野田首相と李大統領の日韓首脳会談で従軍慰安婦問題に多くの時間が割かれたということで、従軍慰安婦問題についての議論がまた起こっています。
私はこの問題にはあんまり詳しくないのですが、当時首相だった安倍晋三氏が「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」と述べたのにはあきれました。強制性を狭義と広義に分類するというのは詭弁そのものです。こんなことをいっていたのでは国際社会では理解されません。
これぐらいのことは語れますが、この程度のことを語ってもたいした意味はありません。
では、ちゃんと勉強して語ればいいではないかということになりますが、日本にいてはちゃんとした勉強ができるかどうか疑問です。日本においては、日本に都合のよい情報ばかりが流通し、日本に都合の悪い情報はカットされてしまっている可能性があるからです。
尖閣諸島、竹島、北方領土の帰属問題も同じです。日本では「日本固有の領土だ」ということになっていますが、中国、韓国、ロシアではまったく違う論議がされているに違いありません。正確なことを知るには、日本の主張と相手国の主張と両方を知る必要がありますが、日本にいては相手国の主張を知ることは困難です。
夫婦喧嘩の仲裁をするときは、両方の言い分を聞くのが常識です。片方の言い分だけ聞いて裁定するのは愚かなことです。ところが、日本と他国との紛争に関しては、両方の言い分を平等に聞くのはほとんど不可能です。
ですから、日本にいてはまともな勉強ができないに違いないと思って、今のところやっていないのです。
両方の言い分を聞いて判断するというのは、あらゆることにおいて原則としなければいけません。
私は一応、なにかについて発言するときは、あくまで両方の言い分を聞くか、少なくとも両方の言い分がわかったと思ったときだけ発言するように心がけています。
たとえば、暴力団対策については、暴力団にはこのような言い分があるだろうと理解してから発言しますし、凶悪犯罪については、凶悪犯にはこのような事情があっただろうと理解してから発言します。
しかし、たとえば警察は暴力団のことをまったく理解せずに暴力団対策を行っているようですし、マスコミも暴力団のことを理解せずに警察に同調しているようです。また、なにか凶悪犯罪が起こると、識者は凶悪犯の心理は“心の闇”といって理解していないのに、厳罰を下すべきだと主張します。
日本と他国の紛争を日本の言い分しか知らずに判断するのはまったく愚かなことですが、日本ではほとんどの人が愚かなことをしているので、誰もそれをとがめる人がいません(日本だけのことではありませんが)。
世の中では、相手の言い分を聞かずに自分の主張ばっかりを言う人は、周りから自分勝手だといって批判されます。しかし、これが国家レベルのことになると、国内では誰からも自分勝手だと批判されることがありません。
たとえば、最初に挙げた、安倍当時首相の「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」という発言ですが、これはたとえば暴力男が「狭義の暴力性はなかった」とか、犯罪者が「狭義の犯罪性はなかった」とかいって自己正当化をはかろうとしているのと同じことです。しかし、しかし、安倍発言は日本国内ではそれほど批判されませんでした。
私たちはみな利己的です。しかし、個人の利己的な言動は周りから批判されますから、自然と抑制されます。
しかし、国家についての利己的な言動は、国内ではほとんど批判されないばかりか、互いに称賛し合ってどんどん増幅されていく傾向があります。
従軍慰安婦問題や領土問題を論議するときは、そうしたことを念頭においてしなければなりません。