村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2024年03月

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3月17日放映のTBS系「ドーナツトーク」で女優の水野美紀さんが「夫婦円満の秘訣」として言った言葉が印象的でした。子どもが生まれたばかりの霜降り明星のせいやさんに対して言った言葉です。

「女の人は産んだから子どものことがわかるだろうって思いがちですよね。男の人は抱っこするのも怖いっていう人がいるんですけど、それはお母さんも同じなんですよ。こっちもほんとうにわからないし、すごい不安抱えながら必死でお世話していると、子どもをかわいいなって眺める瞬間ってないんですよ。唯一お母さんが肩の力を抜いて子どもをかわいいなって眺められる瞬間って、お父さんが抱っこしてるときなんですよ。だから、いっぱい抱っこしてあげてほしいです、赤ちゃんを」

この発言に周りから賛同の拍手が起こり、ヒコロヒーさんが「こういうのをネットニュースにしてほしいですよね」と言うと、水野さんが「ほんとにこういうのはならない。“ご意見番が怒ってる”みたいなのばっかり」と応じて、笑いにしました。


これは夫婦の育児分担の話になっていますが、私は母親も育児のことはわからないということが印象に残りました。
母親はまったく育児初心者のところから育児を始めなければならないのです。
父親が協力してくれたら助けになるとはいっても、父親もまた育児初心者です。
育児初心者二人ではあまり意味がなくて、できれば初心者とベテランの組み合わせでありたいところです。

新卒で会社に入ったら、先輩のやり方を見ながら少しずつ仕事を覚えていきます。いきなり大きな仕事を任されることはないはずです。
ところが、育児については、なんの経験もないのにいきなり“命”という大きなものを任されるのです。

こんなことになったのは、核家族化が進んだからです。
本来の人間社会ではこんなことはありませんでした。
「本来の人間社会」とはなにかというと、狩猟採集社会です。
人類の歴史は600万年とも700万年ともいいますが、農耕牧畜が始まったのは約1万年前です。
それまで人類はずっと狩猟採集生活をしてきて、それに適応するように進化してきました。

狩猟採集社会での子育ては、共同繁殖ないし共同養育といわれるものです。
もっとも、最近は「共同養育」という言葉はもっぱら「父母が離婚後も共同で子育てをすること」という意味で使われているようなので、「共同子育て」といったほうがいいかもしれません。

『「核家族は子育てに適していない」と狩猟採集社会を分析した研究者が主張』という記事から部分的に引用します。
ケンブリッジ大学考古学部で進化人類学を専門とするニキル・チョーダリー氏らは、コンゴ共和国に住む狩猟採集民のムベンジェレ族の文化を調査・分析した結果を発表しました。
(中略)
調査の結果として、ムベンジェレ族の乳児は最大15人の異なる養育者から1日約9時間、丁寧な世話と身体的接触を受けていることが判明しました。多数の擁護者がいることによって、子どもが泣きだした際の50%は10秒以内に誰かが対処し、25秒以上対応が遅れたケースは10%に満たなかったとのこと。また、「乳児の3メートル以内に誰もおらず、視線が合わない」という孤独な状況に乳児が置かれた時間は日中の12時間で平均して14.7分のみで、常に誰かの近くに置かれた状態にあったと分析されています。
(中略)
母親以外の複数の養育者が育児に積極的にかかわるスタイルは動物学で「アロマザリング」と呼ばれており、乳児や幼児の健全な心理学的発達をもたらす可能性が高いと考えられてきました。
(中略)
また、同様の子育てスタイルはムベンジェレ族だけではなく、中央アフリカのピグミー、ボツワナのブッシュマン、タンザニアのハヅァ族、ブラジルのヤノマミ族など、さまざまな地域の狩猟採集社会でも共通してみられるもので、乳児が日中の半分以上を母親以外に抱かれていたり、母親が狩りにでかける時間を親戚の家で集まったりと、集団的子育てが行われていることが過去の研究で示されています。

