで日本人が潤うのは微々たるものです。
富裕層の所有する富を分配すれば一般国民は大いに潤います。
これまで富裕層に食い物にされてきた一般国民は、所得税の累進課税強化、金融所得課税強化、相続税増税などを訴えて「富裕層解体デモ」をするべきでしょう。

family-5489291_1280


今、世界におけるいちばんの問題はなにかといえば、「愛情不足」です。
「愛情」というのは、ここでは愛、友情、温情、思いやり、親切心なども含めた、人の幸せを願う気持ちの総称ということにします。
人間の心を利己心と利他心に分けると、利他心のことでもあります。

人間は原始時代は親族と共同体の人々といっしょに暮らし、愛情でつながって生きていました。
しかし、文明が発達するとともに富が増大し、親しくない人との交流が増えると、争うことも増えます。今の資本主義社会は激烈な競争社会なので、誰もが利己心を全開にして生きていて、その分利他心が少なくなっています。
人はみな肩肘張って生きていて、ささいなことでいがみ合い、親切や思いやりと出会うことはめったにありません。
これがつまり「愛情不足」社会です。

人体の働きを制御する自律神経には交感神経と副交感神経があります。
交感神経は外の世界に対応するときに働き、副交感神経は体を休めるときに働くもので、アクセルとブレーキにたとえられます。
交感神経と副交感神経はバランスを保っているものですが、競争社会で生きる現代人は交感神経を働かせすぎて、自律神経失調に陥りがちです。
したがって、瞑想やヨガなどで副交感神経の働きを強めてバランスを回復させることが必要になります。

利己心と利他心のバランスも同じです。
現代人は利己心偏重になっているので、利他心つまり愛情を回復させることが、本人にとっても社会にとっても必要です。


ところが、世の中に「愛情不足」という問題があることはほとんど認識されていません。
ただし、誰もが無意識のうちに愛情不足を感じているので、それを補うために映画、小説、音楽の中には「愛」があふれています。
それらは創作された愛ですから、現実の愛とは違います。たとえば白血病の少女と夢を追う青年の恋愛で、青年は少女との約束を果たすために命がけでがんばる――といった物語があると、そこに描かれた愛は純粋で、崇高なものになります。
キリスト教では、神の人間への愛を「アガペー」といって、無償で不変なものとしています。
ロマン主義では恋愛至上主義があって、やはり愛を純粋なものとして描きました。
そのため、愛や愛情というのは非現実的なものというイメージになっています。


その影響か、政治家が「愛」を口にすることはありません。唯一の例外は「友愛」を掲げた鳩山由紀夫元首相です。
もっとも、鳩山元首相の評価とともに「友愛」の評価も下がってしまいました。

政治の世界で例外的に「愛」という言葉が使われているのが「愛国心」です。
ただ、愛国心の「愛」は通常考えられている「愛」ではありません。
愛国心は「自国を愛する心」と「他国を憎む心」が一体となったものです。
戦争するときは国内の結束を固め、他国への敵意を高めなければなりませんが、それは急にやっても間に合わないので、普段からやっておかなければなりません。ですから、どの国でも愛国心は奨励されたり強要されたりしています。
「他国も自国と同じように愛しています」というような態度は愛国心の観点からはきびしく批判されます。

なお、ひところは「愛のムチ」という言葉もよく語られましたが、この「愛」も愛国心の「愛」に似ています。


フィクションの中の愛は現実的でないので、すべて頭の中から消去すると、ほんとうの愛が見えてきます。
それは動物的、本能的なものです。哺乳類の親が子どもの世話をしている様子を思い浮かべればわかります。そこに本来の親の愛情があります。
この愛情は子どもが生きていく上で必要なものです。それは人間でも同じです。
体が成長するには栄養が必要ですが、心が成長するには愛情が必要です。

第二次世界大戦後、多くの戦災孤児が施設に収容されましたが、衛生状態も栄養状態もいいのにも関わらず子どもの死亡率が高く、ホスピタリズム(施設病)と呼ばれました。そして、それぞれの子どもに担当の看護婦をつけて世話をするようにすると死亡率が改善したことから、ホスピタリズムの原因は母子分離による愛情不足であると判断されました。
家庭の中で育った子どもでも、愛情不足であればホスピタリズムになりえます。


