村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2025年08月

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近ごろ「自己肯定感」という言葉をよく聞きます。
「承認欲求」という言葉もよく聞きますが、このふたつの言葉は表裏一体です。
自己肯定感が低い人は承認欲求が強くなるという関係です。

自己肯定感という言葉が注目されるようになったきっかけは、国際的な調査でアメリカ、中国、韓国の若者と比較して日本の若者の自己肯定感が有意に低かったことです。以来、教育界で問題にされ、教育再生実行会議は「自己肯定感を高め、自らの手で未来を切り拓く子供を育む教育」を提言したことがあります。実際、日本の子どもの自殺率はひじょうに高いので、問題になって当然です。

自己肯定感とは「ありのままの自分を肯定する感覚」などと説明されますが、もうひとつよくわからないかもしれません。
「自信」というのは、「いつも数学の成績はよいので数学には自信がある」のように、ある分野で具体的な根拠によって形成されるものです。
自己肯定感は「自分全体についての漠然とした根拠のない自信」といえます。

「自己肯定感」の反対語は「自己否定感」になるはずですが、「自己否定感」という言葉はまず使われません。
代わりに「自分に自信がない」ということがよくいわれます。
「自分に自信がない」は論理的にちょっとおかしい感じがしますが、「自分全体について漠然と自信のない感じ」を表現しています。

アメリカの「交流分析」という心理療法では、人生の基本的な立場は「幼児期における主に養育者とのふれあいの過程で形成される」とし、その立場を「私はOKである」ないし「私はOKでない」であるとします。この「私はOKである」が自己肯定感に当たると考えられます。
「私はOKである」を日本語でいうと「私は大丈夫である」ということになるでしょう。
赤塚不二夫氏は「これでいいのだ」という言葉を座右の銘にしていましたが、「これでいいのだ」も自己肯定感を表現しています。
つまり「これでいいのだ」とか「私は大丈夫だ」という認識が自己肯定感です。


こうした自己肯定感はどうして形成されるかというと、交流分析が「幼児期における主に養育者とのふれあいの過程で形成される」と指摘するように、ほとんどの場合、親によって形成されます。
学校の先生はその子どもの成績については肯定できますし、サッカーのコーチはサッカーの技量については肯定できますが、子どもを丸ごと肯定するのは、普通は親か親の代理人しかできません。

しかし、「『愛情不足』という根本問題」という記事で書きましたが、今の世の中は決定的に愛情が不足しています。とくに不足しているのが親の愛情です。


最近、親は子どもを叱りすぎているのではないかという認識が広がっていて、子どもの自己肯定感を育むためにも親は子どもをほめようということがよくいわれます。
ネットの子育て相談でも、「叱るのはよくない。子どもをほめよう」ということが盛んにいわれています。
教育評論家の親野智可等氏も「子どもをほめていると、子どもの自己肯定感だけでなく親の自己肯定感も高まります。子どもを叱っていると、子どもの自己肯定感だけでなく親の自己肯定感も下がります」とXに投稿しています。


「叱る」と「ほめる」の関係はどうなっているのでしょうか。
「ほめる」の反対語は「叱る」ではありません。
「ほめる」の反対語は「けなす」です。
もともと親は「ほめる」と「けなす」をアメとムチのように使って子どもをコントロールしてきました。
そして、よりコントロールを強化するために「けなす」をエスカレートさせて「叱る」にし、さらに体罰なども加えてきました。そのほうが子どもの行動をより直接的に支配できるからです。
アメは無視されるかもしれませんが、ムチは無視するわけにいきません。


叱りすぎるのはよくないですが、ほめればいいというものでもありません。
そもそもほめるというのは、ほめると叱る(けなす)で子どもをコントロールしようということですから、動物の調教師がやっていることと同じです。子どもを愛することとは違います。

それに、「ほめる」ということには評価が入ります。つまりいいところがあるからほめるのです。
そうすると、よいときにはほめるが、よくないときにはほめないということになります。
子どもは親の評価を気にして自分を見失うかもしれません。
たとえば絵を描くのが好きな子どもがいて、親がほめたりほめなかったりしていると、子どもは親の価値観に影響されてしまいます。
子どもの才能は、外からよけいな力を加えずに、真っ直ぐに伸ばさないといけません。