長谷川眞理子総合研究大学院大学学長はわが国の進化生物学界の第一人者でもありますが、「進化生物学から見た"子ども"と"思春期"」において、このように語っています。
また、人類進化の95%は狩猟採集民だったわけですけれども、その中で誰が子どもの世話をするかというと共同繁殖です。いろんな人がかかわって育てていて、親、特に母親が1人でケアするのが普通という社会は存在しません。それから、小さい子たちの周りには異年齢の集団、ちょっと上の子どもたちがたくさんいるし、血縁、非血縁を問わず、いろんな大人がいて、一緒に暮らしている。そういう人たちが入れ替わり立ち替わり子どもを見ているし、食料自体も、親がとってきたものだけでなく、みんながシェアをするので、みんなに支えられて子どもは育つというのが人間の原点です。そうでないとやっぱり無理なんです。脳が大きい、すごく時間をかけて育てなきゃいけない、でも、何もできない時期が何年も続くという存在を、血縁の一番濃い親だけが全部やるなんて無理で、単に食べて生き続けるということだけとっても、さまざまなサポート、ネットワークがあります。

去年出たProceedings of the Royal Society だったと思うのですが、その論文で、狩猟採集民の集団の構成を調べると、血縁者だけじゃなくて、非血縁者がいっぱいいるし、お母さんの友達とか、お父さんの友達とか、お父さんの弟とか、血縁を超えたいろんなソーシャルネットワークが常に流動的にあることがわかりました。お互いに食べ物をサポートし合う関係というのが、子どもをサポートし合う関係でもあり、みんなでリスクも責任も分散してヒトの子どもも育つということなのでしょう。だから、原点はこれなんだということをもう一回、社会福祉の制度の中に考え入れないとダメだと私は思います。
今は核家族の中で母親と父親が、ひどいときには母親が一人で子育てをしているので、母親が育児ノイローゼになるのはむしろ当然かもしれません。
祖父母が育児の手伝いをしてくれる場合は恵まれていますが、三世代同居世帯がいいかというと、そうとは限りません。祖父母がいると両親の独立や自由が制限されるからです。

核家族化の方向へ進んできた文明は針路を間違ったようです。これからは軌道修正をはからなければなりません。
ところが、今の国の政策はさらに間違った方向へ進もうとしています。


2006年9月に第一次安倍政権が発足し、同年12月に教育基本法が改正されました。
このときは「愛国心条項」が加わったことが批判されましたが、家庭教育に関する第十条も新設されました。
(家庭教育)
第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

保護者に対しては、憲法で学校教育を受けさせる義務が規定されていましたが、ここで家庭教育の責任も規定されたのです。
「家庭教育を支援する」という言葉もありますが、これは親の負担を軽減するものではありません。むしろ負担を重くするものです。

たとえば文科省は改正教育基本法に基づき「早寝早起き朝ごはん」運動というものを展開し、全国協議会をつくって今もやっています。
朝ごはんを毎日食べている子どもはそうでない子どもより、学力調査の正答率や体力合計点が高いというデータを示し、“科学的”にも「早寝早起き朝ごはん」が子どもの健康によいと主張するのですが、では、朝ごはんは誰がつくるかというと各家庭であるわけです。
これでは親の負担が増えるだけです。

では、どうすればいいかというと、共同子育ての観点を取り入れることです。
たとえば朝ごはんが食べられる「子ども食堂」をつくるとか、各家庭に朝ごはんを配達するとか、学校給食で朝ごはんを提供するとかするのです。そうすれば親の負担は軽減されます。


2012年からは自治体で家庭教育支援条例を制定する動きが顕在化し、2023年4月時点で10県6市で制定されました。
こうした動きの背後にあるのは日本会議や統一教会などの宗教右派です。
こうした勢力は家父長制を理想としているので、子育ての責任を全部母親に押しつけます。
文科省の政策もそれと同一歩調をとってきました。


「家庭教育の責任」を規定する教育基本法は、いわば「自助」の子育てを求めています。
これからは「共助」と「公助」の子育てに転換するべきです。
子どもは親だけではなく、たくさんの人間に育てられるのが本来の姿です。
「共同子育て」という考え方を取り入れれば、子育ての負担も軽減されますし、少子化対策にもなります。