人間は小さいときに子どもの立場で親子愛を経験し、成長すると異性愛を経験し、子どもができると親の立場で親子愛を経験します。
これが人生を貫く太い愛情の線です。
これと比べると友情などは小さいものです。

親子愛と異性愛は人間の本質的な部分ですが、競争社会の原理がそこまで侵食してきました。
夫婦は互いに家事を押しつけ、親は子どもを競争社会に適応させるためにむりやり勉強させているので、親子愛も異性愛も空洞化しています。

親子愛と異性愛はつながっています。親子愛がうまくいっていないと、異性愛もなかなかうまくいきません。子どものときに親から殴られていると異性にDVをしたりします。また、親から十分に愛されていないと自己肯定感が低いので、異性に告白する勇気が出ませんし、嫉妬や束縛が激しくなったりします。少子化の原因に未婚化・晩婚化がありますから、「愛情不足」は少子化の原因でもあります。
親に十分に依存できないと、のちのアルコール依存や薬物依存やギャンブル依存の原因になります。

「愛情不足」は社会全体の問題ですが、その中心は親子愛と異性愛です。ここを改善すれば社会全体も改善されるはずです。


2023年4月にこども家庭庁が発足しました。
こども家庭庁が第一に取り組むべきは「家庭再生」でしょう。家族関係を本来の姿にすることです。

教育界では「教育再生」が重要課題とされていて、政府の設置した教育再生実行会議もあります。「家庭再生」も当然あるべきです。

こども家庭庁は「こどもまんなか社会」というスローガンを掲げています。これは子どもの位置を隅からまんなかへ変えるだけの意味しかなく、人間関係を変える意味はありません。愛情は人間関係のあり方です。

こども家庭庁は「オレンジリボン・児童虐待防止推進キャンペーン」というのをやっています。これはもちろんいいことですが、児童虐待というのは愛情不足の極端なもので、いわばピラミッドの頂点です。ピラミッドの底辺から正していかなければいけません。それこそが子ども家庭庁の取り組むべきことです。

「愛情あふれる家庭キャンペーン」でもやって、よい親子関係、よい夫婦関係とはこのようなものだということを啓蒙していくべきです。
今は人間関係の科学的研究が進んでいるので、そんなにむずかしいことではありません。

家族関係が変われば世界が変わります。
子どものときに親から十分に愛されると、自己肯定感が育まれるとともに、世界は信頼に足るものだという感覚が持てるようになり、それを「基本的信頼感」といいます。
基本的信頼感のある人は周りの人とよい関係をつくることができます。
基本的信頼感のない人間が安全保障政策を担当すると、隣国を信用することができず、最終的に軍事力に頼る結論を導くことになります。

映画や小説の中と同じようにリアルでも「愛」という言葉が普通に語られるようになってほしいものです。


racism-2099029_1280


参政党が外国人差別をあおり立てたので、オールドメディアは選挙期間中も参政党を批判しました。
それに対して参政党の神谷宗幣代表は「たたかれた分だけそれが逆に応援につながっているところがある」と言いました。実際、大いに票を伸ばしました。

差別主義者に「差別をやめろ」と言っても効果はありません。「これは差別ではない」という理屈を用意しているからです。
差別はヘイトつまり憎悪の感情によるものなので、論理ではなかなか説得できません。
差別主義者に圧力を加えると、ゴム風船を押したように反発します。差別感情の“ガス抜き”をしなければなりません。

では、どうすればいいかというと、イソップ物語の「北風と太陽」の太陽でいくのです。
差別主義者に寛容に接することで差別の感情をやわらげるのです。

憎悪は連鎖し、寛容も連鎖します。これが人間の自然です。
「差別をやめろ」と言うのもその連鎖の中です。
しかし、それでは世の中は進歩しません。むしろどんどん悪くなっていきます。
世の中をよくするには、あえて自然に反することをしなければならないのです。

しかし、これは容易なことではありません。その差別主義者を人間として知っていれば寛容な気持ちにもなれますが、差別的な言葉を吐いている場面しか知らないのでは、そうはいきません。
憎悪に寛容で報いるのがいいとわかっていても、できないものです。


