村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

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「感動ポルノ」という言葉があります。
ウィキペディアによると「主に身体障害者が健常者に同情・感動をもたらすコンテンツとして消費されることを批判的に表した言葉」ということです。
障害者が努力して障害を乗り越えて困難な課題を達成するという感動的な物語が典型的な「感動ポルノ」です。
普通の障害者にそんな感動物語などめったにありませんから、「感動ポルノ」になるのは特殊なケースです。しかも、それはしばしば健常者を喜ばせるために脚色されています。

もともとのポルノは、「性的興奮を起こさせることを目的としたエロチックな表現」とされます。
たいていは男性向けなので、実際のセックスを描くのではなく、男性が興奮するようなセックスの描き方になっています。
たとえばモテない男がなぜだか美女とセックスする巡り合わせになり、その美女は男のテクニックとパワーに思いっきり興奮し、男のセックスのとりこになってしまうといった物語が典型です。
現実ではなく男の願望を描いたものです。

そこで私は考えたのですが、ハリウッド映画によくある、正義のヒーローが悪人をやっつける物語も、現実ではなく願望を描いたものですから、ポルノと呼んでもいいはずです。
これを「正義ポルノ」と名づけました。

正義のヒーローがギャングやテロリストをやっつけて、テロを防いだり人質を解放したりしてハッピーエンドになるというのが「正義ポルノ」の基本です。
正義のヒーローが悪人と戦うとき、敵が撃った銃弾が雨あられと降り注いでも、奇跡のように弾はヒーローに当たりませんし、爆発があっても奇跡のようにすり抜けます。
こうした映画の典型が1988年の「ダイ・ハード」(ジョン・マクティアナン監督)です。主演のブルース・ウィルスがたった一人で高層ビルを占拠した武装犯罪グループと戦い、やっつけますが、タイトル通りの不死身の活躍ぶりはスーパーマンやバットマンのような超人と同じで、もはやファンタジーの世界です。


こうした映画では、ヒーローが悪人を撃つと、悪人はあっさりと死にます。ときに崖やビルから落ちたり、爆発で吹き飛んだりしますが、みんなきれいに死んでくれます。
もしヒーローの撃った相手が血を流して苦痛でのたうち回ったのでは、観客は悪人をやっつける快感を味わうことができないので、必ずきれいに死ぬことになっています。

アメリカの戦争映画も同じ原理があると、町山智浩氏が「ビーチレッド戦記」(コーネル・ワイルド監督)の解説で言っていました。アメリカの映画業界では1934年から68年までヘイズ・コードといわれる自主検閲制度があって、人体がはっきりと破壊されるシーンを映すことが許されませんでした。体に弾が当たっても穴が空くだけで、血は流れなかったというのです。68年以降もそれほど変わらなくて、流血や腕がちぎれたりという本格的な残酷シーンが描かれたのはスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」になってからだということです。
アメリカの戦争映画は派手な銃撃戦や爆発シーンに目を奪われてしまいますが、よく考えると人が死ぬシーンは「きれいな死」ばかりです。

ともかく、「正義ポルノ」は悪いやつをやっつける快感が最大になるようにつくられています。
「勧善懲悪」という言葉もありますが、ハリウッド映画には「勧善」の部分がないので、「正義ポルノ」という言い方が適切でしょう。

映画と現実は違うと考えるのが当たり前ですが、アメリカ人の場合、映画の中の「正義」は現実にも通用すると思っている節があります。


映画には必ず終わりがありますが、現実に終わりはありません。
「正義ポルノ」は悪いやつをやっつけてハッピーエンドになりますが、現実では、犯罪者をやっつけてもまた新しい犯罪者が現れますし、テロリストをやっつけてもまた新しいテロリストが現れます。
つまり犯罪者やテロリストの発生を防止することが根本的解決なのですが、「正義ポルノ」を見ていると、悪いやつをやっつけることで問題が解決したような錯覚に陥ってしまいます。

その結果、アメリカは犯罪防止ががまったくできず、犯罪は増大する一方です(ここ2、3年は減少傾向のようですが)。
それでもアメリカ人は「悪いやつをやっつける」というやり方を変えることができません。
トランプ氏などは不法移民が犯罪の原因だとして、不法移民をやっつけることに力を入れています。


日本でも正義のヒーローが悪人をカッコよくやっつける「正義ポルノ」は、「鞍馬天狗」や「月光仮面」や「水戸黄門」などいろいろありますが、アメリカほど盛んではありません。
こうした物語は登場人物が善人と悪人に単純に色分けされています。
現実の人間はそんなに単純に色分けできませんから、「正義ポルノ」と現実は別だと認識されてきました。

ところが、最近は日本でも悪いやつをやっつける快感が求められるようになってきました。
いちばん最初は小泉政権が郵政改革に反対する勢力を守旧派と決めつけて攻撃したことでしょう。これは当時「劇場型政治」と呼ばれましたが、その原理は「正義ポルノ」であったわけです。
この傾向はどんどん強まってきて、石丸伸二氏は安芸高田市で議会を既得権益層と決めつけ、既得権益層をやっつける正義のヒーローとなって人気を博しました。
兵庫県知事選では、内部告発して自殺した元県民局長を立花孝志氏が不同意性交等罪を犯していた悪人と決めつけ、その背後に既得権益層があるとし、斎藤元彦知事を悪と戦うヒーローに仕立て上げました。
国政では財務省を悪と決めつけるのがはやっています。

つまり「感動ポルノ」と現実の区別がなくなりつつあるのです。
なぜそうなるかというと、やはりインターネットの影響でしょう。
言葉というのは善か悪かというように物事を単純化しますから、ネットの議論は「正義ポルノ」のような単純な方向に流れます。


