
岸田政権は「異次元の少子化対策」を打ち出し、統一地方選でもほとんどの候補が少子化対策、子育て支援を訴えていました。
少子化対策は今や最大の政治課題であるようです。
しかし、地球の人口は増え続けていて、そのために食糧不足、資源不足、環境問題が懸念されています。
それに、日本は人口密度世界ランキング27位で、山が多い地形を考慮するとかなりの人口過密国です。
先進国ほど少子化が進むという傾向もあります。
少人数でパイを分け合えば、一人当たりの取り分が増えます(たとえば一人っ子同士が結婚すると、ふたつの家の財産を受け継げます)。
そういうことを考えると、むりして少子化対策をしなくてもいいように思えます。
ただ、少子化が進むと国家の財政と年金制度が危機に瀕します。
日本政府が少子化対策に力を入れているのは、ひとえに財政と年金のためです。
つまり「カネ」の問題を解決するために「命」を利用しようとしているのです。
このことは国民誰もが感じていて、そのため少子化対策はあまり盛り上がらず、政府だけがカラ回りしている印象です。
「女性を人口目標の道具にしない 国連人口基金、出生率の考え方を提言」という記事によると、国連人口基金(UNFPA)は4月19日、「世界人口白書」を発表し、そこにおいて各国政府が実施している出生率の上昇や低下を目的とした政策は効果が出ないことが多く、女性の権利を損なう可能性があると指摘しました。
「女性の体を人口目標の道具にすべきではない」「出産時期や子どもの数は女性が自由に選ぶべきだ」という言葉は日本政府の耳に痛いでしょう。
安倍政権は「女性活躍」や「女性が輝く社会」を掲げて女性の労働力を活用してきましたが、岸田政権は女性の“出産力”まで活用しようとしているわけです。
ちなみに自民党では、第一次安倍政権のときに柳沢伯夫厚生労働相が「女性は産む機械」という発言をし、2018年には杉田水脈議員が月刊誌への寄稿で「(同性カップルは)子供をつくらない、つまり『生産性』がない」と述べたこともありました。
子どものいる人生と子どものいない人生ではまったく違うので、子どもをつくるかつくらないかは重大な決断です。
「異次元の少子化対策」には子ども1人月額1万円支給といった政策がありますが、こうしたことで子どもをつくることを決断する夫婦はあまりいないのではないでしょうか。
それに、少子化の原因は婚姻率が低下したことだという説があります。
内閣府ホームページの「第2章 なぜ少子化が進行しているのか」にも、少子化の原因として「未婚化の進展」「晩婚化の進展」「夫婦の出生力の低下」が挙げられています(「夫婦の出生力の低下」は「晩婚化の進展」ともつながっています)。
そうすると、少子化対策よりも未婚化・晩婚化対策をしたほうが有効だということになります。
いずれにしても、結婚、出産という人生の重大事を国家の財政危機解決に利用しようという発想が根本的に間違っています。
子どもを生まない夫婦が増えるのは、生んでも、その子が将来幸せになるかわからないということもあります。
去年1年間に自殺した小中高校生の数は512人で、過去最高を記録しました。若者の死因のトップが自殺であるという国はG7で日本だけです。
ユニセフが2020年に発表した「子どもの幸福度」調査によると、日本の子どもの「身体的健康」は38か国中で1位でしたが、「精神的幸福度」は37位と下から2番目でした。
つまり日本の若者は世界的に見てきわめて不幸です。
そして、その対策はなにも行われていません。
もし「異次元の少子化対策」が成功したら、不幸な若者が増えることになります。
そして、その対策はなにも行われていません。
もし「異次元の少子化対策」が成功したら、不幸な若者が増えることになります。
4月1日、「こども家庭庁」が発足しました。
「こども」がひらがな表記であることに気づかない人も多いのではないでしょうか。普通は「子ども」と書くものだからです。
子どもが読みやすいようにひらがなにしたのなら、「こどもかてい庁」と全部ひらがなにするはずです。
「こども」だけひらがなにしたのは、「こども」と「家庭」に格差をつけようとしたからではないかと疑ってしまいます。
こども家庭庁は「こどもまんなか社会の実現」をキャッチフレーズにしています。
「こどもまんなか」というのもよくわからない言葉です。
自民党の政治家はよく「子どもは国の宝」と言います。
菅義偉首相が2021年4月に「子ども庁」(このときはこういう名称だった)の創設を表明したときに、「子どもは国の宝で、ここにもっと力を入れるべきだ」と語りました。
