村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2023年01月

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連続強盗事件の指示役である「ルフィ」がフィリピンの入国管理局の収容施設に拘束されていたことがわかりました。施設内から携帯電話を使って犯罪の指示を出していたそうです。
収容所内で酒や覚醒剤、バカラなどのギャンブルをしていたという報道もあります。
メキシコやコロンビアなどでは犯罪組織のボスが刑務所内で優雅な生活をして、外に犯罪の指令を出しているという話を聞きますが、フィリピンでもそれに近いことが行われていたわけです。

アジアの国は概して犯罪が少ないものですが、フィリピンは別です。麻薬犯罪が横行して、ドゥテルテ前大統領は容疑者をその場で射殺していいという荒っぽいやり方を指示しました。今はいくらか犯罪がへったようですが、入管施設の実情を見てもわかるように、警察や司法組織が腐敗しているのでたいへんです。
ちなみにドゥテルテ前大統領は“フィリピンのトランプ”と呼ばれていました。
フィリピンはかつてアメリカの植民地でしたから、アメリカの影響を色濃く受けています。


世界で犯罪の多い国はどこでしょうか。
犯罪といっても、なにが犯罪であるかは国によって違い、警察の取り締まりも違いますが、殺人に関してはあまりごまかしができません。
「世界・人口10万人あたりの殺人件数ランキング(WHO版)」というサイトから上位17か国を切り取ってみました。

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17か国中、南アフリカとレソトはアフリカですが、それ以外はすべて中南米の国です(ちなみにフィリピンは32位で、アジアでは最上位)。


中南米は「アメリカの裏庭」と言われるぐらい圧倒的なアメリカの影響下にあります。

アメリカ式犯罪対策は、ハリウッド映画と同じで、犯罪者を荒っぽくやっつけるというものです。こういうやり方は一時的に効果があるようでも、犯罪者や一般人も荒っぽいやり方を真似するので、かえって治安が悪化するものです。
アメリカ文化の影響が中南米の犯罪に及んでいるかもしれません。

犯罪のいちばんの原因は貧困です。
中南米の国はどこも経済的にうまくいっていません。アジアでは多くの国が経済的離陸を達成しているのと対照的です。
ブラジルだけは一時BRICsと呼ばれて、その成長力が期待されましたが、最近は停滞気味です。

なぜ中南米の国は経済がうまくいかないのかというと、政治が安定しないことが大きいでしょう。
多くの国では政府派と反政府派が年中衝突し、しばしばクーデターが起こり、反政府ゲリラが地方を支配しています。行政も腐敗して賄賂が横行しています。
そのため主な産業は第一次産業です。
第一次産業でもバナナ栽培の比重が大きいので、中南米の国を「バナナ共和国」と揶揄することがあります。

2021年1月、アメリカで議事堂襲撃事件が起きたとき、息子ブッシュ元大統領は「これはバナナ共和国で起こるような事件で、民主主義国家の姿ではない」と言いました。
アメリカ人が中南米の国を見下していることがよくわかります。


では、中南米の国がなぜバナナ共和国になったのかというと、これはもっぱらアメリカのせいです。
ウィキペディアの「バナナ共和国」の項目から引用します。
もともとこの言葉が生まれたのは、20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツやドール、デルモンテなどアメリカ合衆国の農業資本企業が、広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。