アメリカはもともと「正義ポルノ」と現実の区別があまりない国でしたが、最近はもっとひどくなっているようです。
12月4日、ニューヨークの路上で米医療保険大手ユナイテッドヘルスケアのブライアン・トンプソンCEOが射殺されるという事件がありました。犯人は背後からトンプソン氏に近づき、冷静に拳銃を3発撃ったということです。逮捕、起訴されたルイジ・マンジオーニ被告(26歳)は、裕福な家庭で育ち、ペンシルベニア大学でコンピューターサイエンスを学び、マスター課程を卒業しています。卒業後はIT業界で働いていましたが、背中の痛みが悪化、手術を受けてもよくならなかったようです。医療保険への不満が犯行の引き金になったと見られています。被告は今のところ黙秘しているようですが、3ページに及ぶ医療保険業界を批判する文書を持っていて、「これらの寄生虫は当然の報いを受けた」といった言葉があったそうです。
この事件以降、アメリカのSNSでは医療保険やヘルスケア業界への不満が噴出しました。その背景には医療費が高額すぎて医療が受けられない人や、医療保険が下りずに支払いができない人の存在があります。保険会社が保険金請求を拒否した件数は、22年から24年にかけて31%増えたそうです。保険金の請求1件当たりの処理に担当者が行う電話もしくは電子メールの回数は、2018年には平均16回だったのが、今では27回になったということです。
事件から2日後、ユナイテッドヘルスケアはSNS上でCEOを追悼しましたが、それに対する人々のリアクションは冷酷で、「笑顔」の絵文字が大半を占め(同社によりコメント欄は制限)、「9万人以上が絵文字で嘲笑」と報じられました。
そして、マンジオーニ被告を英雄視する声もありました。
まさにリアル「ジョーカー」です。

マンジオーニ被告は殺人犯ないしはテロリストですが、「正義ポルノ」の論理では、医療保険会社を悪と見なせば正義のヒーローになります。
これが「正義ポルノ」のだめなところです。
悪のレッテルの張り方ひとつで、犯罪者やテロリストが正義のヒーローになってしまうのです。

こういうことを避けるには、法律に基づいて悪のレッテルを張らなければなりません。これが法の支配ということです。
したがって、「正義ポルノ」というのは、リンチの肯定にほかなりません。正義のヒーローは法の裁きもないのに悪人をやっつけます。
リンチが横行したら社会の秩序は壊れます。

もっとも、アメリカでは開拓途上の西部ではリンチが横行し、奴隷解放後の黒人もリンチの標的になりましたから、リンチに親和性がある国です。銃規制に反対が多いのも、銃はリンチに必要だからです。

ハマスの最高指導者ヤヒヤ・シンワル氏がイスラエル軍によって殺害されたとき、バイデン大統領は「世界にとって良い日だ」という声明を出し、ハリス副大統領は「正義が果たされ、世界はより良くなった」とコメントしました。
完全に「正義ポルノ」の論理です。
トランプ氏が掲げる「アメリカ・ファースト」も、法の支配を無視しています。
アメリカ式「正義ポルノ」が世界を支配しないように注意しなければなりません。



人が「正義ポルノ」にひたって夢見てしまうのは、善悪、正義について根本的に考え違いをしているからです。
正しい考え方は「道徳観のコペルニクス的転回」で。

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(立花孝志氏の選挙ポスター)

兵庫県知事選で斎藤元彦知事が当選して以来、「オールドメディアの敗北」ということが言われます。
メディア同士が対決したわけではありませんが、新聞、テレビなどのオールドメディアは圧倒的に斎藤知事に批判的な論調でしたし、斎藤知事支持派がもっぱらSNSを活用したことで、メディア対決の格好になりました。
そして、SNSの影響力が想像以上に大きいことが示されました。
そのためネット民は勝ち誇り、テレビのキャスターなどは沈鬱な表情をするということがあったようですし、泉房穂元明石市長は「今回の民意を見て、私自身も反省するところ多く、お詫び申し上げたい」と斎藤知事に直接謝罪しました。

しかし、民意が正しいとは限りません。
私は選挙結果に納得がいかなかったので、有権者に大きな影響を与えたであろう立花孝志氏のYouTubeを見てみました。そうすると、なんの根拠もなしに斎藤知事のパワハラはなかった、おねだりはなかったと主張していて、こんなものを信じる人がいるのかと驚いて、「立花孝志氏のYouTubeに愕然」という記事を書きました。
その後、いろいろな事実がわかってきて、SNSを信じた人の愚かさがますます明白になってきています。


私は立花氏のYouTubeを見るとき、強い心理的抵抗がありました。立花氏の活動歴について多少の知識があれば、誰でもそうでしょう。まともに相手にする人物ではありません。
とくに去る7月の都知事選ではN国党として24人を立候補させ、掲示板の枠を売るというビジネスをして批判を浴びました。兵庫県知事選では、自分の当選を目的としない立候補をして、選挙ポスターには自分のことを「正義の人間です」などと書いていました。

立花氏は斎藤知事のパワハラ、おねだりやその他の不正はなかったと主張する一方、内部告発をした元県民局長が自殺したのは斎藤知事のパワハラが理由ではなく、「自殺した元県民局長は10年間で10人以上もの女性県職員と不適切な関係を結んでおり、不同意性交等罪が発覚することを恐れての自殺だと思われる」と選挙ポスターに書きました。立花氏は同じことを街頭演説やYouTubeでも言いました。
しかし、この時点ではなんの証拠も示していません。「公用パソコンの中にはおびただしい数の不倫の証拠写真が保存されており」と言いますが、言葉だけで、証拠写真は示されません。怪しい人間が怪しいことを言っているだけです。
にもかかわらず多くの県民が立花氏の言葉を信じて、SNSを通じて拡散させ、それが斎藤知事を当選させる力になりました。

