村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2023年06月

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自転車に乗った女性が前を歩いていた歩行者にベルを鳴らしたところ、歩行者の男性が激怒し、女性と言い争いになりました。
女性がその様子を動画に撮ってツイッターにアップすると、どちらが悪いかと大論争になりました。

出来事のいきさつを「SNSで論争 中高年男性がブチ切れ!自転車ベル問題 精神科医がトラブル回避策指南」という記事から引用します。

SNSで拡散されている動画の内容はこうだ。女性が自転車で2歳の子供を病院に連れていく路上で、注意喚起のため歩行者の中高年とみられる男性にベルを鳴らした。すると、男性は自転車を止めさせ、「通りますって言えばいいじゃん。声出して! 違うんか、おいー」と怒鳴り、自転車のカゴにつかみかかり、子供が号泣してしまったのだ。
 女性は「通りますよってことで(ベルを1度)鳴らしただけじゃないですか」と言い、男性はさらに激怒。女性は「(子供が)泣いちゃったじゃないですか」と言い返し、男性は「警察呼べよ」と大声で叫ぶなど修羅場となっていた。

 この動画にツイッターユーザーは「ベルを鳴らすのはよくない」「男性の顔をさらすのはよくない」「子供を守るなら、受け流して去った方がいい」などの意見もある。

ツイッターの動画は削除されていますが、YouTubeにアップされたものはあります。



男性は自転車のカゴをつかんで動けないようにして、女性をどなりつけています。
それに対して女性は「恫喝ですか。脅しですよね」「どうしてくれるんですか。(子どもが)泣いちゃったじゃないですか」と激しく言い返しています。


まずひとついえるのは、歩行者に対してベルを鳴らしてはいけないということです。道路交通法第54条の「警音器の使用」にも、そのような鳴らし方は認められていません。

自転車と歩行者では歩行者優先ですから、歩行者が自転車の通行の妨げになっても、自転車は歩行者のあとをついていき、機会を見て追い越すしかありません。
「すみません」と歩行者に声をかけて追い越せばいいという意見もありますが、これも歩行者優先に反するので、好ましくありません。

ということで、ベルを鳴らした女性が悪いということがいえます。
しかし、鳴らされた男性の態度もよくありません。自転車のカゴをつかんで動けないようにして怒鳴るのは、かなり悪質です。普通の女性なら恐怖で身がすくむでしょう。

そういうことから、「どちらも悪い」ということもいえますが、双方の悪さはレベルが違います。

ベルを鳴らしたことが原因だから「女性のほうが悪い」という意見もありますが、歩行者にベルを鳴らしたのは交通ルールや交通マナーを知らないからです。そこに悪意はありません(30年ぐらい前は自転車がベルを鳴らしながら歩行者を押しのけて走るのは普通の光景でした)。
一方、男性が怒鳴るのは、女性を傷つけてやろうという悪意があります。
男性は女性の交通ルール違反をとがめるという「正義」を名目にしているので、これはモラハラということになります。
もしこの男性が会社の上司で、その立場を利用していればパワハラということになります。
こういうモラハラ男、パワハラ男が自分の家庭や会社にいればどうかと考えてみればわかります。


モラハラ、パワハラというのは、強者と弱者の関係で成立します。
弱者は抵抗できません。
しかし、この女性は腕力では勝てないので、モラハラの証拠を撮って、SNSに上げるという手段に出ました。
弱者の対抗手段としては、これしかないというやり方です。
会社でパワハラにあったときも、弱者はその場では反撃できませんから、会話を録音するなどして証拠を残しておくことがたいせつです。
モラハラ、パワハラを退治するには、客観的な証拠を公にさらすというやり方いちばんです。
男性の顔をさらしたのはよくないという声がありますが、男性は正義の主張をしているつもりですから、顔をさらされても文句はないはずです。


ところが、モラハラの客観的な証拠があるにも関わらず、女性のほうに非難が集中しました。
これは日本ならではの現象というしかありません。

世界経済フォーラムが発表した2023年版のジェンダーギャップ指数において、日本は146カ国中125位でした。
ジェンダーギャップ後進国の日本では、男性が女性にモラハラをするというのは日常ですが、「女性が男性に反撃する」というのはめったにないことです。
このような反撃が次々に起こると男性優位が崩れますから、男性は集中的にこの女性を攻撃して反撃の芽をつんだわけです。
その結果、女性はツイッターのアカウントを消して“逃亡”しました。

