村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2025年07月

racism-2099029_1280


参政党が外国人差別をあおり立てたので、オールドメディアは選挙期間中も参政党を批判しました。
それに対して参政党の神谷宗幣代表は「たたかれた分だけそれが逆に応援につながっているところがある」と言いました。実際、大いに票を伸ばしました。

差別主義者に「差別をやめろ」と言っても効果はありません。「これは差別ではない」という理屈を用意しているからです。
差別はヘイトつまり憎悪の感情によるものなので、論理ではなかなか説得できません。
差別主義者に圧力を加えると、ゴム風船を押したように反発します。差別感情の“ガス抜き”をしなければなりません。

では、どうすればいいかというと、イソップ物語の「北風と太陽」の太陽でいくのです。
差別主義者に寛容に接することで差別の感情をやわらげるのです。

憎悪は連鎖し、寛容も連鎖します。これが人間の自然です。
「差別をやめろ」と言うのもその連鎖の中です。
しかし、それでは世の中は進歩しません。むしろどんどん悪くなっていきます。
世の中をよくするには、あえて自然に反することをしなければならないのです。

しかし、これは容易なことではありません。その差別主義者を人間として知っていれば寛容な気持ちにもなれますが、差別的な言葉を吐いている場面しか知らないのでは、そうはいきません。
憎悪に寛容で報いるのがいいとわかっていても、できないものです。


では、どうすればいいかというと、なにもしないのがいいのです。
差別というのは、事実に基づかない偏った認識ですから、事実によって自然と訂正されていきます。
もちろん正しい事実を伝える努力は必要です。
今回の外国人差別については、「外国人が過度に優遇されている」と「外国人犯罪が増えて治安が悪化している」という間違った情報がSNSに流れたことが原因でした。
それは今回の選挙の中でオールドメディアによってかなり訂正されましたから、今後は消えていくはずです。

2002年の日韓ワールドカップをきっかけにして「嫌韓」の声が異様に盛り上がったことがありました。
日本は朝鮮を植民地にしていましたから、戦後も朝鮮人・韓国人に対する差別感情は水面下に根強くありました。インターネットが普及すると、2ちゃんねるのような匿名掲示板に差別感情が噴出したのです。
しかし、表面化したのはかえってよかったと思われます。差別の不合理なことが明らかになったからです。たとえば在日の人は日本人にない“在日特権”を持っているとか、在日は電通や自民党や官僚を陰で支配しているといったことが語られました。
日本人は在日の人にやましい感情があるので、もしかすると“在日特権”みたいなものはあるかもしれないと思われましたが、結局はことごとくがデマでした。
在日が陰で日本を支配しているなんていうことはあるわけがありません。在日の人数は当時約60万人で(今は約28万人)、就職差別を受けていましたから、どうして日本を支配できるのでしょうか(この説は今のディープステートに似ています)。
差別感情は不合理なもので、差別主義者はそれを正当化するために“不合理な事実”を捏造するわけです。
ですから、「それは事実ではない」と指摘すれば、やがてそのもとにあった差別感情も消えていくはずです。

「嫌韓」のムーブメントは数万人規模の反フジテレビデモを行うほどに盛り上がりましたが(フジテレビは韓流ドラマやK-POPを偏重しすぎだという理由)、今ではほとんど消滅しています。
韓流ドラマやK-POPや韓国グルメなどが日本で人気となったことが主な理由でしょう。
それに、韓国人は日本人と見た目も変わらず、両国の文化もきわめて似ていますから、差別感情を維持するほうが困難です。

最近の日本の外国人排斥運動は明らかに欧米の移民排斥運動を真似たものです。
欧米の移民排斥運動は人種差別が根底にあります。この人種差別は白人が有色人種を差別するもので、見た目が違いますし、歴史もあるので、克服するのは困難です。
しかし、日本の場合、外国人を差別する歴史はそれほどありません。

それに、欧米の多くの国と日本では外国人の数や比率が違います。
「不法滞在の外国人は追い出せ」ということがいわれますが、出入国在留管理庁のホームページによると、2025年1月1日現在の不法残留者数は7万4,863人(前年比5.4%減)です。
在留外国人の総数は約332万人(2024年末時点の推定値)ですから、不法滞在者の割合は約2.25%です。
不法滞在者を全部追い出したところで外国人は約2.25%へるだけです。

