村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2017年05月

森友学園や加計学園の問題で、検察はまったく動く様子がありません。こういうことでいいのかと思っていたら、こんなニュースがありました。
 
 
検察庁看板に赤ペンキ=器物損壊容疑で男逮捕-東京
27日午後0時45分ごろ、東京都千代田区霞が関の東京地検などが入る合同庁舎の守衛から、「看板にペンキをかけた男がいる」と110番があった。警視庁丸の内署員が駆け付けたところ、男が守衛に取り押さえられており、器物損壊容疑で現行犯逮捕した。
 男は「やったのは私で間違いありません」と容疑を認めているという。60代ぐらいとみられ、同署が詳しい身元や動機などを調べている。(2017/05/27-17:49
 
 
この事件で思い出すのは、1992年、金丸信自民党副総裁の佐川急便からの5億円のヤミ献金問題で、検察庁の看板にペンキがかけられたことです。このときは、検察は金丸氏に事情聴取もせず、罰金20万円で済ませようとしたために国民の怒りが高まっていたという背景がありました。そして、ペンキ事件がひとつのきっかけになって、検察は翌年3月に金丸氏を脱税容疑で逮捕しました。
 
今回、ペンキをかけて逮捕された男は森友学園や加計学園の問題で検察に腹を立てていたのかと想像されますが、2日たった今も続報がありません。いや、本人は逮捕の時点で容疑を認めているのですから、そのときに動機も語っていていいはずです。この事件で検察批判が高まってはいけないと思って、情報統制をしているのでしょうか。
 
すでに森友学園問題では、市民団体が財務省を公用文書等毀棄罪や背任罪で東京地検に告発しています。
しかし、検察の動きはないようです。
 
 
考えてみると、佐川急便事件のときは“政治とカネ”の問題でした。しかし、今回は安倍首相が賄賂を受け取ったということでは(たぶん)ありません。安倍首相は見返りなしに森友学園や加計学園の利益をはかったと思われます。森友学園には思想的に共感し、加計学園には昔からの友人だからというわけです。
 
これには政治状況の変化もあります。金丸氏の時代には、自民党の派閥のボスはカネの力で子分をふやさねばなりませんでしたが、今は自民党執行部がカネを支配していますから、安倍首相はそれほどカネを集める必要がありません。
 
政治家が賄賂をもらって私腹をこやしたということには国民も怒りますが、政治家が友人に便宜をはかったということには、国民もあまり怒りを感じないようです。
そのため検察もたかをくくっていると思われます。
 
時代が変わって、政治家の犯罪も変化しました。
今、問題になっているのは、“政治とカネ”ではなく、“政治と私情”あるいは“行政の私物化”です。
 
たとえば、昭恵夫人には5人の政府職員がついていたということです。“行政の私物化”以外の何物でもありません。
 
財務省職員は森友学園関係の記録をすべて廃棄したと称し、文科省職員は内部文書の調査をしたふりをして「確認できなかった」と報告しています。すべて安倍首相を守るためです。つまり安倍首相は職員に犯罪行為をさせ、嘘をつかせているのです。
もちろん財務省と文科省が森友学園と加計学園の利益のために動いたのも、安倍首相の“行政の私物化”です。

ほかにも、「総理」という著書があって、安倍首相べったりのコメントで知られるジャーナリストの山口敬之氏は、女性からレイプされたと訴えられたにもかかわらず逮捕を免れていると週刊誌に報道されており、これも報道通りなら、“行政の私物化”の典型です。
 
国民のために働くべき公務員が安倍首相のために働いているということに国民が怒れば、検察も動かざるをえなくなるはずです。 

文部科学省の前事務次官である前川喜平氏が記者会見し、加計学園問題で「総理のご意向」と書かれた文書は確実に存在していると述べました。
元事務次官とはいえ、一個人が政権と対峙するのには、相当の覚悟がいったでしょう。
 
もともと前川氏は水面下でメディアに文書を提供していたようですが、読売新聞に出会い系バーに通っているという記事を書かれました。官邸が情報を提供して書かせたものでしょう。
出会い系バーに通ったからといってなにも問題はありませんし、個人のプライバシーに属することです。読売新聞はそれを記事にしたのです。いかがわしい人間だと思わせるイメージ操作であり、人格攻撃です。
前川氏としては、このままおとなしくしていると一方的に攻撃されると思って、反撃に出たのでしょう。
 
