
私はこれまでに多くの夫婦を見てきましたが、新婚夫婦を別にすれば、幸せそうな夫婦はほとんど見たことがありません。
結婚のときは「笑顔の絶えない明るい家庭を築きたい」と本気で思っていても、喧嘩を繰り返すうちに愛情が失われ、表面的なつきあいだけの仮面夫婦になるということが多いようです。
ほかに好きな人ができたというならしかたありませんが、二人ともうまくやっていきたいと思っているのにうまくやれないというのは悲劇です。
「冷凍餃子は手抜きか」という話題が2020年にX(当時はツイッター)でバズったことがありました。
ある女性が疲れて帰宅し、夕食に冷凍餃子を解凍して出したところ、子どもは喜びましたが、夫が「手抜きだよ、これは」と言ったというのです。
これには女性に同情する声が多く上がりました。
冷凍餃子のトップメーカーである味の素冷凍食品株式会社の公式アカウントが「冷凍餃子を使うことは、手抜きではなく、“手間抜き”です」と投稿すると、44万「いいね」がつき、テレビやネットメディアでも報道されました。
「手抜き」と「手間抜き」はどこが違うのでしょうか。
一見すると同じようですが、実は大きな違いがあります。
なお、「手間抜き」の代わりに、「時短」とか「省力」という言葉を使っても冷凍食品使用の正当性を表現することもできます。
つまり「手抜き」という言葉にだけ特別な意味があるのです。
国語辞典には「手抜き」は『しなければならない手続きや手間を故意に省くこと。「仕事を手抜きする」「手抜き工事」』と説明されています。
AI回答の補足説明には『「手抜き」は、多くの場合、労力を怠っているという批判や揶揄の目的で使われます。例えば、「手抜き工事」のように、品質や安全性を損なう行為を指すことがあります』と書かれています。
つまり「手抜き」には相手を非難する悪い意味があるのです(「手間抜き」には悪い意味はありません)。
ですから、夫が妻に料理を「手抜き」と言ったら妻を非難していることになり、妻は傷つきます。同じようなことが繰り返されると、夫婦関係はどんどん悪化していきます。
ところが、夫のほうは妻を非難しているつもりはありません。逆に妻にいいことをしているつもりです。
手抜き工事を発見したら、それを指摘して改めさせるのは正しいことです。これは工事業者のためでもあります。妻の手抜きを指摘するのもそれと同じと思っています。
もっとも、工事には法令によって基準が定められているので、手抜きかどうかははっきりします。
料理にはそういう基準がありません。
「冷凍餃子は手抜き」と言った夫は、「餃子は手づくりであるべき」とか「冷凍食品は手抜きだ」という基準を持っているのでしょうが、その基準に根拠はありません。
ただ、まったくでたらめというわけでもありません。
TBS系で放送中のドラマ「じゃあ、あんたが作ってみろよ」第1話では、勝男(竹内涼真)は同棲相手の鮎美(夏帆)のつくる筑前煮が好きなのですが、インスタントの顆粒だしは使うべきではないという考えの持ち主です。男の友人がめんつゆを使って肉じゃがをつくったと言うと、「めんつゆで料理は邪道」などと言います。
勝男と鮎美は同じ会社に勤めていて、共働きなのですが、家事はすべて鮎美がやっています。勝男の実家の両親もどうやらそういう役割分担になっているようです。
勝男は鮎美にプロポーズしますが、鮎美に断られ、同棲も解消されてしまいます。勝男は鮎美の気持ちを理解しようと自分で筑前煮をつくってみますが、カツオ節と昆布でだしを取ることがいかにたいへんかを知ります。
似たような話で、主婦がスーパーの総菜売り場でポテトサラダを買ったら、見知らぬおじさんから「母親ならポテトサラダぐらい自分でつくったらどうだ」と言われて傷ついたという話がやはりツイッターでバズったことがあります。ポテトサラダはつくるのがけっこうたいへんですし、副菜にしかならないので、そんなことを言われる筋合いはありません。
昔は性別役割分担がはっきりしていて、家事は妻がやるものと決まっていたので、料理を手づくりするのは当たり前でした(冷凍食品もありません)。「冷凍餃子は手抜きだ」と言った夫はそういう時代の価値観なのでしょう。
男はどんどん価値観をアップデートしていかなければなりません。
しかし、どの価値観が正しいかということは簡単には決められません。世の中の価値観はどんどん変わっていきますし、そこに個人の価値観も加わります。
「だしはカツオ節と昆布で取るべき」という価値観も間違っているわけではありません。そうしている人もいます。
問題は自分の価値観を相手に押しつけることです。
相手に「だしはカツオ節と昆布で取れ」なんて言うと、ドラマのタイトル通りに「じゃあ、あんたが作ってみろよ」という返しがぴったりです。
ただ、現実には二人の力関係があって、押しつけられてしまうこともあります。そうすると不満がたまり、愛情が冷めていくことになります。
なぜ人は自分の価値観を相手に押しつけるのでしょうか。
それはその価値観が「道徳」だと思うからです。
手抜きする妻、怠け者の妻、だらしない妻は、教え導いて「よい妻」にするべきである。そうすることは妻自身のためでもある。こういう考え方が道徳の基本です。
そうすると、「冷凍餃子は手抜きだ」と言って手抜きをやめさせることは妻自身のためでもあるということになります。
普通は自分の価値観を押しつけると相手は不満な態度を示しますから、ほどほどのところでやめるものです。
ところが、道徳の押しつけは相手のためだということなので、相手の不満を無視して押しつけることになります。そうすると夫婦関係は破綻していきます。
ですから、「夫婦関係に道徳を持ち込むな」というのが私の教える秘訣です。
夫婦関係から道徳を追い出すとどうなるでしょうか。
心理学的なコミュニケーションの技法に「アイメッセージとユーメッセージ」というのがあります。
アイメッセージとは「私」を主語にして主張する方法です。
たとえば、
(私は)連絡がなくてさみしい
(私は)そう言われると悲しい
(私は)少しイライラしています
(私は)その場所に行くのは心配だ
ユーメッセージとは「あなた」を主語にして主張する方法です。
たとえば、
(あなたは)遅刻しないでよ!