もしこの女性が弱くて、怒鳴られて泣き出していたら、女性に同情が集まり、男性に非難が集中するという展開がありえたでしょう。
しかし、それでは世の中は変わりません。
男性と対等にやり合う女性が世の中を変えるのです。


交通ルールを知らなくてベルを鳴らしたことと、自転車を動けなくして女性を大声でどなり続けるモラハラ行為と、どちらが悪いかは明白です。

中には女性に対して「子どもに危害が及ぶかもしれないから、こういう場合は早く謝って逃げたほうがいい」と助言する人もいますが、これは女性に痴漢対策を助言するのと同じです。
こうした助言では痴漢もモラハラ男も野放しです。
モラハラ男とは戦わねばなりません。

女性がSNSにモラハラの証拠動画を上げたのに、女性が負けてモラハラ男が勝ったのでは「石が流れて木の葉が沈む」と同じです。
これが前例になってはいけません。

モラハラ、パワハラを退治するために、証拠の動画や音声をSNSに上げるというやり方がどんどん行われるべきです。

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岐阜県銃乱射の18歳自衛官候補生、長野県立てこもり4人殺害の青木政憲容疑者、安倍元首相暗殺の山上徹也被告、この3人をつなぐ一本の糸は「自衛隊入隊経験」です。

現役の自衛隊員が射撃訓練中に小銃を乱射するというのはショッキングな出来事ですが、それにしても、テレビのコメンテーターが「自衛隊は人の命を救う仕事なのにこんなことが起こって残念」と言っていたのにはあきれました。
自衛隊は災害時などに人命救助活動をしますが、これは“副業”です。“本業”はあくまで戦争で人を殺すことです。
まともな人間はなんの恨みもない人間を殺すことはできません。ですから、軍隊の訓練は兵隊をまともでない人間にすることです。
そのためどこの国の軍隊も、新兵訓練にはパワハラ、暴力が横行するものです。自衛隊が例外であるはずはありません。

自衛隊の非人間的な訓練が18歳自衛官候補生に銃乱射事件を起こさせた――というのはわかりやすい説明ですが、実際には今年の4月に入隊してわずか2か月ほどしか訓練を受けていないので、この説明にはむりがあります。

長野県立てこもり4人射殺事件の青木政憲容疑者は、大学中退後、父親に半ばむりやり自衛隊に入隊させられたようです。しかし、2、3か月後に除隊しているので、これも自衛隊の訓練の影響はほとんどなさそうです。

安倍元首相暗殺の山上徹也被告は1999年に高校卒業後、専門学校に入学するも中退、2002年に海上自衛隊に入隊し、3年間勤務します。
二十歳そこそこの若者にとって3年間勤務の影響は小さくないと思われますが、事件を起こすのは20年近くたってからですから、やはり自衛隊勤務と事件を結びつけるのはむりがあります。
ただ、自衛隊で銃器を扱った経験が手製銃づくりを思いつかせたということはあるでしょう。


これらの事件と自衛隊入隊は直接結びつきません。
しかし、自衛隊に入隊しようとした動機と事件は関係あるかもしれません。

長野県の青木政憲容疑者は父親から半ばむりやり自衛隊に入隊させられたというので、本人に入隊の動機はないことになりますが、安倍元首相暗殺の山上徹也被告の動機はかなり明白です。
山上被告の母親は統一教会に入信して多額の寄付を行ったことで家庭崩壊し、父親と兄は自殺しています。
山上被告は崩壊家庭から逃げ出すために自衛隊に入ったのです。

近所の会社に就職したのでは家庭から逃げ出したことになりませんが、自衛隊員になれば一般社会から切り離されます。
それに、自衛隊員の生活は駐屯地の隊舎や艦内などでの共同生活なので、山上被告はそこに家庭の代わりを求めたのかもしれません。

銃乱射の18歳自衛官は、幼くして児童養護施設に預けられ、幼稚園と小学校は施設から通いました。その後、親元で生活するようになりますが、中学の後半は児童心理養育施設に入ります。高校に進学してからは、複数の里親のもとを転々としたということです。
つまり彼は親からネグレクトされて、まともな家庭生活というものをほとんど知らないのです。
高校卒業後、すぐに自衛隊に入ったのも、そこに家庭の代わりを求めたのではないでしょうか。