「マナーの悪い外国人は追い出せ」ということもいわれます。
日本のマナーを知らない外国人は日本人よりマナーが悪いということはあるでしょうが、長期滞在者は日本人と変わりません。外国人旅行者のマナーを問題にするなら、外国人旅行者を閉め出すよりありません。
それに、「マナーの悪い外国人」を追い出すなら、「マナーの悪い日本人」は追い出さなくていいのかということにもなります。


人間は「差別をやめろ」と攻撃的に言われると、反発するものです。
冷静になって事実と向き合えば、日本人の外国人差別は根が浅いので、外国人排斥の動きも意外と早く沈静化すると思われます。

2168118_m

参院選で躍進した参政党は「日本人ファースト」を掲げました。
これが多くの人々の心に刺さったようです。
なにがそんなによかったのでしょうか。

「日本人ファースト」がトランプ氏の「アメリカファースト」の真似であることは明らかです。
違うのは、「アメリカファースト」は国家間のことをいっていて、「日本人ファースト」は国内のことをいっていることです。
アメリカに対する日本人の弱さの表れです。


人間は基本的に利己的です。
いや、利他的な面もあるのですが、現代の資本主義社会では誰もが競争に打ち勝つために利己的にならざるをえません。
しかし、露骨に利己的なふるまいをすると、周りからいやがられて、利益が得にくくなります。逆に利他的な人間だと思われると、好感を持たれて、利益が得やすくなります。
そこで、誰もが「利他的に見せかけて利己的な目的を達成する」という戦略を採用しています。
商人は「お客様に喜んでいただくために赤字覚悟で商売しています」と言い、政治家は「国家国民のために身命を賭します」と言い、企業は「社会貢献」という社是を掲げます。
大会で優勝したスポーツ選手は「これがおれの実力だ」と言わずに、「監督やコーチ、応援してくださった皆様のおかげです」と言います。謙虚な人間だと思われると有利だからです。

誰もがいい人間に見せかけて生きているので、“悪い人間”の部分が心の中にたまっていきます。それがインターネットの匿名での書き込みに出てくるので、ネット空間はヘイトスピーチと誹謗中傷が氾濫しています。


そういうことを考えれば、「アメリカファースト」がアメリカ人の心に刺さったこともわかります。
誰もが「自分ファースト」と言いたいのですが、これは利己主義丸出しなので、言うわけにいきません。
「アメリカファースト」なら、アメリカのためという利他的な意味になり、同時にアメリカ人である自分のためという利己的な意味にもなるので、遠慮なく言えます。

「日本人ファースト」も同じです。
日本人のためという利他的な意味になり、同時に日本人である自分自身のためという意味にもなります。

愛国心やナショナリズムも同じようなものです。
国のための行動が自分のための行動にもなり、国を愛することが自分を愛することにもなります。
人々は日ごろ利己的な主張を封じているので、ナショナリズムや愛国心の名目でたまっている利己的な思いが放出されます。

したがって、「日本人ファースト」というのはほとんど「自分ファースト」という利己主義です。
「利他主義に見せかけた利己主義」であるがゆえに「日本人ファースト」は多くの人に支持されたのです。


アメリカ人が国内でアメリカファーストを主張している限りは問題ありません。
しかし、アメリカが国際社会でアメリカファーストという利己主義的なふるまいをするようになると、世界にとって大迷惑です。

「日本人ファースト」は今のところ国内で主張されているだけです。
しかし、国内には2%強の外国人がいるので、もし「日本人ファースト」の政策が実行されたら外国人にとっては大迷惑です。
それに、「日本人ファースト」ということは、「日本人ファースト、外国人セカンド」ということで、露骨な外国人差別です。
海外に移住している日本人もたくさんいるのですから、海外在住の日本人が差別されても反対できなくなります。


