
「感動ポルノ」という言葉があります。
ウィキペディアによると「主に身体障害者が健常者に同情・感動をもたらすコンテンツとして消費されることを批判的に表した言葉」ということです。
障害者が努力して障害を乗り越えて困難な課題を達成するという感動的な物語が典型的な「感動ポルノ」です。
普通の障害者にそんな感動物語などめったにありませんから、「感動ポルノ」になるのは特殊なケースです。しかも、それはしばしば健常者を喜ばせるために脚色されています。
もともとのポルノは、「性的興奮を起こさせることを目的としたエロチックな表現」とされます。
たいていは男性向けなので、実際のセックスを描くのではなく、男性が興奮するようなセックスの描き方になっています。
たとえばモテない男がなぜだか美女とセックスする巡り合わせになり、その美女は男のテクニックとパワーに思いっきり興奮し、男のセックスのとりこになってしまうといった物語が典型です。
現実ではなく男の願望を描いたものです。
そこで私は考えたのですが、ハリウッド映画によくある、正義のヒーローが悪人をやっつける物語も、現実ではなく願望を描いたものですから、ポルノと呼んでもいいはずです。
これを「正義ポルノ」と名づけました。
正義のヒーローがギャングやテロリストをやっつけて、テロを防いだり人質を解放したりしてハッピーエンドになるというのが「正義ポルノ」の基本です。
正義のヒーローが悪人と戦うとき、敵が撃った銃弾が雨あられと降り注いでも、奇跡のように弾はヒーローに当たりませんし、爆発があっても奇跡のようにすり抜けます。
こうした映画の典型が1988年の「ダイ・ハード」(ジョン・マクティアナン監督)です。主演のブルース・ウィルスがたった一人で高層ビルを占拠した武装犯罪グループと戦い、やっつけますが、タイトル通りの不死身の活躍ぶりはスーパーマンやバットマンのような超人と同じで、もはやファンタジーの世界です。
こうした映画では、ヒーローが悪人を撃つと、悪人はあっさりと死にます。ときに崖やビルから落ちたり、爆発で吹き飛んだりしますが、みんなきれいに死んでくれます。
もしヒーローの撃った相手が血を流して苦痛でのたうち回ったのでは、観客は悪人をやっつける快感を味わうことができないので、必ずきれいに死ぬことになっています。
アメリカの戦争映画も同じ原理があると、町山智浩氏が「ビーチレッド戦記」(コーネル・ワイルド監督)の解説で言っていました。アメリカの映画業界では1934年から68年までヘイズ・コードといわれる自主検閲制度があって、人体がはっきりと破壊されるシーンを映すことが許されませんでした。体に弾が当たっても穴が空くだけで、血は流れなかったというのです。68年以降もそれほど変わらなくて、流血や腕がちぎれたりという本格的な残酷シーンが描かれたのはスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」になってからだということです。
アメリカの戦争映画は派手な銃撃戦や爆発シーンに目を奪われてしまいますが、よく考えると人が死ぬシーンは「きれいな死」ばかりです。
ともかく、「正義ポルノ」は悪いやつをやっつける快感が最大になるようにつくられています。
「勧善懲悪」という言葉もありますが、ハリウッド映画には「勧善」の部分がないので、「正義ポルノ」という言い方が適切でしょう。
映画と現実は違うと考えるのが当たり前ですが、アメリカ人の場合、映画の中の「正義」は現実にも通用すると思っている節があります。
映画には必ず終わりがありますが、現実に終わりはありません。
「正義ポルノ」は悪いやつをやっつけてハッピーエンドになりますが、現実では、犯罪者をやっつけてもまた新しい犯罪者が現れますし、テロリストをやっつけてもまた新しいテロリストが現れます。
つまり犯罪者やテロリストの発生を防止することが根本的解決なのですが、「正義ポルノ」を見ていると、悪いやつをやっつけることで問題が解決したような錯覚に陥ってしまいます。
その結果、アメリカは犯罪防止ががまったくできず、犯罪は増大する一方です(ここ2、3年は減少傾向のようですが)。
それでもアメリカ人は「悪いやつをやっつける」というやり方を変えることができません。
トランプ氏などは不法移民が犯罪の原因だとして、不法移民をやっつけることに力を入れています。
日本でも正義のヒーローが悪人をカッコよくやっつける「正義ポルノ」は、「鞍馬天狗」や「月光仮面」や「水戸黄門」などいろいろありますが、アメリカほど盛んではありません。