私がこうしたことを考えるようになったきっかけは、池田小事件の宅間守元死刑囚(死刑執行ずみ)の生い立ちを知ったことです。
宅間守は父親からひどい虐待を受け、母親は家事、育児が苦手で、ほとんどネグレクトされ、母親は結果的に精神を病んで長く精神病院で暮らし、兄は40代後半のころに自殺しています。
宅間守は小学生のころから自衛隊に強い関心を持っていて、「将来は自衛隊入るぞ~」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、高校生になると同級生に「俺は自衛隊に入るからお前らとはあと少しの付き合いや」と発言していたこともあったそうです。
そして高校退学後、18歳で航空自衛隊に入隊しますが、1年余りで除隊させられます。「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたということです。
宅間守の場合、自衛隊は明らかに崩壊家庭からの脱出先です。
自衛隊で自分を鍛えて強くなりたいという思いもあったでしょう。
池田小事件を起こしたのは47歳のときなので、30年近くも前の自衛隊入隊の経歴は誰も問題にしませんでしたが、私は崩壊家庭からの脱出先に自衛隊が選ばれるケースがあるということで印象に残りました。

山上徹也被告の経歴を見たとき、宅間守と同じだと思いました。
銃乱射の18歳自衛官候補生もまったく同じです。

自衛隊入隊と凶悪犯罪が結びつくわけではありません。
家庭崩壊と凶悪犯罪が結びつき、その間に自衛隊入隊がはさまる場合があるということです。

崩壊家庭で育ったからといって凶悪犯罪をするわけではありませんが、凶悪犯罪をする人間はほとんどの場合、崩壊家庭で育って、親から虐待されています。
とりわけ動機不明の犯罪、不可解な動機の犯罪はすべて崩壊家庭とつながっているといっても過言ではありません。


崩壊家庭の子どもは家庭から逃げ出して、不良になったり、援助交際をしたりします。
最近話題の「トー横キッズ」もそうした子どもたちです(名古屋には「ドン横キッズ」、大阪には「グリ下キッズ」がいます)。
こうした子どもたちについては、犯罪をしたり犯罪に巻き込まれたりということばかりが話題になりますが、そのもとに崩壊家庭があるということはまったく無視されています。

凶悪犯罪についても同じです。
根本的な原因は崩壊家庭、幼児虐待にあります。


崩壊家庭の問題が認識されるのは、子どもが虐待されて死ぬか大けがをした場合だけです。
その前に子どもを助けなければならないのですが、誰もが見て見ぬふりをするので、なかなか助けられません。

崩壊家庭を本来の健全な家庭にすることは最大の社会改革です。

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回転寿司チェーンのスシローは、醤油の差し口や湯飲みをなめ回した少年に対して6700万円の損害賠償請求をしました。
“子どものいたずら”に対して常識外れの金額を請求したことを見ても、スシロー(株式会社あきんどスシロー)は倫理観のない企業だということがわかります。

スシローは不祥事のデパートです。
2021年9月、スシローは「新物!濃厚うに包み」などの商品を広告してキャンペーンを行いましたが、9割を越える店舗で広告の商品が品切れとなっても広告を打ち切りませんでした。同年11月には、「冬の味覚!豪華かにづくし」というキャンペーン商品についても、品切れになった店舗があるにもかかわらず広告を続けました。消費者庁から景品表示法違反(おとり広告)に当たるとしてあきんどスシローに再発防止を求める措置命令が出され、同社は謝罪しました。
2022年7月には、生ビール半額イベントを実施前にもかかわらず一部店舗で告知し、その告知を見て生ビールを注文した客に対して正規の料金を請求しました。誤った告知をした店舗は101店舗に及んだということです。さらに、イベント期間中に生ビールが売り切れる店が続出し、客が席につくまでそのことがわからないということもありました。
同年8月には、メバチマグロを使っているとされる商品にキハダマグロが使われていると週刊誌が報道し、同社はそれを認めて謝罪しました。

スシローの不祥事は、単なる不手際ではなく意図的なもので、悪質です。
当然、ネットではスシローは強烈なバッシングに見舞われました。

そうしたところ、今年の1月にペロペロ事件が起こったわけです。
ネットには少年を批判する声とともに、「もうスシローには行きたくない」といった声も多く、スシローの株価も急落しました。
そうするとスシローへの同情も強まり、スシローは少年に損害賠償請求するべきだという声が高まりました。

スシローとしては、これまでネットではバッシングされる一方だったのに、初めて味方する人々が出てきて舞い上がってしまったのかもしれません。
今回の損害賠償請求もその流れでしょう。