では、どうすればいいかというと、なにもしないのがいいのです。
差別というのは、事実に基づかない偏った認識ですから、事実によって自然と訂正されていきます。
もちろん正しい事実を伝える努力は必要です。
今回の外国人差別については、「外国人が過度に優遇されている」と「外国人犯罪が増えて治安が悪化している」という間違った情報がSNSに流れたことが原因でした。
それは今回の選挙の中でオールドメディアによってかなり訂正されましたから、今後は消えていくはずです。

2002年の日韓ワールドカップをきっかけにして「嫌韓」の声が異様に盛り上がったことがありました。
日本は朝鮮を植民地にしていましたから、戦後も朝鮮人・韓国人に対する差別感情は水面下に根強くありました。インターネットが普及すると、2ちゃんねるのような匿名掲示板に差別感情が噴出したのです。
しかし、表面化したのはかえってよかったと思われます。差別の不合理なことが明らかになったからです。たとえば在日の人は日本人にない“在日特権”を持っているとか、在日は電通や自民党や官僚を陰で支配しているといったことが語られました。
日本人は在日の人にやましい感情があるので、もしかすると“在日特権”みたいなものはあるかもしれないと思われましたが、結局はことごとくがデマでした。
在日が陰で日本を支配しているなんていうことはあるわけがありません。在日の人数は当時約60万人で(今は約28万人)、就職差別を受けていましたから、どうして日本を支配できるのでしょうか(この説は今のディープステートに似ています)。
差別感情は不合理なもので、差別主義者はそれを正当化するために“不合理な事実”を捏造するわけです。
ですから、「それは事実ではない」と指摘すれば、やがてそのもとにあった差別感情も消えていくはずです。

「嫌韓」のムーブメントは数万人規模の反フジテレビデモを行うほどに盛り上がりましたが(フジテレビは韓流ドラマやK-POPを偏重しすぎだという理由)、今ではほとんど消滅しています。
韓流ドラマやK-POPや韓国グルメなどが日本で人気となったことが主な理由でしょう。
それに、韓国人は日本人と見た目も変わらず、両国の文化もきわめて似ていますから、差別感情を維持するほうが困難です。

最近の日本の外国人排斥運動は明らかに欧米の移民排斥運動を真似たものです。
欧米の移民排斥運動は人種差別が根底にあります。この人種差別は白人が有色人種を差別するもので、見た目が違いますし、歴史もあるので、克服するのは困難です。
しかし、日本の場合、外国人を差別する歴史はそれほどありません。

それに、欧米の多くの国と日本では外国人の数や比率が違います。
「不法滞在の外国人は追い出せ」ということがいわれますが、出入国在留管理庁のホームページによると、2025年1月1日現在の不法残留者数は7万4,863人(前年比5.4%減)です。
在留外国人の総数は約332万人(2024年末時点の推定値)ですから、不法滞在者の割合は約2.25%です。
不法滞在者を全部追い出したところで外国人は約2.25%へるだけです。

「マナーの悪い外国人は追い出せ」ということもいわれます。
日本のマナーを知らない外国人は日本人よりマナーが悪いということはあるでしょうが、長期滞在者は日本人と変わりません。外国人旅行者のマナーを問題にするなら、外国人旅行者を閉め出すよりありません。
それに、「マナーの悪い外国人」を追い出すなら、「マナーの悪い日本人」は追い出さなくていいのかということにもなります。


人間は「差別をやめろ」と攻撃的に言われると、反発するものです。
冷静になって事実と向き合えば、日本人の外国人差別は根が浅いので、外国人排斥の動きも意外と早く沈静化すると思われます。

2168118_m

参院選で躍進した参政党は「日本人ファースト」を掲げました。
これが多くの人々の心に刺さったようです。
なにがそんなによかったのでしょうか。

「日本人ファースト」がトランプ氏の「アメリカファースト」の真似であることは明らかです。
違うのは、「アメリカファースト」は国家間のことをいっていて、「日本人ファースト」は国内のことをいっていることです。
アメリカに対する日本人の弱さの表れです。