岸田首相も今年の3月17日の記者会見で「子供は国の宝です」(表記は官邸ホームページによる)と語っています。
こども家庭庁は「子どもは国の宝」をキャッチフレーズにしてもよさそうですが、もしそうすると、「子どもは国のものではない」とか「子どもは物ではない」といった反発があるでしょう。
岸田首相は3月17日の記者会見では「こどもファースト社会の実現」という言葉を二度も使っていました。
「子どもファースト」はわかりやすい表現です。
しかし、「子どもファースト」といえば誰でも「レディファースト」を連想します。
昔は「レディファースト」という言葉がよく使われました。「欧米の男性はエレベーターに乗るときは必ずレディファーストで女性を先に乗せるが、日本の男性は……」というぐあいです。
しかし、欧米でも性差別は深刻です。エレベーターに女性を先に乗せるなどというのはまやかしです。そのことがわかってきて、最近は「レディファースト」という言葉は使われなくなりました。
「子どもファースト」という言葉も同じことです。
「おとなが子どもをたいせつにする」というのは、おとなが主体で、子どもは客体です。
これではおとなが好き勝手にできます。
「こどもまんなか」も同じことです。あくまでおとなが主体です。
では、どんなキャッチフレーズがいいのかというと、これしかないというものがあります。
それは、
「おとな子ども平等社会の実現」
です。
今の世の中、「おとな子ども平等」をいう人はまずいないと思いますが、戦前には「男女平等」ということもまずいわれませんでした。
アメリカ独立宣言には「すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている」とあり、これをもって「天賦人権」とか「普遍的人権」といいます。
しかし、実際には先住民にも黒人奴隷にも人権はありませんでした。
さらに、選挙権がないという点では女性と子どもにも人権はありませんでした。
つまりアメリカ独立宣言は、実質的に「白人成人男性の支配宣言」であったわけです。
それから長い年月がたって、女性や先住民や黒人に選挙権が与えられてきました。
しかし、子どもにはまだ選挙権が与えられていません。
話は飛ぶようですが、岸田首相に爆弾を投げた木村隆二容疑者は、参議院の被選挙権が30歳以上と決められているのは憲法違反だとして裁判所に訴えていました。同様の訴訟は全国規模で行われています。
問題になっているのは被選挙権の年齢制限ですが、では、選挙権が18歳以上というのは正当かというと、なんの根拠もありません。おとなが適当に決めています。
最終的には選挙に関するすべての年齢制限は撤廃されるべきです。
そうなってこそ普遍的人権が実現したことになります。
ですから、「男女平等」と同様に「おとな子ども平等」もいずれ当たり前になるはずです。
もっとも、自民党にそのことを理解しろといってもむりです。
自民党は家父長制の家族を理想とする政党なので、家父長である男性が女子どもを支配するものと考えているからです。
国家の財政赤字は、経済成長によって税収を増やすことで解消できれば理想です。
しかし、日本はせいぜいGDP年1%程度しか成長しない国になりました。
となると、増税と歳出削減によって赤字をへらすか赤字を増やさないようにするしかありません。
しかし、増税と歳出削減は苦しいことです。
そこで、出生率を上げて、労働力人口を増やすことで税収を増やそうと考えたわけです。
しかし、この少子化対策は前からやっていて、少しも効果がないばかりか、さらに少子化が進行しています。
普通ならここで「少子化対策で税収増」という青い鳥を追うのは諦めて、増税と歳出削減に取り組むところです。
しかし、増税と歳出削減は苦しいので、さらに「異次元の少子化対策」へ突き進んでいるわけです。
おそらく自民党は戦時中の「産めよ増やせよ」という感覚のままで、女性の体と子どもの命を利用することになんの抵抗もないのでしょう。
女子どもを蔑視する自民党の少子化対策に効果がないのは当然です。
では、まともな少子化対策なら効果があるかというと、そうともいえません。せいぜい少子化の速度を少し遅らせる程度でしょう。
つまり今は少子化を前提として対策を考えるべきときです。
なお、「子どもを持ちたいのに持てない夫婦」や「結婚したいのにできない独身者」を救済する政策は必要です。
これは財政や年金とは関係なく、国民の福祉のために行うことです。