スシローの損害賠償請求が報じられたことで再びネットで少年へのバッシングが起きています。
スシローが吹いた犬笛で踊るのは恥ずかしくないのでしょうか。


少年のペロペロ動画が拡散したことでスシローが損害を受けたのは事実です。
しかし、少年の行為は一店舗に迷惑をかけただけです。このような行為は全国でいっぱい行われているはずです。誰かが言っていましたが、少年に罰で皿洗いをさせればすむ程度のことです。

問題は動画を拡散させた人間にあります。少年とその友だちはSNSで仲間と共有して楽しむことが目的でした。
少年側の弁護士が大阪地裁に提出した答弁書によると、動画を拡散させたのは「某有名インフルエンサー」だということです。

拡散の最初のきっかけの人間はいたかもしれませんが、すべてをその人間のせいにするのも違います。拡散というのは多数の人間の共同作業です。
スシローの客離れと株価下落を引き起こしたのは動画を拡散させたすべての人間の責任です。

ただ、そうなるとあまりにも人間の数が多すぎて、責任追及は事実上不可能です。拡散させた人間もそれがわかってやっています。「みんなで拡散させれば怖くない」です。
結局、スシローは訴えやすい相手だけ訴えているわけです。

少年はすでに高校を退学したということですし、家は普通の家庭のようですから、もちろん6700万円を支払えるわけがありません。
もともと17歳の少年に社会的影響力などありませんから、少年が反省しようが反省しまいが世の中は変わりません。
こんな訴訟は弱い者いじめと同じです。

賠償金額が多いと抑止効果があるという意見もありますが、こうした事件を起こす人は思いつきでやっていて、計算などしていませんし、ニュースもあまり見ていないでしょう。
「こんな動画をインターネットにアップすれば騒ぎになるのは当然だ」と言う人もいますが、誰もがインターネットの怖さを知っているわけではありません。SNSを友だちとつながるツールと思っている人も多いでしょう。


この少年に限らずこのところ騒ぎとなる飲食店の迷惑行為は、たとえば共用のガリを直箸で食べたり、使った爪楊枝を元の場所に戻したりといったことで、なんの利益にもならないことをおもしろがってやっているだけです。
「なんの利益にもならないことをおもしろがってやる」というのは、子どものいたずらと同じです。
「いい年をして子どもみたいなことをするな」と言って怒る人が多いでしょうが、おとなになっても子どもみたいなことをする人というのは、子どものころに十分に遊ばせてもらえなかったので、おとなになってから取り戻そうとしているのでしょう。

「子どものころに十分に遊ばせてもらえなかった」というのは、今の時代を理解するための重要なキー概念です。
公園で遊ぶ子どもの声がうるさいとか、保育園の子どもの声がうるさいとかクレームをつける人がいますが、こういう人は子どものころ「うるさい」とか「おとなしくしなさい」とか言われて、十分に遊べなかったのでしょう。
そのため遊んでいる子どもに怒りを向けてしまうのです。
飲食店の迷惑行為に怒る人も同じです。


子どもであれおとなであれ、遊ぶことはたいせつです。遊びは創造性にもつながっています。
スシローの巨額損害賠償請求が悪い前例となって同じような訴訟が相次げば、遊び心も創造性もないつまらない社会になってしまいます。

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LGBT法案が6月9日、衆院内閣委員会で可決され、今国会で成立する見通しとなりました。

この法案はもともと2016年に超党派の議員連盟がまとめたもので、自民党保守派の反対でずっと棚ざらしにされていましたが、急に成立を目指すことになりました。
自民党は保守派に配慮した修正案をまとめましたが、その中に「不当な差別はあってはならない」という言葉があると知って、あきれました。
こんな言葉を使う人間がつくった法律は信用できません。
維新の会と国民民主党も独自の修正案をまとめ、最終的に与党の修正案と一本化されました。衆院内閣委で可決されたのはこの一本化された修正案です。

この修正案は、「不当な差別はあってはならない」という言葉はそのままです。
「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」という言葉が加えられました。
「全ての国民が安心」は「全米が泣いた」と同じくらいありえないことです。差別をなくそうとすれば差別主義者は安心していられません。

言葉を「性自認」か「性同一性」にするかという問題がありましたが、これは「ジェンダーアイデンティティー」という言葉で決着しました。
日本の法律になじみのない英語が入りました。

しかし、この法律に英語が入るのは不思議ではありません。

4月23日、LGBTQの権利擁護を訴える国内最大級のイベント「東京レインボープライド」のパレードが約1万人の参加者(主催者発表)で行われましたが、アメリカのラーム・エマニュエル駐日大使も参加し、「ジェンダーや性的指向に関係なく愛する人と共にいるという選択は、誰もが尊重すべきことです」などとスピーチしました。
アメリカの大使が日本でデモに参加したことに驚きました。