その後も菅官房長官は「前川氏は責任を取らずに地位に恋々としがみついていた」などと人格攻撃を続けています。
 
人格攻撃という点では、森友学園の前理事長の籠池泰典氏も安倍首相から「しつこい」と言われ、その後も嘘をつくいい加減な人物というイメージ操作(実際に嘘をついていますが)をされています。
 
人格攻撃をされると、人間は意地でも反撃したくなるものです。
そのため、安倍政権は籠池砲と前川砲の十字砲火を浴びています。
 
 
「思考のトラップ」(デイヴィッド・マクレイニー著)という認知バイアスに関する本に、「人身攻撃の誤謬」という項目があります。そこから一部を引用します。

 
どんな人物かとか、どんなグループに属しているかによって、相手の主張が正しくないと決めつけるとき、人は人身攻撃の誤謬(ad hominem fallacy)におちいっている。この「アド・ホミネム」というのは、ラテン語で「人に向かって」という意味である。つまり、議論が手に負えなくなってきたとき、矛先を「人に向ける」ということだ。
たとえば、自動車を盗んだと告発されている人の裁判で、陪審員を務めていると想像してみよう。検察側は、被告の過去を持ち出して前科があることを示したり、昔の知り合いに被告は嘘つきだと証言させたりする。こうして種がまかれる――この男は嘘つきで泥棒だという――と、現在の議論についての意見がそれに左右されるようになる。その男がなんと言おうと、頭のどこかで人はそれを疑い、こいつは嘘つきだから信用できないと思うのだ。
 
 
安倍政権は政権を挙げて国民を「人身攻撃の誤謬」に陥らせようと操作しているわけです。
 
そもそも人格攻撃というのは、するほうも品位に欠ける行為として批判されるので、公の場ではあまり行われませんでした。
しかし、インターネットの中の議論では、人格攻撃は当たり前に行われていますから、今では一般の人もあまり抵抗は感じないようです。
安倍政権はそれに便乗しています。

安倍総理は、国会で民進党議員から批判されると、逆に民進党を批判するというのを得意技にしています。
  
トランプ大統領も同じです。批判されると、決まって人格攻撃とメディア攻撃で反撃しています。
 
人格攻撃には一定の効果がありますが、攻撃されたほうも反撃しますから、泥仕合になります。
今は籠池砲と前川砲対安倍砲と菅砲の撃ち合いです。
そのため、政治の世界から品位も権威も失われました。
いや、それ以前に、議論によってものごとを決めるということがおろそかになりました。
すべては安倍政権の傲慢な政権運営のせいです。

安倍首相が5月3日に発表した「九条3項加憲論」が意外な波紋を広げています。
 
安倍首相の加憲論は、「九条1項、2項を残しつつ、自衛隊が違憲となる疑いをなくすように3項を追加する」というものですが、戦力不保持はそのままで自衛隊を合憲にするというのは、どう考えても不可能に思えます。
だいたい安倍首相は3項にどういう条文を追加するのかなにも言っていません。せいぜい1行か2行ですから、考えるのは簡単です。言うと不可能がバレてしまうからでしょう。
 
ところが、3項の条文は不明なまま「3項加憲論」についての議論が盛り上がり、各新聞社がそれについての世論調査をしていますが、その結果はバラバラです。肝心の条文が不明なので、調査の仕方が各社でバラバラだからです。
 
憲法九条を守りたいという人たちも、安倍首相の加憲論に過剰反応しています。安倍首相に具体的な3項の条文を示させて、それから反対すればいいのです。
 
調べてみると、「九条3項加憲論」というのは、日本会議常任理事で安倍首相のブレーンでもある伊藤哲夫氏が「明日への選択」169月号で“自衛隊条項の戦略的加憲”として発表したものがもとになっているようです。

伊藤氏はちゃんと3項の条文も具体的に示しています。それはこのようなものです。
 
 
九条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3.但し前項の規定確立された国際法に基づく自衛ための実力の保持を否定するものではない。
 
 
この3項によって自衛隊が合憲となるという理屈です。
しかし、「戦力」は保持しないが「実力」は保持するというのは、結局言葉の遊びです。
「確立された国際法に基づく」というフレーズもごまかしとしか思えず、憲法に書き込む言葉ではありません。
 
