村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2023年11月

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データサイエンス、ビッグデータという言葉を知らずして、今の世の中を理解することはできません。
話題のチャットGPTも、ビッグデータを利用することで驚異的な機能を発揮するようになったものです。

『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』の著者セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツは、経済学を学ぶ大学院生だったときに「グーグル・トレンド」に出会いました。
グーグル・トレンドというのは、2009年に導入された、どんな語句がいつどこで検索されているかがわかるツールです。人がなにか検索ワードを打ち込むことは、それ自体がその人についての情報になります。この情報は量が膨大なので、見る角度によって人間についてのさまざまな“真実”を見せてくれます。ダヴィドウィッツはグーグルトレンドを使って人種差別の研究をし、それが評価されてグーグルにデータサイエンティストとして勤務し、大学客員講師などをへて、現在はライターであるようです。

今の時代、グーグル検索だけでなく、さまざまな分野で膨大なデータが蓄積されています。それを利用するのがデータサイエンスです。データサイエンスはさまざまな“真実”を見せてくれるとともに、ビジネスチャンスも提供してくれます。


世論調査や社会調査は必ずしも実態を正しく反映しません。その主な理由は、人間は自分をよく見せかけようとするからです。これは匿名の調査でもそうです。
あるもっとも権威ある調査によると、米国人の異性愛者の女性は年間に平均して55回性交し、その16%においてコンドームを使用しているそうです。となると、年間に消費されるコンドームは11億個になります。一方、異性愛者の男性は年間16億個のコンドームを用いていると述べています。どちらが嘘をついているのでしょうか。実はコンドームの年間販売量は6億個に満たないのです。つまり男性も女性も嘘をついているのです。
グーグル検索はより真実を明らかにします。グーグル上では結婚生活にまつわる最大の不満はセックスレスです。「セックスレス 結婚」の検索回数は、「不幸 結婚」の3.5倍、「愛のない結婚」の8倍も多いのです。

「ニガー(nigger)」はもっともいまわしい差別語です。著者のダヴィドウィッツは、こんな言葉はあまり検索されないだろうと思っていましたが、大間違いでした。「ニガー」という単語は「偏頭痛」とか「エコノミスト」などと同じくらい検索されていました。オバマ大統領の初当選の夜、州によっては「黒人大統領」よりも「ニガー大統領」の検索回数のほうが多く、米国で人気の白人主義者向けサイト「ストームフロント」の検索や会員登録は通常時の10倍以上になりました。新聞などの論説は黒人大統領出現の歴史的意義をたたえていましたが、水面下では人種的憎悪が顕著に表れていたのです。
トランプ候補が差別主義丸出しの言動をして、世論調査ではあまり人気がなくても、やはり水面下では支持を集めていたのは周知の通りです。実際、トランプ候補の支持が多かった地域は、「ニガー」という言葉をよく検索していた地域でした。
つまり人々は、自分は差別主義者ではないと見せかけつつ、実際は差別主義的ふるまいをしているのです。

自分の性的嗜好も誰もが秘密にしますが、グーグル検索にはそれが表れます。米国では「天気」よりも「ポルノ」のほうが多く検索されています。大手ポルノサイト「ポーンハブ」における男性による検索ワード上位100フレーズのうち16は近親相姦がらみです。「兄と妹」とか「継母が息子とやる」とか「母と子」とか「母が息子とやる」とか「本物の兄妹」とか。
こうした願望を持つことと実際に行うことは別かというと、必ずしもそうとはいえません。1980年代、米国では女性が幼少期に父親からレイプされたということを裁判に訴える事例が相次ぎました。家庭内のことで、しかも何十年も前の出来事だったりするので、事実の認定はきわめて困難ですが、セラピストやフェミニスト団体が裁判の支援をしました。一方、訴えられた父親を理論面と金銭面で支援する財団が組織され、父親にレイプされたという記憶はセラピストに植えつけられた偽の記憶だという理論で対抗し、この戦いは「記憶戦争(メモリーウォー)」と呼ばれました。結果、多くの裁判は父親側が勝利し、父親側は娘とセラピストを反訴して巨額の賠償金を取るという例も相次ぎました。つまり父親が娘をレイプすることなどめったにないということにされてしまったのです。
しかし、最近では家庭内での性的虐待の多いことが次第に知られてきました。グーグル検索はそれをよりはっきりと示しているかもしれません。