はっきり言って、こんなことを信じるとは愚かとしかいいようがありません。
そういう人が「オールドメディアは嘘ばっかり」などと言って勝ち誇っていたのです。

立花氏は選挙が終わってから11月29日にXに「県民局長の公用パソコンを公開します!」と投稿して、フォルダが並んだパソコン画面をアップしましたが、フォルダの中身は公開しません。
ただ、フォルダの名称を見れば個人的な情報が入っているようです。立花氏は「公用パソコンに入っていればプライバシーでも公表してかまわない」という勝手な理屈を述べていました。
しかし、個人的なフォルダの更新の日付を見るとみな同じで、それは片山安孝副知事(当時)が元県民局長の公用パソコンを押収した日で、実はその日に私用USBメモリも押収したという話があります。つまり私用USBメモリの情報を公用パソコンに入れた可能性があるのです。

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結局、元県民局長の女性関係はどうだったのでしょうか。
「週刊文春」12月12日号の「立花孝志と対決した!」という立花氏のインタビュー記事から、要点を紹介します。

立花氏はパソコンの中身を見て、元県民局長とA子さんの不倫が同意であると確認できたと言いました。
ということは、「10人以上もの女性県職員と不適切な関係」や「不同意性交等罪」というのは憶測なのかと問われると、立花氏は「いやいや憶測じゃないですよ。(片山氏が)『複数』って言っていたし、僕に来た情報に『十人くらい』という説があったから。そこは全然問題ない。それに政見放送でも『十年で十人』と言ってしまったし、もう十人ってことでいいかなと。そこは尾ひれ背びれの細かい部分だからこだわりません」と言いました。
もともと「不同意性交等罪」というのは、十年で十人と不倫できるわけがないので、地位を利用してむりやり性交したのだろうという憶測だったのです。

公用パソコンの中身は週刊文春の記者も入手しており、「公用パソコンの中にはおびただしい数の不倫の証拠写真が保存されており」というのも間違いで、「A子写真館」というフォルダにはA子さんの証明写真が3枚入っているだけだったということです。
さらに、元県民局長とA子さんの不倫の根拠というのも、立花氏いわく「パソコンの中身を確認すると、二人が親密なメールのやりとりをしている」というだけのことなのです。

なお、 FRIDAYデジタルの『「元県民局長のPC公開」NHK党・立花孝志氏に透ける本心「バカな人たちをどう上手く利用するか」』という記事にはこう書かれています。
立花氏は元県民局長の不倫相手と指摘するT子(文春ではA子)さんの名前が付いたファイルの中身を公開した。確かにそこにはワードで書かれた文章があったのだ。“文章”なのだ。確かに生々しい描写がある文章だが、なにか“官能小説”のように見えてしまったのは私だけではないだろう。
こうなるとA子さんとの不倫すらあやしくなります。
元県民局長が自殺したのは、まったく個人的な恥ずかしい文章を暴露すると脅かされたせいではないでしょうか。


結局、立花氏の言っていたことはほとんどでたらめでした。
多くの有権者はそれにだまされてしまったのです。
選挙期間中はまだでたらめとはわかっていませんでしたが、確かであるという証拠もありません。それなのに立花氏のような怪しい人物の言うことを真に受けてしまったのです。

有権者がだまされたのには、三つほど理由が考えられます。

新聞、テレビなどのオールドメディアは、ちゃんと裏付けをとってから報道するので、基本的には信じられます。
しかし、SNSで個人が発する情報は、証拠が示されていない限り、あるいはよほど信用できる人物でない限り、みな不確かだと思わなければいけません。
これはネットを使うときの基本ですが、そういうメディアリテラシーのない人たちが意外とたくさんいたということです。
オールドメディアを批判する人はニューメディアを使いこなしているかというと、ぜんぜんそんなことはありませんでした。

それから、新聞、テレビは個人のプライバシーは報道しませんし、選挙期間中は特定の候補者を有利ないし不利にする報道はしません。
ところが、そのことを知らない人がやはり意外とたくさんいたようです。
元県民局長の公用パソコンの中身になにがあったかということは個人のプライバシーに関わるので報道しませんが、それを「マスコミが報道しないのは真実を隠すためだ」と誤解して、勝手に盛り上がっていました。

それから、新聞、テレビは横並びで一斉に同じことを報道する傾向があります。
たとえば斎藤知事の「おねだり」についての報道もそうでした。
こういう報道に対する不快感がオールドメディアに対する反発につながったかもしれません。
しかし、横並びで一斉にというのはむしろSNSのほうが強くて、しょっちゅうなにかの“お祭り”が起こっています。
そして、そうした“お祭り”は「正義」の意識と関係していることが多いものです。つまり「悪いやつをやっつける」というときに人は熱狂します。
立花氏は「正義か悪か」というキャッチコピーをつけて元県民局長、既得権益勢力、百条委員会の奥谷謙一委員長、マスコミを悪者に仕立てて盛り上げました。


そうして斎藤知事が当選したわけですが、斎藤知事は知事にふさわしいのでしょうか。
片山副知事は元県民局長が自殺した5日後に辞職を表明する記者会見を開きました。片山副知事は元県民局長のパソコンを押収し、その後もなにかの交渉をしていたはずで、自殺に対する責任を痛感したものと思われます。
会見のときに片山副知事は、斎藤知事に5回にわたり辞職を進言したが聞き入れられなかったと語りました。
斎藤知事は片山副知事と違って元県民局長の自殺に対する責任は感じなかったのでしょう。倫理観に問題のある人と思われます。
斎藤知事は、選挙戦のSNS戦略全般を担当したと称するPR会社の折田楓代表を冷酷にも切り捨てています。