(あなたは)もっとできるでしょ!
(あなたは)メモを取ろうね!
(あなたは)連絡を細目にすべきだ!
ユーメッセージは相手の行動を制限することになりがちです。ユーメッセージを多用すると人間関係が悪くなります。
(「アイメッセージとは?意味と使い方,ユーメッセージとの違い」を参考にしました)
「僕は手づくりの餃子が食べたい」と言えばアイメッセージです。
「主婦なら餃子は手づくりするべきだ」というのはユーメッセージです。
道徳の主張というのは必然的にユーメッセージになります。
「僕は手づくりの餃子が食べたい」という主張には、「今日は疲れてるから冷凍でがまんして」とか「冷凍もおいしいわよ」と言って、話し合いが可能です。
「冷凍餃子は手抜きだ」とか「主婦なら餃子は手づくりするべきだ」という道徳的な考え方は、話し合いで説得するのは困難です。ユーメッセージは相手の行動を制限することになりがちです。ユーメッセージを多用すると人間関係が悪くなります。
(「アイメッセージとは?意味と使い方,ユーメッセージとの違い」を参考にしました)
「僕は手づくりの餃子が食べたい」と言えばアイメッセージです。
「主婦なら餃子は手づくりするべきだ」というのはユーメッセージです。
道徳の主張というのは必然的にユーメッセージになります。
「僕は手づくりの餃子が食べたい」という主張には、「今日は疲れてるから冷凍でがまんして」とか「冷凍もおいしいわよ」と言って、話し合いが可能です。
「良妻賢母」や「夫唱婦随」という道徳があるように、もともと家父長制は道徳と一体となって存在してきました。
水田水脈衆院議員(当時)は2014年、衆院本会議場で「男女平等は、絶対に実現し得ない、反道徳の妄想です」と言いました。
この発言は男女平等を否定するものだとして批判されましたが、「男女平等は反道徳だ」という部分について論じた人はいませんでした。もしこの言い分が正しければ、男女平等を実現するには反道徳でなければならないことになります。
そして、私はこの部分については杉田氏と同意見です。
対等な夫婦関係をつくるには家庭から道徳をなくさなければなりません。
ただ、私は道徳すべてを否定しているわけではありません。
道徳は競争社会を生き抜くために必要なものです。
たとえば法の網をすり抜けている悪徳政治家には道徳的非難を浴びせなければなりません。
ライバルに対して優位に立とうとするとき、ライバルの非道徳的なふるまいを非難することは有力な手段です。
つまり道徳というのは他人を非難する道具なのです。
「人間は誠実であるべき」とか「嘘をついてはいけない」という道徳を設定しておけば、他人をいつでも嘘つきと非難することができます。これが道徳の使い方です(「人間は誠実であるべき」という道徳が誠実な人間をつくることはありません)。
私は「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」と言っています。
ただ、あくまで道徳は競争社会を生きるための道具なので、家庭に持ち込むものではありません。家庭に持ち込むと家庭が闘争の場になってしまいます。
相手のことを「だらしない」「怠けている」「無神経だ」などと道徳的に非難したくなったら、それは自分の愛情が欠けてきたからではないかと考えて、道徳を頭から排除し、自分の愛情を補充するようにしてください。
道徳を生存闘争の道具と見なすのは私独自のものかもしれません。
詳しくは「『地動説的倫理学』のわかりやすいバージョン」を読んでください。