「どうして……」から始まるフレーズ検索のトップ2件は「空は青いの?」と「うるう日があるの?」ですが、3番目は「私のウンチは緑色なの?」だそうです。まあ、これはそんなこともあるのかと思うだけですが、「……したいことは正常?」というフレーズ検索の目下のトップ候補は「人を殺したいと思うことは」だそうです。さらに「……を殺したいと思うことは正常?」のトップは「家族を」です。
日本での殺人事件の半数以上が親族間のものですから、このグーグル検索の結果はむしろ妥当なものかもしれません。

本書のサブタイトルが「ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」なので、とりあえず「ヤバい本性」に当たることをいくつか紹介しました。


本書には儲け話もいくつも書かれています。

従来、レースに出る前の若い競走馬の価値を見きわめるには、見た目と血統ぐらいで判断するしかありませんでした。ジェフ・セダーという男は、馬の能力を判定するためにさまざまなデータを集めました。たとえば馬の鼻孔の長さを測り、獲得賞金と比較しました。馬の心電図データも取り、死んだ馬を解剖して全力疾走に使う筋肉の量も測りました。しかし、どれも戦績とは関係ありませんでした。そして、馬の内臓の大きさを測定することを思いつきました。既存の技術ではできなかったので、携帯式の超音波測定装置を自作しました。これは成果がありました。とりわけ心臓の左心室の大きさが馬の戦績をもっとも左右する変数であることを突き止めたのです。ほかに脾臓の大きさも重要でした。セダーは馬の購入者に助言するコンサルタント会社をつくって利益を上げました。インターネットもない時代でしたが、自分でデータを集めるやり方で成功したのです。

発展途上国の経済統計はいい加減なことが多く、なかなか経済の実態がわかりません。そこで考え出された方法が、衛星写真で夜間にどれだけ電気がついているかを見てGDPを推測するというやり方です。たとえば韓国と北朝鮮の明るさを比べると経済力の違いが歴然とします。

ジョゼフ・レイジンガーは経済状態をもっと精密に知る方法を考えました。彼は「プレミス」という会社を興し、途上国の人々を雇ってスマートフォンを支給し、経済的に重要と思われる風景の写真を送らせました。たとえばガソリンスタンドの長蛇の列は経済不振を示す代表的な指標になりますし、スーパーマーケットの店頭のリンゴの数が少なく、未熟なまま売られていることも同様です。こうした写真からの情報をつなぎ合わせてプレミスは途上国の経済体制やインフレを推計し、そのデータを銀行やヘッジファンドに売りました。今ではプレミスは年間数千万ドルを稼ぐ会社になっているそうです。

データを集めることがビジネスになります。
あるいは既存のデータを利用することもできます。ワラの山のような膨大なデータから一本の針を見つける方法を考え出せばいいのです。
プロ野球の世界では選手の成績の膨大なデータが集積されていますが、誰もそれの利用のしかたを考えませんでした。映画「マネーボール」はそのデータを活用して成功する実際の物語です。

株式市場にも儲けるネタが転がっていそうです。
米国の株式市場でもっとも重視される統計は、毎月第1金曜日に発表される雇用統計です。この数字によって株価と為替が大きく動くことも珍しくありません。もし雇用統計の内容を発表前に知ることができれば大儲けできます。
失業率と関連して変化する検索語はなにかというと、「職業斡旋所」とか「新しい仕事」などがありそうですが、そうではありませんでした。著者の調査によると、「スラットロード」というポルノサイトと「スパイダーソリティア」というゲームでした。失業者は暇を持て余しているからでしょう。失業率と暇つぶし用語の検索は高い相関性がありました。
もっとも、暇つぶし用語はときとともに変化します。著者も株式市場で儲けるのはむずかしいといっています。株式市場の参加者は誰もが人より早く失業率を知りたいと思っているので、誰もが考えつくようなやり方ではうまくいかないのです。


データサイエンスは人間についての新しい認識を示してくれますが、それはよいことばかりとは限りません。

「プロスパー」という融資サイトがあって、借金したい人は、お金が必要な理由と返済の見込みを短い文章にして投稿します。それを見て融資するかしないかをプロスパー側は判断するわけですが、その文章の言葉づかいで返済の見込みがある程度わかるというのです。