普通、アメリカの日本政府への圧力は水面下で行われるものですが、これは人権問題であるためか目に見える形で行われています。
自民党が急に法案の成立を目指すことになったのもアメリカの圧力のせいでしょう。

自公と維新国民が修正案を国会に提出し、立憲民主党、共産党、社民党は原案を国会に提出するという状況下でこんな記事がありました。

エマニュエル米駐日大使、LGBT法案巡り自公の「修正案」に「賛辞」
米国のエマニュエル駐日大使が18日、自身のツイッターを更新し、自民、公明両党が同日国会に提出したLGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案について、「岸田文雄首相をはじめ、自民ならびに公明幹部のリーダーシップと、差別の撤廃と平等の推進に向けた行動に賛辞を贈りたい」と評価した。


両党が提出した法案は、2年前に超党派の議員連盟がまとめた法案を一部修正したものだ。これに対し、立憲民主党は自公の「修正案」を「改悪」と批判し、18日に議連の「原案」を対案として国会に提出した。


エマニュエル氏は理解増進法案を巡り、ツイッターでLGBT法制定を促す発信をしてきたことから、「内政干渉」との反発も出ていた。


立民はエマニュエル氏のこうした言動をとらえ、17日に泉健太代表と西村智奈美代表代行が東京都内の米大使館で同氏に面会。立民が議連の原案を国会に提出する方針を伝えていた。


立民は修正案への批判を強めているだけに、幹部は「エマニュエル氏が自公の修正案に対して、どういう発信をするのか注目だ」と関心を寄せていたが、エマニュエル氏は「賛辞」を表明した。
https://www.sankei.com/article/20230518-QTVQ7GVLEVKCHIMLWXAP2BF3YQ/
国会でふたつの案が対立しているとき、立憲民主党の代表と代表代行がわざわざエマニュエル大使に会いにいくということは、アメリカ大使と日本の国会の力関係を暗示しています。
泉代表は大使を説得すれば自民党の態度も変わると思ったのでしょうが、残念ながら大使は翌日に与党案支持を表明しました。

法案が衆院内閣委員会で可決された日には、大使はすかさずこうツイートしました。


ラーム・エマニュエル駐日米国大使
@USAmbJapan
今日の衆議院内閣委員会における「LGBT理解増進法案」の可決は、日本にとって新しい幕開けとなりました。岸田首相のリーダーシップに感謝いたします。LGBTの権利に関して、日本は主導的な役割を担っているのです。日本国民と政治の担い手が、平等とインクルージョンを支持し一致団結しているという、まさに特別な瞬間です。委員会のこの決議は、改革のゴールではなくスタートです。日本国民は自らの声をしっかりと届けることができました。心よりお祝い申し上げます。
午後2:59 · 2023年6月9日

大使のこのような態度は、LGBT法案に反対する保守派から「内政干渉だ」という猛反発を招いています。

なお成立見込みの修正案は、自民党保守派に配慮したものであるため、これまでLGBT法案に期待していた人たちから「後退だ」と批判されています。
一方、保守派の人たちはわずかの修正など評価せず、LGBT法案そのものに反対で、自民党やエマニュエル大使を批判しています。

ネトウヨジャーナリストの有本香氏は「自民党は、女性や子供の安全を脅かし、アイデンティティーを混乱させ、果ては皇室の皇統をゆがめ、破壊しかねない法案に前のめりで突き進んだ」と批判し、百田尚樹氏などは「LGBT法案が成立したら、私は保守政党を立ち上げます」「自民党はもはや保守政党ではありません」とまで言いっています。



日本の保守派はつねにアメリカ従属なのに、ここまでアメリカの意向に逆らうのは珍しいなと思っていたら、それは私の勘違いでした。
エマニュエル大使はバイデン大統領に任命された民主党系の人間です。
アメリカでは2021年2月、LGBTQ+の人々を差別から守るための「平等法」が下院で可決されましたが、上院では共和党の反対が強くてまだ可決されていません。
つまりLGBTQ+の「平等法」はアメリカの民主党と共和党の対立点で、次の大統領選の大きな争点になるといわれています。
エマニュエル大使は米民主党の価値観を日本に持ち込んでいるわけです。

