世の中の関心がオリンピックに移ったこともあって、ようやくイジメについて冷静に考える環境が整ってきたようです。
そもそもは大津市で中2男子生徒が自殺した事件が発端となって、イジメについての報道が過熱したのです。この事件について改めてふれておきましょう。
 
中2の少年が自殺したとき、自殺の原因は家庭と学校の両面から探らなければなりませんが、報道は学校でのイジメに集中していたので、私は家庭にも問題はあったはずという観点から、このブログで何回か書いてきました。報道が少ないので推測を交えて書くしかないのがつらいところです。
今も自殺少年の家庭についての報道はまったくといっていいほどありませんが、推測の材料はふえてきたので、いくらか書きやすくはなっています。
 
大津市の越直美市長は、一時は涙を流して、自殺少年の遺族と和解する方針を示しましたが、その後態度を変えました。これはどういう事情かよくわからなかったのですが、7月17日の第2回口頭弁論の終了後に行われた囲み取材で、越市長は「自殺少年は父親からDVを受けていた」と語ったということです。
これについては責任転嫁だという批判の声が上がりました。確かに市側がこういうことを言うと、批判されるのはやむをえないところがあります。ただ、DVがあったかなかったかということは、それとは別に検証されないといけません。ところが、例によってそうした報道はまったくありません。
イジメ加害者の家庭については週刊誌やネットで過剰なまでに情報がさらされていますが、自殺少年の家庭はまるで聖域のようになっています。この極端な差は異様な光景というべきです。
 
大津市の澤村憲次教育長は、プライバシーなので言えないとしつつも、最初から家庭の問題を匂わせていました。「SAPIO」8月29日号にジャーナリスト鵜飼克郎氏の『それでも「原因は家庭にある」と言い放つ大津市教育長を直撃!』という記事が載っていたので、内容の一部を紹介します。
 
同氏への直撃取材では、こんなやりとりもあった。
――なぜこの期に及んで「男子生徒の家庭に問題があった」と言うのか。
(家庭の問題は)具体的に言えない。いろいろ誤解を招いていることはわかっているが、学校からは亡くなったお子さんの家庭環境に問題があると聞いている。学校に関係すること、本人に関係すること、家庭に関係すること、この3つを調べなさいと文科省は指導しています。学校については私たちが調べるが、他の2つは調べられない。警察や外部の第三者委員会が明らかにしていくわけだが、全体を見ないと真相がわからないのでは、と言っているのです」
(中略)
「命の重みを感じて対応しているのか」という問いに対してはこう答えた。
「当然のことながら、一報を聞いた時にどうしちゃったんだ、何があったんだと驚きました。ただ、ご遺族から『これは学校の問題じゃない。家庭の問題なので表に出さないで欲しい』と申し出があったと聞いている。もし家庭に問題があるなら、学校が大騒ぎしてはいけないと判断した。3日目になってご遺族から『いじめがあったのではないか』と申し出を受けた。校内でも生徒たちが2日目から『いじめがあったのでは』と騒ぎ始め、学校も調査を始めたということだった」
 
ここで重要なところは、「ご遺族から『これは学校の問題じゃない。家庭の問題なので表に出さないで欲しい』と申し出があったと聞いている」というところでしょう。これが事実なら、澤村教育長が一貫して、イジメと自殺の因果関係を無視ないし軽視してきたことが理解できます。
とはいえ、「3日目になってご遺族から『いじめがあったのではないか』と申し出を受けた」ともあります。
このあたり説明がなくてよくわかりません。遺族が態度を変えたということでしょうか。そうかもしれませんが、それよりも、「遺族」が別人と考えたほうがよさそうです。つまり母親が「家族の問題なので表に出さないで欲しい」と言い、父親が「いじめがあったのではないか」と申し出たということです。そうすると、母親がまったく姿を見せないことも納得がいきます。
 
7月25日、大津市役所において越市長は遺族側代理人の弁護士と父親に面会し、謝罪しました。このとき、テレビカメラがあるときは弁護士だけが市長と面会し、カメラが退席したあと、父親と弁護士が市長に面会するという形がとられました。そして、そのあと父親と弁護士がマスコミとの話し合いの場を持ったということです。
とすると、マスコミ関係者は父親と直に話をし、父親がどのような人物であるかもだいたい理解したと思われます。
 
光市母子殺人事件の被害者遺族である本上洋氏はやたらマスコミに出て、被告を死刑にするべきだと訴えました。本上氏のようにマスコミに出る人は特別ですが、遺族が表に出て訴えるのは当然のことです。顔だけ出さなければいいのです。
 
しかし、この大津市の事件においては、父親が市や学校を批判する声は報道されますが、父親と自殺した子どもの関係はどうだったのかについての報道はまったくありません。また、母親はどういう考えであるのかについてもいっさい報道がありません。
マスコミ関係者は父親と会って話しているのですから、そのときに「自殺前の息子さんの様子を見てどう思ったのか」ということは当然聞いているはずです。
報道管制が敷かれているなんていうことはあるはずはありません。とすると、知っていても報道しないということでしょう。つまりタブー意識が働いているのです。
タブー意識というのは、家庭内の問題、とりわけ親子関係の問題に触れてはいけないという意識と、もうひとつは被害者側の落ち度をあばいてはいけないという意識です。
 
そのためこの事件の報道は、自殺した生徒の家庭のことがブラックボックスになったまま、そのほかのことばかりが騒がれるという形になっています。
 
先ほどの「SAPIO」の記事においても、澤村教育長の言葉に対する批判はありますが、「自殺生徒の家庭に問題はなかった」という意味の記述はありません。その記述があれば、それだけで澤村教育長の言葉を否定することができるのですが。
 
現場で取材しているマスコミ関係者は、父親がどんな人間かわかっているわけです。わかっていて書かないということは、そこに問題があるからでしょう。
 
マスコミはつまらないタブー意識は捨てて、真実を報道するべきです。
マスコミが自殺した子どもの家庭の問題を隠蔽することは、大津市の学校や教委がイジメを隠蔽することとなんら変わりません。