借金の返済率が高かった人々がよく使っていた言葉
・負債なし
・税引き後
・学卒者
・低利率
・最低支払額

借金の返済率が低かった人々がよく使っていた言葉
・神
・お返しします
・病院
・約束します
・ありがとうございます

解説すると、金融知識を持っていて、「負債なし」とか「学卒者」のようなよい面をアピールする人は返済しやすいということです。
親族が「病院」に入っているので金が必要だということが債務不履行につながりやすいことは容易に想像できますが、「ありがとうございます」という言葉が債務不履行になぜつながるのかは不明です。「神」という言葉は最悪で、この言葉を使う人はそうでない人より2.2倍も借金を踏み倒しやすいということです。

問題なのは、こうしたデータをもとに融資の判断が行われるということです。「ありがとうございます」という言葉を使ったがために融資してもらえないということがありえます。そして、融資しない理由は本人には知らされません。
個人が対抗するには、融資側がどんなデータに基づいて融資の判断をしているかを知り、融資されやすい言葉づかいをすることです。しかし、これは不可能です。ビッグデータを使うのはもっぱら国家や大企業だからです。
データサイエンスの進歩と普及が個人の不利益にならない方策を考える必要があります。


著者はデータサイエンスの価値を信じていますが、本書ではその価値を十分に説明しているとはいえません。
つまり「人間のヤバい本性」をあばくことにどんな価値があるのかということです。

多くの人は、実際は差別主義者なのに、自分は差別主義者ではないと思っています。
「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉があるように、自覚のない差別主義者はどんどん差別の道を突き進んで地獄へ行きかねません。
データサイエンスがそれを防ぐことができれば、大いに価値があるといえます。









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岸田文雄首相は11月16日、サンフランシスコにおいてバイデン大統領と会談したあと、「来年早期の国賓待遇の公式訪問の招待を受けた」と語りました。
アメリカから国賓待遇の招待を受けるというのは、岸田外交の大きな成果とされるはずですが、今のところそういう反応はありません。
ヤフーコメントには「年内退陣が噂される中、バイデンに泣きついて年明けの訪米に招待して貰ったんでしょう」などと書かれています。

これまで岸田首相は「聞く力」をアメリカに対して大いに発揮してきました。
その最たるものは、防衛費をGDP比1%から2%へ増額したことです。
予算というのは1割、2割増やすのもたいへんなのに、あっさり倍増したのには驚きました。

岸田政権はウクライナ支援にも巨額の支出をしています。
今年2月の時点で岸田首相は「55億ドル(7370億円)の追加財政支援をすると表明した」と日経新聞は書いています。

日本の防衛費増額やウクライナ支援はアメリカにとってありがたいことですから、バイデン大統領が岸田首相を国賓待遇で招待したのも当然です。

このようにひたすらアメリカに追従する外交を日本国民も支持してきました。
岸田首相も長年外務大臣を務めたことからそれがわかっていて、自信を持ってやってきたのでしょう。
ところが、最近は国民の意識が変わってきました。


要するにこれまでの日本外交は「経済大国の外交」でした。
たとえば日本の首相がアジア・アフリカの国を訪問すると、必ず経済援助の約束をします。豊かな国が貧しい国に援助するのは当然です。しかし、日本がどんどん貧しくなってくると、国民の不満が高まってきました。こんな“バラマキ外交”をするのではなく、国内のことに金を使うべきだという声が強まりました。

防衛費増額もウクライナ援助も要するに「経済大国の外交」です。今の日本にそんなことをする余裕はありません。

アメリカはNATO諸国にも軍事費GDP比2%を要求していて、ドイツも2%に引き上げることを約束しました。
しかし、日本とドイツなどの国では財政赤字のレベルが違います。

債務残高の国際比較(対GDP比)
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財政赤字国の日本は他国並みの負担を要求されても断って当然です。ところが、日本は断らなかったのですから、これはバイデン大統領にとっては大きな成果です。
「日本は長期にわたり軍事費を増やしてこなかったが、私は日本の指導者に、広島(G7広島サミット)を含めて3回会い、彼を説得した」と語って、その成果を自慢しました。


