

法務省が「うんこ人権ドリル」を作成しました。
これは法務省人権擁護局が子どもに大人気の「うんこ漢字ドリル」とコラボして、子どもに人権をわかりやすく教えようという企画です。
批判が殺到したためか、今は法務省のホームページからはダウンロードできなくなっているようですが、『法務省作成「うんこ人権ドリル」は入管職員に配って下さい 』というページからダウンロードできます。
どういう点が批判されているかというと、まず「人権をうんこで語るのは不謹慎」ということがあります。
私自身は、うんこを用いてもいいのではないかと思いましたが、「『うんこ自民党ドリル』とか『うんこUSAドリル』とかを役人が作るだろうか」という指摘にはうなずけました。
法務省は人権を軽視しているのかもしれません。
それから、「うんこねこがおなかをかかえて苦しそうにしているよ。こんなとき、キミならどうする?」という問題があるのですが、これがスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋入管に収容されているとき体調不良を訴え続けたにも関わらず適切な治療受けられずに死亡した事件を想起させ、法務省は反省してないのではないかという指摘もありました。
それから、決定的な批判は「これは人権ではなくて道徳だ」というものです。
うんこ先生が「みんなでなかよくしたいのう!」とか「やさしくされたら、うれしいのう!」と、うんこいぬとうんこねこに教えるのですが、これは確かに人権ではなく道徳です。
「そのじょうほうは本当かのう?」といって、「インターネットの悪口の書きこみを見ても、だれかをきずつけてしまわないように行動することが大切じゃぞい」というのも道徳です。
「うんこ人権ドリル」の基本的な考えは「『人権』という言葉を聞いたことがあるかのう? 人権とは、「幸せに生きる権利」のこと。キミにも、幸せに楽しく生きる権利があるし、お友だちにも、幸せに楽しく生きる権利があるのじゃ。相手への思いやりを持って、もう一度考えてみることじゃ」という言葉に示されています。
人権を「幸せに生きる権利」と限定するのはどうかと思いますが、子どもの理解力に合わせたということでいいとして、そのあと、お友だちの権利に配慮しようというところに持っていくのは、これもやはり道徳です。
友だち同士というのは基本的に対等ですから、人権侵害など起こりようがありません。
子どもの人権侵害は、力のある親や教師やその他のおとなによってもたらされる場合がほとんどですから、その対処法を教えるのが人権教育の肝心なところです。
もともと人権というのは、国家権力による不当な支配に対抗するために考え出されたものですから、人権と権力を切り離して考えることはできません。
権力というのは、国家権力ばかりでなく、社会のすみずみに網の目のように張り巡らされています。
男と女、多数派と少数派、健常者と障害者などさまざまな関係に権力が作用して、人権侵害や差別が生みだされます。
日本は先進国では珍しい死刑のある国です。それに、世界経済フォーラム(WEF)は7月13日、各国のジェンダー不平等状況を分析した「世界ジェンダー・ギャップ報告書」を発表し、日本はジェンダー格差については世界146か国中116位でした(ちなみに韓国99位、中国102位)。
はっきりいって日本は人権後進国です。
その原因のかなりの部分は法務省にあると思われます。なにしろ「うんこ人権ドリル」を見ると、人権と道徳を混同しています。法務省がこれでは日本全体がおかしくなって当然です。
人権と道徳は真逆のものです。
道徳はつねに強者が弱者に説くものなので、強者に有利にできています。つまり既存の社会秩序を補強するものが道徳です。
一方、人権は万人に等しくあるので、弱者にとっては有利に働き、既存の社会秩序を変革するための武器になります。
このことは、自民党の杉田水脈議員の「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」との発言に典型的に表れています。
「良妻賢母」や「妻は夫に従うべき」という道徳は男女平等と真逆のものです。
そういう意味では、杉田議員の発言は道徳の本質を表現しています。
「目上の人を敬うべき」とか「子どもは親の言うことを聞くべき」とかの道徳を見ても、道徳は既成の社会秩序を補強するものだということがわかります。
したがって、道徳はつねに時代遅れです。
芥川龍之介も『侏儒の言葉』において「我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は
芥川の時代の代表的な道徳といえば「教育勅語」なので、芥川はそれを念頭に言ったかもしれません。
ともかく、道徳と人権は真逆のものなのに、法務省は混同しています。
そこには自民党の影響もあるでしょう。
自民党はずっと道徳教育にこだわってきて、とうとう小中学校で教科化を実現しましたし、党内には教育勅語を積極的に評価する者も少なくありません。
自民党の改憲案には「家族は、互いに助け合わなければならない」という道徳の規定もあります。
先進国では、学校で道徳を教えている国も一部にありますが、ほとんどは道徳は日曜学校で学ぶものという位置づけです。
一方、イスラム教の国はかなり違います。
たとえばアフガニスタンのタリバン政権は2021年9月に勧善懲悪省を復活させ、宗教警察がイスラム教の教義に反する行為を取り締まるようになりました。
宗教警察はほかにサウジアラビア、イラン、インドネシアなどにもあります。
イランの場合は道徳警察と呼ばれていますが、ヒジャブの着用をめぐる反政府デモの高まりの中で司法長官が12月4日、道徳警察の廃止を宣言しました。
「道徳の支配」から「法の支配」へ、「徳治主義」から「法治主義」へというのが歴史の流れであり、社会の進歩です。
ところが、自民党は「道徳の支配」や「徳治主義」への回帰を目指しています。
法務省もそれに協力して、自民党のねらいは着実に実現しつつあります。
たとえばコロナ対策の持続化給付金の対象から性風俗業界が法的根拠もなく除外されるということがありました。これに対する違憲訴訟に東京地裁は6月30日、合憲の判決を下し、その理由として「客から対価を得て性的好奇心を満たすようなサービスを提供するという性風俗業の特徴は、大多数の国民の道徳意識に反するもので、異なる取り扱いをすることには合理的な根拠がある」としました。まさに法律より道徳を優先すると言っているのです。
道徳の教科化が実施された小中学校ではいじめが増加しています。子どもに道徳を説くことが子どもへの抑圧になっていることも原因に違いありません。
また、道徳は男女平等に反するので、「道徳の支配」への回帰がジェンダーギャップ指数の低下を招いています。
道徳について肯定的な考えを持っている人も少なくないでしょう。
そういう人は「うんこ人権ドリル」を見ても、どこが間違っているのか指摘できません。
道徳は権力者がつくった色メガネです。この色メガネをかけていると、権力者のつごうのいいようにふるまってしまいます。
道徳という色メガネを外すと、現実をありのままに見られるようになり、物事を正しく判断できるようになります。