「日本人ファースト」が多くの人の心に刺さったのは、「自分ファースト」と言いたい気持ちをそこに託したからですが、それに加えて“いじめ”という要素もあります。

本来なら「アメリカファースト」に対抗して「日本ファースト」と言わねばなりません。そうしてこそ公平な世界が実現できます。
しかし、強いアメリカに対してそれを言うことはできず、代わりに国内の弱い外国人に対して「日本人ファースト」と言ったのです。
いじめられっ子が自分より弱い相手を見つけていじめるのと同じです。

「日本人ファースト」という言葉には、近ごろの日本人の情けなさが凝縮しています。


24009800_m

発足してまだ半年のトランプ政権が世界を引っ搔き回しています。
もちろん日本も翻弄されているので、どう対応するかが問題です。
ところが、参院選の争点に対米外交をどうするかということは入っていません。
対米外交だけでなく外交安保が選挙戦でまったく議論になっていません。
争点になっているのは、給付か減税か、外国人政策をどうするかといった内政ばかりです。

日本政府は「日米同盟は日本外交の基軸」という基本方針を掲げてきました。これは「対米従属」とか「対米依存」とか批判されながらも、国民多数の支持を得ています。
しかし、この基本方針はアメリカがまともな国であってこそ成り立つものです。
トランプ氏は同盟国を同盟国と思わず、むしろ同盟国によりきびしい要求を突きつけてきますし、方針がころころ変わります。

アメリカが「アメリカファースト」を主張するなら、日本は「ジャパンファースト」を掲げて対抗するのが本来ですが、日本とアメリカでは国力が違いすぎるので、現実には不可能です。
第一次トランプ政権のときは、安倍首相はトランプ氏の懐に飛び込む作戦に出て、日米同盟基軸路線を維持することに成功しました。
それが可能だったのは、トランプ氏が政権運営に慣れていなくて、とくに外交安保については既定路線を踏襲していたからです。
しかし、第二次政権のトランプ氏は国務省も国防省も牛耳っているので、石破首相が安倍首相みたいな恭順の姿勢を示したら、トランプ氏はどんな無茶な要求をしてくるかわかりません。

今の日本は、日米同盟基軸路線を維持するのはどう考えても無理になり、かといって「ジャパンファースト」でアメリカと対抗することもできず、政府も国民も思考停止に陥っている状況です。
そのため外交安保が参院選の争点にならないのです。

参政党は「日本人ファースト」を掲げました。
「日本ファースト」を掲げるとトランプ政権と衝突することになるので、そこから逃げたのです。
「日本人ファースト」は日本人と外国人を分断し、外国人を差別するものだと批判されていますが、国際社会で戦う姿勢のないことも批判されるべきです。


日本中がトランプ政権の前で思考停止に陥っている中で、石破首相だけは違います。
トランプ氏は各国との関税交渉において、日本を甘く見ていたでしょう。安倍首相とのつきあいから、そう思って当然です。アメリカに有利な合意をまず日本と結んで、それを前例にして各国と有利な合意を結んでいくというのがトランプ氏の腹づもりだったでしょう。
ところが、石破政権は何度もアメリカと交渉しながら、いまだに合意に至っていません。
日本だけではなくほとんどの国とトランプ政権は合意できていません。
トランプ氏は関税政策が失敗に終わりそうで、面目丸つぶれです。


今のところアメリカと合意したのはイギリス、中国、ベトナムの三か国です。
イギリスとの合意はあまり価値がないとされます。

トランプ関税の最大の標的は中国でした。アメリカは対中関税を145%まで上げると主張し、中国は報復関税を125%にすると主張して、ぶつかり合いました。
で、合意の内容はというと、単純にいうと、アメリカは対中関税30%、中国は対米関税10%にするというものでした。
どう考えても、中国の強硬姿勢に対してトランプ氏が腰砕けになった格好です。