子どもを叱るのはだめですが、子どもをほめるのも同じようなものです。
では、親はどうすればいいかというと、「あなたがいるだけでうれしい」という態度で子どもに接することです。
そして、子どものすることを見守って、後ろから応援していればいいのです。それ以上のことは必要ではありません。
これが子どもを丸ごと肯定するということです。


子どもの自己肯定感が失われるのは文明の必然でもあります。
文明人のおとなは子どもの自然なふるまいを不愉快に思うので、たとえば公共の場で大声を出したり動き回ったりする子どもがいると、親に対して子どもの行動をコントロールするように圧力をかけます。そうすると、子どもは自然にふるまっているのに親に叱られることになり、自己肯定感を失います。
また、競争社会で劣等感を覚えている親は、子どもに対して優越を示し、自己回復をはかろうとしますが、ここでも子どもは自己肯定感を失います。
ちゃんと自己肯定感が持てている人は、よい親に恵まれた人だけです。


では、自己肯定感が持てなくて悩んでいる人はどうすればいいかというと、自分を愛してくれる人に出会うことです。恋愛は大きなチャンスになります。また、仕事が評価されることで承認欲求が満たされるということもあります。ただ、それらには運も必要です。

もうひとつの方法は、文明社会で自己肯定感が失われるメカニズムを理解し、親ガチャが外れた、自分の親はろくでもない親だったと思うことです。
心の中で親を徹底的に否定すれば、「親を否定することで自己を肯定する」ことができます。


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アラスカでトランプ・プーチン会談が行われた際、「両国は4キロしか離れていない」という言葉が出ました。
そんなに近かったかと思って調べると、ベーリング海峡のいちばん狭いところでも86キロあります。ただ、海峡の真ん中にアメリカ領の島とロシア領の島があり、その距離が4キロでした。
いずれにしてもアメリカとロシアは「隣国」といえる関係です。

東西冷戦のとき、両陣営の最前線といえばベルリンの壁とかドイツ・ポーランド国境を思い浮かべましたが、実はアラスカ・シベリアもそうだったのです。
冷戦が終わって、ロシアはアメリカの脅威から解放されたはずでしたが、その後、西からNATOが拡大を続け、東のアラスカと挟み撃ちにされる格好になりました。
なにしろアメリカは世界の軍事費の4割を占めて、世界中に軍事基地を置く軍事大国です。
北方領土交渉のとき、プーチン大統領に「北方領土を返還するとそこに米軍基地ができる可能性はあるか」と聞かれた日本の外務省担当者は「可能性はある」と答えたために、返還交渉が行き詰まったとされます。
ロシアが強大なアメリカとその同盟国に包囲されていることを理解すれば、ロシアのウクライナ侵攻は恐怖心のゆえではないかという発想もわくでしょう。
なにごとも相手の立場になって考えることがたいせつです。


このところ欧米に急速に移民排斥運動が盛り上がり、日本にまで波及しています。
どうして移民排斥運動が盛り上がったのかというと、アメリカの場合、ヒスパニックなど非白人人口が増えて、やがて白人がマイノリティになるという危機感が高まったからです。この危機感が人種差別意識や反移民感情を高めると同時にトランプ氏を大統領に押し上げました。
欧州の場合、白人がマイノリティになることはありませんが、アフリカや中東におけるグローバルサウスの勃興を肌身に感じて、危機感を持ったからでしょう。

西洋は長らく世界を支配する立場にありました。
そのため西洋人は優越感を持っていますが、同時にその優越感が崩れることを恐れています。
シュペングラー著『西洋の没落』がベストセラーになったり、黄禍論が広まったりしたのがその表れです。

G7(主要国首脳会議)は日本、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリアとEUです。
昔はこれが確かに世界の主要国でしたが、グローバルサウスが経済発展したことで情勢は変わりました。
2024年のGDPランキングは上位から順にアメリカ、中国、ドイツ、日本、インド、イギリス、フランス、イタリア、ブラジルです。
少なくともG7には中国とインドが加わらなければなりません。

