
トランプ大統領の政策でいちばん驚くのは、大学を敵視し、科学研究費を大幅に削減していることです。
中国はものすごい勢いで科学研究費を増やしていて、学術論文の数ではすでにアメリカを抜いて世界一になっています。
トランプ氏はアメリカを偉大にするといっていますが、科学力のない国は偉大ではありません。
私は前回の「いかにしてトランプ大統領の暴走を止めるか」という記事で、トランプ政権のおかしな政策を列挙して「まるで中世ヨーロッパの国になろうとしているみたい」と書きましたが、今回の記事では、なぜそうなっているのかを掘り下げてみました。
アメリカは一般に思われている以上に宗教的な国です。
メイフラワー号で入植した清教徒は「神の国」をつくろうとしました。その精神が今も生きています。
アメリカ大統領の就任式では必ず聖書に手を置いて宣誓することになっていますし、大統領の演説は「God bless America」というフレーズで締めくくられるのが常です。
どの国も経済的に豊かになると宗教色は薄れ世俗化していくものですが、アメリカの場合はそうならずに、おりにふれて宗教パワーが国を動かします。
たとえば1920年代の禁酒法がそれです。熱心なプロテスタントの信者が立ち上がり、飲酒文化が暴力や犯罪や退廃を招いているとして禁酒法を成立させました。
禁酒法の時代にテネシー州では“進化論裁判”が行われました。高校教師が授業で進化論を教えたということで逮捕され、裁判にかけられたのです。
進化論は聖書に書かれた創造説を否定するので、聖書を絶対化する人たちは進化論を認めるわけにいきません。
この裁判は全米で注目されましたが、結果、高校教師は罰金100ドルの有罪判決を受けました。
この当時は、進化論を否定するとはばかげたことだという見方が多かったようです。
しかし、このような聖書の記述を絶対視する勢力が次第に拡大し、進化論を教えることを禁止する州が増えてきました。
共産主義の脅威が感じられた冷戦時代、イスラム過激派の脅威が感じられた9.11テロ以降などにとくに宗教パワーが高まりました。
聖書の記述を絶対視する宗派を福音派といいます。
アメリカでは福音派が人口の約4分の1、1億人近くに達するといわれます。
アメリカでも地元の教会に通うという昔ながらの信者はへっていますが、福音派の場合は、テレビやラジオや大集会を通じて説教をするカリスマ的大衆伝道師が信者を獲得してきました。大衆を扇動する言葉は過激になりがちで、それが福音派を特徴づけているのではないかと思われます。
福音派は共和党と結びつき、政治を動かすようになりました。
たとえばレーガン大統領はカリフォルニア州知事時代に妊娠中絶を認める法案に署名していましたが、大統領選の候補になると福音派の支持を得るために中絶反対を表明しました。
トランプ氏もつねに福音派の支持を意識して行動しています。
アメリカの政治が福音派に飲み込まれつつあり、その結果、科学軽視の政策になっていると思われます。
キリスト教と科学は相性の悪いところがあります。
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために宗教裁判にかけられました。
聖書には地動説を否定するような記述はありませんが、教会は絶大な権力で世の中の「常識」まで支配していたのです。
結局、地動説は認められましたが、だからといって聖書のなにかが否定されたわけではありません。
ダーウィンの進化論はそういうわけにはいきません。進化論は聖書の創造説の明白な否定だからです。そのため世の中は大騒ぎになりました。
ダーウィンは『種の起源』の12年後に出版した『人間の由来』において、人間の身体はほかの動物から進化したものだが、人間の精神や魂はそれとは別だと主張しました。つまり身体と精神を分けることで教会や世の中と妥協したのです。
ダーウィンのこの妥協はのちのち問題になるのですが、キリスト教と科学が折り合う上では役に立ちました。
中世ヨーロッパにおいてキリスト教会は絶大な権力を持っていました。
その権力の源泉は、キリスト教では宗教と道徳が一体となっていることです。