ベトナムとの合意は妙なことになっています。
トランプ氏は7月2日、SNSへの投稿で「ベトナムからのすべての輸入品に20%の関税をかけ、アメリカからベトナムへの輸出品は関税0%」という内容で合意したと発表しました。
ベトナム政府も同日にアメリカと貿易協定を締結することで合意したと発表しましたが、その中身についての発表はありませんでした。
そして、ブルームバーグの7月11日の報道によると、「トランプ米大統領がベトナムからの輸入品に対して20%の関税で合意したと先週発表したことは、ベトナムの指導部にとって寝耳に水だった」ということです。ベトナム指導部としては関税率10-15%を目指して引き続き交渉していく方針だそうです。
どうやらトランプ氏がまだ決定していないことを発表してしまったようです。

このことから、トランプ氏がよほど“成果”を国民に示したくてあせっているということがわかります。
それから、最終決定権はトランプ氏にあるのでしょうが、トランプ氏と交渉担当者との意思疎通がうまくいっていないということもわかります。

赤沢大臣はベッセント財務長官やラトニック商務長官らと交渉していますが、もしかしてこうした交渉相手が“子どもの使い”状態なので交渉が進展しないのかもしれません。各国が合意しないのも同じ理由からかもしれません。


日本がアメリカと合意しないのは、単に交渉の技術的な問題なのか、それとも石破政権の方針によるものなのか、はっきりしませんでしたが、石破首相は9日の街頭演説で関税交渉について「国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか。たとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない。守るべきものは守る」と語りました。
「なめられてたまるか」は強い言葉なので、波紋が広がっています。

石破首相は前から日米地位協定を改定するべきだというのが持論です。首相就任後はその持論を封じていますが、日米は対等であるべきだという思いは基本的にあるのでしょう。
石破首相は発言の翌日、BSフジの番組で「なめられてたまるか」の真意を「米国依存からもっと自立するように努力しなければならないということ」と説明しました。
この説明に反対する人はいないでしょう。しかし、「依存」から「自立」へと急に切り替えることはできません。
そのため多くの人は、石破首相が「なめられてたまるか」とアメリカと対等の口利きをしたことに戸惑っています。

立憲民主党の小沢一郎衆院議員は首相発言についてXで「トランプ大統領に直接言うべき。選挙向けの内弁慶のくだらないパフォーマンスはやめるべき」と批判しました。
野党議員が批判するのは当然ですが、自民党の佐藤正久参院議員もXで「この発言、確実にトランプ大統領に伝わる。より交渉のハードルを上げてしまった感。選挙でいう話ではない」と批判しました。

「なめられてたまるか」が英語に翻訳されたときにどうなるかを心配する声もありました。当然トランプ氏の耳に入ることを考えてです。
ストレートに訳せば「Don’t fuck wiht me」になるという意見もありましたが、さすがにそんな翻訳をするメディアはないでしょう。

関税交渉は石破首相の言うように「国益をかけた戦い」ですから、右翼や保守派は石破首相を応援していいはずですが、そうはなっていません。
高須克弥院長はXで、中国軍機が空自機に2日連続で30メートルまで接近したことを報じた記事を引用し、「石破首相に嘆願申し上げます。中国大使を呼び出して『なめるな!』と恫喝してくだされ。なう」と投稿しました。
タレントのフィフィさんも同様に「中国には、舐められてたまるか!とは言わない石破総理」と投稿しました。

FNNプライムオンラインで金子恵美氏は「なめられてしまうような状況をつくっているのはご自身なのではないでしょうか」とコメントしました。

私がざっと見た範囲では、なんらかの形で石破首相を批判するものばかりでした。「国益のためにトランプ氏との交渉をがんばれ」というような応援の声はありませんでした。
もともと反政府、反自民、反石破の人がかなりいるとしても、関税交渉という重要な役割を担っている石破首相を応援する声がないのは不思議なことです。
これは要するに、日本人のほとんどが対米依存のままだからでしょう。


鳩山由紀夫首相はオバマ大統領と会談したとき、普天間飛行場移設問題に関して「trust me」と発言したのが失礼だとして大バッシングを受けました。
「trust me」が失礼な表現であるはずがありませんが、対等な口利きではあるでしょう。当時の日本人には、日本の首相がアメリカの大統領に対等な口利きをしたことが非礼と感じられたのです(今回検索してみると、鳩山首相は普天間問題について「trust me」と言い、オバマ大統領は「あなたを完全に信じる」と返しました。しかし、事態がうまくいかない中で鳩山首相が再び「trust me」と言ったために、オバマ大統領は「責任が取れるのか」と不快感を表明したということだったようです)。


