昔、女子高生コンクリート詰め殺人事件というのがあり、きわめて残虐な事件であったこと、加害者がすべて少年であったこと、被害者の女子高生の写真がきわめてかわいかったことなどで、ずいぶんと騒がれました。
1人の加害少年の父親が新聞の取材に応じて語っていたのですが、その父親は少年をよく殴っていたそうです。つまりこの加害少年については“暴力の連鎖”が認められるのですが、父親は自分の行為について、「よかれと思ってやった」と言っていました。
この父親は自分の行為を悪かったと認めるのではなく、なんとかして正当化しようと思い、「よかれと思ってやった」と言ったわけです。
暴力行為はどうやっても正当化できません。ですから、動機を持ち出すことで正当化しようとしたわけです。
私はこれを「動機による行為の正当化」あるいはより簡単に「動機における正当化」と言っています。
「動機における正当化」はいろいろなところで見られます。
外為オンラインという会社のCMで、OLが退社しようとすると上司がやってきて書類をドサッと置いて、仕事をやるように言い、OLが「今からですか?」と言うと、上司が「あなたの為だから」と言うのがあります。カフェで女友だちが「今ダイエット中だっけ」と言ってケーキを奪い、「あなたの為だから」と言うのもあります。
このCMがおもしろいのは、「あなたの為だから」と言いながらそう思っていないに違いないことが、見ている側にはわかるからです。
このCMのように、会社内の関係や友人関係ならおもしろがって見ていられますが、これが親子関係になってくるとそうはいきません。
親子関係では「あなたの為だから」ではなく、「あなたの為を思っているから」というふうに、外面から内面に変わります。
親が子どもにむりやり医学部への進学を勧め、いやがる子どもに「あなたの為を思って言ってるのよ」と言うケースがあります。今後の人生が決まるという重大事にこんな論理を持ち出されるのは、子どもとしてもつらいところがあります。
また、子どもが食事のとき父親にいちいち礼儀作法を注意されるので苦痛でたまらないという人生相談に対して、「お父さんはあなたを愛しているから注意してくださっているのですよ」と子どもを諭すのを見たこともあります。父親の心の中のことが人生相談の回答者になぜわかるのか不思議ですが。
親だから子どものことを思っているに違いない、またそうあってほしいという思いが誰にもあるために、このような「動機における正当化」がまかり通ってしまいます。
現実には、子どものことをあまり思わない親、子どもを十分に愛さない親、子どもの幸せより自分の都合を優先させる親がいっぱいいます。
しかし、こういう親に「あなたは子どもの為を思ってないでしょう」と言っても、決して認めることはなく、話がこじれるだけです。
では、どうすればいいかというと、動機と行動を切り離すのです。
たとえば、「あなたの為を思って医学部に行くように言ってるのよ」と言われたときには、「親だから子どもの為を思うのは当たり前じゃない。問題は、医学部進学が実際に僕の為になるかどうかだよ」というふうに反論します。
あるいは、「お父さんはあなたを愛しているから注意してくださっているのですよ」と言われたときには、「親が子どもを愛するのは当たり前です。問題は、注意の仕方が正しいかどうかです」というふうに反論します。
「動機における正当化」が行われる裏には、親が子どもの為を思わないという厄介な現実があります。この現実を少しずつ変えていかなければなりません。

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