人間は基本的に利己的です。
いや、利他的な面もあるのですが、現代の資本主義社会では誰もが競争に打ち勝つために利己的にならざるをえません。
しかし、露骨に利己的なふるまいをすると、周りからいやがられて、利益が得にくくなります。逆に利他的な人間だと思われると、好感を持たれて、利益が得やすくなります。
そこで、誰もが「利他的に見せかけて利己的な目的を達成する」という戦略を採用しています。
商人は「お客様に喜んでいただくために赤字覚悟で商売しています」と言い、政治家は「国家国民のために身命を賭します」と言い、企業は「社会貢献」という社是を掲げます。
大会で優勝したスポーツ選手は「これがおれの実力だ」と言わずに、「監督やコーチ、応援してくださった皆様のおかげです」と言います。謙虚な人間だと思われると有利だからです。

誰もがいい人間に見せかけて生きているので、“悪い人間”の部分が心の中にたまっていきます。それがインターネットの匿名での書き込みに出てくるので、ネット空間はヘイトスピーチと誹謗中傷が氾濫しています。


そういうことを考えれば、「アメリカファースト」がアメリカ人の心に刺さったこともわかります。
誰もが「自分ファースト」と言いたいのですが、これは利己主義丸出しなので、言うわけにいきません。
「アメリカファースト」なら、アメリカのためという利他的な意味になり、同時にアメリカ人である自分のためという利己的な意味にもなるので、遠慮なく言えます。

「日本人ファースト」も同じです。
日本人のためという利他的な意味になり、同時に日本人である自分自身のためという意味にもなります。

愛国心やナショナリズムも同じようなものです。
国のための行動が自分のための行動にもなり、国を愛することが自分を愛することにもなります。
人々は日ごろ利己的な主張を封じているので、ナショナリズムや愛国心の名目でたまっている利己的な思いが放出されます。

したがって、「日本人ファースト」というのはほとんど「自分ファースト」という利己主義です。
「利他主義に見せかけた利己主義」であるがゆえに「日本人ファースト」は多くの人に支持されたのです。


アメリカ人が国内でアメリカファーストを主張している限りは問題ありません。
しかし、アメリカが国際社会でアメリカファーストという利己主義的なふるまいをするようになると、世界にとって大迷惑です。

「日本人ファースト」は今のところ国内で主張されているだけです。
しかし、国内には2%強の外国人がいるので、もし「日本人ファースト」の政策が実行されたら外国人にとっては大迷惑です。
それに、「日本人ファースト」ということは、「日本人ファースト、外国人セカンド」ということで、露骨な外国人差別です。
海外に移住している日本人もたくさんいるのですから、海外在住の日本人が差別されても反対できなくなります。


「日本人ファースト」が多くの人の心に刺さったのは、「自分ファースト」と言いたい気持ちをそこに託したからですが、それに加えて“いじめ”という要素もあります。

本来なら「アメリカファースト」に対抗して「日本ファースト」と言わねばなりません。そうしてこそ公平な世界が実現できます。
しかし、強いアメリカに対してそれを言うことはできず、代わりに国内の弱い外国人に対して「日本人ファースト」と言ったのです。
いじめられっ子が自分より弱い相手を見つけていじめるのと同じです。

「日本人ファースト」という言葉には、近ごろの日本人の情けなさが凝縮しています。


24009800_m

発足してまだ半年のトランプ政権が世界を引っ搔き回しています。
もちろん日本も翻弄されているので、どう対応するかが問題です。
ところが、参院選の争点に対米外交をどうするかということは入っていません。
対米外交だけでなく外交安保が選挙戦でまったく議論になっていません。
争点になっているのは、給付か減税か、外国人政策をどうするかといった内政ばかりです。

日本政府は「日米同盟は日本外交の基軸」という基本方針を掲げてきました。これは「対米従属」とか「対米依存」とか批判されながらも、国民多数の支持を得ています。
しかし、この基本方針はアメリカがまともな国であってこそ成り立つものです。
トランプ氏は同盟国を同盟国と思わず、むしろ同盟国によりきびしい要求を突きつけてきますし、方針がころころ変わります。