ですから、LGBT法案に反対する日本の保守派はアメリカ共和党の価値観に立っています。
「LGBT法案を成立させても次の大統領選で共和党が勝てば無意味だ」などと主張しています。
自民党では、岸田首相ら政権の中枢はバイデン政権との関係を重視し、保守派議員は共和党との関係を重視して、自民党内で米民主党対米共和党の代理戦争が行われているわけです。
自民党執行部は党議拘束をかけてLGBT法案成立に向けて突っ走り、保守派議員は党議拘束を外すように主張しています。

島田洋一福島県立大学名誉教授は、アメリカにおける民主党対共和党の対立を紹介して日本の保守派の議論をリードしていますが、自民党の世耕弘成参院幹事長が党議拘束は外す必要がないと主張したことについてこんなツイートをしました。


島田洋一(Shimada Yoichi)

@ProfShimada

米民主党と日本の野党はほぼ同レベルだが、米共和党と自民党では大差がある。

共和党では左翼と強く闘う姿勢がないとリーダーになれない。安倍首相亡き後の自民党幹部は皆、左翼に迎合しつつ浅くブレーキを踏む程度。

ブレーキとアクセルの区別すら付かない者も多い。残念ながら世耕氏もアウト


島田氏は米共和党を理想として、それに及ばない自民党を批判しています。
コミンテルンがソ連共産党を理想として日本共産党を批判したみたいなものです。
しかし、島田氏は売国などと批判されることはなく、その主張はむしろ保守派から歓迎されています。

米共和党はキリスト教福音派などの宗教右派の思想をバックボーンとしています。
日本の保守派は天皇制や国家神道をバックボーンとしていそうですが、実は違います。
彼らは天皇制の権威を利用しているだけで、天皇陛下夫妻も上皇陛下夫妻も尊敬していません。


そもそも日本の伝統文化はLGBTに寛容です。
『日本書紀』で日本武尊は熊襲退治のときに女装して敵をあざむきます。日本最高の英雄は女装者だったのです。
平安後期の『とりかへばや物語』は、関白左大臣には二人の子どもがいましたが、男の子は女性的な性格で、女の子は男性的な性格で、関白左大臣は「とりかへばや(取り替えたいなあ)」と嘆いて、男の子を「姫君」として、女の子を「若君」として育てます。そして、二人はそれぞれ波乱万丈の人生を送り、最後に二人は人に気づかれないようにそれぞれの立場を入れ替えるという物語です。
日本ではこういう物語が愛されてきたのですから、LGBT法案にむきになって反対している人たちは日本とは別の文化に染まっているのでしょう。

LGBT法案に反対している人は同性婚にも反対して、家族制度が壊れるなどと主張しています。
しかし、キリスト教圏では同性愛は罪とされ、嫌悪されてきましたが、日本では衆道、男色は認められてきました。同性愛嫌悪がほとんどないのですから、同性婚に反対する理由もありません。
国民の意識も、今年5月のJNNの世論調査で同性婚を法的に認めることに「賛成」は63%、「反対」は24%でしたし、2月の朝日新聞の調査では「認めるべきだ」は72%、「認めるべきでない」は18%でした。
同性婚に必死で反対している人たちは日本人らしくありません。
アメリカの宗教右派の人たちに似ています。

2020年の大統領選挙でトランプ氏がバイデン氏に敗れたとき、日本でもネトウヨはこぞって「選挙は盗まれた」と騒ぎ、右翼雑誌も「選挙は盗まれた」という記事を書き立てました。
トランプ氏に踊らされる愚かな人たちと思って見ていましたが、日本の保守派はもともと米共和党右派なのだと思えば、そうした行動に出るのは当然です。

米共和党は不思議な組織です。党首も綱領も存在せず、全国委員会、州委員会、郡委員会などはありますが、地方ごとに自由に活動して、上部組織の指示に従わないと処罰されるということはありません。入党や離党もまったく自由で、党活動の義務もありません(米民主党も基本的に同じ)。

日本に「米共和党日本委員会」という名前の組織はないでしょうが、もともとあってもなくてもいいような組織です。
日本の保守派のほとんどが米共和党右派の思想に染まっているのですから、日本に「米共和党日本支部」があると見なすとわかりやすくなります。


統一教会と米共和党右派は思想的にほとんど同じです。
統一教会が日本の政界に深く食い込んでいるのに驚かされましたが、日本の政界に深く食い込んでいるのは米共和党右派も同じでした。

