
東京都教育委員会は9月22日、2023年度の都立高入試で英語のスピーキングテストを導入すると正式決定しました。
もっとも、立憲民主党はスピーキングテストの結果を入試に反映させないようにする条例案を提出しているので、最終決定とはいえません。
スピーキングテストそのものは都内の公立中学の3年生全員を対象に11月27日に実施されることが決まっています。その結果が入試に反映されるかされないかがわからないという状況です。
そもそもスピーキングテストで「英語を話す力」が客観的に評価できるのかという疑問があります。
AIが採点するのではなく、人間が採点するのですから、採点者の主観が入る可能性が排除できません。
それに、これにはベネッセコーポレーションが東京都教育委員会と共同で開発した「ESAT-J(English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)」というテストが使われるのですが、一民間企業が関係するということにも疑問を感じます。
文部科学省は英語の「読む・聞く・話す・書く」の技能の習得がたいせつだとして、大学入学共通テストに2020年度から英語民間試験を導入しようとしたことがありました。そのときは受験生の費用負担が大きくて、地域による不公平もあるということで反対論が高まり、そこに萩生田光一文科相が「身の丈に合わせてがんばって」と発言したことが炎上して、民間試験活用は見送られました。
東京都教育委員会は文科省が大学入試でやろうとして失敗したことの高校入試版をやるわけです。
どういうテストかと調べたら、東京都教育庁の「中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)」というサイトにテストの見本がありました。
テストのときは、テスト専用のタブレット端末・イヤホンマイク・防音用イヤーマフの3点が渡されます。受験生はタブレットに表示された問題を見て、答えを発声して録音し、その録音に基づいて採点が行われます。
テストはAからDまで四つのパートに分かれています。
パートAは、示された英文(4~5行ぐらい)を声に出して読むというものです。
英文を読むだけですから、発音が評価されることになりそうです。
日本人のほとんどは長年英語を勉強してきたのに英会話が苦手というコンプレックスを持っています。私は、スピーキングテストなどをすると、受験生が発音の正確さにこだわって、ますます会話が苦手になるのではないかと懸念していましたが、その懸念が的中したかと思いました。
しかし、それはパートAだけで、そのあとのパートは違いました。
パートBは、画面に出たイラストや文字を見て、それについての英語の質問に英語で答えるというものです(一部、こちらが英語で質問するというのもあります)。これは「聞く力」と「話す力」の両方が問われるものです。比較的やさしい問題ですが、ブロークンでも話さなければ点数にならないので、話す力はつくかもしれません。
パートCは、四コママンガを見て、その内容を英語で伝えるというものです。これはなかなかむずかしいと思いました。
その四コママンガを示しておきます。

パートDは、比較的長い英文の質問を聞いて、自分の意見を述べ、そう考える理由も説明するというものです。
これは質問のキーワードが理解できないとまったく答えられないという悲惨なことになる場合があります。
名前は「スピーキングテスト」ですが、パートBとパートDは半分「ヒアリングテスト」でもあります。文科省の「読む・聞く・話す・書く」の習得がたいせつだとする方針に従ったもののようです。
このテストはそれなりに意味のあるものですが、受験生にとってはそうとうな負担になります。
たとえば、自分の発声がちゃんと録音されているか心配だとか(最初に録音されていることを確認する作業があるのですが)、しばらく考える時間があって、「ピッ」という合図があってからしゃべりだすのですが、あせるといきなりしゃべってしまうかもしれません。
ですから、受験者は過去問をやって準備しておくことが必須です。
それになによりも、採点者の主観が入ってしまうことの不安はぬぐえないでしょう。
そのためアンケート調査では反対の声が圧倒的です。
ある教育業界ニュースサイトが実施したアンケートでは、有効回答111ではありますが、保護者の9割が反対で、教員免許保有者でも8割が反対という結果が出ています。
反対理由には「採点基準が不明確」「導入の経緯が不透明」「教育現場を混乱させる」「採点内容が非公開のため学習にも生かせないし異議申し立ても出来ない」というものがあります。
なぜこのように反対が多いかというと、東京都教育委員会が保護者や受験生の意見をまったく聞かずにことを進めてきたからです。
とりわけ当事者である受験生の意見を聞くことは欠かせません。
東京都教育委員会も文科省も、生徒の意見を聞かずに受験制度改革や教育改革を進めてきたのは、生徒の人権(意見表明権)侵害です。
それから、今は翻訳ソフトが進歩して、専用の翻訳機もありますし、スマホの翻訳アプリもあります。
「話す・聞く」を重視する今のやり方は時代遅れかもしれません。
時代に合った英語力はなにかというのはむずかしい問題ですが、いちばん真剣に考えているのは若い人ですから、やはり若い人の意見を聞くことがたいせつです。
「英語を話す力」のような客観的評価のむずかしいことを入試に取り入れたのは、文科省や東京都教育委員会が生徒に「英語を話す力」を身につけさせたいからです(おそらく日本人の英会話コンプレックスからきています)。
入試で見るのは客観的評価のできる基礎学力だけにするべきです。
「話す・聞く」のような部分は各自の判断で身につけていけばいいことです。
教師が生徒に勉強させたいときに言う魔法の言葉は「ここテストに出るぞ」です。
これを言われると生徒はみな必死でノートをとります。
今の入試改革は、要するに「ここテストに出るぞ」です。
「入試にスピーキングテストがあるぞ」と言って、生徒にスピーキングの勉強をさせ、「英語を話す力」を身につけさせようというのです。
たぶんその効果はあって、生徒はある程度「英語を話す力」を身につけるでしょう。
しかし、勉強はテストのためにするものではありません。
今の日本は、国を挙げて勉強の目的を見失っています。