世の中には、学校教育に恨みを持つ人がたくさんいます。しかし、「授業がわからなくてつまらなかった」というと、「勉強しないからだ」とか「バカだからだ」と否定されてしまいますし、「規則がうるさくていやだった」というと、「規則を守るのもだいじなことだ」とやはり否定されてしまいます。
自分の子どものことを名目に学校に恨みをぶつける人もいますが、こういう人はモンスターペアレントといわれて否定されてしまいます。
宅間守のように個人で学校に切り込み攻撃をかける者もいますが、死刑にされてしまいます。
こうして学校への恨みはほとんど表面化することがありませんが、そのエネルギーは巨大なマグマのように蓄積されています。
 
橋下徹大阪府知事は学校時代、身近に不良や劣等生と接していましたから、学校教育への恨みが広範囲に存在していることを知っています。ですから、それを利用することで人気取りをはかってきました。たとえば、学力テストの成績を市町村別に公表することを要求したり、PTA解体を主張したり、府教育委員会を解散すると脅したりと、教育界のバッシングを続けてきたのです。
今回、大阪維新の会が成立させた、国歌斉唱時に教職員に起立を義務づける条例も、その一環です。一部の教師を力で屈服させるというやり方に、過去に教師の力に屈服を余儀なくされていた人たちが快哉を叫ぶのも、いわば自然な感情でしょう。
 
石原慎太郎都知事は、主に右翼的イデオロギーから同じことをやってきました。橋下知事はむしろイデオロギーよりも、教育界バッシングそのものを目的としてやっているように思われます。
どちらも教員への職務命令という問題に絞り、生徒や保護者を切り離しているのが巧みです(右翼的イデオロギーからやるなら、生徒や保護者も起立すべしという条例になっているはずです)
 
いわゆる街宣右翼は、日教組攻撃という形で教育への恨みを晴らそうとしています。
いわゆるネット右翼は、自分たちは街宣右翼とはまったく違うといいますが、左翼教師を攻撃して教育への恨みを晴らそうとしている点では同じです。
 
石原知事や橋下知事のやり方に反対する勢力の代表的存在に朝日新聞があります。朝日新聞の記者は学歴社会の勝者であり、教育に恨みを持つ人たちからは、ただ朝日新聞の記者であるというだけで恨まれています。
朝日新聞記者に限らず、学者、評論家、エリート層は、教育への恨みが広範囲に存在することに無頓着です。ですから、街宣右翼やネット右翼の心情が理解できません。
 
私は、教育への恨みを晴らそうという思いには正当性があると考えていますが、一部教師のバッシングに走るのは間違っていると思います。それは一時的な快感にはなるかもしれませんが、ますます学校が窮屈になり、さらに教育に恨みを持つ人間をふやしてしまうことになるからです。
 
左翼教師とその他の教師にそれほど違いがあるわけではありません。
教育への恨みは、教師バッシングではなく、教育改革へとつながるものでなければいけません。