私は安倍首相のためにもうちょっとましな3項の条文を考えてみました。安倍首相は「自衛隊を明文で書き込む」ということを言っているので、それに配慮しています。
 
3.自衛のための軍備として自衛隊を保有する。自衛のための軍備は戦力に当たらない。
 
このほうがすっきりしています。
これはもっとシンプルにすることもできます。
 
3.国を守るために自衛隊を保有する。自衛隊は戦力に当たらない。
 
もっとも、これも結局言葉の定義を変更することによるごまかしです。
稲田防衛相が南スーダンでの「戦闘」を「武力衝突」と言い換えたのと変わりません。
 
 
ともかく、改憲論は、改憲する条文を具体的に示して議論することがたいせつです。
 
私の見るところ、改憲派は条文を具体的に示されると、夢から覚めて改憲の情熱を失うようです。
たとえば、自民党は改憲草案をつくっていますし、九条についても具体的に条文を示していますが、これはまったく顧みられません。
読売新聞は「憲法改正試案」を発表し、産経新聞も「国民の憲法」を発表していますが、誰からも無視されています。
 
ですから、安倍首相の今回の「九条3項加憲論」も、条文が明示されると、結局はごまかしにすぎないことが明らかになり、改憲派はやる気を失うはずです。
 
改憲派にとっての改正憲法は、永遠につかまえられない「青い鳥」です。

いわゆる「共謀罪」法案が5月19日、衆院法務委員会で強行採決されました。
反対運動はそれほど盛り上がりません。反対運動のあり方にも問題があるのではないでしょうか。
 
金田勝年法相の答弁はきわめてお粗末で、「私の頭脳が対応できない」とか「花見であればビールや弁当を持っているのに対し、下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳などを持っている」など言ったことが話題になりました。しかし、それほど“炎上”はしません。
 
もともと金田法相はお飾りみたいなもので、共謀罪法案を提出した主謀者でもありませんから、彼を責めるのは筋違いでもあります。
 
では、共謀罪法案を提出した主謀者は安倍首相かというと、そうとも言えません。最初に共謀罪が国会に提出されたのは2004年、小泉内閣のときです。
つまり法務省や警察はずっとこのような法律をつくりたくて、やっと今回実現しそうになったわけです。
 
なぜ法務省や警察がこのような法律をつくりたいかというと、みずからの権限を拡大したいからです。これは役人の本能みたいなものです。
それに最近は刑法犯もテロ事件も減少する一方なので、予算をへらされないためにも犯罪の範囲を拡大したいという動機もあると思われます。
 
私は前からこのことを主張してきましたが、刑法学の高山佳奈子京大教授も同じことを書いておられたので、その記事の一部を引用しておきます。
 
 
もし「共謀罪」が成立したら、私たちはどうなるか【全国民必読】
知らなかったと後悔する前に

高山佳奈子

 
なぜ、このように無用な処罰規定を広範に導入する法改正が急がれているのか。
「政府に批判的な勢力を弾圧するため」、「米国に情報を提供するため」という見方にも説得性があるが、筆者は特に、「犯罪のないところに犯罪を創り出し、取締権限を保持するため」という動機が1つの背景をなしていると見ている。
近年の犯罪統計によれば、犯罪認知件数は激減しており、戦後最低新記録を更新中である。暴力団関係者の数とそれによる犯罪も大きく落ち込んでいる。仕事のなくなった警察が摘発対象を求めているかのように見える。
筆者がそのように考えるのは単なる憶測によるものではない。近年、何の違法性も帯びていない行為の冤罪事件や、極めて軽微な違法行為を口実とした大幅な人権剥奪が現に起こっていることが根拠である。
 
筆者が直接関与した事件の例として、大阪のクラブが改正前風営法のダンス営業規制により訴追されたNOON裁判がある。
クラブNOONは単にフロアで音楽を流していただけで、深夜営業もしていなければ未成年者もおらず、騒音やごみ、いわんや暴行・傷害や違法薬物の問題も全く生じていなかった。
最高裁は、クラブには表現の自由と営業の自由が及んでおり、社会に対する実質的な危険がなければ無許可営業罪の処罰対象にはならないとして、無罪の判断を下した。
しかし、最高裁まで争って無罪を勝ち取った金光正年氏以外は、同様の事案で多くのクラブ関係者が略式手続によって冤罪の状態のままに置かれてる。
しかも、改正風営法ではダンス営業の罪が廃止されたものの、これよりもさらに広範で違憲の疑いの強い「遊興」処罰規定が新設され、多数の飲食店に対し、警察が嫌がらせともとれる立入りなどを実施している。
警察には仕事がないらしい。クラブ関係者の政治的立場は多様であり、反政府的であるから摘発されたとは考えがたい店も多い。
最近では、女性タレント2名が電車の線路に立ち入った行為が鉄道営業法違反で書類送検の対象になっている。この行為はクラブ営業と異なり違法は違法だが、極めて軽微な違法性しかない。この程度の行為であれば、刑事罰の対象とはされない国も多い。彼女たちは何の政治的立場もとっていない。
また、昨年5月には、右翼団体「草莽崛起(そうもうくっき)の会」メンバー20名が、道路交通法上の共同危険行為を理由に、運転免許の取消処分を受けることになったと報道された。
こうした摘発の現状を見ると、対象にされる者が政府に対してどのような立場をとっているかは、警察の実績づくりのためにはもはや関係がなくなっていると考えられる。
現行法の下でもこの状態であるから、いわんや、共謀罪処罰が導入されれば、取締権限がどのように用いられるかは、一般人の予測しうるところではないことが明らかである。
 