立花氏はXの新しい動画でぬけぬけと「すみません。斎藤さんはパワハラしてました。僕の調べ不足でした」などと言っています。

斎藤知事の仕事ぶりを評価したという有権者もいたでしょう。
しかし、斎藤陣営は選挙中に「公約を98.8%着手・達成した」と言っていましたが、選挙後にオールドメディアは実際の達成率は27.7%だと報道しています。
選挙戦の中で斎藤陣営と立花陣営は連携していたという報道もあります。

嘘にまみれた選挙戦をやって、その責任を追及されてもごまかし続ける斎藤知事。
SNSに踊らされて斎藤知事を当選させた有権者の責任は大きいといわねばなりません。

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斎藤元彦兵庫県知事を巡る問題が連日ネットとワイドショーをにぎわしています。
おかげで裏金議員が喜んでいるということが「自民裏金議員は“斎藤騒動”の長期化を期待? 参院政倫審の開催目前、斎藤元彦知事を巡る公選法違反疑惑で霞む」という記事に書かれていました。
石破茂首相もすっかり影が薄くなって、話題になるのは、APECに出席したときトルドー首相と座ったまま握手したとか、習近平主席と握手するとき両手で握ったとか、おにぎりの食べ方がきたないとか、くだらないことばかりです。
もっとも、斎藤知事の問題もパワハラとか公選法違反といった、くだらないといえばくだらないことです。それに、あくまで兵庫県というローカルの問題です。
それなのに斎藤知事にこれほど話題が集中するのはどうしてでしょうか。

なによりも斎藤知事のキャラクターが際立っています。
内部告発文書でパワハラやおねだりが告発され、告発者が自殺するという事態になっても、テレビの前で表情ひとつ変えずに、告発文書は「誹謗中傷」「嘘八百」で、「告発者を処分したのは当然」と言い続けました。
失職して選挙で再選された直後に、公職選挙法違反の疑いがかけられると、今度は「公選法違反になるような事実はないと認識しています」とひたすら繰り返しました。
こういう態度から「鋼のメンタル」と言われます。

普通の人なら、なにか疑いをかけられて、自分でもやましい気持ちがあると、つい弁解してしまい、そのため墓穴を掘ってしまうものです。
そういう意味で、いっさい説明せず、否定の言葉だけ繰り返すというのはうまいやり方です。
もっとも、追及するほうはどんどん不満がたまっていくので、いつまでも追及が続きます。
それがこの問題が騒がれるひとつの理由です。

こういう状況は、安倍政権のときにモリカケ桜が追及されたときに似ています。
安倍首相は虚偽答弁や公文書偽造などを駆使する鉄壁の守りで追及をはねのけ続けましたが、そのためいつまでたっても問題が終わりませんでした。
菅政権も同じです。日本学術会議新会員任命拒否問題で、拒否した理由をいっさい説明せずに拒否を貫き続けました。
安倍首相とその路線を継承した菅首相は、強権的な体質を持っていて、いかにも権力者らしい権力者でした。
こういうタイプの政治家は、反発も受けますが、一方で支持もされます。
いや、むしろ支持する人のほうが多いでしょう。
誰でも強いものには憧れますし、弱いリーダーよりは強いリーダーにのほうがいいと思うからです。

強いリーダーの典型はヒトラーです。体はそんなに大きくありませんが、拳を振り上げながら激しい言葉で演説し、反対勢力は突撃隊を使って暴力で制圧し、党内の反対派も次々と粛清していきました。
このやり方は人を恐怖させますが、一方で人気も博して、権力を掌握するとともに圧倒的な人気となり、ドイツは国民すべてが「ハイル・ヒトラー」を叫ぶ個人崇拝国家になりました。

トランプ氏は体が大きく、威圧感があり、演説も得意ですが、暴言を吐きまくり、間違いを指摘されても絶対に訂正しません。
今後、権力を掌握し、強権を行使するとともにさらに人気が出るかもしれません。

安倍首相も体が大きく、党内も官僚も掌握し、新安保法制などでも反対を強引に押し切り、いかにも強い権力者でした。
菅首相は体が小さく、体格的な威圧感はありませんが、冷酷な人事で官僚を掌握し、一度決めたことは貫くことで権力者らしさを示しました。

安倍首相と菅首相は強権的なタイプでしたが、岸田首相はまったく違います。「聞く力」を発揮して、一度決めたことでも国民の反発が強いと見るとすぐに方針転換しました。
そのため野党やリベラルも攻撃の目標を失った感じで、その隙に防衛費GDP比2%を実現してしまいました。
石破首相はもともとタカ派で強権的なイメージでしたが、今は党内基盤が弱く、少数与党になったので、権力者らしいふるまいがまったくできません。

そういうところに久々に権力者らしい権力者として斎藤知事が登場したために、支持派と反対派が激突する展開となったわけです。
斎藤知事は菅首相と同じタイプで、体は細いですが、即座に告発者を処分するなど冷酷な人事で部下を支配していたと思われます。
パワハラがあったかなかったかは見解の分かれるところですが、斎藤知事本人もきびしい叱責をしたことは認めています。
いわばパワハラ体質で、この人の下では働きたくないと思えるような人です。


話は変わるようですが、松本人志氏が性加害で告発されたときも似た状況になりました。
松本氏は圧倒的な力で芸能界に君臨し、見た目もマッチョですし、安倍首相と会食するなど、実に権力者らしい権力者でした。
週刊文春が詳細な記事で告発している一方、松本氏は「事実無根なので闘いまーす」と言ったきりなにも発信しませんでした。
それでも松本擁護派がいっぱい出現して、にぎやかな論争になりました。
松本氏のようないかにも権力者らしい権力者には、やはり多くの支持者がつくものです。

ですから、斎藤知事に関しても、マスコミに圧倒的に批判されていたので表面化しませんでしたが、潜在的な支持者はかなりいたと思われます。
そこに立花孝志氏とPR会社の折田楓氏の活躍で潜在的支持者が掘り起こされたのです。