ロシアのウクライナ侵攻に対して「西側」はロシアに経済制裁を行いました。これによってロシアは苦境に陥るだろうといわれましたが、ぜんぜんそうなっていません。西側の力が弱くなっているからです。
世界をグローバルサウス対グローバルノースの対立と見なすと、力の逆転が起こりかけている状態です。
同じヨーロッパでも、西ヨーロッパは先進的で、東ヨーロッパは後進的なので、東ヨーロッパはグローバルサウスの側に入るかもしれません。
西ヨーロッパとアメリカ合衆国は西側として結束していますが、日本は西側の一員であることに安住していると、世界の変化に対応できませせん。

日本での最近の外国人排斥運動は、西洋至上主義や白人至上主義のバックグラウンドもないのにグローバルサウスの人間を追い出そうという意味不明な行為です。
トランプ氏は不法移民を犯罪者、テロリスト、精神異常者、悪いやつなどと呼んでいますが、こうした移民を送り出す側のメキシコやコロンビアなどの反発を呼んでいることは当然です。
日本では、クルド人が犯罪的であるという言説があふれていますが、日本国内のクルド人が不快に思うのはもちろん、世界に4000万人前後いるとされるクルド人に知られたら国益を損ねます。

西側やグローバルノースの側に立っていたのでは、世界の半分しか認識できません。
グローバルサウスの側に立って物事を見ると、世界の全体が見えるようになる理屈です。


石破首相が戦後80年談話を発表するか否かという問題について、侵略や植民地支配について反省や謝罪を表明すると中国や韓国を利するだけだなどという人がいます。
こういう人は侵略や植民地支配を日本とアジアの関係でしか見ていません。
欧米列強は世界中を侵略して植民地支配をしてきました。つまり侵略と植民地支配はグローバルな問題で、日本のしたことはその一部です。
そして、かつての列強はいまだに反省も謝罪も補償もしていません(列強には奴隷制の罪もあります)。
そういう状況で日本だけが反省や謝罪をするのもおかしなものです。
いや、とりあえず先に日本が反省と謝罪をするのはいいのですが、それで終わりにするのではなく、かつての列強に反省と謝罪をするように迫らなければなりません。
グローバルサウスとグローバルノースの間に溝があるのも、かつての植民地支配が清算されていないからですから、この問題を追及するのは世界平和にも通じます。


ついでにいうと、アメリカファーストなどの自国ファーストは、国と国の対立を生み、戦争につながります。
利己主義がだめなのはわかりきったことで、これはグローバルな視野以前の問題です。


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「財務省解体デモ」というのが一時話題になりました。
昨年末から始まり、2月か3月ごろにピークとなり、財務省前に千人とか二千人とかが集まりました。とくに司令塔もないようですが、全国12か所ぐらいで同時に行われたこともあり、そのエネルギーはかなりのものでした。
中には陰謀論めいた主張もありましたが、「増税反対」「社会保険料を下げろ」「消費税廃止」といった主張が主で、生活苦を訴えるデモといえます。
主にYouTubeなどのネットで主張が拡散されましたが、ネット民はデモなどの行動を冷笑する傾向があるので、異例のことでした。

しかし、マスコミは財務省解体デモのことをほとんど報じませんでした。そのため、デモ参加者やデモ支持者はオールドメディアはけしからんと憤慨していました。
もっとも、マスコミが報じないのもわかります。「財務省解体」という主張がバカバカしいからです。

財務省は必要な仕事をしているのですから、解体するわけにいきません。
財務省が間違っているにしても、財務省を動かしているのは最終的に政治家である財務大臣ですから、政府や与党に対して主張するべきです。
財務省の賢いエリートが愚かな政治家をあやつっていると考えているのかもしれませんが、そうだとしても、あやつられる政治家をなんとかするしかありません。
財務省解体デモは、マスコミに無視されているうちに消滅してしまいました。


