人間は基本的に利己的な存在です。対等の関係だと争ったり妥協したり友好関係を築いたりしますが、強者と弱者の関係だと、強者が一方的に利己的にふるまうことになります。奴隷制度、植民地支配、人種差別、性差別などがそうです。
それに加えて、おとなが強者で子どもが弱者であることから生じた「子ども差別」もあります。しかし、「子ども差別」はほとんど認識されていません。これを認識するとしないとでは世の中の見方がまったく変わってきます。たとえば、「子ども差別」を認識しない人は、イジメの解決策を出すことができません。
ということで、今回は「子ども差別」を認識するためのレッスンです。
最近の新聞の投書欄にこんな意見が載っていました。
子どもの迷惑行為 謝れない親
会社員 (女性 氏名略)(東京都新宿区 46)
母の入院先に毎週通っていた時のことだ。夕方、自宅へ帰るために駅へ向かいながら、帰宅時間を携帯で家に連絡していた。広い道幅にもかかわらず、前から走ってきて思い切りぶつかり、そのまま走り去ろうとした男の子がいた。謝りもしないで走り去ろうとしたその男の子に、私は「謝るぐらいして」と怒った。ところが、先を歩いていた父親が私の所まで戻ってきて、子どもに謝らせるどころか、「言い方が悪い」とくってかかった。母親も一緒にいたが、そんな父親に対し「放っておきなさい」と言うばかり。
最近の親は、人に迷惑をかけたら、きちんと子どもに謝らせ、今後注意するように言い聞かせることすらできないのだろうか。私が年寄りで、ぶつかられたはずみで転倒し、骨折でもしていたらどうしていたのか。
スーパーなどでも同じで、子どもが走り回っていても知らん顔の親たち。電車の中で子どもが大声を出していても、意に介さず自分たちの会話を続ける夫婦。他者への配慮などひとかけらも感じられない。大げさなようだが、日本人のよさは本当に失われているのではないか、と感じることの多い日々だ。
朝日新聞デジタル記事2012年8月22日
この人は子どもを一方的に非難していますが、この認識にかなり問題がありそうです。というのは、自分も道を歩きながら携帯電話を使っていたからです。2人がぶつかったのは、双方に不注意があったからでしょう。
この人は「夕方、自宅へ帰るために駅へ向かいながら、帰宅時間を携帯で家に連絡していた」と書いています。つまり、携帯を使う必要性を言うことで自分の正しさをアピールしたのでしょう。しかし、そんなことは他人にはどうでもいいことです。他人から見れば、ただ道を歩きながら携帯で話しているおばさんがいるだけです。
ちなみにぶつかった男の子にしても、道の前のほうに両親がいて、走って追いつく必要性があったわけです。
この人が「謝ることぐらいして」と怒ったのは、いつも子どもにはそのようにふるまっているのでしょう。しかし、今回は両親が後ろにいたので、父親に「言い方が悪い」とくってかかられてしまいました。果たしてどんな言葉の調子で「謝ることぐらいして」と言ったのかわからないので、この父親の態度が正しいのかどうか判断できませんが、文句をつけるのもおとなげないでしょう。母親の「放っておきなさい」という態度が妥当なところではないかと思われます。
この人は、父親から文句を言われて引き下がり、やり場のない不満をかかえてしまったので、この投書をしたのでしょう。普通なら子どもに怒りをぶつけて、すっきりしていたはずです。
よく飲食店などでミスをした店員に向かって「謝れ」と怒っている人がいますが、こういう人は、誰が見てもいい気はしないものです。この人の態度も同じでしょう。
ただ、この場合は子どもが相手です。子どもに向かって「謝れ」という場合は、子どもに謝ることを教えるという、教育やしつけのためという名目があります。そのためこの人の態度は正しいと考える人もいるでしょう。
しかし、謝ることはたいせつですが、人に向かって「謝れ」ということはまったく別です。子どもに「謝れ」というと、子どもはその態度を学んで、人に対して「謝れ」という人間になってしまう可能性があります。
この人は子どもに謝ることを教えたいなら、ぶつかったときに子どもに対して「ごめんね」と言えばよかったのです。そうすれば子どもは人にぶつかったときは謝るものだと学んだでしょう。
そもそもは「広い道幅」のところで子どもは走っていたのです。ぶつかったのは不注意ですが、それはお互いさまですし、子どもがおとなのように注意深くないのは当たり前のことです。子どもは走ってぶつかったり転んだりしながら運動能力を伸ばしていきます。
ただ、この投書にもあるように、子どもがスーパーの中を走り回ったり、電車の中で大声を出すのはどうなのでしょうか。
これについてはたまたま、店内を走り回る子どもを店員が怒鳴りつけたということに関するニュースがありました。
店内で走る子供を怒鳴る店員は失格だ! 「無印良品」批判ブログが大炎上
広報アドバイザーを名乗る人物がブログで、店員が店内を走る子供を怒鳴る場面に出くわした、と書いた。これは接客業としてやってはいけない行為だから、この店員にもう一度基礎から研修させるべき、としたところ「迷惑行為の子供を叱って何が悪い!」などと批判が殺到しブログが「大炎上」した。
また、「販売員ならだれでもなれる」という職業蔑視とも取れる表記があったため、火に油を注ぐ形になった。