斎藤知事の問題に関しては、政策はほとんど関係ありません。
斎藤知事の対立候補であった稲村和美氏は、選挙戦の序盤は「極左」呼ばわりされていたが、終盤になると「既得権益の代表」みたいに言われたと語っています。
兵庫県民以外、選挙戦でどんな政策が争われたか知る人はほとんどいないでしょう。
パワハラ体質で、権力者らしい権力者である斎藤知事を見て、好ましく思う人と嫌う人がいる。それが対立の根源です。


ここで保守とリベラルの問題が出てきます。
斎藤知事を支持する人が保守で、支持しない人がリベラルです。

私はこのところ保守とリベラルを考察する記事を書いてきましたが、保守というのはホッブスの思想に起源を持ち、「人間性は悪、権力は善」というもので、リベラルというのはルソーの思想に起源を持ち、「人間性は善、権力は悪」というものです。
ですから、保守派にとっては斎藤知事のようなパワハラ体質の権力者はむしろ善で、内部告発者は悪ということになります。
リベラルにとっては、パワハラ体質の権力者は悪で、内部告発者は善です。
もちろん実際に判断するには事実を調べなければなりませんが、直観的な判断としてはそういうことになります。
そして、人間はおうおうにして自分の直観的な判断を補強するために“証拠”集めをして、最初の思い込みをさらに強化するものです。
そうして保守とリベラルの対立は泥沼化します。


この対立をなんとかするには権力について知らねばなりません。
ホッブスは権力をもっぱら国家権力としてとらえていました。
しかし、ミシェル・フーコーは「権力はあらゆる関係に存在する」と言いました。明らかにフーコーの思想が進んでいます。
人間は生まれてすぐ親と対峙します。親は子どもにしつけをし、教育します。これがすでに権力関係です。
男と女も権力関係ですし、先生と生徒、会社の上司と部下、先輩と後輩、実力のある者と実力のない者、気の強い者と気の弱い者、金持ちと貧乏人など、あらゆる人間関係に権力があります。
会社の部下は命令してくる上司に不満を持つものですが、上司も部下の働きに不満を持ちます。
ですから、権力関係には不満がつきもので、多くの人は不満をため込んでいます。

権力は上から下への一方通行ですが、民主主義は違います。下の者が投票によって上の者を支配することができます。そのためここに下の者の日ごろの不満が集中します。
しかし、権力者に肩入れする者もいるので、感情的な争いが勃発します。これが政治的対立の根源です。

なお、最近はセクハラ、パワハラ、性加害の告発が行われるようになり、これも下から上への権力行使ですから、ここでも感情的な争いが生じます。これは政治の世界の争いとほとんど同じです。

昔は若者は反権力で、年齢が行くと権力側になる、つまり保守化したものですが、最近は革新勢力が古くさくなって、そう単純なものではなくなりました。
ある人がなぜ保守になるのか、リベラルになるのかというのはむずかしい問題です。
人がサディストになったりマゾヒストになったり、あるいは脚フェチになったりおっぱいフェチになったりするのと近いものがあると思います。つまり生まれてからのさまざまな経験によって決定されるのです。


しかし、保守とリベラルとどちらが正しいかというと、リベラルだということができます。
もともと人間は多くて150人程度の共同体で暮らしていました。それが人間にとっての自然な生活です。
ところが、人間は強大な国家をつくり上げました。これは人間の自然に反します。
保守はこの国家をさらに強大にしようというものなので、人間はますます自然に反した生活を強いられることになります。
今後は国家権力を解体して、共同体のよさを取り戻す方向へと舵を切るべきです。




私は最近、保守とリベラルについて「保守とリベラルはどちらが正しいのか」「リベラルはなぜ負けたのか」というふたつの記事を書いて、それを踏まえて今回の記事があるので、前の記事も参考にしてください。
斎藤元彦知事については「立花孝志氏のYouTubeに愕然」という記事も書いています。
また、私は「道徳観のコペルニクス的転回」というブログもやっているので、それもぜひお読みください。

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兵庫県知事選で斎藤元彦氏が再選されたことには驚きました。
マスコミでは圧倒的に斎藤氏のパワハラや「おねだり」が批判されていたからです。
しかし、ネットにはまったく別の情報が流れていて、とりわけYouTubeの切り抜き動画に影響された人が多かったようです。
これは都知事選の「石丸現象」と同じです。

私はYouTubeは映画や音楽を視聴するときに利用しますが、情報を得るためにはまったく利用しません。動画よりもテキストのほうが“タイパ”がいいからです。
たとえば首相の所信表明演説は、首相官邸ホームページに動画とテキストの両方がアップされていますが、動画を見るより文章を読むほうがはるかに早く、飛ばし読みもできます。
今回の兵庫県知事選では、ネットで情報を得る人がマスコミとマスコミで情報を得る人に敵意と軽蔑を向ける傾向がはなはだしく、私としては不愉快なので、「ネットで真実を知った」という人になにか反論してやろうと思いましたが、相手のことを知らないで批判はできません。
そこで、立花孝志氏の動画を見て真実を知ったという人がいっぱいいるので、立花氏の動画でいちばん重要そうなものを見てみました。



そもそものきっかけとなった元県民局長の内部告発文書は、公開されたものには黒塗りの部分があったのですが、立花氏は黒塗りのない文書を入手したと言います。
その文書は本物かなと疑いましたが、調べるとすでに文書の概略はマスコミが報じていました(たとえば読売新聞の「斎藤元彦兵庫県知事の七つの疑惑とは? パワハラ・手土産・キックバック」)。立花氏がこの動画で述べたことはそれと同じです。
立花氏が入手した文書によって新事実が出てきたのかどうかよくわかりません。