一例としてグアテマラを取り上げてみます。伊藤千尋著『反米大陸』という本を参考にしました。

十九世紀末、ユナイテッド・フルーツ社の前身は、腐敗したグアテマラ政府に食い込み、グアテマラのバナナをアメリカに輸出する権利を一手に握ります。さらに鉄道会社を設立し、鉄道沿いにバナナ園を開く権利を獲得します。そこには先住民がトウモロコシなどの畑を持っていましたが、同社は政府の力を後ろ盾に土地を安く買い、先住民を安い労働力にしてバナナを生産しました。買収に応じない先住民は軍が追い出しました。
1931年の大統領選ではユナイテッド・フルーツ社はウビコ将軍に肩入れして当選させます。ウビコ大統領は投資を誘うためにアメリカ企業に大幅な免税特権を与える一方、軍の力で先住民を動員して公共事業の強制労働をさせ、賃金を払わないという暴政をします。そして、「グアテマラ・ゲシュタポ」と呼ばれた秘密警察を組織して、反対者を逮捕、処刑しました。
暴政に怒った民衆は反政府デモを起こし、1944年、「グアテマラ革命」と呼ばれる政変が起きます。ウビコ大統領は辞任し、アメリカに亡命します。翌年の大統領選で大学教授のアレバロが当選し、民主的な政権ができ、労働者の待遇改善を進めますが、不利益を受けるユナイテッド・フルーツ社はアメリカ政府に介入を要請します。アメリカ国務省は同社に有利になるように労働法の改定を求めましたが、アレバロ大統領は拒否します。
次のアルベンス大統領はさらに民主的な政策を進め、ユナイテッド・フルーツ社に対して大企業として相応の税金を払うように求めました。それまで同社は独裁政権の高官を買収して税金をほとんど払っていなかったのです。さらにアルベンス大統領は農地改革を進めました。そのときユナイテッド・フルーツ社はグアテマラの国土の42%の土地を支配していました。政府は同社の土地を接収し、補償金を払いましたが、同社は補償金が異常に安いと怒ります。もっとも、政府としては同社がこれまで支払ってきた税金を基準に決めたというのが言い分です。
アメリカ政府はグアテマラ政府にユナイテッド・フルーツ社に対して巨額の補償金を払うように要求しますが、グアテマラ政府は拒否したため、アメリカ政府はグアテマラ政府の転覆を決意します。
このときのアメリカ国務長官はジョン・フォスター・ダレスで、その弟はCIA長官のアレン・ダレスでした。この兄弟はともにユナイテッド・フルーツ社の大株主で、兄は同社の顧問弁護士でもありました。
アメリカ政府はグアテマラ政府に対して共産主義政権だというレッテル張りをして国交断絶をし、CIAはグアテマラ人の傭兵を集め、元グアテマラ国軍のアルマス大佐の指揮下、グアテマラに侵攻させ、米軍は爆撃の支援をして、政権を転覆します。そして、アルマスは大統領になり、農地改革を中止して、農民に配られた土地を元の地主に戻したので、ユナイテッド・フルーツ社は土地を取り戻しました。
その後のグアテマラは悲惨でした。アルマス大統領は3年後に自分の護衛兵に暗殺され、以後はクーデターが続き、軍部の左派は農村部で活動するゲリラとなり、軍部の右派は政権を握り、反対派を暗殺する恐怖政治を行いました。政府と左派ゲリラの和平協定が調印された1996年までに約20万人の犠牲者が出たといわれます。


グアテマラは一例で、多くの国で似たようなことが行われてきました。
アメリカはその国の政治家や官僚を動かしてアメリカ政府やアメリカ企業に有利な政策を行わせます。当然、その反対の動きが出て、親米右派対反米左派が激しく対立するというのが中南米の政治です。
そして、アメリカはアメリカの利益になるなら、その国の民主主義を踏みにじって独裁政権を支援することも平気です。

今、バイデン政権は「民主主義国対権威主義国」ということを唱えて、民主主義国の旗頭のような顔をしていますが、これまでアメリカは多くの独裁国を支援してきたので、アメリカの言い分を真に受けるのは愚かです。

アメリカは、武力で政権を転覆させる試みはキューバでも行いましたし(失敗)、グレナダでは直接の武力侵攻も行いました。「アメリカの裏庭」ではなにをしてもいいという感覚です。
ロシアのウクライナ侵攻も「ロシアの裏庭」という感覚かもしれません。


中国は安い労働力を利用して安価な工業製品をアメリカに輸出することを主な原動力として経済発展してきました。
メキシコも安い労働力があり、地理的には中国よりも圧倒的に有利ですが、中国のように経済発展することはできませんでした。今でも貧困のために多くの不法移民がアメリカに脱出するので“トランプの壁”をつくられる始末です。
これは中国人とメキシコ人の国民性の違いでしょうか。
国民性もあるかもしれませんが、それよりもアメリカ人の人種差別意識のほうが大きいのではないかと思います。

たとえばプエルトリコは、アメリカの自治連邦区という位置づけになり、住民はアメリカ国籍を持ち、アメリカのパスポートを持てますが、アメリカ本土との経済格差はひじょうに大きく、本土に出稼ぎに出る人が多く、その仕送りが大きな収入源になっています。なぜプエルトリコはいつまでも貧しいのかと考えると、やはりアメリカ人(とくに白人)の差別意識のためではないでしょうか。

貧しい人が成功しようと思ったら自分で商売を始めることです。奴隷から解放された黒人にも商売を始める人がいました。しかし、黒人の商店は必ず白人のいやがらせ、破壊、放火にあい、つぶされました。今でも黒人経営の商店というのはごくわずかしかありません。
中国人や韓国人の商店はそのようないやがらせにはあわず、アメリカには中国人や韓国人経営の商店が多くあります(こうした店は暴動のとき黒人の略奪の対象になります)。

