大津市イジメ事件について、私は自殺した少年の家庭環境の問題を一貫して重視してきましたが、家庭環境についての報道がほとんどありません。そうした中、朝日新聞が「笑顔の向こうは――大津・いじめ事件」と題して、3回の連載記事を掲載しました。とくに目新しい事実はないなと思っていたら、連載の最後に新事実がありました。
連載の最後の部分だけ引用します。
  
実はこのころ、担任は少年から「家族に厳しく叱られる」と電話で相談されていた。少年の父親からも「息子の金遣いが荒くなった」と相談があった。口座から引き出した金額は10万円を超え、父親が問い詰めると「ゲームソフトなどに使った」と答えたという。担任は「家庭生活に課題あり」「生活が不安定」ととらえ、気にかけていた。
一方で「いじめ」の言葉は宙に浮いた。少年が自殺するまで、どの大人も受け止められなかった。(朝日新聞8月19日朝刊)
 
自殺した少年が泣きながら担任に電話で相談していたという報道はありました。なんの相談かはわからなかったので、なんとなく同級生からのイジメのことを泣きながら相談したのに、担任は取り合わなかったのだという解釈がまかり通っていましたが、そうではなかったわけです。
父親から叱られることを担任に相談するのですから、少年は父親よりも担任のほうを信頼していたのかもしれません。
 
自殺の主因は、イジメよりも父親に叱られたことかもしれません。そうだとすると、父親が損害賠償を求めて学校や市を訴えているのはひじょうに妙なことになります。
今の制度は、親が子どもに対して間違ったことをするわけがないという前提に立っています。「親の恩は山よりも高く海よりも深い」とか「親、親たらずとも、子、子たれ」という封建道徳のままです。子どもの立場から親を訴える制度をつくるべきだと思います。
 
それはともかく、子どもが自殺したら、親の責任が大きいという当たり前のことがもっと広く認識される必要があります。
 
 
ところで、私は今回のイジメ事件について、マスコミの報道や世間の声があまりにも一方的に市や学校を非難することに危ういものを感じていました。私が学校でのイジメよりも家庭の問題が大きいのではないかと主張したのは、世の中の偏りを中和する方向に行ったほうがいいと思ったこともひとつの理由です。
で、大津市の澤村憲次教育長が19歳の男子大学生に襲われてケガをするという事件が起きて、懸念が現実になってしまいました。
学校や市教委を非難するのは、イジメをなくそうという建設的なものではなくて、誰かに「悪」のレッテルを張って、そいつをイジメたいという“イジメの連鎖”にすぎません。その結果として澤村教育長襲撃事件やその他の脅迫事件が起きたのです。
学校や市教委を非難している人は、自分がしていることの意味を考え直す必要があります。
 
 
それにしても、大津市のイジメ事件に関連して、有名人や一般人で自分もイジメを体験したと告白する人が実にたくさんいて、子どもの世界にイジメがこれほど広がっていたのかと驚きました。私の若いころはこれほどのことはありませんでした。子どもの境遇はどんどん悪くなっているようです。
 
子どもの世界のイジメの根本原因は、家庭や学校が子どもに対して抑圧的であることにあります。こうした世の中のあり方を私は「子ども差別」と呼んでいます。
 
人間は生まれながらに少し利己的です。利己的なおとなと利己的な子どもが対すると、おとなの利己主義が通ってしまいます。世代を経るうちに、文化の中におとなの利己主義がどんどん蓄積されていき、「子ども差別」社会が成立しました。教育やしつけも「子ども差別」の一環です。
しかし、おとなたちは「子ども差別」の存在を認めようとしません。そのため、イジメの原因をほかに求めることになります。いちばん一般的なのが、イジメの原因は個々の子どもの心(自由意志)にあるという考え方です。こう考えると、周りのものはすべて免罪されるので好都合です。あと、日教組とか大津市教委とかテレビ番組とかケータイとかゲームとか、その都度適当な原因がでっちあげられます。
 
たとえば奴隷制社会において、奴隷の間にイジメが起きたとします。対策としては、奴隷の過重な労働を軽減し、衣食住の生活環境を改善することですし、より根本的には奴隷制度を廃止することです。しかし、奴隷の主人たちはそんなことはしたくないので、環境はそのままにして、イジメをした奴隷が悪いとして罰したり、別の部屋に移したりという対策を取ります。
現在行われているイジメ対策や、有識者が主張するイジメ対策も同じです。学校や家庭のあり方はそのままにして、子どもの心ばかりを問題にしています。転校すればいいとか、学校に行かなくてもいいとか、警察力で対応するべきだとかいう意見も、学校と家庭のあり方を不問にしていることでは同じです。
 
家庭のあり方を変えるのは簡単ではありませんが、学校を楽しくのびのびと学べる場にすることは、少しずつでもやっていくことができます。
 
学校改革で私がいちばん重要だと思うのは、生徒が教師を評価する制度を取り入れることです(一部の私立学校ではすでに行われています)
現在、教育改革は逆のほうに行っています。つまり内申書重視ということで、教師が生徒を評価することが強まっているのです。私の考えでは、どんどんイジメがひどくなってきているのは、教師の権力が強まり、生徒が抑圧されてきているからです。
 
ラーメン屋であれ自動車会社であれ、顧客に評価されなければ商売は成り立ちません。ところが、教師という商売は、まったく生徒から評価されない授業をしていても成り立ちます。イジメられている生徒を無視しても同じです。ですから、生徒が教師を評価する制度の導入は当たり前のことです。
ところが、現在は校長や教頭が教師を評価することが強化されています。これではベクトルが逆です。
 
学校でのイジメをどう見るかということだけで、その人の人間観や社会観のすべてが試されます。そういう意味で、大津市イジメ事件は私たちにいろいろなことを考えさせてくれます。