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イオンシネマが車椅子ユーザーに対して不適切な対応があったとして謝罪したところ、ヤフコメやXには逆に車椅子ユーザーを非難する投稿があふれました。
私は漫然とそれを見ていて、車椅子ユーザーにも非難されるところがあったのかなと思っていましたが、「車椅子専用席を使うべきだ」とか「映画館のスタッフは介助が仕事ではない」とか「人の善意に甘えるな」といった書き込みを読んでいるうちに、疑問がふくれ上がってきました。それらの書き込みには同情や思いやりがまったく感じられないからです。
そこで詳しく調べてみました。


中嶋涼子という車椅子インフルエンサーの人がXに投稿したのがきっかけでした。その一部を引用します(全文はこちら)。
今日は映画「#52ヘルツのクジラたち」を見てきたんだけど、トランスジェンダーの人が生きづらさを抱え差別を受ける話で辛すぎて発作起きるくらい泣ける映画だったんだけど、その後更に泣ける事があった。

ちょうどいい時間の映画がイオンシネマのグランシアターっていうちょっとお値段張るけどリクライニングできて足があげられるプレミアムシートがある豪華な劇場で4段の段差がある席しかないところで見たんだけど、今まで何度もその劇場に一人で見に行って映画館の人が手伝ってくれてたのに、今日は見終わった後急に支配人みたいな人が来て急に「この劇場はご覧の通り段差があって危なくて、お手伝いできるスタッフもそこまで時間があるわけではないので、今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか。」って言われてすごい悲しかった。。

「え、でも今まで手伝って頂いて3回以上ここで見てるんですが?」って言ったら、他の係員に聞いたところそう言った経験はないとおっしゃっていまして、ごめんなさいって謝られて、なんかすごく悔しくて悲しくてトイレで泣いた。

この投稿が少しバズったからでしょうか、イオンシネマを運営するイオンエンターテイメントは「弊社従業員がご移動のお手伝いをさせていただく際、お客さまに対し、不適切な発言をしたことが判明いたしました」「弊社の従業員への指導不足によるものと猛省しております」といった謝罪文をXに発表しました。
そして、そのことが『イオンシネマ、移動の手伝いで「従業員が不適切な発言」と謝罪。車椅子ユーザーの介助巡り議論に』という記事になってヤフーニュースに載ったというわけです。


イオンシネマが謝罪したのですから、イオンシネマに非があることは明らかです。
にもかかわらず車椅子ユーザーに対する非難があふれたのはどうしてでしょうか。
そこにはいくつかの誤解がありました。

多くの人は、中嶋さんは車椅子専用席があるにもかかわらず一般席に座ることを要求してトラブルになったと思い込んでいます。
しかし、この「グランシアタ―」には車椅子専用席はなく、36席すべてが足を伸ばせるゆったりしたリクライニングシートになっていて、料金も3000円(ワンドリンク付き)という豪華なシアターです。
このシアターは「サービス料金適用外」となっているので、障害者割引は使えないはずです。

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中嶋さんは以前に3回以上このシアターを使ったことがあるということです(そのときの写真をアップしているので、少なくとも1回は使っています)。
今回に限って次回からの利用を断られたということで、納得いかないのは当然です。

“活動家”が車椅子の行動範囲を広げるためにあえて映画館に無理難題を要求しているというのも誤解です。中嶋さんはそのシアターが気に入って何回も使っているだけです。

車椅子専用席のあるシアターで観ればいいという意見もありますが、車椅子専用席はたいてい最前列にありますし、同伴者といっしょになれないということもあります。
高い料金を払っていい席で観たいと思うのはおかしくありません。


今年の4月1日から改正障害者差別解消法が施行され、行政機関及び民間事業者において障害者に対する「合理的配慮」が法的義務となります。
「合理的配慮」とはなにかということですが、「実施に伴う負担が過重でないとき」という条件がついているので、事業者が「負担が過重である」と判断して、その判断が客観的に見て合理的であれば、障害者の要求を断ることができます。

「映画館での車椅子の利用」が過重な負担になるかどうかは、その映画館の構造やスタッフの配置によっても違ってくるので、一概にはいえません。

問題は車椅子を人ごと持ち上げるときの負担にありそうです。
中嶋さんはこんなことをXにポストしていました。

過去3回グランシアターで見た時には、女性のスタッフさんが二人で階段を持ち上げてくれて、映画鑑賞後に「せっかくこんな豪華なところで見れたので写真とか撮ってもいいですか?」って言ったら快く写真まで撮ってくれたりしていた状況から、急に4人がかりのスタッフで上映後に入場拒否をされた事が理不尽でした。

