インドで政府の腐敗問題を追及してきた社会運動家アンナ・ハザレ氏が8月19日に釈放されたというニュースがありました。ハザレ氏は獄中でハンガーストライキを始め、釈放されてからは広場でハンストを続行し、支持者数万人が集まったということです。
ハンストで思い出すのはガンジーです(ハザレ氏も「現代のガンジー」と呼ばれているそうです)。ガンジーはことあるごとにハンストを行い、最終的に非暴力でインド独立を勝ち取りました。
ガンジーはどうしてハンストという手段を用いたのでしょうか。考えてみれば、ハンストは自分の体にダメージを与えるだけで、相手にはなんのダメージも与えません。
もちろん、ガンジーのハンストがインド国民の心を動かしたという効果はあるでしょう。しかし、ただそれだけでしょうか。
非暴力で独立を勝ち取るには、最終的にイギリス政府がインド独立を承認しなければなりません。つまりイギリス政府の心を動かさなければならないのです(「政府の心」というのはちょっとへんな表現ですが)。
人の心を動かすには、単純にいってふたつのやり方があります。
ひとつは、相手の利己心に訴えるやり方です。いわゆるアメとムチがそれです。
この場合アメというのは、たとえば独立を承認してくれればイギリス政府にお金を払うというようなやり方です。しかし、インド独立勢力にそんなお金のあるはずはありません。となると、ムチのほうを使わなければなりません。暴動、テロ、ゲリラなどで、イギリス政府にこれ以上インドを植民地にしていても不利益になるだけだと思わせるのです。
もちろんこれは暴力による独立運動で、ガンジーの思想とは違います。
人の心を動かすもうひとつのやり方は、相手の利他心に訴えるというやり方です。相手の同情心、親切心、良心などを喚起し、独立させてやろうと思わせるのです。
このやり方は、相手はまともな人間だという認識が前提になります。
ガンジーはイギリスに留学した経験があります。当時のイギリスは植民地から来た有色人種でも1人の人間として遇する懐の広さがあり(ガンジーは州知事の息子で、将来指導的立場になる人間だという計算もイギリス側にはあったでしょう)、ガンジーはイギリス人の友人もできて、充実した留学生活を送りました。
ガンジーはその経験から、インド人が不当な立場に置かれていることを訴えていけばイギリス人は理解してくれると思ったのです。
実際、ガンジーのハンストが長期にわたると、イギリス政府の人間も同じ人間として放っておけないという気持ちになったでしょう。
つまり、ガンジーとイギリス政府の人間は、深いところで同じ人間としてつながっていたのです。
ガンジーの非暴力思想には、こうした背景がありました。
現在、アメリカ政府はテロリストを同じ人間とは考えていませんし、テロリストもアメリカ政府を心が通じる相手とは考えていません。
つまり、相手は利他心どころか利己心すらない存在だと思っているのです。
そうすると、アメとムチのやり方も通じないということになり、相手をせん滅するしかなくなっています。
私たちはガンジーの時代から遠いところに来てしまいました。
しかし、希望を捨てる必要はありません。「ガンジー自伝」には次の言葉があります。
「一人に可能なことは万人に可能であると私は思っている」