アメリカが「アメリカファースト」を主張するなら、日本は「ジャパンファースト」を掲げて対抗するのが本来ですが、日本とアメリカでは国力が違いすぎるので、現実には不可能です。
第一次トランプ政権のときは、安倍首相はトランプ氏の懐に飛び込む作戦に出て、日米同盟基軸路線を維持することに成功しました。
それが可能だったのは、トランプ氏が政権運営に慣れていなくて、とくに外交安保については既定路線を踏襲していたからです。
しかし、第二次政権のトランプ氏は国務省も国防省も牛耳っているので、石破首相が安倍首相みたいな恭順の姿勢を示したら、トランプ氏はどんな無茶な要求をしてくるかわかりません。

今の日本は、日米同盟基軸路線を維持するのはどう考えても無理になり、かといって「ジャパンファースト」でアメリカと対抗することもできず、政府も国民も思考停止に陥っている状況です。
そのため外交安保が参院選の争点にならないのです。

参政党は「日本人ファースト」を掲げました。
「日本ファースト」を掲げるとトランプ政権と衝突することになるので、そこから逃げたのです。
「日本人ファースト」は日本人と外国人を分断し、外国人を差別するものだと批判されていますが、国際社会で戦う姿勢のないことも批判されるべきです。


日本中がトランプ政権の前で思考停止に陥っている中で、石破首相だけは違います。
トランプ氏は各国との関税交渉において、日本を甘く見ていたでしょう。安倍首相とのつきあいから、そう思って当然です。アメリカに有利な合意をまず日本と結んで、それを前例にして各国と有利な合意を結んでいくというのがトランプ氏の腹づもりだったでしょう。
ところが、石破政権は何度もアメリカと交渉しながら、いまだに合意に至っていません。
日本だけではなくほとんどの国とトランプ政権は合意できていません。
トランプ氏は関税政策が失敗に終わりそうで、面目丸つぶれです。


今のところアメリカと合意したのはイギリス、中国、ベトナムの三か国です。
イギリスとの合意はあまり価値がないとされます。

トランプ関税の最大の標的は中国でした。アメリカは対中関税を145%まで上げると主張し、中国は報復関税を125%にすると主張して、ぶつかり合いました。
で、合意の内容はというと、単純にいうと、アメリカは対中関税30%、中国は対米関税10%にするというものでした。
どう考えても、中国の強硬姿勢に対してトランプ氏が腰砕けになった格好です。

ベトナムとの合意は妙なことになっています。
トランプ氏は7月2日、SNSへの投稿で「ベトナムからのすべての輸入品に20%の関税をかけ、アメリカからベトナムへの輸出品は関税0%」という内容で合意したと発表しました。
ベトナム政府も同日にアメリカと貿易協定を締結することで合意したと発表しましたが、その中身についての発表はありませんでした。
そして、ブルームバーグの7月11日の報道によると、「トランプ米大統領がベトナムからの輸入品に対して20%の関税で合意したと先週発表したことは、ベトナムの指導部にとって寝耳に水だった」ということです。ベトナム指導部としては関税率10-15%を目指して引き続き交渉していく方針だそうです。
どうやらトランプ氏がまだ決定していないことを発表してしまったようです。

このことから、トランプ氏がよほど“成果”を国民に示したくてあせっているということがわかります。
それから、最終決定権はトランプ氏にあるのでしょうが、トランプ氏と交渉担当者との意思疎通がうまくいっていないということもわかります。

赤沢大臣はベッセント財務長官やラトニック商務長官らと交渉していますが、もしかしてこうした交渉相手が“子どもの使い”状態なので交渉が進展しないのかもしれません。各国が合意しないのも同じ理由からかもしれません。


日本がアメリカと合意しないのは、単に交渉の技術的な問題なのか、それとも石破政権の方針によるものなのか、はっきりしませんでしたが、石破首相は9日の街頭演説で関税交渉について「国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか。たとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない。守るべきものは守る」と語りました。
「なめられてたまるか」は強い言葉なので、波紋が広がっています。

石破首相は前から日米地位協定を改定するべきだというのが持論です。首相就任後はその持論を封じていますが、日米は対等であるべきだという思いは基本的にあるのでしょう。
石破首相は発言の翌日、BSフジの番組で「なめられてたまるか」の真意を「米国依存からもっと自立するように努力しなければならないということ」と説明しました。
この説明に反対する人はいないでしょう。しかし、「依存」から「自立」へと急に切り替えることはできません。
そのため多くの人は、石破首相が「なめられてたまるか」とアメリカと対等の口利きをしたことに戸惑っています。