 
つまり共謀罪法案提出の主謀者は法務・警察官僚です。
ここを標的にして反対運動をするが正しいやり方です。
 
金田法相の答弁があまりにも不安定なので、与党は林真琴刑事局長を政府参考人として出席させて代わりに答弁させることにしました。
野党としては金田法相のバカな答弁を引き出したいところですから、このことに反対するのはわかります。しかし、林刑事局長が出席することに決まったら、法務官僚の考え方をただすチャンスです。
 
しかし、今のところそういう展開にはなっていません。
ひとつには、共謀罪法案があまりにも複雑で、野党議員の力不足ということもあるでしょう。
しかし、根本的には、金田法相のような政治家は批判しても、官僚は批判しないという習慣があるからではないかと思われます。
この習慣はマスコミも同じです。
森友学園問題で財務省の佐川宣寿理財局長が「すべての記録書類を廃棄した」などとふざけたことを答弁しても、ほとんど批判されません。
 
政治家もマスコミも「官僚依存」です。
民主党政権が失敗したのも「官僚依存」を崩せなかったからです。
森友学園問題や加計学園問題の真相追及がうまくいかないのも、官僚の妨害に打つ手がないからです。
 
マスコミが林真琴刑事局長や佐川宣寿理財局長のことをどんどん報道して、国民の怒りがそちらに向くようになると、この国のあり方も大きく変わるのではないかと思います。

道徳の教科化が小学校では2018年度から始まることもあって、道徳教育についてさまざまな議論が起きています。
道徳の教科書検定によってパン屋が和菓子屋に変えられたということも話題になりました。
 
朝日新聞の「声」欄には、12歳の中学生が「答えがないのが道徳では」という意見を投稿し、それに対してさまざまな意見が出ました。
48歳の主婦は「道徳とは教えられる前にみんなでつくっていくもの」と言い、81歳の元小学校校長は「道徳とは善悪を判断する心を育むこと」と言い、83歳の無職は「道徳は大人から教えられる必要はない」と言い、22歳の大学生は「道徳とは評価にとらわれずに『私の意見』を言うこと」と言い、政治学者の姜尚中氏は「大人も子どもも答えのないものについて考えていくことがたいせつ」と言いました。
 
みんな言っていることがバラバラです。
以前、若者が「なぜ人を殺してはいけないのか」と発言し、それに対する有識者の答えがバラバラだったのと同じです。
 
なぜこんなことになるのかというと、みんな道徳について根本的な勘違いをしているからです。
 
今の考え方は、子どもには「よい子」と「悪い子」がいるというものです。子どもを「悪い子」にせず「よい子」にするというのが道徳教育の目的です。
 
しかし、赤ちゃんに「よい赤ちゃん」と「悪い赤ちゃん」がいるというふうには誰も考えません。
生まれたばかりの子どもには善も悪もないというのが常識です。
 
そして、小学校に入る6歳ぐらいになると、さまざまなことの影響で「よい子」と「悪い子」に分化していくというふうに考えられます。
たとえば、いじめっ子になる子どもと、いじめっ子にならない子どもがいるという具合です。
 
そうして子どもが成長し、大人になるとどうでしょうか。
これはもう歴然と「よい大人」と「悪い大人」がいます。
「悪い子」よりも「悪い大人」のほうがはるかに悪いことをしています。
 
たとえば、少年が殺人事件を起こすと大きく報道されますが、実際のところは10代前半までの子どもはめったに殺人を犯しません。10代後半になると殺人を犯すようになりますが、それでも成人よりは少ない数です。
 