生活苦の原因は財務省ではありません。富裕層にマネーが偏在する格差社会が原因です。
ですから、「富裕層解体」をスローガンに、富裕層から低所得層に富を再配分する政策を要求するデモをすれば、もっと広く社会に訴えられたでしょう。
しかし、富裕層を敵視すれば、自民党、財界、官界、エリート層など体制全体と戦うことになります。
ネットでデモを冷笑していたような人にとっては、戦う相手が強すぎます。
そこで、もっとも弱そうな財務省を相手にすることにしたのでしょう。財務省なら表立って反論してくることもありません。
こういう闘争心の欠けたことでは世の中から無視されて当然です。


「富裕層解体」という言葉こそ使われませんでしたが、そのような主張のデモが行われたことがありました。
リーマン・ショック後の不況の中、2011年9月から「ウォール街を占拠せよ」を合言葉に行われたデモと座り込みです。数千人の規模に拡大し、アメリカの各都市にも広がりました。
「私たちは99%だ」というスローガンも叫ばれました。アメリカでは1%の富裕層が所有する資産が増え続けていることに対する抗議の意味で、明確に格差社会反対を掲げる運動でした。
特定のリーダーがいなくて、インターネットの呼びかけで運動が拡大したのは財務省解体デモに似ています。
ただ、「財務省解体」のスローガンはまったく共感されませんでしたが、「ウォール街を占拠せよ」や「私たちは99%だ」というスローガンによる格差社会反対のメッセージはある程度世界に広がったと思われます。

2013年に出版されたトマ・ピケティ著『21世紀の資本』によって、大規模な戦争か革命がない限り経済格差は拡大し続けるということが明らかになり、格差社会反対の声はさらに強まるかと思われました。
しかし、実際にはアメリカでも欧州でも格差社会のことは問題にならず、移民の問題に焦点が当たりました。
しかも、移民の問題というのはほとんど捏造されたものです。
アメリカでは移民や不法移民の犯罪が多いという統計はないにも関わらず移民が治安を悪くしているという認識が広がりました。欧州にしても、もともと移民の問題はあったのに、急に政治の争点になりました。
社会を支配する富裕層が格差社会への不満をそらすために“移民問題”をつくりだしたのではないかと疑われます。


日本では、数年前から外国人犯罪が増えているというデマが主にSNSで流されました。
私の印象ではXでとくに目立ったと思います。「外国人による犯罪」とする写真や動画が多数投稿されましたが、中にはそれが犯罪であるかどうか、あるいは外国人であるかどうか疑われるものもありました。
しかも、外国人犯罪の総数と日本全体の犯罪総数との比較という肝心の情報がありません。
実際のところは、日本では外国人犯罪はへり続けていました。
それなのに「外国人犯罪が増えている」「外国人のせいで治安が悪化している」というイメージがつくられました。
Xはもともとヘイトスピーチが多いところでしたが、イーロン・マスク氏に買収されてからとくにひどくなった感じがします。
「外国人と共生するべきだ」というよりも「不法外国人は出ていけ」といったほうがインプレッションが稼げるので、どうしてもヘイトビジネスが蔓延することになります。

産経新聞は川口市にクルド人が多いことに目をつけて、クルド人の犯罪が多発しているという「川口市クルド人問題」をつくりだしましたが、特定の民族や人種に犯罪が多いということはあるわけがないので、最初からデマであることが明らかでした。

“外国人犯罪”に加えて“外国人優遇”というデマがSNS上に蔓延したところに、参政党の「日本人ファースト」という主張がぴたりとはまって、参院選で参政党が躍進しました。


ともかく、欧米と日本では「格差問題から移民問題へ」という政治の争点のシフトが起きました。
なにかの大きな力が働いているのではないかという陰謀論にくみしたいところですが、もちろん証拠はありません。
ひとつ確実にいえるのは、強力な富裕層と戦うよりも弱い移民をいじめるという安易な道を選ぶ人が多いということです。