つまりアメリカ人の差別意識も微妙です。
日本や中国がアメリカに輸出することで経済成長できたのもその差別意識のおかげともいえます。


アメリカの外交は人種差別に大きく影響されているので、「人種差別外交」と見るべきです(国際ジャーナリストの田中宇氏は、アメリカは世界を多極化させるためにわざと自滅的な外交をやっているのだという説を唱えていますが、そうではなくて、単に人種差別外交をやっているために自滅的になるのです)。
中南米とアフリカは完全に見下されています。
カナダ、オーストラリア、ヨーロッパは対等に近い感じですが、同じヨーロッパでも東ヨーロッパは見下されています。
イスラム教の国も見下されています。というより敵意を持たれているといったほうがいいでしょう。湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争を見れば明らかです。


アメリカのアジアに対する態度は微妙です。
アメリカはずっと中国を経済的に利用してきましたが、最近はライバルと認定して、つぶしにかかっています。

そうすると、日本への態度はどうなのかということになります。
おそらく日本がバブル経済で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと浮かれていたころ、アメリカは態度を変えたと思われます。
以来、日本がずっと貧困化の道をたどってきたのは、“アメリカの見えざる手”にあやつられていたのではないでしょうか。
日本はずっと親米右派政権で、日本よりもアメリカの利益を優先する政策を行ってきましたが、日本人はそれがおかしいと気づきません。
今は経済再生のために投資しなければならないのに、アメリカに防衛費倍増を約束させられ、さらに転落することは確実です。

日本は犯罪がきわめて少ない国ですが、貧困化が進めば犯罪も増えます。
「ルフィ」が指示役だった連続強盗事件はまるで南米の犯罪みたいです。
これから日本はどんどん南米化の道を歩むことになるかもしれません。

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1月16日に静岡県牧之原市で13歳(中学1年生)の少女が実の母を刃物で数か所刺して殺害するという事件が起きました。
文春オンラインの記事には「トラブルの発端は、スマホでのSNSの使い過ぎを母親から注意されたことだったようです。母親が激しく娘を叱責し口論になった後、娘は母親が寝ている時間帯に部屋に入り、犯行に及んだとみられています」と書かれています。

スマホやゲームについては、どこまで子どもに使わせていいのか悩んでいる親が少なくないでしょう。スマホのトラブルだけが事件の原因ととらえるのは単純すぎますが、この事件をきっかけに子どものスマホやゲームの使い方について議論が起こるかと思いました。

「スマホ脳」「ゲーム脳」という言葉があって、スマホやゲームのやりすぎはよくないという説がありますが、一方で、「テレビゲームで遊ぶ子供は認知能力が向上…長期的な影響は不明」という記事に示されているように、テレビゲームをよくする子どもはほとんどしない子どもより認知能力テストで高い成績を示したというデータもあります。
常識的に考えても、夢中でゲームをすれば脳は鍛えられるはずです。
将棋の藤井聡太五冠は5歳で将棋を覚え、それからずっと将棋漬けで“将棋脳”になっているはずですが、まともに育っているように見えます。
スマホについても、ITスキルは今後絶対必要になるので、小さいころから使いこなしていたほうが有利に決まっています。

私の考えでは、ドラッグやアルコールなど体に悪いものは別ですが、人間は基本的にやりたいことをやって悪いことにはなりません。ゲームかなにかに夢中になれば、いずれ飽きて関心はほかに移っていきますし、いつまでも夢中であるなら、それはそれで道が開けます。やりたいことを止められると、ほかのことにも集中できなくなります。

もちろんほかの考え方もあるでしょうから、議論すればいいことです。
ところが、そうした議論はほとんど起きていません。
ネットの書き込みなどには、「子育てに正解はない」「家庭ごとに違ったやり方があっていい」といったものがほとんどです。

つまり今は、教育に関しては親の裁量権が広く認められています。
では、その教育の結果の責任は誰が負うのでしょうか。


刑法の規定では14歳未満の子どもには刑事責任が問えないので、今回の13歳の少女も刑事罰が科されることはなく、今後は家庭裁判所が少女を少年院か児童自立支援施設に送致するか保護観察処分にすることになると思われます。
昔は16歳未満は刑事責任が問えないとなっていたのですが、1997年にいわゆる酒鬼薔薇事件が起きて厳罰化を求める世論が高まり、少年法改正によって14歳未満となりました。
しかし、13歳による殺人が起きたわけです。