2005年のデータですが、人口10万人当たりの殺人事件の検挙人数は、
14-19歳 0.91
20-29歳 1.62
30-39  1.64
40-49 1,39
 
詐欺、贈収賄など知恵を使った犯罪は大人のものですし、テロのような思想犯罪も大人のものです。
 
つまり人間は、生れたばかりは善も悪もないのですが、だんだんと「よい人間」と「悪い人間」に分化していくのです。
 
そうすると道徳教育というのは、まだ悪くなっていない子どもに、もう悪くなっている可能性のある大人が「悪いことをしてはいけない」と説くことになり、わけのわからないものになるのです。
こんな道徳教育はまったく無意味です。
 
 
ただ、有用な道徳教育もありえます。
それは、世の中には「よい大人」と「悪い大人」がいるので、それを見きわめなさいと教えるものです。
 
たとえば、「よい親」と「悪い親」がいて、「悪い親」は子どもを虐待します。虐待されたときはどうすればいいかを子どもに教えることはとてもたいせつです。
また、「よい教師」と「悪い教師」がいて、「悪い教師」は教え方も下手ですし、クラスにイジメがあっても対処しません。下手をすると教師が子どもをイジメることもあります。そんな教師への対処法も教えなければなりません。
社会に出れば、ブラック企業がありパワハラ上司がいますし、詐欺商法もあります。若者はこれらの被害にあいやすいので、それらも教えなければなりません。

親に虐待された子どもは自分も虐待する親になりやすく、ブラック企業に適応した若者は自分もパワハラ上司になります。振り込め詐欺で最初は出し子に使われた若者はいずれ犯罪グループを担うようになります。つまり「悪い大人」の影響でまだ悪くない子どもも「悪い大人」になっていくのです。
このような「悪の連鎖」を断ち切る道徳教育なら意味があります。

安倍首相が新たな改憲論、「9条1項、2項を残しつつ自衛隊が合憲となるように3項を追加する」という意見を発表しましたが、自衛隊合憲論はすでに一般化していますし、2項の戦力不保持はそのままでどうして自衛隊を合憲化できるのか、わけがわかりません。
安倍首相はまた、高等教育無償化と憲法改正を関連させるようなことも言いましたが、教育無償化と改憲は関係のない話です。
解釈改憲をしたために改憲の必要性がなくなって、「改憲のための改憲」に走った格好です。
 
改憲論はほかにもいろいろあって、緊急事態条項、環境権、財政規律、96条の改憲規定の緩和などが議論されています。
しかし、どれも改憲しないと具合が悪いとか、改憲すればよくなるとかいうことはなさそうです。
 
では、なにも変える必要はないかというと、そんなことはなく、少なくともひとつ変えたほうがいいと思うことがあります。
それは、「最高裁判所裁判官の国民審査」についての規定です。
 
安倍首相は「憲法学者などから自衛隊は憲法違反だとの指摘がある。自衛隊が違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と語って、3項加憲論の必要性を説きました。
確かに戦力不保持としながら自衛隊が存在しているのはおかしなことです。
これは最高裁が自衛隊について憲法判断をしなかったことが原因です。
そのためこれまで政治家と国民が自衛隊は違憲か合憲かについて延々と議論してきました。しかし、いくら議論しても結論は出ません。結論を出すのは裁判所しかないからです。
 
そもそも最高裁は違憲判決を数えるほどしか出していません。
違憲立法審査権は「抜かずの宝刀」になっています。
 
なぜそうなるかというと、「最高裁判所裁判官の国民審査」がまったく機能していないからです。
国会議員は選挙の洗礼を受けますが、最高裁判事はぬるま湯にひたっています。
裁判官は行政とも摩擦を起こしたくないので、国民対行政の裁判では行政に不利な判決はめったに出しません。
三権分立は名のみで、司法は完全に立法と行政に従属しています。
 
国民審査についての日本国憲法の規定はこうなっています。
 
 
79条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後10年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
 
 
国民審査は総選挙と同時に行われるとなっていますが、国民審査と総選挙は別物ですから、別のときに行うべきです。
経費と手間の節約のためにどうしても同時に行いたいということであれば、せめて総選挙でなくて参院選のときに行うべきです。参院選は3年ごとと決まっていますが、総選挙は予測不能の解散によって行われるため、周知期間がきわめて短くなってしまいます。また、総選挙は国民の関心が高いため、国民審査のほうは埋没してしまいます。
 
