村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2023年12月


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レストラン「サイゼリヤ」で、子連れ客が店員から「子どもが騒いだら退店となります」と言われたということがXで話題となりました。

『サイゼリヤ店員、子どもグズって「騒いだら退店」と警告 広がる波紋に本社広報「個別案件、回答差し控える」』という記事が報じました。そこから一部を引用します。


 11月29日、J-CASTニュースの取材に応じた投稿者によると、東京都内のサイゼリヤで起きた出来事だ。Xに投稿して波紋が広がったのは隣の家族のエピソードだったが、この日の投稿者の家族も入店時に「騒いだら退店になります」と伝えられていた。子どもは未就学児2人で「子どもですので声は大人よりは大きかったかもしれませんが、騒いではおりませんでした」。店内は家族連れ、サラリーマンなどで満席だったとし、「わりと騒がしい状態」だったという。


 案内された席の隣で、2歳程の子どもを連れた3人家族が既に食事をしていた。20分程隣にいたが、子どもは椅子に座って食事をしており、走り回ったりはしていなかったという。にもかかわらず、隣の家族は「騒いだら退店となります」と注意された。当時の様子を次のように振り返った。


「子どもが途中でグズりだして泣いてしまったのですが、すぐにお母さまが抱き上げてあやしていたところ、(投稿者家族の)入店時に対応した店員が来て、『騒いだら退店になります』と伝えていました(即退店しろ、ではなく警告だと思います)。言われたお母様は本当に申し訳なさそうに何度も謝っていました」

J-CASTニュースがサイゼリヤ広報に本部の方針について問い合わせたところ、「個別の案件についての回答は差し控えさせて頂いております」と回答があったということです。
まるで政治家の回答です。


ファミリーレストランは、その名の通り家族連れでくるのが当たり前です。子どもの声が耐えられないという人はファミリーレストランにこないことです。

サイゼリヤには子ども用の椅子が用意されていて、とくに小さな子ども用にはテーブルにはめ込んで使うタイプのものもあります。
子どもがくるのを前提としながら、子どもが騒げば出ていけというのは矛盾しています。子どもは騒ぐのが当たり前で、想定内のはずです。

実際のところは、おとなもけっこう騒いでいるはずです。おとなが騒ぐのは許されて、子どもが騒ぐのは許されないというのはダブルスタンダードです。

投稿者は店員に「泣いただけで退店なのは本部の方針なのか?」と聞くと、店員は「そうです。他のお客様もいるので、その方たちを優先します」と言ったそうです。
これはこの店員だけの考えで、サイゼリヤの方針ではないでしょうが、今の日本の問題を端的に表現しています。
つまりおとなを優先して、子どもを隅に追いやっているのです。
こども家庭庁は「こどもまんなか社会」をスローガンにしているのですから、サイゼリヤのようなことがあれば、子ども家庭庁長官あたりが注意のコメントを出すべきでしょう。



飲食店が客を排除するということはマクドナルドでもありました。

相模原市内のマクドナルドの店舗が1月ごろ、近隣の中学校を名指しして、そこの生徒を「出入り禁止」にするという張り紙を出しました。その画像がツイッター(現X)で7月ごろに拡散して話題になり、朝日新聞も記事にしました。
中学生が店内で騒いで、店員が身の危険を感じるということもあったようで、中学校の職員が呼ばれたり、交番の警察官が対応したりした挙句の張り紙でした。
しかし、新聞に書かれるほどの騒ぎになると、さすがに張り紙はやめただろうと思っていたら、12月19日の『地元中学生を「出禁」にしたマックの今、1年後も"警告"続く…生徒の迷惑行為で警察沙汰、学校「他の飲食店からも通報あった」』という記事に、まだ張り紙が出ていると書かれていました。

もっとも、その張り紙には、中学校を名指しすることはなく、「出入り禁止」という言葉もなく、「他のお客様へご迷惑となる行為が見られました際は、従業員の判断により、警察へ通報する場合があります」と書かれているだけなので、比較的穏当なものです。