少年に刑事罰を科さないのは、少年は更生しやすいので、罰よりも教育や保護のほうが効果的だということからです。
しかし、おとなは罰されるのに少年は罰されないのはおかしいと考える人もいます。それに、刑事責任年齢が14歳となっていることにも根拠がありません。
少年の刑事罰の問題は論理的にすっきりしません。
なぜすっきりしないかというと、たいせつなことがすっぽりと抜け落ちているからです。
それは「おとなの責任」です。

13歳、14歳の子どもといえば、親または親の代理人の完全な保護監督下に置かれ、教育・しつけを受けていて、さらに教師による教育も受けています。もしその子どもが犯罪やなにかの問題行動を起こしたら、親と教師に責任があると考えるのが普通です。
ですから、子どもの責任を問わない分、おとなの責任を問うことにすれば、論理的にすっきりします。
まともな親なら「この子に罪はない。代わりに私を罰してくれ」と言うものです。

ところが、今の世の中は「おとなの責任」は問わないことになっています。
13歳の少女の場合も、母親がスマホの使いすぎを注意したことの是非を論じると母親の責任を問うことになりそうですから、そういう議論自体が封じられています。

このケースは母親が亡くなっているので、母親の責任を問う意味がないともいえますが、亡くなっていないケースでも同じです。

酒鬼薔薇事件の場合は、少年Aは両親(とくに母親)にきびしくしつけされていましたが、マスコミは両親の責任をまったく追及しませんでした。両親が弁解を書き連ねた『「少年A」この子を生んで』という本を出版しても、それをそのまま受け入れました。

昨年1月15日、大学入学共通テストの日、試験会場となった東大前の路上で17歳の少年が刃物で3人に切りつけて負傷させるという事件がありました。少年は愛知県の名門高校に通う2年生で、犯行時に「東大」や「偏差値」という言葉を叫んでいました。親や学校が少年に受験のプレッシャーを過剰に与えていたのではないかと想像されますが、やはりそうしたことは追及されませんでした。

マスコミは「子どもは親と別人格」という論理を用いて、事件を起こした少年への批判が親に向かわないようにしています。
しかし、そういう論理が通用するのは社会の表面だけです。水面下では親のプライバシーをあばいて、人格攻撃する動きが活発に展開されます。

私が「おとなの責任」をいうのは、親への人格攻撃を勧めているのではありません。
親が子どもにどういう教育をしたかを明らかにして、ほかの親の参考になるようにすることを目指しています。


「おとなの責任」をないことにするのは、学校のいじめ問題にも表れています。

『「法律」でいじめを見ると…弁護士が小学生に出張授業 認識変わるきっかけに【鹿児島発】』という記事において、弁護士が小学生に対して『「いじめ」は、一つ一つの行動を取って見ると、実はそれを大人がやったら犯罪になる行為。たたいたり蹴ったりする行為は、「暴行罪」という犯罪になります』と言うと、小学生はいじめの重大性を認識して真剣な表情になったなどと書かれています。
しかし、弁護士なら「おとながしたら暴行罪という犯罪になる行為も、子どもがしたら犯罪になりません。なぜでしょうか。それは、おとながあなたたち子どもをたいせつにしたいと思うからです」とでも言うべきです。

そもそもは弁護士が子どもに対して出張授業をするのが間違っているのです。同じするなら親と教師に対してするべきです。
親や教師に向かって「おとながしたら暴行罪という犯罪になる行為も、子どもがしたら犯罪になりません。なぜでしょうか。それは、あなたたち親や教師に責任があるからです」と言えば、親や教師の意識が改善され、いじめ防止にもつながるかもしれません。
いじめというのは、学校という檻の中で起こるのですから、檻の設置及び管理をする文科省、教師、親に責任があります。


しかし、おとなは「おとなの責任」を認めたくないので、あの手この手でごまかしをします。
たとえばひろゆき氏は1月19日に次のようなツイートをしました。

人間だけでなくイルカやカラスなどの動物もイジメをします。大人でもイジメはあります。
「イジメを無くそう」という綺麗事は、イジメられてる子には無意味です。
綺麗事ではない現実的な解決策を大人は伝えるべきだと思うんですよね。

イルカやカラスのいじめがどういう状況のことをいっているのかよくわかりませんが、おとな社会のいじめと学校のいじめは数がまったく違います。
2021年度の小中高校などにおけるいじめの認知件数は61万5,351件と過去最多となりましたが、この数字もすべてとはいえません。一般社会でのいじめの件数の調査はありませんが、会社でのいじめが学校でのいじめより少ないのは明らかです。若いタレントさんがデビューまでのいきさつを語るのをテレビで見ていると、みな判で押したように学校でいじめられていたと言います(少なくとも8割ぐらいは言います。私個人の感想ですが)。また、同窓会に行くと自分をいじめた人と会うので行きたくないという声をけっこ聞きますが、こういう人は社会ではいじめにあっていないのでしょう。