そうした中で起きた財務省解体デモは格差問題に焦点を当てました。
しかし、やはり富裕層と戦う気概はなくて、弱い財務省を標的にしたので、共感は広がりませんでした。

なお、参院選においてれいわ新選組は、消費税廃止を掲げる一方で、累進課税の強化も主張しましたから、富裕層と戦う姿勢を示したといえます(共産党も累進課税の強化を主張しています)。
しかし、れいわ新選組はあまり伸びませんでした。


格差問題を解決しない限り一般国民は幸せになりません。
アメリカでは1979年から2007年の間に、収入上位1%の人の収入は275%増加したのに対し、60%を占める中間所得層の収入は40%の増加、下位20%の最低所得層では18%の増加にとどまっています。ということは格差はどんどん広がっているということです。
ラストベルトの貧しい白人労働者はトランプ氏に望みを託しましたが、トランプ氏は「大きな美しい法案」を成立させて、福祉を削減し、富裕層のための減税をしました。労働者のための製造業復活はいつ実現するのかわかりません。

日本でも、野村総合研究所の調査によると富裕層と超富裕層の総資産額は、2005年の213兆円から2023年の469兆円へと増加しています。
かりに日本で“外国人優遇”が行われているとしても、それをやめたところで日本人が潤うのは微々たるものです。
富裕層の所有する富を分配すれば一般国民は大いに潤います。
これまで富裕層に食い物にされてきた一般国民は、所得税の累進課税強化、金融所得課税強化、相続税増税などを訴えて「富裕層解体デモ」をするべきでしょう。

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今、世界におけるいちばんの問題はなにかといえば、「愛情不足」です。
「愛情」というのは、ここでは愛、友情、温情、思いやり、親切心なども含めた、人の幸せを願う気持ちの総称ということにします。
人間の心を利己心と利他心に分けると、利他心のことでもあります。

人間は原始時代は親族と共同体の人々といっしょに暮らし、愛情でつながって生きていました。
しかし、文明が発達するとともに富が増大し、親しくない人との交流が増えると、争うことも増えます。今の資本主義社会は激烈な競争社会なので、誰もが利己心を全開にして生きていて、その分利他心が少なくなっています。
人はみな肩肘張って生きていて、ささいなことでいがみ合い、親切や思いやりと出会うことはめったにありません。
これがつまり「愛情不足」社会です。

人体の働きを制御する自律神経には交感神経と副交感神経があります。
交感神経は外の世界に対応するときに働き、副交感神経は体を休めるときに働くもので、アクセルとブレーキにたとえられます。
交感神経と副交感神経はバランスを保っているものですが、競争社会で生きる現代人は交感神経を働かせすぎて、自律神経失調に陥りがちです。
したがって、瞑想やヨガなどで副交感神経の働きを強めてバランスを回復させることが必要になります。

利己心と利他心のバランスも同じです。
現代人は利己心偏重になっているので、利他心つまり愛情を回復させることが、本人にとっても社会にとっても必要です。


ところが、世の中に「愛情不足」という問題があることはほとんど認識されていません。
ただし、誰もが無意識のうちに愛情不足を感じているので、それを補うために映画、小説、音楽の中には「愛」があふれています。
それらは創作された愛ですから、現実の愛とは違います。たとえば白血病の少女と夢を追う青年の恋愛で、青年は少女との約束を果たすために命がけでがんばる――といった物語があると、そこに描かれた愛は純粋で、崇高なものになります。
キリスト教では、神の人間への愛を「アガペー」といって、無償で不変なものとしています。
ロマン主義では恋愛至上主義があって、やはり愛を純粋なものとして描きました。
そのため、愛や愛情というのは非現実的なものというイメージになっています。


その影響か、政治家が「愛」を口にすることはありません。唯一の例外は「友愛」を掲げた鳩山由紀夫元首相です。
もっとも、鳩山元首相の評価とともに「友愛」の評価も下がってしまいました。

政治の世界で例外的に「愛」という言葉が使われているのが「愛国心」です。
ただ、愛国心の「愛」は通常考えられている「愛」ではありません。
愛国心は「自国を愛する心」と「他国を憎む心」が一体となったものです。
戦争するときは国内の結束を固め、他国への敵意を高めなければなりませんが、それは急にやっても間に合わないので、普段からやっておかなければなりません。ですから、どの国でも愛国心は奨励されたり強要されたりしています。
「他国も自国と同じように愛しています」というような態度は愛国心の観点からはきびしく批判されます。