岸田首相はバイデン大統領に屈しましたが、防衛費GDP比1%を2%にするのはたいへんです。
これまで防衛費と文教科学振興費はだいたい同額でしたから、文教科学振興費をゼロにして、それをそのまま防衛費に回す計算です。
もちろんそんなことはできませんから、文教科学振興費のほかに福祉や公共事業費などを少しずつ削り、増税し、国債を増発するということになり、今その議論をしているわけです。


岸田首相は所信表明演説で「経済、経済、経済」と言いましたが、日本は乏しい金をアメリカに貢いでいるので、少しも経済はよくなりません。
日本は敵基地攻撃能力として400発のトマホークを3500億円で購入して配備する予定ですが、本来ならアメリカが自費で購入するところを日本が代わりに購入するのですから、アメリカにとっては笑いがとまりません。


このところ岸田内閣支持率が急落しているのは、防衛費倍増のツケが回ってきたからです。
岸田首相は国民の税金を使ってみずからの国賓待遇を買ったようなものです。

今後日本は、分相応の「財政赤字国の外交」をしていくしかありません。

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岸田内閣の支持率が急落しています。
「増税」「減税」「還元」「給付」などの言葉をもてあそび、さらにさまざまな不祥事が連続したことが理由とされていますが、それよりももっと大きな理由があります。
それは、安倍晋三元首相が亡くなったことです。

安倍氏が亡くなったのは昨年7月のことなので、今の支持率急落とは関係ないと思われるかもしれませんが、人の死というのは受け入れるのに時間がかかるものです。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」という言葉もあります。
偉大な軍師である諸葛孔明は死んでからも敵を恐れさせたという中国の故事成句です。
安倍氏も政界における存在感がひじょうに大きかったので、「死せる安倍」がしばらく政治家を走らせていました。
しかし、1年もたつとさすがに誰もがその死を受け入れ、安倍氏の呪縛から解き放たれました。
その結果が内閣支持率に表れてきたというわけです。


安倍氏が首相を辞めてから、私がなによりも恐れていたのは安倍氏の再々登板です。.自分で政権を投げ出して復活するというのを一度やっていますから、二度目があってもおかしくありません。
私はこのブログで岸田政権批判もしましたが、岸田政権批判は安倍氏復活につながるかもしれないと思うと、つい筆が鈍りました。
野党やマスコミも同じだったのではないでしょうか。

しかし、安倍氏が亡くなると、安倍氏の復活がないのはもちろん、安倍氏の後ろ盾がない菅義偉氏の復活もないでしょうし、一部で安倍氏の後継と目されている高市早苗氏も力を失いました。
つまり安倍的なものの復活はなくなったのです。
そうすると、遠慮会釈なく岸田政権批判ができます。
このところのマスコミの論調を見ていると、岸田政権が崩壊してもかまわないというところまで振り切っているように思えます。


一方、これまでは分厚い安倍支持層が岸田政権をささえてきました。
しかし、安倍氏が亡くなってから、安倍支持層は解体しつつあります。
中心人物を失っただけではありません。中心になる保守思想がありません。

昔は憲法改正が保守派の悲願でした。しかし、解釈改憲で新安保法制を成立させ、空母も保有し、敵基地攻撃能力も持つことになると、憲法改正の意味がありません。
靖国神社参拝も、安倍氏は第二次政権の最初の年に一度参拝しましたが、アメリカから「失望」を表明されると、二度と行っていません。
慰安婦問題についても、2015年の日韓合意で安倍氏は「おわびと反省」を表明して、問題を終わらせました(今あるのは「慰安婦像」問題です)。

考えてみれば、保守派の重要な思想はみな安倍氏がつぶしてしまいました。
安倍氏のカリスマ性がそのことを覆い隠していましたが、安倍氏が亡くなって1年もたつと隠しようがなく、保守派の思想が空っぽであることがあらわになりました。

それを象徴するのがいわゆる百田新党、日本保守党の結成です。
百田尚樹氏は自民党がLGBT法案を成立させたのを見てブチ切れ、新党結成を宣言しました。
新党結成のきっかけがLGBT法案成立だったというのが意外です。日本の保守派はもともとLGBTに寛容なものです。LGBTを排除するのはキリスト教右派の思想です。
これまで保守派は統一教会の「韓国はアダム国、日本はエバ国」などというとんでもない思想に侵食されていたわけですが、今後はキリスト教右派の思想を取り込んで生き延びようとしているのでしょうか。