文書の告発内容は七つの項目に分けられ、立花氏はひとつずつ検証していきます。

第一の告発は、読売新聞の記事から引用すると、「片山安孝副知事(当時)が「ひょうご震災記念21世紀研究機構」の五百旗頭真理事長(故人)に、副理事長2人の解任を通告し、理事長の命を縮めた」というものです。
五百旗頭理事長は通告を受けた翌日に亡くなりました。
この解任を決めたのは斎藤知事なので、斎藤知事に責任があると告発したわけです。
しかし、五百旗頭理事長の死因は急性大動脈解離であり、執務中に亡くなったと報じられています。
立花氏は通告されたことと死亡は関係ないと主張しますが、これはもっともなことで、告発文書にむりがあります。

第二項目と第三項目は、公選法違反の事前運動に当たる投票依頼を行ったというものです。
立花氏はこれについては証拠がなく、確認できないと言います。
そして、いきなり「つくり話」だと言いますが、つくり話だという根拠は示しません。
「こういう指摘は証拠をつけないと名誉棄損だ」とも言います。
しかし、この段階では「名誉棄損」とは言えません。せいぜい「名誉棄損の可能性がある」程度です。
なお、告発文書にいちいち証拠を添付する必要はありません。指摘するだけでよく、事実なら調べればわかるはずです。

第四項は「おねだり」です。
高級コーヒーメーカーを受け取ったことについて、立花氏は「全部嘘ですけどね。このおっちゃん(元局長)のつくり話です」と言います。
高級自転車50万円が知事に贈られたことについて、立花氏は「これもありません」と言います。
ゴルフのアイアンセットが贈られていることについても立花氏は「これも完全なデマですね」と言います。
アシックスなどのスポーツウエアをいっぱいもらっていて、「癒着にはあきれる限りだ」と書いてあることについても、立花氏は「これも全部嘘です」と言います。
立花氏は「嘘」「つくり話」「デマ」と断定しますが、根拠はいっさい示しません。

第五項は「政治資金パーティ」です。
「圧力をかけてパーティ券を大量購入させた」と書いてあることについて、立花氏は「これは完全に名誉棄損です。もちろん事実じゃないので」と言います。根拠は示しません。

第六項は「優勝パレード」です。
阪神・オリックスの優勝パレードの費用を信用金庫からキックバックさせたということについては、立花氏は百条委員会の秘密会でキックバックはなかったと証言されているので「デマで名誉棄損だ」と言います。
私はこのことについてはよく知らないので、判断がつきません。

第七項は「パワハラ」です。
立花氏はこれも「嘘」だと言いますが、これは各自で判断してください。


立花氏の主張は要するにこういうことです。

「不確か」「証拠がない」→「嘘」「デマ」「名誉棄損」

こういうでたらめな論理で文書の内容を否定するのです。
嘘やデマだとする根拠はまったく示しません。
私は立花氏が独自に取材した事実が示されるのかと思っていましたが、そういうものはいっさいありません。
「こたつ記事」ならぬ「こたつ動画」です。

立花氏は候補者同士の公開討論会で、元局長の文書を「名誉棄損」だと言い、さらに元局長を「犯罪者」だと言っていました。
立候補者の立場を利用して言いたい放題です。
「犯罪者」だと言えるのは裁判官が判断してからです。

それに立花氏は元局長のパソコンにあったというプライバシーも公開していましたが(ほんとうのことかわかりませんが)、許されないことです。


この動画を見て思ったのは、こんなでたらめなものを信じてしまう人がたくさんいるんだということです。
「ネットで真実」の実態を見た思いです。

ただ、告発文書にもおかしなところはあります。
斎藤知事のパワハラを告発したいなら、そこに焦点を絞るべきですが、この文書は網羅的です。そのため不確かなこともあり(「不確か」と「嘘」は違います)、五百旗頭理事長の死亡のようなこじつけもあります。
それに、最初はマスコミや国会議員などに送られ、公益通報の窓口に提出されたのはあとになってからでした。
そういうことから、斎藤知事ははめられたのだという説が出てきます。
立花氏も「虎ノ門ニュース」での須田慎一郎氏との対談でその説を語っていました。
立花氏の説を要約すると、「斎藤知事は改革を本気でやろうとした人だ。これまで税金でぬくぬくと暮らしていた職員やOB、建設会社などをバッタバッタと切っていった。65歳の定年、天下りの規制もやった。県庁舎の建て替えの見直しもやった。維新は改革を言うけど、あんまりやらない。斎藤知事は身を切る改革をこの3年間、本気でやった。それに対する不満がそうとうたまっていた」ということです。

私は斎藤知事がどの程度改革をやって、どの程度不満がたまっていたのかわかりません。ここは兵庫県政に詳しい地元の記者がちゃんと報道してほしいところです。
今の時点で「斎藤知事ははめられた」と主張するのは根拠がなく、陰謀論になります。
元局長は斎藤知事にパワハラされたことで恨みを持ち、斎藤知事を辞めさせようとしたが、パワハラの告発だけでは弱いと思っていろいろなことを書き加え、マスコミの力も借りようと思ったということも考えられます。
ただ、マスコミは斎藤知事の「おねだり」ばかりをおもしろおかしく報道していましたから、それに対する反発が陰謀論に向かわせているということはあるでしょう。


これまでマスコミは斎藤知事を“悪人”に仕立ててきました。
立花氏は元局長を“悪人”に仕立てて、斎藤知事を“正義”にひっくり返しました。
オセロゲームのようなものです。
ハリウッド映画や「水戸黄門」がその論理です。向こうが悪人ならこちらが正義の人になります。
しかし、現実には悪人も正義の人もいません。暴力団の抗争を見て正義と悪の戦いだと思う人はいないでしょう。関ヶ原の戦いでも同じです。
ヤクザ映画も、昔の高倉健の時代はよいヤクザと悪いヤクザの抗争でしたが、「仁義なき戦い」以降は“全員悪人”になっています。