ただ、この記事には5000余りという異例に多いヤフーコメントが寄せられていて、人々の関心の高さがうかがえます。
そして、多くの人は問題がまったく理解できていません。

ヤフコメの筆頭には「エキスパート」として流通ジャーナリストの「客は多くの店から気に入ったり、必要に応じて店を選ぶことができる。店も客を選ぶ権利があり、好ましくない客を出禁にする権利がある」という意見が掲載されています。

これはその通りですが、マクドナルドの最初の張り紙はそれとは違います。特定の中学校を名指しで、その中学校の生徒全員を「出禁」にするとしていたのです。
店内で迷惑行為をした客を「出禁」にするのはありですが、ある中学の何人かの生徒が迷惑行為をしただけで、その中学の生徒全員を「出禁」にするのは、なんの罪もない多くの生徒の権利を侵害しています。
これは、マナーの悪い中国人客がいるからといって「中国人出入り禁止」の張り紙をするのと同じで、差別になります。国籍や所属中学という「属性」を理由に人間を不当に扱っているからです。

もっとも、この中学はかなり問題があるのかもしれません。マクドナルド以外の飲食店から2回ほど「生徒のマナーが悪くて困っている」という連絡があったそうです。
全国にマクドナルドの店舗は数多くあるといえども、特定の中学校の生徒を出禁にしているのはここだけではないでしょうか。
どんな教育をしている中学なのか気になります。


しかし、ヤフコメでいちばん人気のコメントは、教師がきびしく指導すると体罰といわれ、家族がきびしく叱ったら虐待といわれるので、誰もきびしい指導をしないからこんなことになるのだという意見です。
これが世の中の平均的な意見かもしれません。
しかし、私の意見はまったく逆です。学校や家庭できびしく指導されるので、学校でも家庭でもないマクドナルドではじけてしまうのです。

これは家庭のしつけの問題だから、学校に問題を持ち込むのはよくないという意見もあります。しかし、もし家庭の問題なら、全国のマクドナルドの店舗で同じような問題が起こっているはずです。

問題があるとすれば、やはりこの中学校でしょう。生徒は学校内であまりにもきびしく指導されているので、学校を出たとたんハメを外してしまうのです。

この中学がどんな教育をしているのかわかりませんが、生徒をたいせつに思う気持ちはあまりなさそうです。
取材に応じた副校長は「出禁にするのを決めるのはお店です。私たちがやめてと言える立場ではありません」と語っています。
本来なら「本校生徒に対する不当な扱いは即刻やめていただきたい」と言うべきところです。

なお、日本マクドナルド社は「学校との個別の案件となりますので回答は控えさせていただきます」とコメントしたということで、こちらも政治家答弁です。

ファミレスやファストフード店は子どもや中学生にとって居心地のいいところです。
子どもや中学生を排除する店があったら、親などが強く反発すると思いましたが、意外なことに、サイゼリヤもマクドナルドも謝罪もなにもせず、ほとんど同じ方針を続けています。
公園や電車内で子どもが騒ぐと問題になってきましたが、それがファミレスやファストフード店にまで広がってきたようです。


政府は12月22日に「こども大綱」を閣議決定し、年間5.3兆円の予算を投じて、
▼子どもの貧困対策
▼障害児などへの支援
▼学校での体罰と不適切な指導の防止
▼児童虐待や自殺を防ぐ取り組みの強化
などを進めるということです。
けっこうなことですが、具体的にどう進めるのか今のところよくわかりません。
そういう懸念に応えるためか、具体的な目標を設置しています。その目標のひとつに、今後5年程度で「子育てなどに温かい社会の実現に向かっていると思う人の割合を、今の28%から70%に上昇させる」というのがあります。

今は「子育てなどに温かい社会の実現に向かっていると思う人」が28%しかいないわけです。
それを70%に引き上げるというのは大胆な目標ですが、サイゼリヤやマクドナルドの店舗の例を見ても、むしろ逆行しているように思えます。
子どもの貧困対策をやっても、子どもに対する社会の目がきびしいのでは、子どもの幸福度も上がりません。