有権者は総選挙の投票に行ったら、国民審査の投票用紙も同時に渡され、たいていの人はわけもわからず投票します。
その投票の規定は、憲法ではなく法律によりますが、不信任とする裁判官には「×」をつけ、信任する裁判官には無記入とするとなっています。ですから、たいていの人は無記入で投票し、それはみな信任と見なされます。
その結果、信任票が圧倒的多数となります(不信任率は平均7%程度。もっとも高い不信任率だった197212月の下田武三裁判官でも15)
 
つまり、不信任には絶対にならない制度になっているのです。
もし不信任の可能性があるとなると、裁判官も国民の評価を気にせざるをえず、行政に有利な判決ばかりは出していられません。
また、国民審査の洗礼を受けたということが自信になって、立法に対する違憲判決も出しやすくなるはずです。たとえば議員定数の「一票の格差」問題でも有効な判決が出るのではないでしょうか。
 
ともかく、国民審査と総選挙を同時にするという現行憲法の規定は明らかにおかしいもので、ここを改憲するのは大いに意味があるはずです。
このことをほとんど誰も指摘しないのは不思議です。

韓国の新大統領になった文在寅(ムンジェイン)氏は、反米・反日・親北朝鮮だということです。
早くも日本では、北朝鮮と仲良くして同盟国の日本やアメリカを裏切るのはけしからんという声が上がっています。
しかし、韓国の立場としては、まず対北朝鮮政策を決めて、それに準じてアメリカや日本や中国との関係が決まってくるのが当たり前です。もし北朝鮮と関係改善ができれば、アメリカとの同盟がほとんど無意味になるということもありえます。
 
韓国の選挙中にトランプ大統領は「韓国政府はTHAADの代金十億ドルを支払うべきだ」と発言して、韓国民がこれに反発し、反米的な文在寅氏に有利に働いたということです。
 
また、トランプ大統領は「習近平国家主席から『韓国は中国の一部だった』と聞いた」とも発言して、韓国民の感情を逆なでしました。習主席がほんとうにそう発言したのかわかりませんし、韓国民はトランプ大統領にも反発したようです。
 
トランプ大統領は「すべての選択肢がテーブルの上にある」という表現で、北への武力行使を示唆していましたが、それに対しても韓国民は反発しています。アメリカの武力行使で韓国も被害を受けるからです。
 
トランプ大統領の発言をいちいち真に受けるのもどうかと思いますが、ともかく韓国民はトランプ大統領に対してそういう反応をしています。
 
 
 
一方、日本人はトランプ大統領がなにを言っても反発するということがありません。
 
たとえば、トランプ大統領は日本との自動車貿易は不公平だと繰り返し主張していました。これに対して日本側は、「トランプ大統領は事実がわかっていない。日本はトランプ大統領に説明するべきだ」といった反応ばかりでした。「事実に反する批判をするのはけしからん。トランプ大統領は発言を訂正するべきだ」といった反発はありません。
 
トランプ大統領の北朝鮮への武力行使を示唆する発言に対しても、日本はただ受け入れるだけです。そして、今はトランプ政権は一転して米朝対話の方向に舵を切っていますが、これに対しても日本は歓迎も反発もないようです。「せっかく米艦防護をしてやっているのに対話とはなんだ」とか「拉致問題の解決なしの合意には反対だ」とか主張してもいいはずです。
 
韓国の政治は、朴槿恵前大統領の失脚などを見ていると、日本よりも後進的だなあと思いますが、対米関係に限ると、日本よりもはるかにまともです。
その結果、韓国では政治がダイナミックに変化し、政権交代が起きますが、日本ではまったく起こりそうにありません。
 
トランプ大統領はコミーFBI長官を解任するなど、早くも末期症状を呈しています。
トランプ大統領の対北朝鮮政策も、ただ迷走しているだけです。トランプ政権は中国を介して北に「核放棄をすれば体制を認める」と通達したという報道がありましたが、北は核放棄をするはずがなく、トランプ外交の稚拙さは目をおおうばかりです。
 