「モーゼの十戒」には「汝、殺すなかれ」とか「汝、盗むなかれ」という道徳が入っていますし、キリストの説教である「山上の垂訓」には「あわれみ深い人たちは幸いである」とか「心の清い人たちは幸いである」といった道徳が入っています。教会での説教も、ほとんどが道徳的な説教です。そのため教会は人々の生活のすみずみまで支配したのです(仏教も「悪いことをすると地獄に堕ちる」といった教えで道徳とつながっていますが、これは本来の仏教ではありません。神道はほとんど道徳と無縁です)。
しかし、近代化の過程で「法の支配」が確立されてきました。
と同時にキリスト教道徳(倫理)が排除されました。「法の支配」があれば道徳は必要ないのです。
このあたりのことは誤解している人が多いかもしれません。
道徳はほとんど無価値です。「嘘をついてはいけない」とか「人に迷惑をかけてはいけない」とか「人に親切にするべきだ」とかいくら言っても、世の中は少しも変わりません。
正式な教科としての「道徳の授業」が小学校では2018年から、中学校では2019年から始まりましたが、それによって子どもが道徳的になったということはまったくありません。
世の中が回っているのは道徳ではなく法律やルールやマナーなどのおかげです。
近代国家では「法の支配」によって社会から道徳が排除され、「政教分離」によって国家から宗教が分離されました。
宗教は個人の内面に関わる形でだけ存在することになったのです。
もっとも、これは主にヨーロッパの国でのことです。
日本では戦前まで、国家神道という形で国家と宗教が一体化していましたし、「教育勅語」という形で国家が国民に道徳を押し付けていました。
アメリカも宗教色が強いので、ヨーロッパのようにはいきません。
天文学者カール・セーガンの書いたSF小説『コンタクト』では、地球外生命体との接触を目指す宇宙船に乗り組む人間を選ぶための公聴会が議会で開かれ、主人公の天文学者エリー(映画ではジョディ・フォスター)は神を信じるかと質問されます。エリーは無神論者ですが、正直に答えると選ばれないとわかっているので、答え方に苦慮します。まるで踏み絵を踏まされるみたいです。こういう場面を見ると、アメリカの宗教の強さがわかります(結局、無神論者のエリーは選ばれません)。
『利己的な遺伝子』を書いた生物学者のリチャード・ドーキンスは、進化論に反対するキリスト教勢力からずいぶん攻撃されたようで、その後はキリスト教勢力に反論するための本を多く書いています。『神は妄想である――宗教との決別』『悪魔に仕える牧師――なぜ科学は「神」を必要としないのか』『さらば、神よ』といったタイトルを見るだけでわかるでしょう。
アメリカではいまだに科学とキリスト教が対立しています。
アメリカでも「法の支配」と「政教分離」で近代国家の体裁を保ってきましたが、しだいにキリスト教勢力が力を増し、ここにきて二大政党制で政権交代が起こったように一気に「近代国家」から「宗教国家」に転換したわけです。
同性婚反対、LGBTQ差別、人種差別、人工中絶禁止、性教育反対といったキリスト教道徳が急速に復活しています。
トランプ大統領は福音派を喜ばすような政策を行っていますが、トランプ氏自身が福音派の信者だということはないはずです。あくまで福音派を利用しているだけです。
トランプ氏は大統領就任式で宣誓するとき、聖書の上に手を置かなかったので少々物議をかもしました。
さらに、自身をローマ教皇に模した生成AI画像を投稿して、批判を浴びました。


トランプ氏は銃撃されて耳を負傷したときのことについて「神が私の命を助けてくれた」と語りました。
どうやらこのころから自分で自分を神格化するようになったのではないかと思われます。
アメリカが宗教国家になるのは、自分を神格化する上できわめて好都合です。
科学は自己神格化する上では不都合です。
トランプ氏の心中はわかりませんが、アメリカが「法の支配」も「政教分離」も打ち捨てて、キリスト教道徳の支配する国になりつつあることは確かです。
もちろんこれはアメリカ衰退の道です。
なお、カトリック教会は1996年に進化論を認めましたが、「肉体の進化論は認めるものの、精神は神が授けたもので、進化論とは無関係」としています。ダーウィンの妥協がまだ生きているのです。
いまだに世界が平和にならないのも、ダーウィンの妥協のせいです。
ダーウィンの妥協については「道徳観のコペルニクス的転回」で説明しています。
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