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オリエンタルラジオの中田敦彦氏がYouTubeで松本人志氏を批判したことが波紋を広げています。
その広がり方が尋常でなく、しかも、みんなの言っていることが明らかに的外れです。
お笑い界の人間はみんな松本氏にこびているから的外れなことしか言えないのだろうと推測しましたが、推測していても始まらないので、問題の発端である「中田敦彦のYouTube大学」の〈【松本人志氏への提言】審査員という権力〉という動画を見てみました。



まず思ったのは、中田氏の松本氏批判は想像以上に辛辣だということです。
今の世の中、名前を挙げてここまで直球に人を批判するのはめったに見られません。
そのために波紋が尋常でない広がりを見せているのでしょう。

ただ、43分もある動画です。内容をわかりやすく文章でまとめたものがあればいいのですが、探しても見当たらないので、自分で書くことにしました。

私自身はというと、かなりお笑いが好きで、バラエティ番組をよく見ています。松本氏はキャラクターとしては好きではありませんが、お笑いの才能は高く評価しています。


中田氏の話は、「THE SECOND」という漫才大会のことから始まります。
「M-1グランプリ」という漫才大会は出場資格が結成15年以内の漫才師となっていますが、「THE SECOND」は結成16年以上の漫才師を対象として今年から始まりました。これによってすべてのキャリアの漫才師が賞レースに参加できることになったわけです。
昔から関西のお笑い界では賞の出る大会がいくつもあって、吉本興業は受賞した芸人のギャラを高くするなどして、受賞歴が高く評価されていましたが、東京にそうした大会はなかったそうです。
そこにM-1が始まって、優勝者や準優勝者が売れるようになると、東京にも賞レース至上主義、漫才至上主義のようなものが広がります。
それまでは「ボキャブラ天国」とか「エンタの神様」のような、テレビのバラエティ向きの笑いがいくつもあり、漫才はその中のひとつでしたが、今は漫才の格式が高くなっているということです。

このようにお笑い界における賞レースの位置づけが語られます。これはお笑いに興味のない人にはどうでもいいことですが、これは重要な前振りです。

中田氏が言うには、M-1は審査員に特別に光が当たる大会です。とろサーモンの久保田氏が審査員の上沼恵美子氏と起こした騒動もありましたが、昔は島田紳助氏の言葉が注目され、最近は松本氏の言葉が注目されます。松本氏が「もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」と言うと、言われた漫才師はすごくフィーチャーされます。
そして、中田氏は「松本さんがあらゆる大会にいるんですよ」と言います。
ここからはできるだけ中田氏の言葉で伝えることにします。

「松本さんはなんだかんだで若手を審査する仕事がめっちゃ多い。第一人者だから、カリスマだからという意見もあるかもしれませんが、カリスマ的芸人でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員はいっぱいやらない。ここが松本さんの特筆すべきところで、松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になっていったんです」
「審査員って権力なんです。この権力が分散していたらまだいいんですけど、集中してるんですね。松本さんは漫才(M-1)にもいて、コント(キングオブコント)にもいて、大喜利(IPPONグランプリ)にもいて、漫談(すべらない話)にもいる。全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんというとんでもない状況なんです」
「これでどうなるかというと、松本さんが『おもしろい』と言うか言わないかで、新人のキャリアが変わるんです」
「この権力集中っていうことは、松本さんがそれだけ偉大な人だから求められているんだともいえるけど、求められていることと実際にやるのは違うことなんです。求められたとしても、実際にやることがその業界のためになるかというと、僕の意見としてはあまりためにならないと思う。なんでかっていうと、その人の理解できないお笑いっていうのは全部こぼれ落ちるから」
「だから、新しい大会で新しい審査委員長が出てくればいいけど、新しく始まったTHE SECONDのアンバサダーという役割は松本さんだった」

ここまでは松本氏が審査員をやりすぎていることに対する批判です。
ここから松本氏個人に対する批判になります。

「お笑いって芸術じゃなくて、徹底的に大衆演芸で、受けたほうが勝ち、より多くの笑いを取ったほうが勝ちなんですよ。ところが、松本さんって価値観に介入する人なんです。M-1の審査のときでも、『もっと受けてもよかったな』とか『もっと点数入ってもよかったな』とか言う。大衆の反応よりも審査員の好みとか思想が優先されるんですよ。テツandトモはリズムネタですごい受けたけど、『あれは漫才じゃない』という理由で落とされてしまう」
「松本さんが『あれおもしろいな』って言うのはいいと思うんです。しかし、『あれおもしろくないな』って言うのは業界全体にとって悲劇なんですよ。受けてない人は世に出てこないから、ほっとくじゃないですか。松本さんが『あれおもしろくないな』ってことさら言うときって、売れてる者に対して言うわけですよ。その最初が『遺書』っていうすごい売れた本で、めちゃくちゃ売れてるナインティナインさんをめちゃくちゃこき下ろしてるんですよ。それって必要ないことじゃないですか。そういう『あれおもしろくないな』を何度かやるんですよ」