しかし、人間はどうしてもレッテル張りをして現実を単純化したい。そうすると思考が節約できるからです。
立花氏のような人はそこにつけ込んでくるので、注意しないといけません。
かりに元局長が悪人だとしても、斎藤知事のパワハラがなくなることはありません。


それにしても、立花氏の「不確か」を「嘘」にすり替える論法にだまされる人の多いことに驚きました。
昔、私が2ちゃんねる(現5ちゃんねる)によく書き込んでいたころ、なにか主張するとすぐ「ソース(根拠)は?」と聞かれたものですし、少し論理におかしなところがあるとすぐ突っ込まれたものです。そうした環境から“ディベートの達人”のひろゆき氏のような人が出てきました。
しかし、今のYouTubeでは誰かのご高説を拝聴するという格好になっていて、批判力が失われてきているのかもしれません。

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米大統領選を見ると、保守対リベラルでリベラルが敗北したという感じがします。
保守が勝利したアメリカは、これからどういう社会になるのでしょうか。

トランプ氏の当選が決まってから、アメリカではSNS上で性差別の投稿が急増しました。
ロンドンのシンクタンク「戦略対話研究所」(ISD)がXやTikTok、Facebookなど主要なSNSで女性を標的とした投稿を追跡したところ、もっとも目立ったのは「Your body,my choice(お前の体、俺の選択)」というフレーズで、白人至上主義者のニック・フエンテス氏が投開票日の5日夜にXに投稿したポストは9000万回あまり閲覧され、3万5000回以上リポストされました。Xでは他にも女性蔑視的な発言が5日だけで4万2千以上のアカウントから6万4千件以上投稿されたということです。
「お前の体は俺のもの」「台所に戻れ」という言葉も多く見られました。

「お前の体、俺の選択」というフレーズは、中絶禁止反対運動で使われた「私の体、私の選択」という言葉をもじったものです。
実に気持ち悪いフレーズですが、アメリカの多くの州で中絶禁止が広がった背景には、こういう認識があったわけです。

なお、日本保守党の百田尚樹代表は少子化対策について、「SFやで」と前置きしながら「30超えたら子宮摘出手術をするとか」と発言して炎上しましたが、この発言も「お前の体、俺の選択」に通じるものがあります。


大統領選の民主党の選挙CMに議論を呼んだものがありました。
どんな内容かというと、あるサイトから引用します。
俳優のジュリア・ロバーツ氏がナレーションを務めるこの動画では、ある女性が夫と共に投票所を訪れるシーンが描かれる。夫はトランプ支持を思わせる野球帽を被り、女性も派手な米国旗のついた帽子を被っている。
 投票する女性は記入直前、別の女性と無言で視線を交わす。そして、2人は民主党ハリス候補に票を投じる。その後、片方の夫が「正しい選択をしたかい?」と尋ねると、派手な野球帽の女性は「もちろんよ、ハニー」と笑顔で応える。
動画の最後は、一人ひとりが投じる票の秘密は守られる、という趣旨のロバーツ氏によるナレーションで締めくくられる。つまり、あからさまにそうとは言っていないものの、仮に夫がトランプ支持者であっても妻にはそれに従う義務はなく、自由意思で一票を投じられる、ということを伝えている。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/84189

投票の秘密が守られるのは当たり前のことですし、妻が夫と別の投票行動をするのも当たり前のことだと思うのですが、どうやらアメリカでは妻が夫にマインドコントロールされて、投票まで支配されているということがあるようなのです。
イギリスのデイリー・メール紙は「こうした前時代的で家父長的なカップルは何百万人もいる」「私の両親がこういうカップルだった。それほど珍しいことではない」という声を伝えています。

アメリカの保守派はこのCMに猛反発し、「女性に嘘をつかせ、夫を騙すことを薦めるキャンペーンなど信じられない」などの声を上げました。
トランプ氏も反応し、FOXニュースの番組で「妻が夫に投票先を言わないなんて想像できるか。たとえ夫婦仲が悪くても、投票先は言うだろう。バカげている」と批判しナレーションのジュリア・ロバーツ氏について「失望した」と言いました。
番組の司会者は、妻が夫に秘密でハリス氏に投票するのは「浮気と同じだ」と批判しました。

保守派の家族観では、妻には投票の秘密はなく、夫と同じ投票行動をとらなければならないようです。
つまり妻は夫の従属物で、「妻の意志」などないも同然です。
保守派は「家族の絆」を重視するといいますが、これが絆の実態です。

トランプ氏は3人の妻との間に5人の子どもをもうけ、不倫相手に口止め料を払ってニューヨーク州の裁判所で有罪判決を受けましたし、イーロン・マスク氏も3人の女性との間に12人の子どもをもうけています。
彼らにとって「家族の絆」はきわめて薄いもののようです。

なお、トランプ氏が司法長官に起用すると発表したマット・ゲーツ下院議員は、性的人身売買容疑で司法省の捜査対象になったことがあり、下院の倫理委員会も性的な違法行為を調査していました。
FOXニュースの司会者から国防長官に起用されたピート・ヘグセス氏は、2017年に発生した性的暴行事件に関与していたとの疑惑があります。


トランプ氏の当選後、全米各地で携帯電話に「農園で綿花を摘む作業に選ばれた。農園に入ったら身体検査を受ける準備をしておけ」などという黒人奴隷を想起させる差別的メッセージが送られ、当局が捜査に乗り出すということもありました。
差別主義者が勢いづいています。