日本人にとっては今でも日本の首相がアメリカ大統領に対等の口を利くというのは考えられないことのようです。
では、石破首相はなぜ対等の口を利くことができたのでしょうか(本人の前では言っていませんが)。

アメリカのような大国の横暴に対しては各国が連携して対応するのが正しいやり方です。
今回は表立って連携する動きはありませんが、水面下でやっているのかもしれません。
各国が一致してアメリカとの合意を拒否し、結果的にトランプ包囲網を形成する格好になっています。
ベトナムだけは合意しましたが、ベトナムは共産党政権なので“西側”と情報共有ができなかったのかもしれません。

4月にトランプ関税が発表されると、アメリカ市場は株式・国債・ドルのトリプル安に見舞われたため、関税の実施は90日後に延期されました。
7月9日がその期限でしたが、アメリカと合意する国がないまま期限は8月1日まで再延期されました。
しかし、いまだにアメリカと合意する国はありません。
EU、カナダ、メキシコはトランプ関税が発動されたら報復関税を実施すると言明しています。
日本は報復関税は口にしません。そのためトランプ氏からなめられているのか、日本は自動車を買わない、コメを買わないと圧力をかけられています。
こうした状況で石破首相は「なめられてたまるか」と言ったわけです。

もし今、日本がアメリカに有利な合意をしたら、日本は世界中から白い目で見られ、軽蔑されます。
否応なく石破首相(と赤沢大臣)はタフ・ネゴシエーターにならざるをえないわけです。
日本国民はトランプ氏に向かって「日本をなめるな」と声を上げるべきです(そういえば参政党の去年の衆院選のスローガンが「日本をなめるな」でした)。


31850511_m

7月20日投票の参院選の争点に「外国人問題」が急浮上しています。
参政党が「日本人ファースト」を掲げたのに対抗したのか、自民党は「違法外国人ゼロ」を掲げました。日本維新の会は「外国人受け入れ総量規制」、日本保守党は「移民政策の是正」です。
その背景には「外国人が過度に優遇されている」ということと「外国人犯罪で治安が悪化している」という認識があるようです。

私は「外国人が過度に優遇されている」と聞いたとき、昔2ちゃんねるで盛んに言われた「在日特権」を思い出しました。在日の人は税金の優遇を受けるなどさまざまな特権を持っていると言われたのですが、結局のところはことごとくがデマでした。今ではまったく言われなくなっています。
「外国人の過度な優遇」もデマに決まっています。外国人は選挙権もなく政治力もないからです。

NHKNEWSの『「外国人優遇」「こども家庭庁解体」広がる情報を検証すると…』という記事が割と詳しく「外国人優遇」がデマであることを検証していました。


「外国人犯罪で治安悪化」については、ネットで犯罪のデータを調べるだけでデマだとわかります。
外国人の犯罪件数は減少しているからです。

h4-9-2-1 (1)
令和4年版「犯罪白書」より

外国人の数は増えているのに犯罪件数はへっています(来日外国人検挙人員は微増する時期もありました)。
ただ、このグラフは令和3年までしかありません。
このあとを数字で示すと、こうなります。

【来日外国人による刑法犯の検挙人数と前年比増減率】
令和4年 5,014人 -10.0%
令和5年 5,735人 +14.4%
令和6年 6,435人 +12.2%

ここ2年は増加しています。
コロナ禍が収束したことによる反動と、インバウンド客の急増などが原因ではないかと思われます。

ともかく、「外国人犯罪増加」ということがいえるのは直近の2年間についてだけです。
それまで約20年間、外国人犯罪はへり続けていました。


「外国人は怖い」とか「外国人は犯罪的だ」というイメージがあるかもしれません。
外国人の犯罪率と日本人の犯罪率を比較してみました。

スクリーンショット 2025-07-09 025900

外国人の犯罪率は日本人の2倍強です。
しかし、日本人は高齢者が多く、外国人は貧困者が多いという事情があり、外国人は日本のコミュニティになじんでいないことなどを考えると、それほど大きくは違わないと思われます。
もともと日本人の犯罪率はひじょうに低いので、日本にくる外国人もなかなか“優秀”だといえます。