日本人の中からいつトランプ大統領批判が起きるのか、楽しみに待ちたいと思います。
 

5月5日の「子どもの日」の朝日新聞に、学力テストに関する中学生の投書が載っていて、考えさせられました。
  
(声)若い世代 こどもの日特集 全国学力調査、何のため?
 中学生(神奈川県 14)
 先日、中学校で全国学力調査が行われた。3年生を対象に実施されたが、私はこの調査に疑問を抱いた。
 試験問題のどこにも調査目的や調査結果の使用方法などが明記されていなかった。授業を1日潰してテストをやらされ、その結果が何に使われるかわからない。それが私にとっては、すごく怖かった。
 新聞によると、この調査に毎年50億~60億円ものお金がかかっているらしい。自治体や学校現場に「点数を上げなければ」という圧力がかかるうえ、毎年問題が異なるため過去と正答率を比較することもできない。過剰なテスト対策が行われたり、今年度は教諭が漢字問題の正解を前日に板書したりした問題も発覚した。これでは、何のための調査かわからない。
 私は、目的をはっきり示さないような調査はする必要はないと考える。調査のために授業を1日削るより、授業をした方が学びが広がる。その費用で学校施設や教育制度をもっと充実させてほしい。
 
 
全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)については、いろんな人がいろんなことを言ってきましたが、テストを受ける子どもの意見を聞いたのは初めてです(この投書は周りのおとなの意見に影響されたようなところもないではありませんが)
ということは、メディアがフィルターをかけて子どもの意見を遮断してきたのでしょう。
 
なんのためのテストかわからないままテストを受けさせられるのは、子どもにとってはむなしいことです。
テスト用紙に目的は書かれていなくても、教師によっては子どもに説明しているかもしれません。しかし、説明したところで、「学力テストの目的は、学校がテストの成績を元に教育の成果を検証して指導の改善に役立てることです」ということですから、子どもにとってはどうでもいいことです。
 
テストの結果は通知されるので、自分の学力を全国平均と比較したりはできます。しかし、それがわかったところで無意味だということも言えます。
 
受験目的の模擬試験なら、合格率などを教えてもらえます。
学校の期末テストなどなら成績に反映され、その成績はさまざまなことに影響します。
 
文部科学省は、どうしても学力テストを行いたいのなら、それが子どもにとっても意味のあることだとちゃんと説明する必要があります。
 
 
全国学力テストに限らず、子どもの意見を聞けば見えてくることがあります。
たとえば学校でのイジメに関して、事実関係について子どもにアンケート調査が行われることはありますが、子どもの意見が聞かれることはまったくありません。「イジメはなぜ起こると思いますか」とか「どうすればイジメはなくなると思いますか」とか聞けば、有意義な意見が出てくるはずです。
教育改革とか、小学校での英語授業とかも、子どもの意見をまったく聞かずに行われています。
森友学園問題で教育勅語暗唱について議論が起きましたが、すべておとなたちの議論です。
 
ちなみに「子どもの権利条約」には、子どもの意見表明権が明記されています。

 第13条
1.児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
 
文部科学省は子どもの意見表明権をまったく無視して一方的に教育政策を進めており、「主体としての子ども」ではなく「客体としての子ども」という認識のようです。その点ではメディアも同罪です。
 
子どもの意見に耳を傾けるだけで世の中の風通しはうんとよくなるはずです。

今、明らかに世界は戦争の方向に進んでいます。
トランプ政権の成立、ヨーロッパの右翼勢力の伸長、イギリスのEU離脱、安倍政権の高支持率、ロシア・中国・北朝鮮の強気外交、イスラム系テロの頻発、フェイクニュースの横行など、すべてがその方向です。
この背景には明らかにインターネットの普及があります。
 
以前は、一般大衆が自分の意見を社会に発信することはまず不可能でしたから、社会に存在するほとんどの意見はアカデミズムかジャーナリズムのフィルターを通したものでした。
しかし、今は一般大衆がインターネットで直接意見を発信でき、一般大衆が支持するか否かでネット内の世論は形成されます。つまりなんのフィルターもないのです。
そうしたネット世論の力が大きくなり、政治を動かすようになったのが今の状況です。
 
アカデミズムとジャーナリズムを支配しているのは知識人ですから、ネット世論はより愚かになります。これはポピュリズムとも言われます。
 
ポピュリズムの特徴のひとつは、利己主義です。
露骨な利己主義というのは、周囲の反発を買ってうまくいかないものですが、そういう抑制が効きません。
また、長期的な利益よりも短期的な利益が優先されます。
 
それから、事実の軽視、つまりフェイクニュースの横行です。
事実か否かよりも、自分にとって都合のいいニュースが信じられます。
「それは事実ではない」という意見があっても、少数意見として無視されてしまいます。
 
それから、勧善懲悪の実践です
勧善懲悪というのは、フィクションの中だけで有効ですが、大衆はこうしたフィクションを好むので、現実にも当てはめ、悪者を探してバッシングすることに夢中になります。
 
