(この記事は「レイプ・イジメ・慰安婦(前編)」の続きです)
韓国の李明博大統領が言及したことから従軍慰安婦問題がまた表面化し、橋下徹大阪市長が「慰安婦という人達が、軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという確たる証拠はない。もしそういうものがあったというなら、韓国の皆さんにも出してもらいたい」と言ったことからさらに燃え上がっています。
私はこの論争に加わるのは今まで避けていました。本格的に論じるなら、一次資料を提示して自分の説の正しさを主張しなければなりませんが、そういうことは私の任ではないと思っているからです。
しかし、人の説が論理的におかしいということなら指摘することができるので、今回少しこの論争に加わってみます。
はっきり言って、慰安婦問題で謝罪したくない人たちの論理にはおかしなところがいくつもあります。
たとえば最初のころは、「当時は『従軍慰安婦』という言葉はなかったから、これは現代に創作された話だ」という主張がありました。しかし、江戸時代には「江戸時代」という言葉はありませんし、「幕藩体制」という言葉もありませんが、だからといって江戸時代や幕藩体制がなかったわけではありません。明らかに論理的におかしな主張なのです。
ところで、今回私は少し一次資料にも当たってみましたが、そこには「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」という表現がありました。これは「従軍慰安婦」という言葉とそんなに違いません。
デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」文書庫
謝罪拒否派の典型的な主張が見られるので、池田信夫氏のブログから引用してみます。
慰安婦問題の特異性は、日本人が創作した話だということだ。ふつう「私が犯罪者だ」と嘘をつく人はいないが、奇妙なことに戦争についてはそういう「詐話師」がいる。この問題の発端となった吉田清治がその最たるもので、彼の『私の戦争犯罪』には、済州島で「慰安婦狩り」をした様子が詳細に書かれているが、なんとすべて嘘なのだ。本人ものちに「フィクションだ」と認めた。
この文章も論理的におかしいです。吉田清治が本に書いたことは「フィクションだ」と認めたとしても、それがほんとうだとする根拠はありません。「詐話師」の言葉のそこだけ信用するのは、どうしても論理的におかしいと言えます。
私は念のためにウィキペディアで「慰安婦」の項目を見てみましたが、そこにはこんな記述がありました。
5月29日付の『週刊新潮』でのインタビューで、吉田清治が『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、人間狩りをしたという主張は否定しなかったが、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認める。
これによるとフィクションなのは場所に関してだけのようです。そうすると池田信夫氏のブログの記述が信用できないことになりますが、果たしてどちらが正しいのかを私は示すことができません。池田信夫氏はほかの証拠も持っておられる可能性があります。ただ、池田信夫氏の文章が論理的におかしいとだけ指摘しておきます。
池田信夫氏はこうも書いています。
まず軍が慰安所の経営に関与していたことは周知の事実で、日本政府も否定していない。
(中略)
日本政府の調査でも、強制連行の証拠は出てこなかったが、外務省は河野談話で「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」という曖昧な表現で政治決着をはかった。この「本人たちの意思に反して集めた」主語は誰だろうか。軍が慰安婦を集めた事実はないので、それは慰安所経営者だ。これを「性奴隷」と呼ぶなら、奴隷にしたのは業者であって国ではない。実は、これは吉見義明氏などの左翼も認めていることで、事実認識は秦郁彦氏とほとんど差がない。
軍が慰安所の経営に関与していたことを認める一方で、『これを「性奴隷」と呼ぶなら、奴隷にしたのは業者であって国ではない』と言うのはおかしいでしょう。「性奴隷にしたことに国は関与していた」と言うべきです。
池田信夫氏の言っていることはたとえば、「原発事故を起こしたのは業者であって国ではない」とか、「そのミスを犯したのは下請け業者であって東電ではない」と言うのと同じです。
次は産経新聞の「政治部・阿比留瑠比 やはり河野談話は破棄すべし」という記事からの引用です。
「慰安婦問題における政府の関与については平成5年の河野談話を発表したときの調査を踏まえ、すでに考え方は公表している」
野田首相は7月25日の参院社会保障・税一体改革特別委員会でこう述べ、河野談話を踏襲し、折に触れて海外に発信しているとの認識を表明した。
だが、その河野談話は極めて恣意(しい)的でいいかげんなものだ。よりどころは、韓国における元慰安婦女性16人からの聞き取り調査(内容は非公開)だけなのである。
日本軍・官憲が強制的に女性を集めたことを示す行政文書などの資料は、一切ない。談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は産経新聞の2度にわたるインタビューで、こう証言している。
「国外、国内、ワシントンの公文書館も調べたし、沖縄の図書館にも行って調べた。関係省庁、厚生省、警察庁、防衛庁とか本当に八方手をつくして調べた。政府の意思として女性を強制的に集めて慰安婦にするようなことを裏付けるデータも出てこなかった」
「あるものすべてを出し、確認した。(河野談話作成のため)できれば(強制を示す)文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない」
にもかかわらず、「強制性」を認定したのは強硬な態度をとる韓国への配慮からだった。当時の日本政府に「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」(石原氏)からである。
この記事がなにを言っているかというと、要するに被害者側の証言はあったが加害者側の証言や文書がなかったので無罪だ(有罪ではない)と言っているのです。
こんな論理では、大津市イジメ事件はなかったことになってしまいます(大津市イジメ事件では被害者の証言すらなかった)。
謝罪拒否派の総本山である産経新聞にしてこのお粗末さです。
このことを踏まえると、橋下市長が韓国に対して「証拠を出してもらいたい」と言うことのおかしさが明らかになるはずです。韓国側は被害者の証言を出しており、出ていないのは日本側の加害者の証言や文書です。日本側の加害者の証言や文書を韓国側に出せというのはまったくの筋違いです。
慰安婦問題がなぜこんなにおかしなことになるかというと、強者と弱者の関係が見えていないからです。
まず日本が強者で、韓国が弱者という関係で日韓併合が行われ、形としては同じ国になっても日本人が強者で、韓国人が弱者という関係があります。そして、軍や軍に使われる業者が強者で、民間人が弱者という関係もあります。さらに、男性が強者で、女性が弱者という関係もありますし、女性の中でも売春婦はもっとも低く見られる立場です。
こうした関係を考えると、元従軍慰安婦という人が名乗り出て証言をしたのはかなり驚異的なことです。この証言を、一部の人の証言は一貫性がないとか、こんな悲惨な体験をしたのに公的な場に出て証言しないのはおかしいとかいって否定するのが謝罪拒否派の人々です。
橋下市長が本気でこの問題に取り組むなら、韓国に行って、元従軍慰安婦の人に対して、「あなたはうそつきだ。お金目当てか売名行為だろう」と言わなければなりませんが、橋下市長にそんな勇気があるでしょうか。
あるいは、「軍が関与したのは事実だが、業者がやったことについては謝罪しない」と言うのかもしれませんが、それは多くの日本人の考えとは違うと思います。
レイプもイジメも慰安婦問題も、強者と弱者の関係から生まれた悲惨な出来事です。
権力関係がはっきり見える人には、悲惨な出来事が正しくとらえられるはずです。
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