これまでリベラルは、人種差別や性差別について、いわゆる“ポリコレ”で差別語を糾弾するという対応をしてきました。
しかし、差別語というのは差別意識から出てくるわけで、差別語狩りをしても差別意識はそのままです。むしろ水面下で増大していたかもしれません。
それが保守派の勝利、リベラルの敗北になったと思えます。

やはり差別意識を根底から絶たなければいけません。
それにはどうすればいいかというと、見逃されている重要な問題があります。


昨年3月、フロリダ州の小中一貫校で、小学6年生の美術の授業でミケランジェロの彫刻「ダビデ像」の写真を扱ったところ、一部の親から「彫刻はポルノだ」などという苦情が入り、校長が辞任に追い込まれました。
このニュースは世界に配信され、ダビデ像を所蔵するイタリア・フィレンツェの美術館の館長は「ダビデ像が『ポルノ』的と受け止められ得るという発想は、聖書に対する理解不足に加え、西洋文化そのものを理解していないに等しい」と批判し、当の学校の教師と生徒をイタリアに招待しました。

これはいかにアメリカがおかしな方向に行っているかを示す出来事です。
フロリダ州の知事は保守派のデサンテス知事です。それに、背景には保守派の草の根の運動がありました。

現在、公立学校の図書館から“好ましくない本”を撤去する動きが広がっています。
NPO「米国ペンクラブ」が2024年4月に公表した報告書によれば、2023年7月から12月までの半年間に、全米23州で4300以上の本が公立学校で禁書扱いになりました。これは前年度の禁書の総数を上回っています。しかも、この数字は報道されたものや情報公開請求で開示されたものだけなので、実際はもっと多いことになります。
“好ましくない本”とはなにかというと、LGBTQに関する本、人種や人種差別に関する本などです。
人種差別に関する本がなぜだめかというと、「白人は人種差別的である」という偏見を植えつけるからだそうです。

「禁書」というのは表現の自由に反することで、自由の国アメリカにふさわしくないと思われますが、大義名分は「青少年に有害」ということです。
しかし、ある本や映画などが子どもに有害であるというデータはありません。
まったく根拠のない主張です(日本でも同じことが主張されています)。

禁書運動の中心的な役割を果たしているのは「自由を求める母親たち( Moms for Liberty)」という団体で、「親の権利」を掲げて教育現場に介入しています。
保守派の家庭で夫に従属する妻は、子どもに対しても従属を求めるわけです。
その拡大の勢いはかつての「茶会運動」に近いともいわれます。
「青少年に有害」なら「おとなにも有害」ということになり、いずれ一般の図書館でも「禁書」が行われるようになるかもしれません。

トランプ氏の当選後、アマゾンでディストピア小説の売り上げが急増したということです。
いちばん売れたのは、女性が男性に隷属して子どもを産む道具とされる未来社会を描いたマーガレット・アトウッド著『侍女の物語』で、2位が全体主義社会を描いたジョージ・オーウェル著『1984年』、3位が書物がすべて焚書される未来社会を描いたレイ・ブラッドベリ著『華氏451度』です。
どれも保守派の勝利から連想される社会です。


学校での禁書運動は保守対リベラルの最前線といえます。
ところが、リベラルはこのフィールドでまったく力を出せていません。

学校図書館での禁書がなぜいけないかというと、それは子どもの知る権利の侵害だからです。
教師が子どもになにかを見せるという場合は、子どもによっては不快に思うことがあるので、ある程度の配慮は必要ですが、図書館の本は子どもがみずから選択して読むのですから、制限する必要はありません。映画なども同じです。
保守派の団体は「親の権利」を掲げています。
「子どもの権利」対「親の権利」が衝突しているのです。

ところが、リベラルは「子どもの権利」をほとんど守ろうとしていません。
というか、そもそもアメリカは「子どもの権利」を認めない国です。
アメリカは子どもの権利条約を締約していない世界で唯一の国で、「子どもの権利」については世界最低レベルの国です。

アメリカでは毎年1700人前後の子どもが虐待によって死亡しています(日本は100人以下)。義務教育は子どもに学校に行く義務があります(日本は親に子どもを学校に行かせる義務があります)。学校はゼロ・トレランス方式という徹底した管理教育が行われ、不登校の子どもは戸塚ヨットスクールのようなスパルタ教育のキャンプに強制的に入れられます。

子どもの人権が広く侵害される状況は「子ども差別」ということができます。
アメリカ人はみな子どものときに子ども差別を経験するので、人種差別も性差別も当たり前のことになるのです。
また、妻が自分の意志で投票できないような家庭では、子どもの意志も無視され、親に従うのが当然とされます。こういう家庭で育つと、他人の人権を尊重することもできません。
ですから、子どもの人権が尊重されるようになれば、人種差別も性差別もおのずと改善するはずです。

ところが、リベラルは「子どもの人権」をほとんど無視しています。
保守派の主張の「子どもは親に従うべき」というのは道徳と同じなので、受け入れやすいといえます。
「子どもの人権」を掲げることは道徳との戦いです。この戦いはフェミニズムがしてきたことですが、困難ではあります。
この困難から逃げてきたことがリベラルの敗因です。


日本でも似た状況です。
日本の学校教育は惨憺たる状況で、いじめ件数も不登校も増え続け、ブラック校則などもまったく改善されません。これは政治の大きな争点になっていいはずですが、選挙のときにはまったく取り上げられません。
トー横キッズなどの問題も、家庭が崩壊したために子どもはやむなくトー横に集まってくるわけで、これが自民党が重視する「家族の絆」の実態です。


リベラルの敗因は、差別意識の解消をはかるのではなく言葉狩りに走ったことであり、差別意識が生まれる根本である「子ども差別」を放置してきたことです。


今回の記事は「保守とリベラルはどちらが正しいのか」の続編です。
前回は文明や社会のレベルでしたが、今回は人間関係のレベルで書きました。

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