
石破茂首相は1月24日の施政方針演説において、「楽しい日本」を目指すという基本方針を述べました。
聞くだけで脱力してしまいます。
演説ではこう言っています。
故・堺屋太一先生の著書によれば、我が国は、明治維新の中央集権国家体制において「強い日本」を目指し、戦後の復興や高度経済成長の下で「豊かな日本」を目指しました。そして、これからは「楽しい日本」を目指すべきだと述べられております。私はこの考え方に共感するところであり、かつて国家が主導した「強い日本」、企業が主導した「豊かな日本」、加えてこれからは一人一人が主導する「楽しい日本」を目指していきたいと考えております。
具体的になにをするかというと、石破首相は『「楽しい日本」を実現するための政策の核心は、「地方創生2.0」です』と言いました。
なぜ「地方創生」をすれば「楽しい日本」が実現するのか意味不明です。
やはり脱力するしかありません。
ただ、「豊かな日本」を目指すことから「楽しい日本」を目指すことにシフトするべきだという堺屋太一氏の説は傾聴に値します。
というか、「豊かな日本」が実現不可能なら「楽しい日本」を目指すしかないわけです。
今、経済問題で議論されているのは「103万円の壁」とか「減税」といったことで、つまり「分配」の問題です。ということは、もうすでに多くの日本人は無意識のうちに経済成長を諦めているのです。
2024年の出生数は69万人程度となる見通しで、23年の72万7277人からさらに減少しました。少子化の流れも止められません。
経済成長が不可能だとしたら、「貧しくても幸せ」ということを目指すしかありません。
貧しくても「世界一幸せな国」といわれたブータンという国もあります。
世帯収入で沖縄県は全国で最低ですが、幸福度ランキングで沖縄県はずっと全国1位です。
つまり「貧しくても幸せ」ということは十分ありうるのです。
もっとも、石破首相はそういう意味で「楽しい日本」という目標を掲げたわけではありませんし、経済成長を諦めたわけでもありません。
「成長はすべてをいやす」という言葉があって、これまでは成長至上主義でやってきました。
成長のためには労働力人口が増えないといけないので、成長政策と少子化対策の二本立てでした。
そのため「国民の幸福度向上」という肝心のことが忘れられていたのです。
経済成長が困難に直面している今、「楽しい日本」ないし「幸せな日本」を考えるのは当然です。
現在の日本人の幸福度はどうなっているのでしょうか。
世界幸福度調査(World Happiness Report)の結果に基づき国連の持続可能開発ソリューションネットワーク(SDSN)が発表する「世界幸福度ランキング」というのがあります。2024年3月発表の結果によると、143か国中で日本は51位で、前年の47位から順位を下げました。先進国にしては低いといわねばなりません。
ただ、この調査はアジアの国の幸福度が低く出る傾向があるように思えます。
そこで、国ごとの自殺率を見てみます。
日本は自殺率の高さで世界5位で、G7の中ではトップです。


平均寿命が長く、治安もよく、そこそこの福祉もある国で、自殺率が高いというのは、やはり国民の幸福度が低いからだといわねばなりません。
しかし、「国民の幸福度を上げる」というのは漠然としていて、どうすればいいかよくわからないでしょう。
そこで「子どもの幸福度」に注目してみます。
ユニセフ調査の「先進国の子どもの幸福度」によると、日本は38か国中、総合幸福度では20位ですが、分野別で見ると、身体的健康は 1 位でありながら精神的幸福度は 37 位と極端な違いがあります。つまり日本の子どもは、衣食住は十分足りて体はきわめて健康なのに、精神的にはきわめて不幸だということです。
15~24歳の自殺率は、日本が先進国でワーストワンです。
2024年の文科省調査によると、いじめの認知件数は732,568件(対前年で50,620件増)で、過去最高でした。
日本の子どもは世界で一番目か二番目ぐらいに不幸だといえるでしょう。
子どもの不幸の原因は家庭と学校にあるに決まっていますから、改善するのは容易です。
とりあえずバカげた校則を全部なくすだけでもぜんぜん違うはずです。
子どもには勉強の負担があるのですから、それ以外は好きなことをすることがたいせつです。習いごとも子どもがやりたいことをやるべきです。