こうした物語は登場人物が善人と悪人に単純に色分けされています。
現実の人間はそんなに単純に色分けできませんから、「正義ポルノ」と現実は別だと認識されてきました。
ところが、最近は日本でも悪いやつをやっつける快感が求められるようになってきました。
いちばん最初は小泉政権が郵政改革に反対する勢力を守旧派と決めつけて攻撃したことでしょう。これは当時「劇場型政治」と呼ばれましたが、その原理は「正義ポルノ」であったわけです。
この傾向はどんどん強まってきて、石丸伸二氏は安芸高田市で議会を既得権益層と決めつけ、既得権益層をやっつける正義のヒーローとなって人気を博しました。
兵庫県知事選では、内部告発して自殺した元県民局長を立花孝志氏が不同意性交等罪を犯していた悪人と決めつけ、その背後に既得権益層があるとし、斎藤元彦知事を悪と戦うヒーローに仕立て上げました。
国政では財務省を悪と決めつけるのがはやっています。
つまり「感動ポルノ」と現実の区別がなくなりつつあるのです。
なぜそうなるかというと、やはりインターネットの影響でしょう。
言葉というのは善か悪かというように物事を単純化しますから、ネットの議論は「正義ポルノ」のような単純な方向に流れます。
アメリカはもともと「正義ポルノ」と現実の区別があまりない国でしたが、最近はもっとひどくなっているようです。
12月4日、ニューヨークの路上で米医療保険大手ユナイテッドヘルスケアのブライアン・トンプソンCEOが射殺されるという事件がありました。犯人は背後からトンプソン氏に近づき、冷静に拳銃を3発撃ったということです。逮捕、起訴されたルイジ・マンジオーニ被告(26歳)は、裕福な家庭で育ち、ペンシルベニア大学でコンピューターサイエンスを学び、マスター課程を卒業しています。卒業後はIT業界で働いていましたが、背中の痛みが悪化、手術を受けてもよくならなかったようです。医療保険への不満が犯行の引き金になったと見られています。被告は今のところ黙秘しているようですが、3ページに及ぶ医療保険業界を批判する文書を持っていて、「これらの寄生虫は当然の報いを受けた」といった言葉があったそうです。
この事件以降、アメリカのSNSでは医療保険やヘルスケア業界への不満が噴出しました。その背景には医療費が高額すぎて医療が受けられない人や、医療保険が下りずに支払いができない人の存在があります。保険会社が保険金請求を拒否した件数は、22年から24年にかけて31%増えたそうです。保険金の請求1件当たりの処理に担当者が行う電話もしくは電子メールの回数は、2018年には平均16回だったのが、今では27回になったということです。
事件から2日後、ユナイテッドヘルスケアはSNS上でCEOを追悼しましたが、それに対する人々のリアクションは冷酷で、「笑顔」の絵文字が大半を占め(同社によりコメント欄は制限)、「9万人以上が絵文字で嘲笑」と報じられました。
そして、マンジオーニ被告を英雄視する声もありました。
まさにリアル「ジョーカー」です。
マンジオーニ被告は殺人犯ないしはテロリストですが、「正義ポルノ」の論理では、医療保険会社を悪と見なせば正義のヒーローになります。
これが「正義ポルノ」のだめなところです。
悪のレッテルの張り方ひとつで、犯罪者やテロリストが正義のヒーローになってしまうのです。
こういうことを避けるには、法律に基づいて悪のレッテルを張らなければなりません。これが法の支配ということです。
したがって、「正義ポルノ」というのは、リンチの肯定にほかなりません。正義のヒーローは法の裁きもないのに悪人をやっつけます。
リンチが横行したら社会の秩序は壊れます。
もっとも、アメリカでは開拓途上の西部ではリンチが横行し、奴隷解放後の黒人もリンチの標的になりましたから、リンチに親和性がある国です。銃規制に反対が多いのも、銃はリンチに必要だからです。
ハマスの最高指導者ヤヒヤ・シンワル氏がイスラエル軍によって殺害されたとき、バイデン大統領は「世界にとって良い日だ」という声明を出し、ハリス副大統領は「正義が果たされ、世界はより良くなった」とコメントしました。
完全に「正義ポルノ」の論理です。
トランプ氏が掲げる「アメリカ・ファースト」も、法の支配を無視しています。
アメリカ式「正義ポルノ」が世界を支配しないように注意しなければなりません。
人が「正義ポルノ」にひたって夢見てしまうのは、善悪、正義について根本的に考え違いをしているからです。
正しい考え方は「道徳観のコペルニクス的転回」で。