調べると、車椅子を人ごと持ち上げる場合は4人以上が推奨されています。
イオンシネマが2人から4人に方針転換したのかもしれません。そのために「過重な負担」になったということはありえます。
ただ、このときは4人いて対応できています。多くのスタッフがいるシネコンで4人の人手が集められないということがあるのでしょうか。

イオンシネマの判断が妥当かどうかというのは私には判断がつきません。
私だけではなく一般の人には誰にも判断がつかないはずです。


ただ、「支配人みたいな人」の対応に問題があったのは確かです。

今後の利用を断るなら、「当方の方針が変わりました」などとその理由を説明するべきです。なんの理由も示さずに断られるとショックを受けるのは当然です。

それよりももっと問題なのは、そのときの言い方です。
「今後はこの劇場以外で見てもらえるとお互いいい気分でいられると思うのですがいいでしょうか」と言ったというのですが、これはひどい言い方です。
通常は「たいへん申し訳ありませんが、次からはご利用を控えていただけないでしょうか」と低姿勢で言うところです。
この言い方は、「あなたがいい気分になるように私が判断してあげます」ということで、相手の判断力を無視した上から目線の言い方です。
これは「強者が弱者に『あなたのため』と言いながら本人の意志を無視して介入・干渉すること」というパターナリズムの典型です。
相手が身障者だということで見下し、さらに若い女性だということで見下したのでしょう。
こんな言い方をされれば、普通ならぶち切れてもおかしくありませんが、弱い立場だとそうもいきません。

イオンシネマが「不適切な発言」を認め、「従業員への指導不足」を猛省したのは当然です。


ところが、世の中にはこの「支配人みたいな人」がいっぱいいて、車椅子ユーザーを誹謗中傷する声があふれました。
今の時代は匿名で誹謗中傷しても、発信元を突き止められて損害賠償請求をされることがありますから、人を批判するときは確かな事実に基づかないといけません。
ところが、差別心から発信する人は、自分の差別心を正当化するためにデマを信じたり、自分で勝手に捏造したりします。
「車椅子専用席があるのに一般席に座ることを要求した」というのがその典型です。
「電動車椅子を持ち上げさせた」というのもありました。
「車椅子が通路をふさいでいざというとき避難できない」というのもありましたが、車椅子はたためますし、グランシアタ―はスペースがゆったりです。

その次は道徳的批判です。
たとえばXや5ちゃんねるにあったこんな書き込みです。
障害の有る無しに関わらず、助けてもらう、配慮してもらう事に当たり前に慣れすぎて感謝をしなくなった人は批判されて当然なのよ
今回の炎上も同じ
車椅子ユーザーが批判されてんじゃないの
あの人の傲慢な精神が批判されてんの
障がいをお持ちの方々が健常者と同じように社会生活を過ごしたいと思うのは自然なこと。
でも「障がいを持つ私をもっと大事に扱いなさい」の姿勢はただの傲慢です。
ご迷惑をおかけしますが…の姿勢が大事。
障がい者も健常者も、それは同じですからね。
もう、車椅子ユーザーとか障害者様とか関係なく「わがままで傲慢な奴は助けない」が答えになっちゃってる。 
たとえ障害者差別解消法が新しくなっても合理的配慮が義務化されても、企業はともかく一般の人は助けないと思う。
しょうがないよね、そういう方向に持っていった障害者様がいるんだから。
「障害者差別」と「道徳」が完全に一体化しています。


好きな席で映画を観たいという車椅子ユーザーにはなんの問題もありません。
問題はすべてイオンシネマの側にあります。途中で対応を変え、変えた理由を説明せず、車椅子ユーザーを見下した言い方をしました。

シネコンで車椅子ごと人を運ぶのが「過重な負担」か否かというのは誰にも容易に判断できないのに、シネコンよりも車椅子ユーザーを非難する人があふれたのは、この国の身障者差別状況をよく表しています。

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自民党若手議員らの会合で下着のような露出の多い衣装のセクシーなダンスショーが行われ、少なくとも5人のダンサーがステージやテーブルの周辺で踊って、参加者はダンサーに口移しでチップを渡したり、ダンサーの衣装にチップを挟み込んでお尻に触ったりしていたということです。