また、学校の運営はすべて子どもの意見を聞きながら進めることです。
そうすれば「楽しい学校」ができます。
なお、教師の過重労働とか、心を病む教師が多いとか、教員志望者がへっているとか、教師についてさまざまな問題がありますが、根本的な問題として、教師の主な仕事が子どもの「管理」になっていることがあるのではないでしょうか。
自分の仕事が子どもの笑顔につながっているという実感があれば、教師はやりがいのある職業になります。
家庭の問題はそれぞれ違うので、学校のように簡単にはいきません。
最近は体罰はよくないという認識が広がって、身体的虐待はへってきましたが、心理的虐待はまだまだあります。
最近「教育虐待」という言葉も出てきましたが、これも心理的虐待の一種です。
心理的虐待は、やっている親が自覚していない場合がほとんどですが、国がキャンペーンを行うことなどで自覚をうながすことができます。
体罰がへってきたのも、厚労省の「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンの効果があったからでもあります。
ACジャパンは教育虐待についてのテレビCM を放映しています。
ところが、このCMについて『お受験界隈が中居正広に激怒!? ACの「教育虐待」CMに一部で批判が殺到している理由』という記事が、親から反発の声が上がっているということを伝えています。
「子どもは自分の意志で夢に向かって勉強を頑張っているのに」とか「今は中学受験のたいせつなときなのに」といった声です。
教育虐待をしている親が自分の非を認めず、逆にCMを非難するというのは十分にありうることです。
そのとき、メディアがその声に同調する形で伝えるか、批判的に伝えるかが問題です。
この記事は同調する形で伝えていますが、批判的に伝える記事が多くなれば、親の考え方も変わるでしょう。
「楽しい学校」と「楽しい家庭」ができれば、「楽しい日本」ももうすぐです。
学校のあり方は社会のあり方に直接に影響します。
ネットで横行する誹謗中傷は学校でのいじめと同じようなものです。
たとえば回転寿司店で醤油差しをペロペロとなめた少年が大バッシングを受けるということがありました。その行為の影響は微々たるものですし、そもそも過去の動画でしたから、少年を非難してもなにも得るところがありません。少年は高校を中退し、さらに寿司店が少年に損害賠償請求をしたというニュースがあると、快哉を叫ぶ人たちがいっぱいいました。学校でいじめられたことの仕返しをしている心理でしょうか。
バイト店員が悪ふざけをした動画を投稿し、それが炎上して、「バイトテロ」と呼ばれることもありました。若者が悪ふざけをするのは当たり前のことですし、無視しておいてなんの問題もありません。その行為を批判しても、また別の悪ふざけをする若者が出てくるだけです。これは「バイトテロ」ではなく「ネットリンチ」ないし「ネットいじめ」と呼ぶべきです。
最近も女性医師がグアムでの研修の際に、解剖する遺体の前でピースサインをする写真を投稿して炎上するということがありました。遺体は献体されたものであり、倫理的に問題ある行為だと指摘されましたが、これも悪ふざけで、しかもなんの実害もありません。放置しておけばいいことです。女性医師と所属クリニックを非難した人は、単に人を非難したいだけです。
このようなネット上の炎上や誹謗中傷は自殺者を生むこともあります。
炎上を避けるためにSNSに投稿する際には細心の注意を払わねばならず、心理的負担がたいへんです。
学校教育の影響とばかりはいえませんが、日本ではルール違反やマナー違反への風当たりが年々強くなっています。
それによって一見よい社会になったようですが、各人は窮屈な生き方を強いられています。
つまり「楽しい日本」とは逆方向に進んでいるのです。
「楽しい日本」を実現するには、「寛容」とか「いい加減」といった価値を見直す必要があります。
人間の幸福感には、家族や共同体の親密な人間関係が大きな要素を占めています。
貧しい途上国の幸福度が意外と高いことや、沖縄県の幸福度が高いことも、それで説明できます。
ですから、幸福度を上げるには家族や共同体の絆を回復するということも目指さなければなりませんが、これは難しい課題なので、ここではとても論じられません。