
米大統領選を見ると、保守対リベラルでリベラルが敗北したという感じがします。
保守が勝利したアメリカは、これからどういう社会になるのでしょうか。
トランプ氏の当選が決まってから、アメリカではSNS上で性差別の投稿が急増しました。
ロンドンのシンクタンク「戦略対話研究所」(ISD)がXやTikTok、Facebookなど主要なSNSで女性を標的とした投稿を追跡したところ、もっとも目立ったのは「Your body,my choice(お前の体、俺の選択)」というフレーズで、白人至上主義者のニック・フエンテス氏が投開票日の5日夜にXに投稿したポストは9000万回あまり閲覧され、3万5000回以上リポストされました。Xでは他にも女性蔑視的な発言が5日だけで4万2千以上のアカウントから6万4千件以上投稿されたということです。
「お前の体は俺のもの」「台所に戻れ」という言葉も多く見られました。
「お前の体、俺の選択」というフレーズは、中絶禁止反対運動で使われた「私の体、私の選択」という言葉をもじったものです。
実に気持ち悪いフレーズですが、アメリカの多くの州で中絶禁止が広がった背景には、こういう認識があったわけです。
なお、日本保守党の百田尚樹代表は少子化対策について、「SFやで」と前置きしながら「30超えたら子宮摘出手術をするとか」と発言して炎上しましたが、この発言も「お前の体、俺の選択」に通じるものがあります。
大統領選の民主党の選挙CMに議論を呼んだものがありました。
どんな内容かというと、あるサイトから引用します。
俳優のジュリア・ロバーツ氏がナレーションを務めるこの動画では、ある女性が夫と共に投票所を訪れるシーンが描かれる。夫はトランプ支持を思わせる野球帽を被り、女性も派手な米国旗のついた帽子を被っている。投票する女性は記入直前、別の女性と無言で視線を交わす。そして、2人は民主党ハリス候補に票を投じる。その後、片方の夫が「正しい選択をしたかい?」と尋ねると、派手な野球帽の女性は「もちろんよ、ハニー」と笑顔で応える。動画の最後は、一人ひとりが投じる票の秘密は守られる、という趣旨のロバーツ氏によるナレーションで締めくくられる。つまり、あからさまにそうとは言っていないものの、仮に夫がトランプ支持者であっても妻にはそれに従う義務はなく、自由意思で一票を投じられる、ということを伝えている。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/84189
投票の秘密が守られるのは当たり前のことですし、妻が夫と別の投票行動をするのも当たり前のことだと思うのですが、どうやらアメリカでは妻が夫にマインドコントロールされて、投票まで支配されているということがあるようなのです。
イギリスのデイリー・メール紙は「こうした前時代的で家父長的なカップルは何百万人もいる」「私の両親がこういうカップルだった。それほど珍しいことではない」という声を伝えています。
アメリカの保守派はこのCMに猛反発し、「女性に嘘をつかせ、夫を騙すことを薦めるキャンペーンなど信じられない」などの声を上げました。
トランプ氏も反応し、FOXニュースの番組で「妻が夫に投票先を言わないなんて想像できるか。たとえ夫婦仲が悪くても、投票先は言うだろう。バカげている」と批判し、ナレーションのジュリア・ロバーツ氏について「失望した」と言いました。
番組の司会者は、妻が夫に秘密でハリス氏に投票するのは「浮気と同じだ」と批判しました。
保守派の家族観では、妻には投票の秘密はなく、夫と同じ投票行動をとらなければならないようです。
つまり妻は夫の従属物で、「妻の意志」などないも同然です。
保守派は「家族の絆」を重視するといいますが、これが絆の実態です。
トランプ氏は3人の妻との間に5人の子どもをもうけ、不倫相手に口止め料を払ってニューヨーク州の裁判所で有罪判決を受けましたし、イーロン・マスク氏も3人の女性との間に12人の子どもをもうけています。
彼らにとって「家族の絆」はきわめて薄いもののようです。
なお、トランプ氏が司法長官に起用すると発表したマット・ゲーツ下院議員は、性的人身売買容疑で司法省の捜査対象になったことがあり、下院の倫理委員会も性的な違法行為を調査していました。
FOXニュースの司会者から国防長官に起用されたピート・ヘグセス氏は、2017年に発生した性的暴行事件に関与していたとの疑惑があります。
トランプ氏の当選後、全米各地で携帯電話に「農園で綿花を摘む作業に選ばれた。農園に入ったら身体検査を受ける準備をしておけ」などという黒人奴隷を想起させる差別的メッセージが送られ、当局が捜査に乗り出すということもありました。
差別主義者が勢いづいています。
これまでリベラルは、人種差別や性差別について、いわゆる“ポリコレ”で差別語を糾弾するという対応をしてきました。
しかし、差別語というのは差別意識から出てくるわけで、差別語狩りをしても差別意識はそのままです。むしろ水面下で増大していたかもしれません。
それが保守派の勝利、リベラルの敗北になったと思えます。
やはり差別意識を根底から絶たなければいけません。
それにはどうすればいいかというと、見逃されている重要な問題があります。
昨年3月、フロリダ州の小中一貫校で、小学6年生の美術の授業でミケランジェロの彫刻「ダビデ像」の写真を扱ったところ、一部の親から「彫刻はポルノだ」などという苦情が入り、校長が辞任に追い込まれました。