ひろゆき氏はさらに次のようにツイートしました。

フランスは「イジメをする人に問題がある」と考え、加害者側がクラスを変えられたりします。
日本は被害者が学校を変える事を勧められたり、中学の校長が自殺した子に
「イジメはなかった。彼女の中には以前から死にたいって気持ちがあったんだと思います」と責任転嫁。


加害者がクラスを変えるのでは、新しいクラスでいじめをするだけではないかという疑問はさて置いて、ひろゆき氏は「イジメをする人に問題がある」というフランス式の考えに賛同して、いじめをする子どもに責任を負わせています。校長も批判していますが、これはいじめをする子どもに責任を負わせないことを批判しているのです。
いじめをする子どもに責任を負わせれば、「おとなの責任」はないことになります。

親や教師は「いじめはよくない」ということを教えているはずです。それでいじめが起これば、教え方が悪かったわけで、教えた者の責任が問われるべきです。

「特別の教科道徳」が小学校では2018年度から、中学校では2019年度から実施され、文科省の「小学校学習指導要領解説」に「今回の道徳教育の改善に関する議論の発端となったのは,いじめの問題への対応であり,児童がこうした現実の困難な問題に主体的に対処することのできる実効性ある力を育成していく上で,道徳教育も大きな役割を果たすことが強く求められた」と書かれているように、道徳教育の大きなねらいはいじめの防止でした。
ところが、いじめの認知件数は過去最高を更新したわけです。
明らかに道徳教育の失敗ですが、誰も責任を取ろうとしません。いや、責任を問う声すら上がりません。おとなはみな「おとなの責任」をないことにしたいのです。

いじめ発生の原因は明白です。
学校生活は、長時間の退屈な授業と無意味な規律の強制で檻の中で生活しているも同然です。
ニワトリは限度を越えた狭いケージで飼われると、ストレスから互いの体をつつき合って、弱い個体は全身の羽根を抜かれてしまいます。
学校のいじめもそれと同じです。どちらがいじめているかはたいした問題ではありません。

ですから、いじめ対策としては、一斉授業から個別授業へ、無意味な規則の廃止といったことが重要です。

家庭でのストレスも学校でのいじめの原因になります。
たとえばスマホやゲームを禁止されることもストレスです。
親が子どものスマホやゲームを禁止するなら、ちゃんと理由を示して子どもを納得させなければなりません。
今回の13歳の少女の事件については、そこが欠けていたかと思われます。


子どもが納得しないことを親が強制するのは、今は普通に行われていますが、いずれ親によるパワハラと認定されるでしょう。
昔は当たり前とされた親による体罰が今は虐待と認定されるのと同じことです。
これからは「おとなの責任」が問われる社会になるはずです。

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家庭で虐待された少女の支援活動をしている一般社団法人「Colabo」の会計に不適切なところがあると指摘されたことがきっかけで、ネット上で大きな騒ぎになっています。
都に住民監査請求をしてこの問題に火をつけた「暇空茜」を名乗る人物はインタビュー記事で「もはやこれはネット界における『大戦』です。ロシアとウクライナの戦争と同じで、話し合いなど通用しない」と言いました。

Colaboには東京都が21年度に2600万円の支援金を支出しているので、公金の問題であるのは事実です。しかし、上のインタビュー記事を見てもわかりますが、不適切な支出といってもそれほどのことではありませんし、そもそも一社団法人の問題です。それがなぜ大騒ぎになるのでしょうか。


家庭で虐待されて逃げ出した少女は、そのままだと犯罪の被害者になりかねません。Colaboはとりあえず少女を救う小規模なボランティア活動から始まりました。
ボランティア活動や慈善活動などをする人は、とりわけネットの世界では「偽善」とか「売名」とかの非難を浴びせられます。若いころから被災者援助や刑務所慰問などをしてきた杉良太郎氏などは、あまりにも非難されるので、自分から「偽善で売名ですよ」などと開き直っています。
ですから、もともとColaboを「偽善」だと非難したい人たちがいて、会計不正疑惑が生じたことで一気に表面化したということがあるでしょう。

それから、Colabo代表の仁藤夢乃氏はメディアに登場することも多く、フェミニスト活動家と見なされていて、Colaboを支援する人たちもフェミニストが多いようです。
それに、Colaboが援助の対象とするのは少女だけです。
こうしたことから男とすれば、フェミニストたちが勝手なことをやっているという印象になるのかもしれません。