立憲民主党の小沢一郎衆院議員は首相発言についてXで「トランプ大統領に直接言うべき。選挙向けの内弁慶のくだらないパフォーマンスはやめるべき」と批判しました。
野党議員が批判するのは当然ですが、自民党の佐藤正久参院議員もXで「この発言、確実にトランプ大統領に伝わる。より交渉のハードルを上げてしまった感。選挙でいう話ではない」と批判しました。

「なめられてたまるか」が英語に翻訳されたときにどうなるかを心配する声もありました。当然トランプ氏の耳に入ることを考えてです。
ストレートに訳せば「Don’t fuck wiht me」になるという意見もありましたが、さすがにそんな翻訳をするメディアはないでしょう。

関税交渉は石破首相の言うように「国益をかけた戦い」ですから、右翼や保守派は石破首相を応援していいはずですが、そうはなっていません。
高須克弥院長はXで、中国軍機が空自機に2日連続で30メートルまで接近したことを報じた記事を引用し、「石破首相に嘆願申し上げます。中国大使を呼び出して『なめるな!』と恫喝してくだされ。なう」と投稿しました。
タレントのフィフィさんも同様に「中国には、舐められてたまるか!とは言わない石破総理」と投稿しました。

FNNプライムオンラインで金子恵美氏は「なめられてしまうような状況をつくっているのはご自身なのではないでしょうか」とコメントしました。

私がざっと見た範囲では、なんらかの形で石破首相を批判するものばかりでした。「国益のためにトランプ氏との交渉をがんばれ」というような応援の声はありませんでした。
もともと反政府、反自民、反石破の人がかなりいるとしても、関税交渉という重要な役割を担っている石破首相を応援する声がないのは不思議なことです。
これは要するに、日本人のほとんどが対米依存のままだからでしょう。


鳩山由紀夫首相はオバマ大統領と会談したとき、普天間飛行場移設問題に関して「trust me」と発言したのが失礼だとして大バッシングを受けました。
「trust me」が失礼な表現であるはずがありませんが、対等な口利きではあるでしょう。当時の日本人には、日本の首相がアメリカの大統領に対等な口利きをしたことが非礼と感じられたのです(今回検索してみると、鳩山首相は普天間問題について「trust me」と言い、オバマ大統領は「あなたを完全に信じる」と返しました。しかし、事態がうまくいかない中で鳩山首相が再び「trust me」と言ったために、オバマ大統領は「責任が取れるのか」と不快感を表明したということだったようです)。


日本人にとっては今でも日本の首相がアメリカ大統領に対等の口を利くというのは考えられないことのようです。
では、石破首相はなぜ対等の口を利くことができたのでしょうか(本人の前では言っていませんが)。

アメリカのような大国の横暴に対しては各国が連携して対応するのが正しいやり方です。
今回は表立って連携する動きはありませんが、水面下でやっているのかもしれません。
各国が一致してアメリカとの合意を拒否し、結果的にトランプ包囲網を形成する格好になっています。
ベトナムだけは合意しましたが、ベトナムは共産党政権なので“西側”と情報共有ができなかったのかもしれません。

4月にトランプ関税が発表されると、アメリカ市場は株式・国債・ドルのトリプル安に見舞われたため、関税の実施は90日後に延期されました。
7月9日がその期限でしたが、アメリカと合意する国がないまま期限は8月1日まで再延期されました。
しかし、いまだにアメリカと合意する国はありません。
EU、カナダ、メキシコはトランプ関税が発動されたら報復関税を実施すると言明しています。
日本は報復関税は口にしません。そのためトランプ氏からなめられているのか、日本は自動車を買わない、コメを買わないと圧力をかけられています。
こうした状況で石破首相は「なめられてたまるか」と言ったわけです。

もし今、日本がアメリカに有利な合意をしたら、日本は世界中から白い目で見られ、軽蔑されます。
否応なく石破首相(と赤沢大臣)はタフ・ネゴシエーターにならざるをえないわけです。
日本国民はトランプ氏に向かって「日本をなめるな」と声を上げるべきです(そういえば参政党の去年の衆院選のスローガンが「日本をなめるな」でした)。


このページのトップヘ