「この店員を野放しにすするなら買い物はしない」
筆者のプロフィールには、繊維業界の川上から川下まで担当する業界紙記者などを経て、現在はライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負っていると書かれている。
炎上したのは2012年8月22日にアップされた「一体店員にどんな指導をしているの?」というタイトルのブログ。大阪にある「無印良品」の名前が実名で記されていた。
内容は、店内で「走るな!」という男性の威圧する声が聞こえたため、声のする方向に目をやると、小学校低学年の男の子二人を睨みつける20代後半~30代前半くらいの男性がいたのだという。初めは父親か親戚のオジサンかと思っていたが、それが店員であることがわかって驚いた、という。いくら目に余る様子だからといって、店員が怒鳴るのはおかしいし、今回の場合はそれほど子供が騒いでいない。
「この店員がたまたまイラついていただけかもしれないが、これは接客業としては失格である。良品計画はもう一度この店員に基礎から研修を受け直させるべきだろう」
と書いた。
さらに、日本では販売員は下に見られがちな職種であり、応募する側も「販売員ならだれでもなれる」。店側も品出しとレジ打ち、おたたみくらいを覚えてくれればいいという軽い気持ちがあるため、このような店員をたまに見ることがある。そしてこの店員を野放しにしておくのなら、この無印良品で買い物をすることは今後ないだろうと締めくくった。
「むしろ素晴らしい店員だ」と反論多数
すると、このブログに書かれていることが許せないとネットで騒動になり、筆者のブログと「ツイッター」に批判が殺到「大炎上」することになった。このブログはポータルサイト「ライブドア」にも配信されていて、ここではコメントが23日の夕方までに1800を超えた。
「あんたが書かなきゃいけないことは、店内で子供が走り回っているのに注意しない親の方だろ」
「うるさいガキ、それを野放しにする親、なにもしない店員に、客はうんざりしているのですよ」
「走りまわっている時点で迷惑な客。子供は注意していることを理解させなければ反省しない。威圧した声で注意するのは当然。むしろよく教育されたすばらしい店員」
などというコメントが並んだ。
筆者は今回のブログへの批判の多さに驚いたのか、
「今回のブログで多くの方々に誤解を与えたことはお詫び申し上げます」
などと23日の昼過ぎに謝罪文を掲載した。ただし、販売接客業は「怒鳴りつける」という手段を採ることは原則ない、などと付け加えた。
ブログは一部が書き換えられ、本文から「無印良品」の名前を消した。そして、23日夕までにこのブログは削除されてしまったのか、現在はアクセスできなくなっている。
この広報アドバイザーを名乗る人物も少しおかしなことを書いていますが、店内を走り回る子どもを怒鳴りつけた店員を批判したのは当たり前のことだと私は思います。
もっとも、この人物は接客業の店員としてあるべき態度という観点から批判しているのですが、私は子どもが店内を走り回るのは当たり前のことだということから、子どもを怒鳴りつけた店員を批判しているので、その点は違いますが。
子どもは、ここは走ってよい場所だとか走ってはいけない場所だとかの判断はできませんから、店内であろうと走るのは当たり前のことです。ほかの客に迷惑になるとか、たいせつな商品が壊されるかもしれないとかいうことなら、子どもに対して「ここでは走らないでくれるかな」とか「向こうに行って遊ぼうか」などとやさしく言えばいいのです。当然のことですが、怒鳴りつければ子どもが傷つきます。
子どもが走るのを怒鳴りつけていいのなら、年寄りがのろのろ歩いていたり、レジでもたもたしているのも怒鳴りつけていいのでしょうか。子どもが走るのも年寄りがのろのろ歩くのも、どちらも自然な姿です。
もっとも、年寄りの動作が遅いといって怒鳴りつける人はまずいません。それは、年寄りは必ずしも弱者とは限らず、社会的に力のある人物であるかもしれないからです。
しかし、子どもは絶対的に弱者ですから、近くに親がいない限り遠慮なく怒鳴りつけられるので、そういう社会的習慣ができてしまったのです。
それにしても、この広報アドバイザーのブログが炎上したということは、子どもを怒鳴りつけるのは当然だと思っている人が多数いるということでしょう。
これがまさに「子ども差別」社会です。
子どもが走り回るのがいけないというのは、自己中心的なおとなの考えです。こういう考えのおとなは自分の子どもに対しても、「うるさい」とか「走るな」とか「ちゃんとしろ」とかしょっちゅう怒鳴っているに違いありません。
そして、子どものときにそうして怒鳴られて育ってきたおとなは、自分の子どもに対しても同じように怒鳴り、ときにこの広報アドバイザーのブログを炎上させたりするというわけです。
子どもがうるさいといって怒鳴る人は、赤ん坊が夜泣きしたときも怒鳴るでしょうし、それで泣き止まないと殴るかもしれません。「子ども差別」社会では幼児虐待が当たり前のように起きます。
「子ども差別」に気づくと、「怒りや暴力」を克服する道が見えてきます。もちろんその先にあるのは「愛と平和」というわけです。
コメント