なお、ひところは「愛のムチ」という言葉もよく語られましたが、この「愛」も愛国心の「愛」に似ています。


フィクションの中の愛は現実的でないので、すべて頭の中から消去すると、ほんとうの愛が見えてきます。
それは動物的、本能的なものです。哺乳類の親が子どもの世話をしている様子を思い浮かべればわかります。そこに本来の親の愛情があります。
この愛情は子どもが生きていく上で必要なものです。それは人間でも同じです。
体が成長するには栄養が必要ですが、心が成長するには愛情が必要です。

第二次世界大戦後、多くの戦災孤児が施設に収容されましたが、衛生状態も栄養状態もいいのにも関わらず子どもの死亡率が高く、ホスピタリズム(施設病)と呼ばれました。そして、それぞれの子どもに担当の看護婦をつけて世話をするようにすると死亡率が改善したことから、ホスピタリズムの原因は母子分離による愛情不足であると判断されました。
家庭の中で育った子どもでも、愛情不足であればホスピタリズムになりえます。


人間は小さいときに子どもの立場で親子愛を経験し、成長すると異性愛を経験し、子どもができると親の立場で親子愛を経験します。
これが人生を貫く太い愛情の線です。
これと比べると友情などは小さいものです。

親子愛と異性愛は人間の本質的な部分ですが、競争社会の原理がそこまで侵食してきました。
夫婦は互いに家事を押しつけ、親は子どもを競争社会に適応させるためにむりやり勉強させているので、親子愛も異性愛も空洞化しています。

親子愛と異性愛はつながっています。親子愛がうまくいっていないと、異性愛もなかなかうまくいきません。子どものときに親から殴られていると異性にDVをしたりします。また、親から十分に愛されていないと自己肯定感が低いので、異性に告白する勇気が出ませんし、嫉妬や束縛が激しくなったりします。少子化の原因に未婚化・晩婚化がありますから、「愛情不足」は少子化の原因でもあります。
親に十分に依存できないと、のちのアルコール依存や薬物依存やギャンブル依存の原因になります。

「愛情不足」は社会全体の問題ですが、その中心は親子愛と異性愛です。ここを改善すれば社会全体も改善されるはずです。


2023年4月にこども家庭庁が発足しました。
こども家庭庁が第一に取り組むべきは「家庭再生」でしょう。家族関係を本来の姿にすることです。

教育界では「教育再生」が重要課題とされていて、政府の設置した教育再生実行会議もあります。「家庭再生」も当然あるべきです。

こども家庭庁は「こどもまんなか社会」というスローガンを掲げています。これは子どもの位置を隅からまんなかへ変えるだけの意味しかなく、人間関係を変える意味はありません。愛情は人間関係のあり方です。

こども家庭庁は「オレンジリボン・児童虐待防止推進キャンペーン」というのをやっています。これはもちろんいいことですが、児童虐待というのは愛情不足の極端なもので、いわばピラミッドの頂点です。ピラミッドの底辺から正していかなければいけません。それこそが子ども家庭庁の取り組むべきことです。

「愛情あふれる家庭キャンペーン」でもやって、よい親子関係、よい夫婦関係とはこのようなものだということを啓蒙していくべきです。
今は人間関係の科学的研究が進んでいるので、そんなにむずかしいことではありません。

家族関係が変われば世界が変わります。
子どものときに親から十分に愛されると、自己肯定感が育まれるとともに、世界は信頼に足るものだという感覚が持てるようになり、それを「基本的信頼感」といいます。
基本的信頼感のある人は周りの人とよい関係をつくることができます。
基本的信頼感のない人間が安全保障政策を担当すると、隣国を信用することができず、最終的に軍事力に頼る結論を導くことになります。

映画や小説の中と同じようにリアルでも「愛」という言葉が普通に語られるようになってほしいものです。


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