では、どうすればいいかというと、私はこれまで「子どもの人権」ということを強調してきました。
子どもの人権に対する配慮があれば、店から子どもを追い出すようなことはできないので、それである程度解決するはずです。
しかし、「人権」という言葉にはなじめない人もいます。

そこで、「子どもの発達」ということを強調したほうがいいのではないかと思い直しました。
子どもの発達に対する科学的研究がどんどん進んできたからです。

たとえば、昔は赤ん坊が泣くと、すぐ抱きあげるのは“抱きぐせ”がつくのでよくないとされていました。しかし、今はすぐ抱くのがよいとされています。“抱きぐせ”がつくことはなく、「基本的信頼感」が養えるとされるのです。
「基本的信頼感」というのは、自分に対する信頼と世界に対する信頼で、これは赤ん坊が親に受け入れられることで養われるとされます。

「叱るのがよいか、ほめるのがよいか」というのも昔から議論のあるところでしたが、今はほめるほうがパフォーマンスがよいと結論が出ています。スポーツの世界では「ほめて育てる」が主流になっています(選手を叱っている指導者は時代遅れです)。
当然子育てでもほめたほうがよいわけです。ただ、子育て本を見ると、ほめることを勧めつつも、「悪いことをしたときなど、ときに叱ることも必要です」と書かれていることがよくあります。これは古い考えに妥協した態度です。
私が思うに、子どもが悪いことをしたときは「それは悪いことだ」と教えればよく、叱る必要はありません。

子どもが動き回ったり、大声を出したりするのは、それが発達に必要なことだからです。
さまざまな動きをすることで筋肉と運動神経がまんべんなく鍛えられます。
子どもはしばしばマックスと思える大声を出すので、周りのおとなの顰蹙を買いますが、これは当然、声を出す能力を鍛えているのです。大声を出すのを禁じると、声を出す能力が発達せず、助けを求めるために大声を出さなければならないときに大声が出せないということにもなりかねません。もしかすると、歌をうたう才能を殺しているということもありえます。
中学生がバカなことや危ないことをするのも、経験値を上げるという意味があり、のちの人生に役立ちます。
おとなの価値観で子どもの行為をむりに抑えると、正常な発達がゆがめられます。
それに、おとなになれば自然とおとなしくなります。これは子犬や子猫を育てた人ならわかるでしょう。


泣いた赤ん坊をすぐに抱くと抱きぐせがついてよくないとされたのは、赤ん坊は基本的にわがままで、赤ん坊の要求に応えるとどんどん要求をエスカレートさせると考えられたからです。
つまり赤ん坊が泣いてもすぐに抱かないのは、赤ん坊に対する“しつけ”だったのです。
しかし、そんなしつけは無用でした。
ということは、子どもに対するしつけも無用ということになるはずです。


「きびしく育てるか、のびのび育てるか」というのも昔から議論されてきましたが、今は「のびのび育てる」に軍配が上がっています。
子どもの成長する力を信頼していれば、子どもが騒いでも温かく見守れます。

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学校教育の現場で、素手でトイレ掃除をする運動があることは知っていましたが、なんとそれが国会の中でも行われていました。
しかも、大物国会議員まで参加していたのです。

立憲民主・太栄志議員、国会内トイレ清掃も… 素手で便器触る写真に「汚い」「握手やめて」有権者ら不快感
立憲民主党の太(ふとり)栄志衆議院議員が14日、自身のX(旧ツイッター)に、野田佳彦元首相と一緒に国会内のトイレを清掃する写真を公開した。しかし、素手で便器に触っていることに「汚い」「握手はやめてくださいね」など不快感を示す声が殺到している。

 太議員は「『国会掃除に学ぶ会』の設立総会に参加。総会の後には、野田佳彦元内閣総理大臣や参加者の皆さんと国会内のトイレを清掃しました。改めて掃除の意義と深さを学ぶ機会になり、これからも実践していきます」と投稿した。写真にはゴム手袋などを着けず、素手で便器に手をかけてスポンジで便器の側面をこすっている様子が写っている。