昨年11月に和歌山県で自民党青年局近畿ブロック会議が行われ、党の国会議員や地方議員、党関係者など約50人が参加し、その後の懇親会で行われたダンスショーです。
費用は党本部と和歌山県連が負担したということで、当然そこには公費が含まれています。
政治とカネが大きな問題になっているときに、こうしたバカなことが行われたというのに驚きます。

私がこれで思い出したのは、1998年に日本青年会議所の幹部ら33人が旭川駅前のホテル地下の居酒屋で懇談会を催し、そこにコンパニオンを呼んで“女体盛り”を行ったことです。
写真週刊誌「FLASH」によると「なかにはコンパニオンに刺身を股や乳首にくっつけてから食べる会議所会員もいた」ということです。
しかもそのコンパニオンは16歳だったので、ほかの件で補導されたときに青年会議所の“女体盛り”が発覚しました。
青年会議所というのは、実態は経営者の二代目、三代目の集まりです。カネと暇のあるボンボンが、やることがなくてバカなことをしたというところです。
自民党青年局にも政治家の二代目、三代目が多いのでしょう。カネと暇のあるボンボンのやることはいっしょです。
「自分たちは上級国民だから、一般国民と違うことをするのは当然だ」みたいな感覚もあるのでしょう。

そのあとの弁明にもあきれました。
自民党県連青年局長の川畑哲哉県議は、女性ダンサーを招いた理由について「多様性の重要性を問題提起しようと思った」などと弁解しましたが、「多様性」を理由にしたことに批判が殺到し、川畑県議は県連青年局長を辞任すると表明しました(その後さらに離党も表明)。
 自民党青年局長の藤原崇衆院議員と青年局長代理の中曽根康隆衆院議員も辞任を表明しましたが、ただ党の役職を辞任するだけのことです。
自民党の梶山幹事長代行は「事実関係については今、確認をしている最中であります。費用については、公費は出ていないということだけは確認をできております」と語りましたが、どうやって公費と公費以外の区別をつけたのでしょうか。批判をかわすために言っているとしか思えません。
みんなでセクシーダンスを楽しむということがいかにおかしいかということを誰もわかっていないようです。

友人とストリップショーを観にいくのは、勝手にやればいいことです。しかし、党費でストリップショーみたいなものを開催してはいけませんし、それを楽しむ人間もどうかしています。
つまり公私の区別がついていないのです。
裏金の問題も同じです。公私の区別がないから、平気で裏金がつくれます。

安倍政権のときに「政権の私物化」と言って批判しましたが、自民党は「政治の私物化」をずっとやっていたわけです。
それも党の上層部だけでなく、若手議員にも地方議員にも広がっているようです(ダンスショーを企画したのは川畑哲哉和歌山県議)。
自民党は裏金問題などで堕落ぶりがひどいので、若手議員はなぜ改革の声を上げないのかという意見がありますが、若手議員の実態がこれではどうにもなりません。
自民党の女性議員はどうかというと、つまらない不祥事が話題になるばかりで、改革の力などありそうにありません。
つまり自民党は組織全体が腐っているというべきです。


岸田首相は岸田派の解散を表明しましたが、自民党のほかの派閥は解散したりしなかったりです。
かりにすべての派閥が解散したところで、自民党という枠内で仕切りがなくなっただけで、人間は変わりません(それに、どうせまた群れます)。
自民党を改革し、政治を改革しようとすれば、今の議員を入れ替えなければなりません。

今の制度だと現職議員が選挙に強く、地盤を継いだ二世、三世も強いので、古い感覚の議員ばかりになります。
新しい議員や新しい政党がどんどん登場する制度にしなければなりません。
かつて日本新党ができたときブームが起きて、政権交代につながりました。
最近でも、れいわ新選組、参政党、元NHK党などは、勢力は小さくても話題性があります。

具体的にどうすればいいかというと、被選挙権を18歳以上にし、立候補の供託金を大幅に引き下げ、公職選挙法を改正して選挙運動の規制をほとんどなくすことです。そうすれば多くの新党や新人候補が出てきて、今のくだらない議員の多くは落選することになります。
たいして手間も費用もかかりませんから、簡単にできることです。

