
「失われた30年」といわれる経済の停滞は、経済政策の誤りだけが原因とは思えません。
では、経済政策以外にどんな原因があるのかというと、教育政策です。教育がだめなために日本全体がだめになっているのです。
ブラック校則の問題はだいぶ前から指摘されてきましたが、少しも改まりません。
朝日新聞の「(教育の小径)校則見直し声上げたけど…中学生たちの落胆」という記事に最近の状況が書かれていました。有料記事なので、簡単に内容を紹介します。
記者は、学校を考える集会で出会った気になる中学生グループに話しかけ、話を聞きました。
昨年5月、その中学では全学級で校則のありかたを議論し、どの校則を変えたいかを問う全校アンケートをしました。回答率を上げるためにポスターで呼びかけもしました。夏休みには県内十数校の校則を調べ、「カーディガンの色は黒」「靴下は白」「ツーブロック禁止」の三つに絞って校長先生に見直しを求めました。
しかし、受け入れられたのは「靴下」だけ。しかも5か月後で、理由の説明もなし。「すごいエネルギーをかけて、結果は、これっぽっちでした」とメンバーの一人は語りました。
落胆しているのは彼らだけではありません。「日本若者協議会」の2020年のネットアンケートでは779人の小中高生らの68%が「児童生徒が声を上げて学校が変わるとは思わない」と答えました。
同協議会に寄せられた声には「変えたいという声は多くの生徒から上がっているが、態度が悪いから変えられないなど、難癖をつけられている状況」「『それはしょうがない。生徒なんだから』とまるで取り合ってもらえない」といったものがあります。
記者が先生や校長10人余りにたずねると、「学校を運営するのは教員」「生徒に責任を取らせるわけにはいかない」「未成年に決定権はない」といった答えで、子どもも同じ学校の構成員だという意見は聞けませんでした。
生徒はひどい状況におかれています。
私が気になったのは、生徒が校則見直しを申し入れたら、校長が返事したのは5か月後で、理由の説明もなかったというところです。完全に生徒を侮辱しています。こんな人間が教育者を名乗っているのかと思うと、暗澹とします。
最近、教師の働き方改革が問題になっています。過重労働の解消は必要ですが、そもそもその労働が子どものためになっているかが問題です。子どものためにならないのではやりがいもなく、そのため心を病む教師が増え、人気のない職業になっているのではないでしょうか。
ともかく、今の学校は生徒を管理の対象としか見ていなくて、生徒の意見を聞こうという気がまったくないようです。
ということは、文科省もそれを肯定しているわけです。
本来なら文科省は「校則の制定には必ず生徒の意見を反映させるように」という通達を出すべきところですが、どうやら文科省は逆に「子どもの人権」を無視する方針のようです。
そのため子どもは理不尽な校則に縛られて、自分ではなにもできないという無力感に打ちひしがれています。
そうして中高6年間をすごすと、社会に出ても社会をよくしようという意欲が出ないのは当然です。
いや、自分の人生をよくしようという意欲もなくしてしまうかもしれません。
ブラック企業に入っても、それがブラック企業と気づかないということもありそうです。
日本の若者の意欲の欠如は起業家精神の欠如に現れます。
世界45カ国、男女計50,861名を対象に実施した「アムウェイ・グローバル起業家精神調査レポート」によると、日本人の起業意識は前年に続き世界45カ国中、最下位という結果となりました。他国と比較すると日本人は若いうちから起業家精神が低く、また「野心」「向上心」「自信」「能力の理解」が大きく欠如していることが鮮明になったということです。

若者に起業家精神がなければ新しい企業が生まれませんし、日本経済も活発化しません。
ただ、校則についていえば、昔はもっときびしかったといえます。私の若いころは男子は詰襟の学生服、女子はセーラー服が多く、男子は坊主頭の学校も少なくありませんでした。
しかし、戦前戦中はもっときびしかったわけで、それと比較すると解放されたといえます。
おとなはつねに若者を支配しています。
伝統的な社会ではそれで問題はありませんが、時代の変革期や世の中の変化が速くなるときには、若者のほうが時代に適応するので、世代間の対立が激化します。
幕末に尊王攘夷を叫んだ志士はほとんどが若者でした。
明治時代は、大学卒や留学経験のある若者が世の中をリードしました。
戦後、日本国憲法ができたときも大変革期でした。おとな世代は自分たちの価値観が否定されて自信を失い、その分若者が活躍しました。
そうした中からソニーやホンダが生まれて日本経済が急成長したわけです。
資本主義社会は世の中の変化が速いので、つねに世代対立が起きています。
若者が元気な社会は発展します。
たとえばアメリカでは若い起業家がGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)を創業し、今ではGAFAはアメリカ経済を引っ張る存在になっています。
日本ではそうした若い起業家の活躍がなく、それが日本経済低迷のひとつの原因になっていることは確かです。
日本では、戦後の一時期を除いて、若者が活躍しない社会になっていきました。
なぜそうなったかというと、自民党の長期政権が続いたからです。
昔から「最近の若者は権利ばかり主張して義務を果たさない」と言っていた年寄りはいましたが、自民党はそういう年寄りの主張に合わせて学校教育をしてきました。
1960年代末に全共闘運動が盛り上がると、文部省は69年10月に「高等学校における政治的教養と政治的活動について」という通達を出します。
そこには「最近、一部の生徒がいわゆる沖縄返還、安保反対等の問題について特定の政党や政治的団体の行なう集会やデモ行進に参加するなどの政治的活動を行なつたり、また政治的な背景をもつて授業妨害や学校封鎖を行なうなど学園の秩序を乱すような活動を行なつたりする事例が発生している」とした上で、「学校の教育活動の場で生徒が政治的活動を行なうことを黙認することは、学校の政治的中立性について規定する教育基本法第八条第二項の趣旨に反することとなるから、これを禁止しなければならないことはいうまでもない」と書かれていました。
つまり高校生の学校での政治活動は完全に禁止されたのです。
この通達は選挙権年齢が18歳に引き下げられるのに伴い廃止されましたが、長年にわたって政治に無関心な若者をつくってきたことは間違いありません。
生徒会活動もきわめて範囲が限定されたので、若者は自分の主張を学校や社会に訴えるという経験がまったくできませんでした。
自民党の好む「権利を主張しない若者」がつくられてきたのです。
学校では管理教育が強化されました。
世の中の流れとしては自由な教育が求められていましたが、逆行したのです。
そのため70年代後半から「校内暴力」が吹き荒れました。
文部省は管理教育を転換するのではなく、むしろ強化する方向に行きました。
1985年ごろを境に校内暴力は沈静化しますが、体育教師を中心とした教師暴力によって校内暴力を制したのだともいわれます。
このころから「内申書重視」の流れが強まりました。大学や高校の入試で、それまでもっぱら入学試験の点数で決まっていたのが、内申書の評価が重視されるようになったのです。内申書を書くのは教師ですから、教師の生徒に対する権力が強まり、生徒が教師に反抗するということがほとんどなくなりました。
学校が生徒を完全に制圧したのです。
その後は、不登校といじめは増大の一途をたどっています。

おとな対若者の対立において、日本は自民党長期政権のせいで、おとなが若者を制圧した国になりました。
今では赤ん坊の泣き声がうるさいという主張までまかり通っています。
少子高齢化で若者人口があまりにも少ないので、政治も若者を無視しています。
ブラック校則の問題を取り上げているのは共産党ぐらいです。
しかし、若者の元気がない国は衰退しますから、今のおとなにとっても無視できない問題です。
今後、教育改革が政治の最大の争点になるべきです。
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