もし百田新党が力を持てば、自民党の力をそぐことになります。つまり保守分裂です。
目標をなくした組織が仲間割れして衰退していくのはよくあることです。


ともかく、今は岸田政権は保守派とともに急速に沈没しているところです。
支持率回復には保守路線からリベラル路線への転換が考えられますが、手遅れかもしれません。

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ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』やユヴァル・ノア・ハラリ 著『サピエンス全史』など、新しい視点で書かれた人類史の本が評価されていますが、そこに新たな一冊が加わりました。ルトガー・ブレグマン著『Humankind 希望の歴史』(上下巻)です。

著者のブレグマンはオランダ出身、歴史家であると同時にジャーナリストでもあるという強みがあって、本書でもどんどん現場に取材に行って、具体的に記述しているので、ノンフィクションを読んでいるようなおもしろさがあります。

ブレグマンは西洋思想には根深い性悪説があるといいます。人間の道徳性は薄いベニヤ板みたいなもので、なにか非常事態が起こると人間はパニックになり、攻撃的で利己的な本性をむき出しにするという思想です。そして、こうした偏見に合わない情報は排除され、偏見に合わせてゆがめられた情報で歴史的“事実”が構成されてきたというのです。
ブレグマンは有名な歴史的“事実”とされていることを次々とくつがえしていきます。すべて具体的な話なので読みやすく、目からうろこのことがいっぱいあります。
その具体的な話の中からいくつかを紹介します。


ノーベル文学賞作家のウイリアム・ゴールディングの代表作である『蠅の王』は、二度も映画化された有名な小説です。飛行機事故により少年たちだけが生き残り、漂着した無人島で生活することになります。最初はルールをつくって仲良く暮らしていた少年たちですが、次第に争うようになり、まるで野蛮人のようなふるまいをし、最後は殺し合いまでするという物語です。人間、とくに子どもには“悪”があるということを描いています。
これは無人島で少年たちが助け合って生き抜くジュール・ヴェルヌ著『十五少年漂流記』のアンチとして書かれたものではないかと思います。『十五少年漂流記』は完全に子ども向きの物語となって、まったく顧みられませんが、対照的に『蠅の王』は文学作品として高く評価されています。これも西洋の性悪説思想の表れでしょう。

ブレグマンは『蠅の王』について、最近の科学的研究からこういうことはありえないだろうという記事を書きました。しかし、その科学的研究というのは、家にいる子ども、学校にいる子ども、サマーキャンプに参加している子どもに関するものでした。子どもたちだけが無人島に取り残された場合は違うのではないかと、その記事は批判されました。
そこでブレグマンは、実際に『蠅の王』のようなことがあったのではないかと探し始めました。すると、ある無名の人のブログに「1977年のある日、6人の少年がトンガから釣り旅行に出かけたが、大きな嵐にあい、船が難破して、少年たちは無人島にたどりついた」と書かれていたのを見つけます。調べると、あるイタリアの政治家が国際的な委員会かなにかに提出する報告書に書かれていた話だということがわかります。しかし、その話が事実かどうかはわかりません。その政治家はすでに亡くなっていました。
もしこれが事実なら、1977年の新聞記事に載っているだろうと探してみましたが、なにも見つかりません。ある日、新聞のアーカイブを調べていて年代の数字を間違えて打ち込み、1960年代に迷い込みました。そうすると、そこに探していたものがあったのです。1977年というのはタイプミスだったのです。
1966年10月6日付のオーストラリアの新聞に「トンガの漂流者に関する日曜番組」という見出しの記事がありました。無人島で1年以上孤立していた6人の少年がオーストラリア人のピーター・ワーナー船長に助けられたということの再現番組がつくられたという記事です。
ブレグマンは船長の名前を頼りにオーストラリアまで会いに行き、元少年の1人にも会います。さらに、ある映画製作者が少年たちの物語はもっと注目されるべきだと考えてドキュメンタリーを制作していました。それは放送されなかったのですが、映画製作者は未編集のインタビューフィルムを見せてくれ、さらに彼はオーストラリアのテレビ局が制作した番組のコピーも持っていたので、それも見せてくれました。
ブレグマンの執念の取材でリアル『蠅の王』の実際が明らかになりました。