しかし、救済するべき少年少女は多数いて、Colaboの力は限られていますから、救済の対象を限定するのはしかたないことです。
むしろ問題は、少年を救済するColaboのような組織がないことです。

フェミニズムというと、どうしても男対女ということになりますが、Colaboの活動は子どもを救済することですから、おとな対子どもととらえるべきです。
そして、おとな対子どもには大きな問題があります。


日本の自殺は全体として減少傾向ですが、子どもの自殺は増加傾向で、とりわけ2020年度の全国の小学校、中学校、高校の児童生徒の自殺は415人と、19年度の317人と比べて31%の大幅な増加となりました。
子どもの自殺というと、学校でのいじめが自殺の原因だというケースをマスコミは大きく取り上げますが、実際はいじめが原因の自殺はごく少数です。
自殺の原因の多くは家庭にあります。コロナ禍で休校やリモート授業が増えた中で自殺が増えていることからもそれがわかるでしょう。

家庭で虐待された子どもは家出やプチ家出をします。児童養護施設などはなかなか対応してくれませんし、子どももお役所的な対応を嫌います。
泊まるところのない少女は“神待ち”などをして犯罪被害にあい、少年は盛り場をうろついて不良グループに引き込まれ、犯罪者への道をたどるというのがありがちなことですし、中には自殺する子どももいます。
ですから、子どもの自殺を防ぐには、虐待されて家庭にいられない子どもの居場所をつくる必要があります。私は「子ども食堂」があるように「子ども宿泊所」がいたるところにあって、家で煮詰まった子どもが気軽に泊まれるようになっていればいいと考えました。そうすればとりあえず自殺は防げますし、深刻な状況の子どもを宿泊所を通して行政の福祉につなげることもできます。そういうことを、私は「子どもの自殺を防ぐ最善の方法」という記事で書きました。

そのとき調べたら、家出した子どもに居場所を提供する活動をしているのはColaboぐらいしかありませんでした。ほかにないこともないでしょうが、少なくともColaboは先駆者であり、圧倒的に存在感がありました。

ですから、Colaboみたいな組織がもっともっと必要なのです。
Colabo批判は方向が逆です。


ところが、「家庭で虐待された子どもを救済する」ということに反対し、足を引っ張ろうとする人がいます。
どんな人かというと、要するに家庭で子どもを虐待している親です。

幼児虐待というと、マスコミが取り上げるのは子どもが親に虐待されて死んだとか重傷を負ったといった事件だけです。
こうした事件は氷山の一角で、死亡や重傷に至らないような虐待は多数あります。
2020年度に全国の児童相談所が相談対応した件数は約20万5000件でした。しかし、この数字もまだまだ氷山の一角です。

博報堂生活総合研究所は子どもの変化を十年ごとに調査しており、2017年に発表された「こども二十年変化」によると、「お母さんにぶたれたことがある」が48.6%、「お父さんにぶたれたことがある」が38.4%でした(小学4年生から中学2年生の男女800人対象)。その十年前は、「お母さんにぶたれたことがある」が71.4%、「お父さんにぶたれたことがある」が58.8%で、さらにその十年前は「お母さんにぶたれたことがある」が79.5%、「お父さんにぶたれたことがある」が69.8%でした。つまり昔はほとんどの子どもが親から身体的虐待を受けていたのです。

最近は体罰批判が強まり、身体的虐待はへってきましたが、心理的虐待はどうでしょうか。
心理的虐待は客観的判断がむずかしいので、アンケートの数字で示すことはできません。
子育てのアドバイスでよくあるのは「叱るのではなく、ほめましょう」というものです。また、子育ての悩みでよくあるのが「毎日子どもを叱ってばかりいます。よくないと思うのですが、やめられません」というものです。
こうしたことから子どもを叱りすぎる親が多いと思われます。
きびしい叱責、日常的な叱責は心理的虐待です。

これまでは体罰もきびしい叱責も当たり前のこととされ、幼児虐待とは認識されませんでした。
ですから、家出した子どもは警察が家庭に連れ戻しましたし、盛り場をうろついている子どもは少年補導員がやはり家庭に連れ戻しました。
社会全体で虐待の手助けをしていたわけです。

そうしたところにColaboが登場し、虐待された子どもを虐待された子どもとして扱うようになりました。
これは画期的なことでした。
そして、虐待していた親にとっては不都合なことでした。
これまでは虐待した子どもが家から逃げ出してもすぐに連れ戻されて、なにごともなかったのに、今は逃げ出した子どもはどこかで保護され、子どもが逃げ出したのは家庭で虐待されからだとされるようになったからです。
ですから、虐待している親、虐待を虐待と思っていない人たちは前からColaboに批判的で、会計不正疑惑をきっかけにそういう人たちがいっせいに声を上げたというわけです。


