
はま寿司で他人が注文した寿司を横取りして食べる動画が拡散したことがきっかけでした。
次に、スシローで少年がレーンを流れている寿司に唾をつけたり、置いてある湯呑みをなめてもとに戻したり、醤油の注ぎ口をなめたりする動画が拡散し、それから、流れている寿司にわさびをつけたり、流れているポテトチップをつまみ食いしたり、うどん店で天かすを共用のスプーンで食べたりする動画が次々と拡散しました。
かつてバイト店員の悪ふざけ動画が拡散し、“バイトテロ”と呼ばれたことがありました。
それにならっていうと、今度は客が悪ふざけをしているので“客テロ”です。
他人が食べ物に触ったり、唾をつけたりする行為を見ると不愉快になるのは、感染症を防ぐための本能的な反応なので、こうした動画を見た人が不愉快になるのは当然です。
しかし、動画に映っている行為は過去のものです。唾がついた寿司や湯飲みや醤油差しなどはすでに片付けられるか洗われるかしていますし、迷惑行為をした人と店の間で話し合いが行われて解決している場合もあります。
ところが、動画が引き起こす本能的感情がひじょうに強いので、人々は現在の問題と思ってしまうようです。
「もう回転寿司に行けない」などと言っている人もいます。
こうした行為が「マナーが悪い」とか「常識に欠ける」と非難されるのは当然です。
しかし、日本には一億二千万人もいるのですから、中にはおかしな人もいます。
動画の迷惑行為をする人の中には、発達障害の人がいる可能性がありますし、ポテトチップをつまみ食いしたのは高齢の女性ですから、認知症かもしれません。
宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』に書かれたように、世の中には知的障害とはされない軽度の知的障害(境界知能)の人もいます。
もちろん知的障害の人もいます。
そうした可能性があるので、動画で迷惑行為をしている人を見て安易に非難するべきではありません。
ところが、やはり本能的感情が強烈なので、そうした判断のできない人が多いようです。
迷惑行為をしているのはたいてい若い人です。バイトテロが騒がれたのは10年近く前のことですから、そのころのことを知らない可能性があります。また、SNSやインターネットの影響力についてもまだよく理解していません。SNSを仲間内で盛り上がるためのツールととらえている可能性があります。
「こんな動画を上げれば騒ぎになるに決まっている。知らなかったではすまされない」などと言う人がいますが、自分が知っているから他人も知っているだろうと思うのは愚かです。
迷惑行為の動画が拡散して店は大きな損害をこうむりました。迷惑行為は過去のことなので、この損害は、動画を発掘して拡散させた人たちのせいです。迷惑行為をした人間は、その場にいた数人に被害を与えただけです。
私はこれを“炎上テロ”と名づけました。
つまり迷惑行為をやった人間がテロをしたのではなく、迷惑行為の動画を発掘・拡散して炎上させた人間がテロをしたのです。
“炎上テロ”は社会に損失を生みます。
回転寿司店は被害を防ぐためにAI搭載監視カメラを設置したり、回転寿司のレーンを改良したりすることを検討しています。実行することになれば、そのコストは客が負担することになります。
2月4日には、とんかつチェーンの「松のや」において少年が箸立ての箸を二十膳ほど両手でつかみ、先端を口の中に含んだあと、箸立てに戻し箸を混ぜるという動画が拡散しました。しかし、松のやによると、問題の動画が撮影されたのは2020年9月で、当時警察に被害届を提出し、すでに解決済みです。しかし、今回の拡散で、個別包装の箸に変更することを検討しているということです。
この例を見れば、迷惑行為をした人の悪は社会の片隅の小さな悪ですが、動画を発掘・拡散して炎上させた人たちの悪は社会を害する巨悪だということがわかります。
ネットで炎上させる人間は「正義の快感」に酔いしれているのでしょう。
スシローで唾をつけた少年は企業から損害賠償請求をされる可能性があり、その金額は最大100億円などといわれ、しかもそれは自己破産してもなくならない「非免責債権」であるといった報道がありました。
こうした報道を見て喜んでいる人がたくさんいました。
こうなると「正義の快感」というより「いじめの快感」です。
学校で子どもが自分より弱い子どもをいじめて喜んでいるのと同じです(いじめっ子にもそれなりの“正義”の理屈があるものです)。
学校ではいじめが増え続けています。
いじめが社会全体に広がってきたようです。
なお、損害賠償金については、唾をつけた少年の負担は少額で十分です。そして、動画を拡散させて騒いだ人も同じぐらいの額を負担するべきです。そうすれば合計して巨額の賠償金になります(現実にこのやり方は困難でしょうが、これが正しい責任の分担です)。
社会にはさまざまな人がいて、中にはおかしな人もいます。
おかしな人をなくすことはできません。
むりしてなくそうとすると、「角を矯めて牛を殺す」という言葉のように社会全体をおかしくします。
今の騒ぎは、本能的感情が暴走して引き起こされています。
本能的感情はもともと生存に必要なものでしたが、今は明らかに社会的損失を生んでいます。
ここは冷静になって、自分の感情はこれでいいのかと考えなければいけません。
これは「認知を認知する」という意味で「メタ認知」といわれます。
「メタ認知」のできる人が真に知性のある人です。

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