治安が悪化しているか否かは、外国人犯罪だけでなく日本全体の犯罪件数で判断する必要があります。

2550274

2002年をピークに犯罪件数はへり続けています。
2022年と23年は増加しています。これもコロナ禍の反動と思われますが、それだけでは説明できないかもしれません。
2024年は、刑法犯認知件数が約728,000件、前年比+3.5%でした。


全犯罪件数も外国人犯罪件数もへり続けています。
ここ2、3年に関しては少し増えていますが、あくまで少しであり、今のところ「治安が悪化した」とまではいえないでしょう。


「川口市クルド人問題」というのがあります。川口市在住のトルコ国籍のクルド人が治安を悪化させているというのです。
しかし、6月13日、川口市議会において市側は県警の統計として「昨年の外国籍の刑法犯の検挙数が178人で、中国とトルコ国籍が54人ずつ、ベトナムが27人」と答弁しました。
川口市の人口は約60万人で、うち外国人は約4万人とされるので、川口市の外国人の犯罪率は約0.44%です。全国平均の約0.33%より少し高い程度です。
それにトルコ国籍の人が54人ですから、人口60万人の川口市で絶対数が少なすぎます。
「川口市クルド人問題」は完全に捏造されたものです。

捏造したのは産経新聞です。
トルコは日本の友好国ですから、トルコ人を悪くいうわけにいきませんが、トルコ内のクルド人はクルド労働者党をつくって独立運動をし、トルコ政府はクルド労働者党をテロ組織に認定しました。ですから、クルド人を批判する限りはトルコ政府も許容しそうです。
2023年7月、クルド人同士の喧嘩があり、川口市立医療センター周辺に100人ほどのクルド人が集まり、7人が逮捕されるという騒ぎがありました(全員不起訴)。これをきっかけに産経新聞はクルド人をヘイトの対象にすることにしたようです。
ねらい通りに「川口市クルド人問題」は燃え上がり、Xには「クルド人の犯罪」と称する映像や動画が多数投稿されましたが、映像ではそれがクルド人かどうかわかりませんし、犯罪かどうかもわかりません。

この少し前からX上では「犯罪をする外国人」や「マナーの悪い外国人」といった投稿が急増しました。
「悪いやつを攻撃する」というのは確実にインプレッションを稼げます。まさにヘイトビジネスです。

この背景には、欧米で移民排斥運動が高まっているということがあるでしょう。
欧米と日本の動きはきわめて似ています。
たとえばアメリカでは不法移民が犯罪をしているというのが移民排斥の理由になっています。
しかし、不法移民の犯罪率が高いというデータはありません。
日本で「外国人犯罪で治安悪化」と騒いでいるのと同じです。

ただ、欧米では人種差別感情が根強いので、それが移民の犯罪を生むということがあります。
日本人にはそれほどの人種差別感情がないので、移民との共生が比較的うまくいっているということがいえそうです。


ここ2、3年の犯罪増加は気になりますが、「外国人犯罪で治安悪化」というのは完全なデマです。
どうしてこうしたデマが広がったのでしょうか。
SNSでは「外国人犯罪」の動画がいくつもアップされ、一方、「日本人犯罪」の動画はまったくアップされないので、世の中は外国人犯罪だらけだと勘違いする人が出てきます。
こうした勘違いは犯罪の統計データを示せば解消できます。そうしたことをするのはSNSではなくてオールドメディアの役割でしょう。
ところが、オールドメディアはそうした役割をまったく果たしてきませんでした。


「刑法犯認知件数」のグラフを見れば、犯罪件数はピークから3割以下にまで減少し、治安は大幅に改善したことがわかります。ところが、マスコミはそうしたことはほとんど報道しません。
『警察白書』は毎年発表され、新聞はその内容の概略を伝えますが、「犯罪は順調にへっている」みたいなことは書かず、「高齢の被害者が増えた」とか「手口が巧妙化した」とか「ネット犯罪が増加した」といったことを見出しにするので、犯罪は深刻化している印象になります。
なぜマスコミはそうした伝え方をするのでしょうか。