虐待のある家庭を擁護する勢力の代表的なものは統一教会(現・世界平和統一家庭連合)です。
統一教会の信者の家庭の多くは崩壊状態で、子どもには信仰の強制という虐待が行われています。しかし、創始者の文鮮明が「家庭は、神が創造した最高の組織です」と言ったように「家庭をたいせつにする」ということが重要な教義になっていて、最近は家庭教育支援法の制定に力を入れています。
「家庭をたいせつにする」という点では自民党も同じで、安倍晋三元首相も家庭教育支援法の制定を目指していました。
統一教会や自民党にとっての「家庭」というのは、親と子が愛情の絆で結ばれている家庭ではなくて、親が子ども力で支配している家庭です。
これを「家父長制」といいます。

今、Colabo問題が大きな騒ぎになっているのは、家父長制を守ろうという勢力と、家父長制を解体して家族が愛情の絆で結ばれる家庭を再生しようという勢力がぶつかり合っているからです。
そういう意味ではまさに「大戦」です。
これは政治における最大の対立点でもあります。


なお、こうした問題をとらえるにはフェミニズムだけでは不十分です。
家父長制は男が女を支配する性差別と、おとなが子どもを支配する子ども差別というふたつの差別構造から成っています。
フェミニズムは性差別をなくして女性を解放しようという理論ですから、それに加えて、子ども差別をなくして子どもを解放しようという理論が必要です。
たとえば母親が男の子を虐待するというケースはフェミニズムではとらえられません。

幼児虐待、子育ての困難、学校でのいじめ、登校拒否などの問題も「子ども差別」という観点でとらえることができます。
そうした観点があれば、幼児虐待から子どもを救うColaboのような運動に男性も巻き込んでいくことができるはずです。

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タモリさんが年末に「徹子の部屋」に出演した際、「来年はどんな年になりますかね」と聞かれ、「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答え、「新しい戦前」がキーワードとしてSNSで話題になりました。
確かに最近の日本の動きを見ていると、また戦争に向かっている感じがして、人間の愚かさにがっかりします。

人間は戦争をして、悲惨な目にあって反省し、やがてその反省を忘れてまた戦争するということを繰り返してきました。
人間も生存闘争をする動物なので、戦争を繰り返しても不思議ではありません。
ただ、文明が進むとともに戦争の悲惨さが増してきました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦にはその悲惨さが極限に達し、反省も深まって、戦争を克服しようという機運が高まり、国際連盟と国際連合がつくられました。

戦争のひとつの原因は、自国中心主義です。
自分の国さえ利益を得ればいい、安全であればいいという利己主義的な考え方が他国との争いを招きます。
これを防ぐには国際社会において「法の支配」を確立するしかありません。
つまり世界政府が主権国家を支配する体制をつくることです。
国際連盟や国際連合はそれを目指してつくられました。

しかし、国際連盟はアメリカが加盟しなかったことで力がなく、失敗しました。
国際連合は五大国に安全保障理事会における拒否権を与えたことで五大国を支配できず、十分に機能していません。

したがって、今するべきことは国連を強化して、アメリカ、中国、ロシアなどを制御することです。
それをしないと今後、アメリカと中国の覇権争いはどんどん激化します。
覇権争いがいつまでも続くといつか世界は破滅します。

ところが、日本の政府、マスコミ、知識人は圧倒的なアメリカの影響下にあるので、これまで国連軽視の風潮を広めてきました。
国連が無力であったのは事実ですが、だからこそ国連強化をしなければならないので、国連を軽視・蔑視するのは方向が逆です。


今の日本は、国連が頼りにならないのでアメリカに頼るしかないというのが一般的な認識です。
実際、アメリカの軍事費は世界の軍事費の約4割を占め、中国の軍事費の約3倍あるので、アメリカに頼っていれば安心なのは事実です。
ところが、アメリカは日本に防衛力の増強を求めてきます。同盟国の戦力はアメリカの戦力でもあり、アメリカの軍需産業が潤うからです。

これまでの日本政府はアメリカの要求をなんとか値切ってきましたが、第二次安倍政権になってからはどんどん受け入れるようになりました。辺野古の新基地建設など、軟弱地盤が判明して9000億円以上かかるとわかってもアメリカと再交渉せず、ひたすら建設を続けています。
防衛費倍増は安倍路線の仕上げです。