 しかし、これが不衛生だと指摘する声が殺到。「汚い、普通にゴム手すりゃ良いだけなのに」「えっ、そのスポンジ上に置くの?やめてー」「素手でトイレ掃除をするのは不衛生で不合理なだけで、そこに『意義と深さ』などありません」などの声が寄せられている。

 また、自民党の裏金問題で国政が揺れている中、パフォーマンスのような行為にあきれた反応もある。「トイレ掃除は家でして、国会では議員の仕事をしてください。意味がありません」「政権支持率17%でもまったく政権交代の気配が感じられない理由がよくわかりました」「今、国民がやってほしい事は国の政治を綺麗にする事でしょう」など、炎上状態となっている。https://news.yahoo.co.jp/articles/4beee4bf2e3b9d6465face601516708866321098

「掃除に学ぶ会」というのは、認定NPO法人「日本を美しくする会」の組織です。
「日本を美しくする会」の理念は「掃除を通して心の荒みをなくし、世の中を良くすること」というもので、『特に人の嫌がるトイレをきれいに磨くと、心もきれいになります。トイレ掃除は「自分を磨くための」一番の近道で確実な方法です』とホームページに書かれています。
教師による「便教会」という組織もあって、それが学校でトイレ掃除をやっています。
子どもだけにやらせているのではなく、教師もやっているということで、そこはまだましです。

いずれにしても、「トイレをきれいにすると心もきれいになる」ということにはなんの根拠もありません。
逆に、顔を便器に突っ込むようにして素手で掃除すると、その不快感があとを引くに違いありません。どうせトイレ掃除をするなら効率的に短時間でやりたいものです。
スポンジやタワシを使うとはいえ、素手で掃除するのは衛生上も問題です。ノロウイルスなどは主に排せつ物を介して感染します。

「日本を美しくする会」のホームページには「特定の組織や団体に属しません」と書かれていますが、『東日本大震災の避難所で配られたおにぎりを、何のためらいもなく、まずお年寄りや子どもたちに渡す姿。そこには、日本人の日本人たる美徳がありました。自分よりまず、「人様のためにできる幸せ」という精神を、 私たち日本人は代々受け継いできました』などという文章を見ると、日本会議に連なる組織と同じ感じがします。


そういった組織と立憲民主党の国会議員がつながっているというのが意外でしたが、さらに意外なのは野田佳彦議員まで加わっていたことです。
野田議員といえば現実主義的な人というイメージでしたから、精神主義の権化のようなトイレ掃除の運動とは結びつきませんでした。

ほかに「日本を美しくする会」とつながっている政治家はいないかとネットで調べてみると、門川大作京都市長がいました。京都市では小中学生に「素手でトイレ掃除」をやらせているそうです。
門川市長が初当選した2008年の市長選では自民党・民主党・公明党・社民党の支持を受けていました。
門川市長は任期満了に伴い引退して、来年2月投票の選挙には後継候補として松井孝治氏が立候補する予定です。松井氏はもともと民主党の参議院議員で、鳩山内閣のときに官房副長官をしていました。この松井氏も12月9日に素手でトイレ掃除をしている写真をXに投稿しました。

もしかすると立憲民主党と「日本を美しくする会」は近いのかと思っていると、なんと泉健太代表も昨年11月に「国会掃除に学ぶ会」の活動に参加したということがわかりました。「日本を美しくする会」のウェブマガジンのページに参加者の名前と写真が載っています。

国会掃除に学ぶ会
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https://www.souji.jp/webmagazine/2023/06/09/%e7%89%b9%e3%80%80%e9%9b%86-6/

党の代表が参加しているとなると、立憲民主党は「日本を美しくする会」の思想を肯定していると思われてもしかたありません。


町中の汚い公衆トイレをきれいにしようという活動があれば、誰もが称賛するでしょうが、「日本を美しくする会」はそういうことはしません。「心をきれいにする」ことが目的で、あくまでトイレをきれいにすることは手段です。
国会のトイレは決して汚くはないでしょう。それを掃除するのはパフォーマンスと見られてもしかたありません。