少年たちは16歳から13歳までの、厳格なカトリックの寄宿学校の生徒でした。
少年たちが発見されたのは船が難破してから1年3か月後でした。
ワーナー船長は回顧録にこう書いています。
「わたしたちが上陸した時、少年たちは小さなコミュニティを作っていた。そこには菜園と、雨水をためるための、くりぬいた木の幹と、変わったダンベルのあるジムと、バドミントンのコートと、鶏舎があり、いつも火がたかれていた。すべて古いナイフを使って手作業で作ったもので、強い決意の賜物だった」
少年たちは2チームに分かれて働くことにし、庭仕事、食事のしたく、見張りのための当番表をつくっていました。ときには喧嘩も起きましたが、時間を置くことで解決しました。
彼らの1日は歌と祈りで始まり、歌と祈りで終わりました。一人の少年が流木と半分に割ったココナッツの殻と、壊れた自分たちの船から取ってきた6本の鋼線を使ってギターをつくり、それを弾いて仲間を励ましました。
救出後、医師が彼らを診察すると、健康状態はこれ以上ないほどよいものでした。

ワーナー船長は、少年たちの物語はハリウッド的な映画に最適だと思い、手始めに地元のテレビ局に売り込みました。しかし、30分のテレビ番組はつくられましたが、それ以上には進みませんでした。
結果、少年たちが無人島で助け合って生き延びた物語は忘れられ、少年たちが互いに争って野蛮人のようになってしまうという物語(フィクションですが)は広く知られるようになったのです。


1971年、アメリカのスタンフォード大学において、監獄に見立てた地下室で普通の学生が囚人役と看守役を演じる心理学実験が行われました。「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるものです。
実験開始から2日目、囚人たちは反乱を企て、看守たちは鎮圧しました。それから数日間、看守たちは囚人を服従させるためのあらゆる戦術を考案しました。夜中に2回点呼を行って囚人たちを睡眠不足にさせ、裸で立たせたり、腕立て伏せをさせたり、懲罰房に入れたりしました。囚人たちから離脱者が相次ぎ、残った者も異常な心理状態にあったので、2週間予定されていた実験期間は6日で打ち切りとなりました。

実験の主宰者であるフィリップ・ジンバルド教授は、看守役になにも指示していない、彼らは自発的にサディストになったのだと繰り返し主張しました。「『看守』の制服を着たことの『当然の』結果」とも書いてます。
つまり看守役の学生がサディストになったのは、彼らの性質が悪かったからではなく、悪い状況に置かれたからだというのです。

この実験は評判になり、マスコミに繰り返し取り上げられ、心理学の教科書にも載り、ジンバルドはアメリカ心理学会の会長にもなりました。

しかし、実験の実際は違っていました。
ジンバルドは看守役にさまざまな指示を与えていました。というのは、実験の本来の目的は、囚人役にストレスを与えたときどういう反応をするかを明らかにすることだったからです。
ジンバルドは実験が始まる前から、自分と看守がひとつのチームであるかのように「われわれ」と呼び、囚人を「彼ら」と呼んでいました。そして、自分は看守長の役割を演じ、囚人をもっときびしく扱うように看守に圧力をかけ、きびしさの足りない看守を叱責していたのです。

2001年、BBC(英国放送協会)は2人の心理学者の協力を得て、同じような実験を行いました。ただし、看守と囚人にとくに指示は与えませんでした。
これは4時間の番組として放送され、多くの人がテレビの前に釘付けになりましたが、そこではほとんどなにも起こりませんでした。ブレグマンは「最後まで見るのはたいへんだった。なぜなら、見たこともないほど退屈でつまらなかったからだ」と書いています。
囚人と看守が食堂でタバコを吸ってくつろいでいる場面が多くなりました。数人の看守がもとの体制に戻るように説得しましたが、説得は功を奏しませんでした。