世界的ベストセラーになったハンス・ロスリング著『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』は、人間は間違った思い込みによって世界を見ているということを書いています。その思い込みは10に分類されるのですが、最初のふたつは、

・分断本能「世界は分断されている」という思い込み
・ネガティブ本能「世界はどんどん悪くなっている」という思い込み

であるといいます。

たとえば「日本人と移民は分断されている」という思い込みは分断本能の典型です。
「犯罪が増加して治安は悪くなっている」というのはネガティブ本能です。
マスコミは人々のこうした思い込みに合わせて報道していると考えられます。

それに、凶悪犯罪の報道というのは、メディアにとっては優良コンテンツです。犯人への憎しみを煽り立て、もう一方で被害者への同情も煽り立てて、人々の感情をゆさぶることができるからです。
そのためマスコミの報道はどうしても犯罪を大げさに描き、治安悪化を印象づけるものになります。
「犯罪は減少して治安は改善している」という主張に対しては、誰かが「体感治安」という言葉を考え出して、「体感治安は悪化している」という反論が行われてきました。
少年犯罪についても同じです。少年犯罪もずっと減少し続けてきたのですが、専門家がいくら「少年犯罪は減少していて、凶悪化はしていない」と力説しても、マスコミは逆のイメージをつくりあげて、そのために少年法が厳罰化される方向に改正されました。

外国人犯罪についても同じです。マスコミが「外国人犯罪は減少している」と指摘するのを聞いたことがありません。そのため外国人犯罪が増加しているというイメージがつくられてきました。


そうした報道の背景には、マスコミと警察の癒着という問題も指摘できます。
マスコミは警察から情報をもらって報道をするので、警察に不都合なことは報道しません。
犯罪件数はピーク時から3割以下にまで減少しているということが広く知られたら、警察の予算をへらせという議論が起きるはずです。
「犯罪の増加・凶悪化」というイメージをつくることは警察とマスコミの両方の利益です。

つまりもともとオールドメディアが「外国人犯罪の増加」というイメージづくりをしていて、そこにSNSなどでの外国人へのヘイトスピーチが上乗せされて、外国人問題が参院選の大きな争点になるまでになったのです。
オールドメディアは犯罪報道を過度に娯楽化してきたことを反省し、犯罪件数のような基礎的な情報をきちんと伝えていくべきです。

polarization-1201698_1280

「勝てば官軍、負ければ賊軍」というのは名言です。
戦いに勝った者は「自分は正義で、相手は悪だ」と主張し、負けた者はその主張を否定する力がないので、勝った者の主張が社会に広がります。

「勝てば官軍」に当たる言葉は英語にもあります。
「Might is right(力が正義である)」及び
「Losers are always in the wrong(敗者はつねに間違った側になる)」です。
なお、パスカルも「力なき正義は無効である」と言っています。

つまり「正義」というのは、強い者が決めているのです。
最近はそのことが理解されてきて、正義の価値が下落し、正義を主張する人はあまり見かけなくなりました。

そうすると、「悪」の価値も見直されていいはずです。
「悪」も強い者が決めているからです。

さらにいうと、「善」も強い者が決めています。
「善」とはなにかというと、「悪」の対照群です。
テロ行為が「悪」だとすれば、テロ行為をしないのが「善」です。

「正義」も「善」も「悪」もすべて定義がないので、力のある者が恣意的に決めています。
したがって、正義、善、悪で世の中を動かそうとするとうまくいきません。
ハリウッド映画では、正義のヒーローが善人を救うために悪人をやっつけてハッピーエンドになりますが、これはフィクションだからです。

世の中を支配する者は善と悪を恣意的に決めることができます。
そうすると、力のない者はいつ悪人に仕立てられて罰されるかわからないので、安心して暮らせません。
そこで、人を罰することは法律によって厳密に決めることになっています。これが法の支配ないし法治主義といわれるものです。
犯罪者(悪人)と認定するまでの法的手続きは煩雑ですが、どうしても必要な手続きです。
この手続きを省略すると「リンチ」になりますが、リンチが横行すると世の中の秩序が乱れます。


