
ジャーナリストの伊藤詩織氏が杉田水脈総務政務官を名誉毀損で訴えた裁判の控訴審で、東京高裁は杉田氏に55万円の支払いを命じる判決を下し、伊藤氏の逆転勝訴となりました。
ツイッター上で伊藤氏を誹謗中傷する投稿に杉田氏が「いいね」を25回にわたって押していたことが名誉棄損に当たるかどうかが争点でした。
この判決については、「いいね」だけで名誉棄損になるのかという声とともに、安倍元首相が亡くなると裁判所も忖度をやめるのかという声が上がっていました。
ともかく、杉田氏は伊藤氏に対して同じ女性でありながらセカンドレイプみたいなことをしていたわけです。
杉田氏はこれだけではなく、女性とは思えない発言を再三しています。
2020年9月、杉田氏は自民党の会合で、女性への暴力や性犯罪に関して「女性はいくらでも嘘をつけますから」と発言しました。
自身が女性なのですから、なんともおかしな発言です。
2014年には衆院本会議での質問で「男女平等は、絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したこともあります。
男女平等を否定するとは、男尊女卑思想なのでしょう。
女性の発言としてはありえないものですが、こうした発言を歓迎する男は少なくありません。
とりわけ自民党は父権主義的、家父長的な政党ですから、党内の出世に有利に働くはずです。
現に杉田氏は、最初は日本維新の会の衆議院議員だったのですが、落選したあと安倍元首相の引きで自民党に入り、岸田内閣においては総務政務官に就任しました。
高市早苗経済安全保障担当大臣は、夫婦別姓反対、女性天皇反対を表明し、やはり自民党の父権主義的、家父長的価値観に合わせています。
そのおかげかどうか、高市氏は政調会長を二度、内閣府特命担当大臣、総務大臣などを歴任してきました。
自民党の女性議員の一見不合理な主張は、自民党内の力学を考えると、合理的なものと見なせます。
タレントのフィフィさんはツイッターなどで典型的な保守派の主張を発信していますが、夫婦別姓については賛成であるようで、男と女の問題については常識的な人なのかと思っていました。
しかし、次のツイートは妙に女性にきびしいようです。

愚痴を言う主婦にきびしいことを言っていますが、この場合の主婦は専業主婦のことです。
この前に次のツイートがあって、それでわかります。


最初に「専業主婦の労働を時給にすると1,500円」というツイートにかみついて、それに対して専業主婦叩きではないかと批判されて、その反論をしたという流れです。
いずれにしても「愚痴を言う専業主婦」を攻撃しています。
フィフィさんはタレント及び保守派文化人としてやりがいのある仕事をしています。
愚痴を言う専業主婦なんか相手にする必要はないし、むしろ同情してもいいくらいです。
保守思想は「男は仕事、女は家事」という家族をたいせつにするので、専業主婦叩きは保守思想とも矛盾します。
フィフィさんの頭の中はどうなっているのでしょうか。
ウィキペディアによると、フィフィさんは2001年に日本人男性と結婚し、2005年に男児を出産したということです。
つまり自分は主婦業と仕事の両方をやってきたのに、主婦業だけの女性が愚痴を言うのはけしからんということでしょう。
これは感情としては理解できます。自分が苦労してきたのだから、他人や次の世代も同じ苦労をするのは当然だという理屈です。
姑の「嫁いびり」がこの心理です。
学校の運動部で不合理な練習のやり方がずっと継承されていくのも同じです。
しかし、心理としてありがちだとしても、「自分が苦労したから他人や次の世代も同じ苦労をするべきだ」という考え方では世の中が進歩しません。明らかに間違った考えです。
とりわけ世の中に向かって発信してはいけません。
フィフィさんはどうして間違った発信をしたのでしょうか。
フィフィさんは腹を立てる相手を間違えたのです。
フィフィさんは「家事も育児も独りでやって、さらに外で働いている私」とか「私はワンオペで家事育児と仕事をしている“主婦”」と書いています。
つまり夫は家事育児をまったく手伝っていないのです。
夫婦共働きで夫が家事育児をまったくしないというのは、どう考えても不当です。フィフィさんは夫に不当な扱いをされてきたのです。
フィフィさんは夫に怒りを爆発させて当然です。
ところが、「私の役目としてやっているので」と書いているので、フィフィさんは不当とは思っていないわけです。
しかし、不当な扱いに対する怒りは蓄積されてきました。
その行き場のない怒りが「愚痴を言う専業主婦」に向かったのです。
攻撃されたほうはいい迷惑です。
なぜフィフィさんは「ワンオペの家事育児」を「私の役目としてやっている」と思うのかといえば、フィフィさんの拠りどころである保守思想がそういうものだからです。
「男は仕事、女は家事」という家庭が保守派の理想です。フィフィさんは外で働いているので理想から外れました。その償いをするためにも必死で「女は家事」という役目を果たしてきたのでしょう。
しかし、心の底では納得していませんでした。
フィフィさんは自分の心の底にある怒りを自覚して、ワンオペで家事育児をやってきたことに対する不満を夫に対して主張するべきです。
そうして新しい夫婦関係、家族関係を追求することで、また新しい言論活動が展開できます。
それはフェミニズムと言われることになるでしょうが。