日本会議には宗教団体が多く参加していますが、「日本を美しくする会」は宗教団体とはいえません。人間の道徳的向上を目的とした団体で、戦前は「教化団体」や「道徳団体」と呼ばれていたものです。
宗教団体やカルトでないならいいかというと、そんなことはありません。むしろ宗教以上に危険かもしれません。

特定の宗教を国民に押しつけることはできません。さすがに国民も反対します。
しかし、道徳を押しつけることはどうでしょうか。
すでに日本人は自民党の道徳教育によって道徳を上から教えられることに慣れています。
「日本人の心をきれいにする」と言われたとき、きちんと反論できる人はどれだけいるでしょう。
学校で「素手でトイレ掃除」をやっているところがあり、国会議員も「素手でトイレ掃除」をやっているのですから、いずれ日本人全員で「素手でトイレ掃除」をやることになっても不思議ではありません。

宗教や道徳と親和性が高いのが自民党の特徴です。
野党はそこで差別化をはからねばならないのに、泉代表はなにもわかっていません。
心をきれいにすることより現実のトイレをきれいにすることが政治の役割です。

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米空軍のオスプレイが屋久島沖で搭乗員8人死亡の墜落事故を起こしたことで、全世界でオスプレイの飛行が停止されましたが、さらに米国防総省はオスプレイの新規調達を終了すると決定し、生産ラインも閉鎖されることになりました。
アメリカも欠陥品ないし失敗作であると認めたわけです。
これまで400機余りが製造されましたが、アメリカ以外で購入したのは日本だけです。
しかも日本はオスプレイ17機を2015年当時で3700億円という高値で購入しています。
「もったいない」というしかありません。

辺野古新基地建設には防衛省の試算でも9000億円以上の費用がかかります。
最初は普天間飛行場を日本に返還してもらうという話だったのですが、アメリカが代替基地を要求してきたので、自然破壊しながらバカ高い費用で日本が辺野古に新基地を建設することになりました。
大阪万博の会場建設費が2350億円にふくれ上がって批判されていますが、辺野古の建設費はそれどころではありません。
これも「もったいない」というしかありません。

しかし、究極の「もったいない」は防衛費の倍増です。
今後5年間の防衛費の総額が43兆円になると発表されていますが、それで終わるわけではありません。その先も今の2倍を払い続けるわけです。
これまでの防衛費は年間5兆円余りですから、今より毎年5兆円をよけいに支出することになります(今の経済規模が続くとして)。
かなりの「防衛増税」をしないとおっつきません。

世界の主要国で最大の財政赤字をかかえ、ほとんど経済成長しない日本が防衛費を増大させるとは、信じられない愚かさです。


私は前回の「イスラエルやウクライナを支持する人の思考法」という記事で、人類は「互恵的利他主義」によって互いに協力することで文明を発達させてきたのだから、軍事費に関しても「こちらは軍事費を削減してそちらを安全にするから、そちらも軍事費を削減してこちらを安全にしてくれ」ということが可能だと述べました。
もっとも、書いている途中で「互恵的利他主義」のことを思いついたために、中途半端な内容になってしまいました。
「互恵的利他主義」はスケールの大きな問題なので、改めて書き直すことにしました。


動物が利他行動をすることはダーウィンの時代から知られていましたが、生存競争をする動物が利他行動をすることは当時の進化論ではうまく説明できませんでした。しかし、遺伝子が発見されたことで「血縁淘汰説」が生まれ、親が子の世話をすることや、自分は子孫を残さない働きバチが群れのために働くことなどがうまく説明できるようになりました。この説は数式で表され、「2人の兄弟か、8人のいとこのためなら死ねる」という言葉がその数式の内容を表しています。
血縁関係にない個体同士においても利他行動は見られます。それはゲーム理論を用いることで説明できました。それが「互恵的利他主義(互恵的利他行動)」です。
互恵的利他主義というのは、あとの見返りを期待して行われる利他行動のことです。リチャード・ドーキンスは「ぼくの背中を掻いておくれ。ぼくは君の背中を掻いてあげる」という言葉で説明しました。
動物の場合は、はっきりとした見返りの見通しなしに利他行動をしますが、人間の場合は、約束や契約などで見返りを確かなものにすることができるので、幅広く利他行動をするようになりました。人間が文明を築けたのはそのためだという説があります。