ただ問題は、それを決めるのは現職議員だということです。自分たちが落選する可能性の高い制度を採用するはすがありません。
選挙区の議員定数を少し増減するだけでも、議席を失いそうな議員が強硬に反対するので、なかなかまとまらないぐらいです。

ネズミたちが話し合ってネコの首に鈴をつけることにしたが、いざやろうとすると不可能なことに気づくという寓話がありますが、ネコに自分で鈴をつけさせることはもっと不可能です。
自民党議員に根本的な政治改革をさせることはそれと同じようなものです(野党議員もたいして変わらないでしょう)。

どんな政治改革論議も、自民党が受け入れなければ実行できないので、最初から論議に枠がはまっています。
これでは国民の関心も盛り上がりません。

検察が自民党の政治資金パーティの問題を追及したものの腰砕けになりました。
そうすると自民党は怖いものがありません。しばらくごまかし続けていればやがて国民の関心も薄れると見ています。
このまま政治が変わらなければ、日本に救いはありません。


ネコに自分で鈴をつけさせることが不可能であれば、ほかに手段はないのかというと、そんなことはありません。
政治資金の問題ならなんとかなりそうです。

1995年に政党助成金制度がつくられましたが、付則で政党への企業・団体献金のあり方について5年後に「見直しを行うものとする」とされました。
しかし、見直しは行われず、政党への企業・団体献金はそのまま行われています。
政治家個人への企業・団体献金は禁止されましたが、政治家個人が代表を務める政治団体への献金は認められています。また、政治資金パーティも認められています。
つまり政治家は政党助成金と企業・団体献金の両方を手にしているのです。

しかも、そこに与野党格差があります。
経団連の献金はほとんどが自民党に行きますし、多くの企業も野党よりは与党に献金します。

その金はどう使われるかというと、ほとんど選挙運動に使われます。
よく「政治活動には金がかかる」と言いますが、あれは嘘で、「政治活動」ではなく「選挙運動」に金をかけているのです。
選挙区に秘書を張りつけておいて、支持者へのあいさつ回りをさせ、後援会の世話をします。
つまり現職議員は毎日選挙運動をしているのです。
これでは新人候補は勝てません(選挙運動ができる公示期間は2週間前後です)。

政党助成金制度を設けた以上、企業・団体献金は禁止するべきなのです(共産党は政党助成金制度も廃止するべきと主張しています)。
しかし、自民党がそんなことをするわけがありません。
世論の圧力で改革をしても、どうせ抜け道をつくるに決まっています。

制度が変えられないなら、献金する者が献金をやめればいいのです。
「企業献金は政党を堕落させるのでよくない」と主張して、経団連に自民党への献金をやめるように圧力を加えます。
経団連が政治をよくしたいなら、強い野党をつくるためにむしろ野党に対して献金するべきなのです。
自民党への献金は経団連の利益のためであり、いわば「公然賄賂」です。そういう献金が自民党を堕落させるのは当然です。

中小企業が自民党に献金するのは、なにかの目的があってというより、なにかのときに不利益にならないようにという「みかじめ料」感覚ですから、やめるのも簡単です。
ただ、自分だけやめるのは不利益になりそうですから、「みんなでやめれば怖くない」にすればいいのです。


実際のところ、自民党がここまで堕落したのは、献金したりパーティ券を買ったりしてきた企業の責任も大です。
企業献金がなくなれば、自民党議員も国民に向き合うようになりますし、選挙での優位も減少して新人候補が当選しやすくなります。
「企業献金は悪」ということを常識にしたいものです。

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トランプ前大統領が共和党の大統領候補になるのは確実な情勢です。
「もしトラ」――もしトランプ氏が大統領になったら――ということを真剣に考えなければいけません。

しかし、トランプ氏の行動を予測するのは困難です。
2020年の大統領選でトランプ氏の負けがはっきりしたとき、トランプ氏は「選挙は盗まれた」と言って負けを認めず、支持者を扇動してホワイトハウス襲撃をさせました。
民主主義も国の制度も平気で壊します。