 
こうしたネット世論を背景にした政治が行われ、それが戦争に向かっているわけです。
しかし、今は愚かな大衆も、経験を積めば成長して賢くなって、ポピュリズムから脱却できるはずです。
大衆が学習できるのが民主主義のよさでもあります。
そして、大衆からかい離して、大衆に対してなんら説得力を持たない知識人も、この機会に学習することができます。
 
それまでに破局的な事態が起こることだけは避けなければなりませんが。

トランプ大統領は5月2日、ブルームバーグのインタビューで「(北朝鮮の)金委員長に会うことが自分自身にとり適切なら、当然、会談を行うことを光栄に思う」とし、「適切な状況下で会談する」と述べました。
これに対してホワイトハウスのスパイサー報道官は、「北朝鮮が挑発的な行動を即時に控えることを米国は確認する必要があり、現時点でこうした要件が満たされていないことは明白」と述べて、トランプ大統領の発言に否定的な見解を示しました。
 
トランプ大統領はまた4月27日のインタビューで、韓国に配備された高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)の費用約10億ドルを「韓国側が支払うのが適切だと伝えている」と述べました。
この費用はアメリカ側が負担するということで合意ができていました。韓国大統領府の金寛鎮国家安保室長とマクマスター米大統領補佐官が改めて30日に電話で協議し、従来の合意を確認しましたが、マクマスター氏は米FOXニュースとのインタビューで、費用負担を巡る再交渉を示唆し、別の米韓関係筋も「トランプ氏の発言は否定できない。今後、再交渉は避けられないだろう」と述べたということです。この費用負担問題で韓国は大騒ぎです。
 
トランプ大統領の思いつきの発言によって政権全体が右往左往していることがわかります。
ですから、トランプ大統領や政府高官の発言をいちいち真に受けるのは愚かなことです。
 
 
しかし、安倍政権はトランプ政権から発信されるさまざまな情報を都合よく解釈して、危機感をあおろうとしています。
しかもそのやり方があまりにも露骨です。
 
北朝鮮、サリン搭載ミサイルを保持の可能性 安倍首相
東京(CNN) 日本の安倍晋三首相は13日、北朝鮮が猛毒の神経ガスであるサリンをミサイル弾頭に搭載して発射し、地上に着弾させる能力を既に保有している可能性があるとの見解を示した。
国会の外交防衛委員会で述べた。この見解の根拠については触れなかった。
首相はまた、日本を取り囲む安全保障の環境は厳しさを増し続けているとの認識も表明。化学兵器が用いられたとされ、乳児や子どもを含む多数の罪のない住民らが殺されたシリアの最近の惨事にも触れ、我々は「現実をしっかり踏まえるべきだ」と強調した。
(後略)
 
サリンをミサイルに搭載する可能性があるというのは当たり前のことですし、「サリンをミサイル弾頭に搭載して発射し、地上に着弾させる能力」などというと特別な能力のようですが、第一次大戦のときから毒ガスは砲弾に詰めて撃たれていました。安倍首相の発言には情報としての価値がまったくありません。ただ危機感をあおるためだけの発言です。
 
内閣官房のサイトも呼応して毒ガスへの恐怖をあおっています。
 
問8近くにミサイルが着弾した時はどうすればいいですか。
・屋外にいる場合は、口と鼻をハンカチで覆いながら、現場から直ちに離れ、密閉性の高い屋内の部屋または風上に避難してください。
・屋内にいる場合は、換気扇を止め、窓を閉め、目張りをして室内を密閉してください。
 
4月29日に北朝鮮が弾道ミサイルを発射したときには、東京メトロは10分間全線の運転を止めました。北朝鮮はミサイルの発射実験をしているだけで、日本を狙って撃っているわけではありません。乗客に迷惑をかけるだけの意味不明な対応です。
 
しかし、こうしたことが安倍政権にはプラスです。なにより森友学園問題が脇に押しやられてしまいました。
 
トランプ大統領もシリア攻撃が評価され、北朝鮮への強硬姿勢も国民から支持されているようです。
 
金正恩氏も、戦争の危機は国民を結束させ、政権基盤を強くすることになるので、積極的に危機をあおっていると思われます。
 
トランプ大統領も金正恩氏も安倍首相も、自分から積極的に戦争をする気はなくて、戦争の危機をもてあそんでいるだけでしょうが、火遊びをしているうちに火事が起こることもあります。
愚かな国家指導者ほど厄介なものはありません。

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