このニュースは世界に配信され、ダビデ像を所蔵するイタリア・フィレンツェの美術館の館長は「ダビデ像が『ポルノ』的と受け止められ得るという発想は、聖書に対する理解不足に加え、西洋文化そのものを理解していないに等しい」と批判し、当の学校の教師と生徒をイタリアに招待しました。
これはいかにアメリカがおかしな方向に行っているかを示す出来事です。
フロリダ州の知事は保守派のデサンテス知事です。それに、背景には保守派の草の根の運動がありました。
現在、公立学校の図書館から“好ましくない本”を撤去する動きが広がっています。
NPO「米国ペンクラブ」が2024年4月に公表した報告書によれば、2023年7月から12月までの半年間に、全米23州で4300以上の本が公立学校で禁書扱いになりました。これは前年度の禁書の総数を上回っています。しかも、この数字は報道されたものや情報公開請求で開示されたものだけなので、実際はもっと多いことになります。
“好ましくない本”とはなにかというと、LGBTQに関する本、人種や人種差別に関する本などです。
人種差別に関する本がなぜだめかというと、「白人は人種差別的である」という偏見を植えつけるからだそうです。
「禁書」というのは表現の自由に反することで、自由の国アメリカにふさわしくないと思われますが、大義名分は「青少年に有害」ということです。
しかし、ある本や映画などが子どもに有害であるというデータはありません。
まったく根拠のない主張です(日本でも同じことが主張されています)。
禁書運動の中心的な役割を果たしているのは「自由を求める母親たち( Moms for Liberty)」という団体で、「親の権利」を掲げて教育現場に介入しています。
保守派の家庭で夫に従属する妻は、子どもに対しても従属を求めるわけです。
その拡大の勢いはかつての「茶会運動」に近いともいわれます。
「青少年に有害」なら「おとなにも有害」ということになり、いずれ一般の図書館でも「禁書」が行われるようになるかもしれません。
トランプ氏の当選後、アマゾンでディストピア小説の売り上げが急増したということです。
いちばん売れたのは、女性が男性に隷属して子どもを産む道具とされる未来社会を描いたマーガレット・アトウッド著『侍女の物語』で、2位が全体主義社会を描いたジョージ・オーウェル著『1984年』、3位が書物がすべて焚書される未来社会を描いたレイ・ブラッドベリ著『華氏451度』です。
どれも保守派の勝利から連想される社会です。
学校での禁書運動は保守対リベラルの最前線といえます。
ところが、リベラルはこのフィールドでまったく力を出せていません。
学校図書館での禁書がなぜいけないかというと、それは子どもの知る権利の侵害だからです。
教師が子どもになにかを見せるという場合は、子どもによっては不快に思うことがあるので、ある程度の配慮は必要ですが、図書館の本は子どもがみずから選択して読むのですから、制限する必要はありません。映画なども同じです。
保守派の団体は「親の権利」を掲げています。
「子どもの権利」対「親の権利」が衝突しているのです。
ところが、リベラルは「子どもの権利」をほとんど守ろうとしていません。
というか、そもそもアメリカは「子どもの権利」を認めない国です。
アメリカは子どもの権利条約を締約していない世界で唯一の国で、「子どもの権利」については世界最低レベルの国です。
アメリカでは毎年1700人前後の子どもが虐待によって死亡しています(日本は100人以下)。義務教育は子どもに学校に行く義務があります(日本は親に子どもを学校に行かせる義務があります)。学校はゼロ・トレランス方式という徹底した管理教育が行われ、不登校の子どもは戸塚ヨットスクールのようなスパルタ教育のキャンプに強制的に入れられます。
子どもの人権が広く侵害される状況は「子ども差別」ということができます。
アメリカ人はみな子どものときに子ども差別を経験するので、人種差別も性差別も当たり前のことになるのです。
また、妻が自分の意志で投票できないような家庭では、子どもの意志も無視され、親に従うのが当然とされます。こういう家庭で育つと、他人の人権を尊重することもできません。
ですから、子どもの人権が尊重されるようになれば、人種差別も性差別もおのずと改善するはずです。
ところが、リベラルは「子どもの人権」をほとんど無視しています。
保守派の主張の「子どもは親に従うべき」というのは道徳と同じなので、受け入れやすいといえます。
「子どもの人権」を掲げることは道徳との戦いです。この戦いはフェミニズムがしてきたことですが、困難ではあります。
この困難から逃げてきたことがリベラルの敗因です。
日本でも似た状況です。
日本の学校教育は惨憺たる状況で、いじめ件数も不登校も増え続け、ブラック校則などもまったく改善されません。これは政治の大きな争点になっていいはずですが、選挙のときにはまったく取り上げられません。
トー横キッズなどの問題も、家庭が崩壊したために子どもはやむなくトー横に集まってくるわけで、これが自民党が重視する「家族の絆」の実態です。
リベラルの敗因は、差別意識の解消をはかるのではなく言葉狩りに走ったことであり、差別意識が生まれる根本である「子ども差別」を放置してきたことです。
今回の記事は「保守とリベラルはどちらが正しいのか」の続編です。
前回は文明や社会のレベルでしたが、今回は人間関係のレベルで書きました。

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