もしトランプ氏が次の大統領選に出たらたいへんです。負けた場合、負けを認めるはずがないからです。またしても大混乱になります。
それを防ぐには、トランプ支持者による特別な選挙監視団をつくって、選挙を監視させるという方法が考えられますが、それをすると、その選挙監視団がまた問題を起こしそうです。
かりにトランプ氏が正当に当選しても、果たして4年で辞任するかという問題もあります。大統領の免責特権がなくなるので、むりやり憲法を改正してもう1期続けることを画策するに違いありません。


マッドマン・セオリーという言葉があります。狂人のようにふるまうことで、相手に「この人間はなにをするかわからない」と恐れさせるというやり方です。
しかし、トランプ氏は戦略としてマッドマン・セオリーを採用しているとは思えません。やりたいようにやっている感じです。
そして、そこにトランプ氏なりのセオリーがあります。

トランプ氏は保守派で白人至上主義者です。その点に関してはぶれません。
ですから、保守派で白人至上主義者のアメリカ国民も、ぶれずにトランプ氏を支持し続けるわけです。
支持者にとっては、トランプ氏が大統領職にとどまってくれるのが望ましく、正当な選挙で選ばれたかどうかは二の次です。


アメリカの白人至上主義者はアメリカを「白人の国」と思っています。
アメリカ独立宣言にはこう書かれています。

「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等で あり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているという こと」

「すべての人間は生まれながらにして平等」とありますが、先住民や黒人奴隷にはなんの権利もなかったので、先住民や黒人奴隷は「人間」ではなかったわけです。
また、白人女性に参政権がなかったことから、白人女性も「人間」とされていなかったかもしれません(「すべての人間」は英文では「all men」です)。
「創造主(Creator)」という言葉も出てきます。これは当然キリスト教由来の言葉です。異教徒にもこの宣言は適用されるのかという疑問もあります。

ともかく、独立宣言には「すべての人間」に人権があるとしていますが、実際には「白人成年男性」にしか人権はなかったのです。
このときうわべの理念と中身のまったく違う国ができたのです。そのことがのちのちさまざまな問題を生みます。


「白人成年男性の人権」を「普遍的人権」にする戦いはずっと行われてきました。

女性参政権は1910年から一部の州で始まりましたが、憲法で「投票権における性差別禁止」が定められたのは1920年のことです。

アメリカは世界でもっとも遅く奴隷制を廃止した国です。
リンカーン大統領は黒人奴隷を解放した偉大な大統領とされていますが、実際はやっとアメリカを“普通の国”にしただけです。

黒人参政権は、奴隷制の廃止にともなって1870年に憲法で認められ、実際に黒人が投票権を行使して、州議会だけでなく14人の黒人下院議員、2人の黒人上院議員が誕生しました。
しかし、そこから白人の巻き返しが始まり、さまざまな理由をつけて黒人の選挙権は奪われます。
黒人の投票権が復活したのは1964年の公民権法の成立以降のことです。

現在、共和党の支配する州では、非白人の有権者登録を妨害するような制度がつくられています。たとえば、有権者登録には写真つきの身分証が必要だとするのです。貧困層は写真つきの身分証を持っていないことが多いからです。また、車がないと行けないような場所に投票所や登録所を設けるとか、黒人の多い地域では何時間も並ばないと投票できないようにするといったことが行われています。

白人至上主義者にとっては、黒人やヒスパニックが選挙権を得たときにすでに「選挙は盗まれた」のです。
ですから、トランプ氏が「選挙は盗まれた」と言ったときに簡単に同調できたわけです。

アメリカの人口構成で白人はいずれ少数派になりそうです。そこに黒人のオバマ大統領が出現して、白人至上主義者はますます危機感を強めました。その危機感がトランプ氏を大統領に押し上げました。

「ラストベルト」における“しいたげられた白人”の不満がトランプ当選につながったと日本のマスコミはしきりに報道していました。しかし、テレビに出てくる白人を見ていると、失業者はいなくて、大きな家に住み、広い土地を持っています。ぜんぜん“しいたげられた白人”ではありません。そもそも黒人世帯の所得は白人世帯の所得の60%ですし、白人世帯の資産は黒人世帯の資産の8倍です。
日本のマスコミは白人側に立っているので、アメリカの人種差別の実態がわかりません。