互恵的利他主義を頭の中に入れておけば、「こちらは軍事費を削減してそちらを安全にするから、そちらも軍事費を削減してこちらを安全にしてくれ」という発想はおのずと出てきます。もちろん協定や条約で見返りを確かなものにすることができます。軍事費を削減できれば双方が得をして、まさにウィンウィンです。


前回はこういうことを書いたのですが、よく考えると、これはうまくいきません。
たとえば、日本が中国に対して、互いに軍縮しようと提案すれば、どうなるでしょうか。
中国は応じるはずがありません。というのは、中国はアメリカに対抗するために軍拡をしているからです。日本はほとんど眼中にありません。
北朝鮮にしても同じことです。米軍と韓国軍に対峙しているので、日本はどうでもいい存在です。
ロシアももっぱらアメリカの軍事力を意識しています。

アメリカの軍事費は世界の軍事費の約4割を占めていて、世界第2位の中国の約3倍です。
アメリカは軍事力のガリバーです。

アメリカがなぜこれほどの軍事力を持つかというと、ひとつには海外に米軍を駐留させているからです。
ウィキペディアの「アメリカ合衆国による軍事展開」によると、海外基地に駐留する米軍の人員がもっとも多いのは日本で約5万7000人です。2番目がドイツで約3万5000人、3番目が韓国で約2万7000人、4番目がイタリアで約1万2000人となっています。
要するにアメリカが戦って占領した国に今も駐留しているのです。

昨年9月の『「米国は日独韓をいまだに占領」とロ大統領』という記事にはこう書かれています。
 ロシアのプーチン大統領は30日の演説で「米国はいまだにドイツや日本、韓国を事実上占領している。指導者たちが監視されていることを全世界が知っている」と述べ、同盟関係が対等でないと批判した。

同盟関係が対等でないか否かは別にして、日本もドイツも韓国も強力な軍隊を持っていますから、その上に米軍が駐留しているのは、ステーキの上にハンバーグが載っているみたいにへんな格好です。
ロシアや中国や北朝鮮から見れば、この「二重軍事力」は自分たちに対する攻撃が目的としか思えません。
よく「その地域から米軍がいなくなると『力の空白』が生じる」ということを言いますが、「力の空白」が生じることはなく、「二重軍事力」が解消されるだけです。


アメリカ軍は世界のどこへでも展開できる体制をとっています(オスプレイもそのためのものです)。
昨年10月、バイデン政権は外交戦略の基本となる「国家安全保障戦略」を発表しましたが、それによると、米軍を「世界史上最強の戦闘部隊」と自慢した上で、「米国の国益を守るために必要である場合には、武力を行使することもためらわない」としています。
決して「国を守るため」ではありません。「国益を守るため」なのです。
ですから、アフガニスタンにもイラクにも攻めていきます。
「国益を守るため」という名目さえつけば、ロシアにも中国にも攻めていくでしょう。
なお、「国家安全保障戦略」には「世界平和を目指す」みたいな文言はまったくありません。


もしどこの国の軍隊も自国を守ることに徹していれば、戦争は起こらない理屈ですし、もし起これば、どちらが「侵略」でどちらが「防衛」かが明白になります。
ところが今は、アメリカの過剰な軍事力が世界各地に「二重軍事力」を生み出しているので、「侵略」と「防衛」の区別がつきません(ロシアも「防衛」を主張しています)。