「松本さんに対してなにもものが言えない空気ってすごくあるんですよ。ジャニー喜多川さんの件にしても、ジャニーさんが生きてる間に言いなよっていう意見があったりするけど、生きてる間に言えなかったんだろ。それがいちばんの問題なんじゃねえの」
「松本さんの映画がおもしろいかおもしろくないかって、芸人が誰も言わないんだよ。観てないはずがないのに。みんな『松本さん、審査員ちょっとやりすぎじゃないですか』ってどっかで思ってるけど、言えないんだよ」
「みんなの代わりに言っちゃおうかなって。松本さんは審査員をやりすぎちゃってる。何個か辞めてもらえないですか。M-1だけに絞られるのがよろしいんじゃないですか」


中田氏はずっと松本氏からディスられてきて、今は吉本興業を辞めて、登録者数500万人のユーチューバーになったので、松本氏に言いたいことが言える立場になったということです。

中田氏の主張で、いまだに松本氏を超える芸人が出てこないのは今までの審査体制がよくないからだというのがありますが、これについては必ずしも賛同できません。松本氏を超える才能が存在していなかっただけかもしれません。

ただ、松本氏が審査員をやりすぎているのはよくないという主張には全面的に賛同します。
なにごとであれ、権力が集中するのはよくありません。そのために独占禁止法があり、三権分立があり、民主主義があるのです。
松本氏が実力と人格を兼ね備えた人であっても、長く権力の座にいると次第にわがままで傲慢になっていきます。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉の通りです。
松本氏が「もっと点数入ってもよかった」と言うのは、松本氏が“審査員の審査員”という立場にあることを意味し、すでに独裁化しているといえます。


松本氏が審査員をやりすぎているために日本のお笑いが広がりを欠いているかどうかはむずかしい問題ですが、たとえば、とにかく明るい安村氏はイギリスのオーディション番組「ブリテンズ・ゴッド・タレント」で決勝進出という快挙を成し遂げました。こういうお笑いは漫才至上主義から出てこないことは確かです。
また、「有吉の壁」はショートコント中心の番組で、斬新な発想に満ちていて感心しますが、こういうのも松本氏の発想の外かもしれません。


中田氏の提言に対して、松本氏はツイッターで名前は挙げずに「テレビとかYouTubeとか関係なく2人だけで話せばいいじゃん。連絡待ってる!」と投稿しました。
公開での提言に対して「2人だけで話せばいいじゃん」と返すのはどうなのでしょう。自分なりの答えを示してほしいものです。

オリラジの相方の藤森慎吾氏はYouTubeで「やってくれたなという言葉に尽きますね」と言い、松本氏が審査員を多く務めていることについても「松本さんって方がいらっしゃるからこそ、大会の価値もものすごい上がっていると思う」と中田氏と立場の違いを示しました。

明石家さんま氏は週刊誌記者に聞かれて「松ちゃんがいっぱい審査員してるのどうってか?『ええなあ仕事あって』と思ってるよ」と答えました。この問題には関わらないつもりのようです。

お笑い界の人は基本的に松本擁護、中田批判です。
「実力があるから審査員をやっている」「松本さんに審査されたいし、ほめられたい」といった芸人の声は、一応中田氏の提言を受け止めていますが、わけのわからない返しをする人もいます。
ほんこん氏は「松本さんが審査員全部辞めるわってなったら、どないすんの?」と言い、上沼恵美子氏は「松本さんご本人は責任を果たしてるだけやと私は思う。いっぺんやってみ、審査員。大変やで」と言い、トミーズ雅氏は「土俵がちゃうねん。日本背負っている人と、500万人のYouTube背負ってる人やろ。一緒な訳ないやないかい」と言いました。
理屈になっていないのは、松本氏の圧倒的な力にひれ伏しているからでしょう。

吉本興業の大崎洋会長と岡本昭彦社長はともにダウンタウンのマネージャ―だったところから出世した人で、おそらく松本氏は会長や社長とも対等に口が利けるのでしょう(大崎会長は近く退社して大阪万博組織のトップに就任する予定)。
松本氏の権威と権力が日本のお笑い界を重苦しくしていると感じられてなりません。

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