しかし、このBBCの監獄実験は忘れられ、スタンフォード監獄実験は今でもあちこちで引用されています。


「ミルグラムの電気ショック実験」も有名です。これは「アイヒマン実験」ともいわれます。
1961年、イエール大学の助教だったスタンレー・ミルグラムは、さまざまな職業の一般人を集めて心理学実験を行いました。被験者は2人1組となり、1人は先生役、1人は生徒役になります。先生は電気ショック発生装置の前に座らされ、生徒は隣の部屋で椅子に縛られており、声だけが先生に聞こえるようになっています。記憶テストが始まり、生徒が間違えると、スタッフが先生に電気ショックを与えるように命じます。電気ショックは15ボルトという弱い電圧から始まりますが、生徒が間違えるたびにスタッフは電圧を上げるように命じます。
実は電気ショック発生装置は少しもショックを与えないもので、生徒役は研究チームのメンバーで、演技をしているのでした。
隣室の生徒が金切り声の悲鳴を上げても、スタッフは電圧を上げるように命令し、先生はスイッチの表示が「危険――苛烈な衝撃」と書かれた域に達しても電圧を上げ続け、最高の450ボルトまで上げる者もいました。
結果、被験者の65%が最高の 450ボルトまで上げました。感電死させてもかまわないと思ったのです。

この実験結果は衝撃的でした。ブレグマンは「若き心理学者ミルグラムは、たちまち有名人になった。新聞とラジオとテレビのほぼすべてが、彼の実験を取り上げた」と書いています。
ニューヨーク・タイムズ紙は「何百万という人々をガス室に送ることができるのは、いったいどんな人間だろう。ミルグラムの実験結果から判断すると答えは明らかだ。わたしたち全員である」と書きました。

ブレグマンはこの実験結果を疑い、調べました。
そうすると、被験者全員へのアンケートで「この状況をどれだけ信じられると思いましたか?」という質問があって、生徒がほんとうに苦しんでいると思っていたのは被験者の56%にすぎないことがわかりました。さらに、あるスタッフの分析によると、電気ショックを本物と思った人の大半はスイッチを押すのをやめていたのです。
つまり実験結果はかなり誇張されたものでした。
もっとも、それでも最後までスイッチを押し続けた人も少なからずいました。
ブレグマンはそれについても権威にしたがったのか、命令に従ったのかなど考察しています。

ともかく、「科学的」とされることでも性悪説方向にバイアスがかかっているのです。


本書は歴史書でもあるので、歴史のこともいろいろ書かれています。
戦争の歴史などは今の時代とくに興味深く読めるでしょう。
また、イースタ島についても書かれています。イースタ島の今の住民は、モアイ像にまったく興味を持っていません。つまりモアイ像をつくった文明はほろびてしまったようなのです。
これについてはいろいろな説がありますが、有力なのは、モアイ像を運ぶには木の幹が必要で、そのため島の木を切りすぎて土壌が荒れ、農業生産が減少し、飢えた人々は互いに殺し合って、文明から野蛮に後退してしまったという説です。つまりここでも『蠅の王』みたいなことが起こったというわけです。
ブレグマンはこれにも疑問を持ち、徹底的に調べて、別の結論を導きます。


ノルウェーの、鉄格子も監房もない、看守の姿も見えないリゾートホテルのような刑務所が紹介されます。
オランダの、教室もクラス分けもない、宿題も成績もない学校が紹介されます(生徒は自分で学習計画を立てます)。
この学校にはいじめがないそうです。

子どもにいじめはつきものと考えられていますが、そうではないとブレグマンはいいます。
社会学ではいじめの蔓延する場所を「トータル・インスティテューション(全制的施設)」といい、その特徴は次のようなものです。

・全員が同じ場所に住み、ただ一つの権威の支配下にある。
・すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。
・活動のスケジュールは、多くの場合、一時間ごとに厳格に決められている。
・権威者に課される、明確で形式張ったルールのシステムがある。

この典型は刑務所です。そこではいじめがはびこっています。
学校も全制的施設です。
日本でのいじめ防止の議論は、まったく的外れといわねばなりません。

ブレグマンは徹底的に性悪説を否定し、性善説を肯定します。ここまで振り切っているのはみごとです。




私はブレグマンの考え方に8割方賛成です。
全面的に賛成するわけにはいきません。性善説だけでは社会は維持できないと思うからです。

性善説か性悪説かという問題のとらえ方が間違っているのです。
人間には利己心と利他心があります。これは動物にも共通するものです。
利他心が前面に出れば人はよいことをし、利己心が前面に出れば人は悪いことをします。
つまり善と悪ではなく、利他と利己としてとらえるとうまくいきます。
このことは近く書きたいと思います。

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