「世界史上最強の戦闘部隊」を維持するには巨額の軍事費がかかります(アメリカの軍事費はGDP比3.5%です)。それで引き合うのかというと、引き合うのでしょう。
たとえば、アメリカはイラクに大量破壊兵器があると嘘をついて攻め込み、イラクを混乱させましたが、大量破壊兵器の情報が捏造であるとわかってからも、イラクに対して謝罪も賠償もしていません。こんなことが許されるのは、アメリカが強大な軍事力を持っているからです。

また、日本はアメリカと数々の貿易摩擦を演じてきましたが、結局は日本が譲ってきました。たとえば日本の自動車メーカーはアメリカに工場をつくり、アメリカで多くの部品を調達しています。人件費の高いアメリカに工場をつくるのはメーカーにとって損ですし、日本にとっても日本人の雇用がアメリカに奪われました。

アメリカはイランやキューバに対して長年経済制裁をしています。国際基準ではなく“自分基準”の制裁ですが、アメリカの経済力は大きいので、制裁された国は苦境に陥ります。
アメリカはいつどの国に経済制裁をするかわからないので、どの国もアメリカに対して貿易交渉などで譲歩せざるをえません。
アメリカが自由に経済制裁できるのも、背後に軍事力があるからです。


ともかく、アメリカは軍事力を使って国益を追求しています。
こういう国が一国でもあれば、互恵的利他主義で軍縮を成立させることはできません。

世界が平和にならない理由は明らかです。
アメリカが世界平和を目指さないからです。

中国や北朝鮮が脅威だと騒いでいる人は、自国中心でしかものごとを見られない愚かな人です。
グローバルな視点で見れば、世界にとっての脅威はアメリカです。
今後、世界は力を合わせてアメリカを「普通の国」にしていかなければなりません。

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ウクライナとパレスチナで同時進行している戦争を見ていると、戦争の残酷さ、愚かさ、虚しさが身にしみて、早くやめてもらいたいとしか思えません。
ところが、世の中にはもっと戦えと主張する人がいます。
そういう人たちの頭の中はどうなっているのでしょうか。

さすがにストレートに「戦争賛成」と言う人はいません。
代わりに、イスラエルのガザ攻撃について「テロをしたハマスが悪いのだから、イスラエルが攻撃するのは当然だ」というふうに言います。
しかし、ハマスのテロによって約1400人が殺されましたが、その後のイスラエルの攻撃によってすでに10倍以上の人が殺されています。
それに、ネタニヤフ首相は「ハマスの殲滅」を目的にすると言っていますが、明らかに自衛権の範疇を超えています。

イスラエルを支持するのはどういう人かというと、要するに安倍元首相を支持していたような保守派の人です。保守派はほぼ完全にイスラエル支持です。
日本がイスラエルを支持してもなんの国益にもなりません。むしろ中東産油国をたいせつにしたほうが国益です。
もっとも、日本の同盟国であるアメリカは強力にイスラエルを支持しているので、保守派の人の頭の中は完全にアメリカにシンクロしているのでしょう。


ウクライナ戦争は、完全に戦線が停滞しています。第一次世界大戦や朝鮮戦争と同じで、双方が塹壕と地下陣地で守りを固めて、前進できないのでしょう。このままでは双方の損害が増大するばかりですから、停戦するしかない状況です。
ところが、日本では「侵略したロシアが悪いのだから、侵略開始時点へ押し戻すまでウクライナは停戦するべきでない」という声があります。
勝利の展望があるなら戦い続ける選択肢もありますが、勝てないばかりかウクライナが劣勢になり、ロシアがますます占領地域を広げる可能性もあります。
そして、戦い続けろという声はやはり保守派から上がっています。
これもアメリカがウクライナを支援しているからでしょう。

つまり戦争継続を主張している人は、ほとんどが保守派で、アメリカに同調してイスラエルとウクライナを支持しているのです。
しかし、イスラエルとウクライナは保守派が支持できる国でしょうか。