アメリカの先住民は、先住民居留地に住むという人種隔離政策のもとにおかれています。先住民女性の性的暴行にあう確率はほかの人種の2倍です。「町山智浩のアメリカの今を知るTV」によると、ナバホ族は居留地に独自の“国”をつくっていますが、連邦政府と交渉しても水道や電気がろくに整備されないということです。
日本のマスコミは先住民差別についてはまったくといっていいほど報道しません。


アメリカは今でも人種差別大国で、白人至上主義はいわばアメリカの建国の理念です。
アメリカの外交方針も基本は白人至上主義です。
「ファイブアイズ」と呼ばれる、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドによって成り立つ情報共有組織があります。この5か国はアングロサクソンの国です。1950年ごろに結成され、長く秘密にされていましたが、2010年の文書公開で明らかになりました。
人種によって国が結びつくというのには驚かされます。ここにアメリカの本質が現れています。

第二次大戦後、アメリカが白人の国と戦争をしたのはコソボ紛争ぐらいです。あとベトナム、イラク、アフガニスタンのほか、数えきれないくらい軍事力を行使していますが、すべて非白人国が対象です。

同じ白人国でも、西ヨーロッパの国は文化が進んでいますが、東ヨーロッパの国は遅れているので、東ヨーロッパは差別されています。
東西冷戦が終わって、ロシアが市場経済と民主主義の国になったのに、NATOがロシア敵視を続けて冷戦に逆戻りしたのも、東ヨーロッパに対する差別があったからというしかありません(あと東方教会という宗教の問題もあります)。

パレスチナ問題も、イスラエルは白人の国とはいえませんがヨーロッパ文化の国であるのに対し、パレスチナはアラブ人とイスラム教の地域です。そのためアメリカは公平な判断ができません。


アメリカ国内は保守派とリベラルの「分断」が深刻化しています。
単純化していうと、保守派は人種差別と性差別を主張し、リベラルは反人種差別とフェミニズムを主張しています。
もっとも、保守派は表立って人種差別と性差別を主張するわけではありません。本人たちの主観では「道徳」を主張しています。
つまり保守思想というのは「古い道徳」のことです。

自民党の杉田水脈衆院議員が国会で「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」と発言したことがあります。この発言は保守思想の本質をみごとに表現しています。「良妻賢母」や「夫唱婦随」といった古い道徳を信奉する人間は必然的に男女平等に反対することになります。

公民権法が成立する以前のアメリカでは、バスの座席も待合室も白人と黒人で区別されていました。黒人は黒人として扱うのが道徳的なことでした。もし白人が黒人を連れてレストランに入ってきたら、その行為はひどく不道徳なこととして非難されました。公民権法が成立したからといって、人間は急に変われません。黒人を黒人として扱うのが道徳的なことだと思っている人がいまだに多くいて、そういう人が差別主義者です。
ですから、差別主義者というのは要するに「古い人間」です。
自分の親も祖父母も黒人を黒人として扱っていた。自分も幼児期からそれを見て学んで、同じようにしている。自分は家族と伝統をたいせつにする道徳的な人間だ――そのような自己認識なので、差別主義者の信念はなかなか揺るぎません。

ですから、差別主義を克服するということは、自分の親や祖父母のふるまいを批判するということであり、自分が幼児期から身につけたふるまいを否定するということです。
もちろんこれはむずかしいことです。
リベラルはこのむずかしいことから逃げて、安易な“言葉狩り”に走ったので、人種差別も性差別もそのまま温存されています。
そのため、保守とリベラルの分断は深まるばかりです。


トランプ氏は過激なことばかり主張しているようですが、実はアメリカがもともと隠し持っていたものを表面化しているだけです。
ですから、バイデン政権とそれほど異なるわけではありません。日本はすでにバイデン政権の要求で防衛費GDP比2%を約束しました。もしかするとトランプ政権が成立すると3%を要求してくるかもしれませんが、その程度の違いです。

とはいえ、トランプ政権になると要求が露骨になり、これまで隠してきた屈辱的な日米関係が露呈するかもしれません。
そのときに日本政府は、国民世論をバックに、中国やグローバルサウスと連携することでトランプ政権とタフに交渉できればいいのですが、これまでの日本外交を考えると、残念ながらとうていできそうにありません。

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