防衛費倍増に限らず日本の安全保障政策はほとんどアメリカの望み通りです。
これはアメリカの要求に屈してやっているのか、日本がみずから望んでやっているのか、うわべからはわかりません。
いずれにしても、日本政府はみずから望んでやっていることにしていますし、マスコミもそこは追及しません。

とはいえ、アメリカの強大な軍事力があるのに日本はなぜ防衛費増額をしなければならないのかという疑問が生じます。
そのため、安全保障論議をするときはアメリカの軍事力については触れないという習わしがあります。

安保論議をするときは、「きびしさを増す安全保障環境」という決まり文句があって、必ず「中国の軍拡や北朝鮮のミサイル開発など、わが国を取り巻く安全保障環境はきびしさを増し」という文から始まります。思考停止のきわみです。
そして、アメリカの軍事力には決して触れません。

最近はアメリカの軍事力だけでなくアメリカの存在そのものにも触れなくなっています。
安倍元首相は「台湾有事は日本有事」と言いました。
中国が台湾に侵攻したら(私はないと思いますが)、アメリカがどう出るかが問題で、それによって日本の出方も決まります。
中国が台湾に侵攻し、アメリカが静観しているのに、自衛隊だけが出動して中国軍を攻撃するなんていうことはありえません。
もしアメリカが軍事介入したら、沖縄や日本本土から米軍が出撃することになり、日本が中国から攻撃されるか攻撃される危機に瀕するので、日本政府は「存立危機事態」と認定して自衛隊を出動させることになります。
つまり「日本有事」になるかどうかはアメリカ次第です(日本政府の意志はないも同然です)。
ですから、安倍元首相の言葉は「台湾有事は(アメリカが介入すれば)日本有事」というふうに言葉を補えばわかりやすくなります。

また、「敵基地攻撃能力」に関して、「相手国がミサイル発射の準備をしている段階で攻撃する」といった議論が行われていますが、これについてもアメリカがなにもしないのに自衛隊だけで中国や北朝鮮の基地を攻撃するということはありえません。
もし攻撃したあとで中国や北朝鮮が攻撃の準備をしていなかったことが判明したら、日本は絶体絶命の立場になります。アメリカは大量破壊兵器があるという理由でイラクに攻め込み、大量破壊兵器がないことが明らかになりましたが(アメリカが“証拠”を捏造していた)、アメリカが知らん顔をしていられるのは超大国だからです。日本が同じことをすれば国際的非難を浴び、巨額の損害賠償請求をされて、首相がハラキリでもしないと収拾がつきません。
それに、中国は広大ですから、日本が単独で中国の基地を攻撃しても意味がありません。あくまで日本の攻撃力はアメリカの攻撃力の補助的な役割です。

自国の抑止力を同盟国の安全保障に提供することを「拡大抑止」といいます。
外務省のホームページには、日米拡大抑止協議が2022年6月21日から22日まで及び11月15日から16日まで開催されたと発表され、「日米拡大抑止協議は、日米両国間の公式な対話メカニズムの一つとして設立され、2010年以降、定期的に開催されています」という説明があります。
以前の拡大抑止はアメリカが日本に提供するものでしたが、これから日本がアメリカに提供することになったために、最近続けて協議されているのでしょう。

つまり日本の「敵基地攻撃能力」は最初からアメリカ軍と一体のものとして構想されているのです。
それなのに日本での議論はまるで日本が単独で中国や北朝鮮を攻撃するみたいになっています。

東アジアでは、日本、韓国、オーストラリアを含めたアメリカ陣営と中国が対峙しています。
ですから、アメリカ陣営と中国との戦力比較が重要ですが、そういう議論も聞いたことがありません。

要するにすべての安全保障論議からアメリカというファクターが消去されているのです。
「モーゼの十戒」に「神の名をみだりに唱えてはならない」とあるのを想起してしまいます。
日本はアメリカを絶対神として崇めているのでしょうか。


今後、安全保障論議をするときは、「わが国を取り巻く安全保障環境はきびしさを増し」という決まり文句はやめて、アメリカと中国の軍事力の比較をするところから始めてもらいたいものです。
そうすると、覇権争いの愚かさと、世界の軍事費の巨大なことに思い至るでしょう。
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によると、21年の世界の軍事費は2兆1130億ドル(約277兆円)でした。
今の軍事費を貧困対策や環境対策や科学技術振興などに回せば世界は見違えるように変わります。

もっとも、それにはアメリカが変わらなければなりません。
ヨーロッパでロシアと対峙し、東アジアで中国と対峙し、中東でイスラム諸国と対峙するというアメリカの世界戦略こそがすべての元凶だからです。
中国の共産主義よりもアメリカの覇権主義のほうがはるかに問題です。

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