ネタニヤフ首相は11月28日にイーロン・マスク氏と対談した際、戦前のドイツと日本を「有毒な体制( the poisonous regime)」と称し、それらの国々が辿った末路のようにハマスを殲滅させるべきだと主張しました。さらに、マッカーサー元帥が日本にしたように、ハマスに対しても「文化的改革」を行う必要性があると述べました。

ゼレンスキー大統領は昨年3月16日に米連邦議会でオンライン演説をした際、「真珠湾攻撃を思い出してほしい。1941年12月7日、あのおぞましい朝のことを。あなた方の国の空が攻撃してくる戦闘機で黒く染まった時のことを」と語り、さらに9.11テロとも関連づけました。

日本の保守派はいまだに戦前の日本の体制を美化し、理想としています。
こうはっきり戦前の日本を否定する指導者のいる国を支持していいのでしょうか。


ともかく、戦争するどちらかの国に肩入れすると、「勝利か敗北か」という発想になり、平和や停戦を目指そうということになりません。
ですから、第三者の立場から双方を公平に見ることがたいせつです。

しかし、そこに「自分」が入ってくるとむずかしくなります。
自分と相手の関係を客観的に公平に見るのは容易ではないということです。

たとえば日本と北朝鮮の関係について、日本人はどうしても日本につごうよく考えてしまいます。
北朝鮮は11月末に軍事偵察衛星の打ち上げに成功したと発表し、日本にとって脅威だと騒がれています。
しかし、日本はこれまでに19機の偵察衛星を打ち上げていますし、アメリカはもっとです。
公平な立場からは、北朝鮮が偵察衛星を持つことを非難することはできません。
また、北朝鮮は核兵器とICBMを開発して、これも日本とアメリカにとって脅威だとされていますが、アメリカの核兵器は北朝鮮にとってはるかに脅威です。
北朝鮮は自衛権があり、抑止力を持つ権利もあり、2003年に核拡散防止条約を脱退しているので核武装の権利もあります。
ですから、アメリカは北朝鮮の核兵器開発を防ぐために、北朝鮮が核兵器開発を断念する代わりにアメリカが軽水炉を提供するという「米朝枠組み合意」を締結したのですが、アメリカ議会が軽水炉の予算を承認しなかったために、合意は崩れてしまいました。

中国の軍拡も脅威だとされていますが、中国はGDPに合わせて軍事費を増やしているだけです。
今でもアメリカの軍事費は中国の軍事費の3倍あります。
アメリカにとって中国が脅威であるよりも、中国にとってアメリカが脅威であることのほうがはるかに大きいといえます。

自国中心主義を脱すると、世界のあり方が正しく見えてきます。


人類が高度な文明を築けたのはどうしてかというと、互恵的利他主義によって互いに協力してきたからだとされます。
互恵的利他主義というのは、あとの見返りを期待して行われる利他行動のことですが、遺伝子レベルに組み込まれているので、見返りを期待しないで行われることも多いものです。
互恵的利他主義だと「こちらは軍事費を削減してそちらを安全にするから、そちらも軍事費を削減してこちらを安全にしてくれ」ということになり、双方が利益を得られます。
ところが、互恵的利他主義は共同体から機能社会にまで広がっていますが、まだ国際社会には広がっていません。そのため、どの国も軍事費を増大させて財政を苦しくし、戦争になったときの損害を大きくしています。
日本国憲法前文が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」となっているのは、互恵的利他主義を前提としたものと思われますが、国際社会はまだその段階に達していません。

国際社会に互恵的利他主義を広めるには、まず自国中心主義を脱し、世界を公平に見る視点を確立しなければなりません。



なお、イスラエルを支持する人は決まって、ハマスは「テロ」をしたからイスラエルが攻撃するのは当然だと主張します。
ウクライナを支持する人は、ロシアは「侵略」をしたからウクライナは撃退するまで戦い続けるべきだと主張します。
つまり向こうはテロや侵略などの「悪」であり、それと戦うこちらは「正義」だということです。
このように「悪」と「正義」のレッテル張りをすると、もう自分と相手を公平に見ることはできません。

善悪や正義を頭の中から消去することが世界を公平に見るなによりのコツです。

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