「毒親」という言葉があることを最近知りました。スーザン・フォワード著「毒になる親 一生苦しむ子供」(講談社プラスアルファ文庫)という本からきた言葉のようです。
これは便利な言葉です。日本では親を批判するのがタブーに近いので、たとえば私みたいに「親を軽蔑することで、親の影響を受けないようにしなさい」とか「親より少しでもましな人間になることが人類の進歩です」とか書いていると、それだけで拒絶反応を示す人がいそうです。「毒親」という言葉を使えば、そういう事態は回避できるかもしれません。
 
もっとも、便利な言葉にはマイナスの面もあります。「毒親」という言葉を使うと、「毒親」でない親はみんなまともな親のようです。しかし、現実には毒の比率が90%の親もいれば、5%の親もいるというように、程度問題にすぎません。
また、「毒親」という言葉を使うと、その親を切り捨ててしまうような感じがあります。しかし、「毒親」は子どもには毒になりますが、世間ではいい人で通っていて、実際よいことをしている場合もあります。また、「毒親」の親もたいてい「毒親」で、毒が連鎖しているものですが、そういうことも見えなくなる恐れがあります。
 
つまり「毒親」という言葉を使うと、レッテル張りになって、思考停止してしまう恐れがあるわけです。
もっとも、これまで「子どものことを思わない親はいない」というような逆のレッテル張りが行われてきたので、「毒親」のレッテルに価値はあるでしょう。とくに「毒親」という言葉を知るだけで、今まで認識できなかったことが認識できるようになる人もいると思われます。
 
「毒親」について検索していると、「毒親の典型」とされるものがひっかかってきました。「YOMIURI ONLINE」の「発言小町」という掲示板では「毒親」についての書き込みが多いらしく、その中のひとつです。
 
 
約束を甘く考えている娘が許せない」怒りの父
 アラフォー男性です。高校生の娘が一人います。妻とは娘が小学校低学年の時に離婚し、その原因が向こうにあったため親権は私が取りました。
 
先月のことです。娘が進学の相談をしてきました。東京の大学に進学したいから許してほしいと言うのです。もちろん反対しました。都会で一人暮らしなど心配でさせられません。いくら新幹線で僅か2時間位と言っても、親元から離れて暮らすことに違いはありません。それでもしつこく言ってくるので、私は娘が小5の時に書いた誓約書を突き付けてやりました。
 
抜粋して書くと、
.一生懸命勉強し、最低でも最高学府まで進学します。またその際には、自宅から通える学校を選択し、一人暮らし(下宿・寮含む)はしません。
 
2.将来結婚するときはお父さんと一緒に暮らし、老後の面倒を見ます。
 
この段階で眉を顰めておられる方もいらっしゃるでしょうが、ちゃんとした理由があるのです。
 
娘が小5のとき、私に再婚話が持ち上がりました。私は当時30代で、今一度人生のパートナーが欲しかったというのが再婚を考えた最大の理由ですが、娘に母親が必要だと思ったことも嘘ではありません。
でも娘は強硬に反対しました。半年以上かけて説得を試みましたが駄目でした。結局私は再婚を断念することになるのですが、最後の説得の時「お前がお嫁に行ったらお父さん一人ぼっちになっちゃうよ」と言った私に対し、「私がずっと面倒見てあげる」と娘が答えたので、言葉だけでは心許ないと思い文章にして本人に署名と拇印をさせました。それが誓約書です。ちなみに不履行による罰則規定も設けてあります。
 
これを見た娘は「わあ、懐かしい。でもこんな昔のこと」と言ったので怒鳴りつけてやりました。あくまでも約束は守らせます。妥協する気は一切ありません。
 
約束を簡単に反故にしようとする娘を、皆さんはどう思われますか。
 
 
なるほどこれは「毒親の典型」かもしれません。「毒親」といっても、中にはわかりにくいのもありますが、これは誓約書をつきつけるという具体的な行為があるので、誰でも判断できると思います。
この掲示板は、ひとつの質問・相談に対していろんな人が返答をするという形式ですが、まず、子どもの書いた誓約書になんの効力もないという指摘から始まって、みなさん圧倒的に「怒りの父」さんに批判的です。
読みたい人はこちら。
 
 
もちろんこの父親はひどい親です。いろいろ指摘することはありますが、中でもひどいのは、結婚するときはお父さんと暮らすと約束させていることです。こんな条件を受け入れてくれる結婚相手はめったにいません。娘が幸せな結婚をすることより、自分が幸せになることを優先させているのです。
 
こんなひどい親ですが、みなさん、ひとつ疑問を感じるのではないでしょうか。
それは、再婚話が持ち上がったとき、再婚に反対する娘の意志を尊重していることです。
親が再婚しようとするとき、小さな子どもが反対するのは普通にあることです。ほとんどの親は子どもの反対を無視して再婚します。しかし、この親は、半年以上かけて説得を試み、結局再婚を諦めます。ここまで子どもの意志を尊重する親はきわめてまれでしょう。
それでいてこの親は、娘が東京の大学に行きたいという意志はまったく無視するのです。
この矛盾はどう説明すればいいでしょうか。
私なりに考えたことを書いてみます。
 
この親は再婚話に関して、娘の意志は尊重する一方で、再婚相手は半年以上も引っ張り、結局断ってしまいます。再婚相手に対してはひどい仕打ちです。
やはりこの親は、自分勝手な人と判断せざるをえません。
となると、そもそも再婚話が娘に誓約書を書かせるための手段ではなかったかと疑われます。
再婚相手がまともな女性なら、いずれ娘もなつくだろうと判断して結婚するのが普通です。なにしろ小5の娘ですから。
この親は、再婚話が持ち上がったとき、再婚するより娘とずっといるほうが幸せだと判断して、再婚話を利用して娘をずっと手元に置いておこうとしたのでしょう。
もっとも、そのやり方が誓約書だったというのがお粗末です。
そのため掲示板でも大バッシングになってしまいました。
 
一般的な「毒親」はもっと巧妙です。日常の中でことあるごとに娘に恩を着せ、娘が自立して親から離れることに罪悪感をいだかせます。こうして親から自立できなくなり、不幸になっている人がいっぱいいます。こういう人は「毒親」という言葉を知ることで自立のきっかけをつかめるかもしれません。
 
ところで、誓約書をつきつけたこの親は、「約束を守るべきだ」という道徳を利用しています。愛情のない親がよりどころにするのが道徳です。道徳をよく口にする親は「毒親」でないかと疑ってみる必要があります。