社会は法の支配によって秩序が保たれていますが、法の支配の及ばない領域がふたつあります。
ひとつは国際政治の世界です。ここではロシア、イスラエル、アメリカといった軍事力のある国が好き勝手にふるまっています。
もうひとつは家庭内です。家族は愛情で結びついているので、法律が入り込むべきでないとされてきました。そのためここでも力のある者が好き勝手にふるまっています。


家庭内を見ると、善と悪がどのようにして決められるのかがよくわかります。
小さな子どもは動き回り、大声を出し、物を壊したり、部屋の中を汚したりします。それは子どもとして自然なふるまいですが、親は子どもにおとなしくしてほしい。高度な文明生活と子どもの自然なふるまいはどうしても合わないのです。
そこで、親と子で妥協点を探らねばなりませんが、親は子どもよりも圧倒的な強者です。そのため親は自分勝手にふるまうことができますし、善と悪も自分勝手に決めることができます。
たとえば、おとなしいのは「よい子」で、うるさく騒ぐのは「悪い子」、親の言うことを素直に聞くのは「よい子」で、親の言うことを聞かないのは「悪い子」、好き嫌いを言わないのは「よい子」で、好き嫌いを言うのは「悪い子」、かたづけをするのは「よい子」で、散らかすのは「悪い子」といった具合です。
このように善悪の基準は親の利己心です。したがって、よいとされることが子どもにとってよいこととは限りません。
たとえば親は子どもに「おとなしくしなさい」と言いますが、「おとなしい」を漢字で書くと「大人しい」です。つまり子どもにおとなのようにふるまえと言っているのですが、これは正常な発達の妨げになることは明らかです。

子どもを「よい子」にしつけることは親の義務とされ、しつけを怠る親は非難されます。
こうしたことが幼児虐待を生んでいます。幼児虐待で逮捕された親が判で押したように「しつけのためにやった」と言うのを見てもわかります。

家父長制家族においては、夫は妻に対して圧倒的な強者ですから、夫が善と悪を決めます。
夫に従うのが「よい妻」で、夫に従わないのは「悪い妻」、家事を完璧にこなすのが「よい妻」で、家事の下手なのが「悪い妻」という具合です。
夫にとって都合のよい妻を「良妻賢母」ともいいます。
妻の側からも「よい夫」と「悪い夫」というように夫を評価したいところですが、妻は弱い立場なので、そうした評価が社会的に認知されることはありません。そのため、「悪妻」という言葉はあっても、「悪夫」という言葉はありません。


「よい子」と「悪い子」、「良妻」と「悪妻」という言葉を思い浮かべれば、善と悪は強者が自分に都合よく決めているということがわかります。
ところが、倫理学は善を絶対的な基準と見なしてきました。
アリストテレスは、人間は「最高善」を目指すべきであるとし、カントも「最高善」について論じています。
「よい子」や「よい妻」の最高の状態を目指すべきだということです。そんなことをしても、本人は少しも幸福ではなく、親や夫が喜ぶだけです。
こんな倫理学が顧みられなくなったのは当然です。


善、悪、正義、「べき」などを総称して道徳というとすると、道徳はすべて人間がつくったものですから、そこに必ず人間の下心があります。
道徳は、人間の心を縛る透明な鎖です。
鎖を断ち切ってこそ自由な生き方ができます。



前回の「一神教の神は怖すぎる」という記事で、エデンの園でアダムとイブが神の言いつけにそむいて善悪の知識の木から食べたために楽園を追放されて不幸になったということを書きました。
人間は善悪の知識を持ったために不幸になったという話は暗示的です。
それまで親子は一体で、子どもはなにをしても親から愛されていましたが、親が「よい子」と「悪い子」という認識を持ったときから子どもは行動を束縛され、愛の楽園から追放されたのです。
子ども時代の不幸は人生全体をおおい、さらに世界全体をおおっています。

別ブログの「道徳観のコペルニクス的転回」では、善と悪についてさらに詳しく書いています。


このページのトップヘ